第17話 貴族令嬢、来城(9)
まさか、勇者がここまで卑劣な者であったとは。今もなぜか急に叫んでいる。
我は解約書に魔力を込めて解約の準備を進める。ビュシーのためだ。早く解約を……。
「お待ち下さい、ベルシュート様!」
案の定、ハバが我を止める。
「ハバよ、止めてくれるな」
「しかし、解約してしまえば、勇者に攻撃手段を与えることになります」
「だが、解約せねばビュシーが……」
「それ以上に貴方様に危害が及ぶかもしれないのですよ。ビュシー様のことが心配なのは分かりますが、貴方様は魔界の王たる魔王なのです。ご自身の立場を理解して下さい」
たしかに、ハバの言う通りだ。
魔王である我には揺るがぬ権威と実力が求められる。若輩者の我にはどちらもまだ足りぬ。だからこそ現状に甘えるわけにはいかぬのだ。父上のような立派な魔王になるために。
「ハバよ、案ずるでない。我は魔王だ。魔王城の城主なのだ。ここでは魔族の血は一滴も流させぬ。それに、容易に勇者に負けるほど我は弱くはない」
「ベルシュート様……」
堂々と背中を部下に見せ、我は解約書を勇者へと送る。
「そこに契約者であるお主の名前を書けば契約は無効となる」
勇者がサッと記名を済ますと、解約書を縁取る紋様が消えていき、我の手元にあった契約書が緩やかに蒸発するようにして散り散りになっていった。
「遅くなりました!」
ちょうど解約を終えると、部下が勇者の大剣を持ってきた。
後はこれを渡せばビュシーが解放されるわけだが……。
「勇者よ、解約は済んだ。つまり、こちらはお主の要求を一つ呑んだのだ。大剣を渡す前に、ビュシーを解放してもらおうか」
「何を言っている。大剣を渡すのが先だ」
やはり譲らぬか。しばらく睨み合いが続く。
「がたがた言うな! なんでオレが魔王の言う通りにしなきゃなんねえんだよ!」
何も言っておらぬのに、勇者が突然叫んできた。いったい何なのだ?
「わ、我に譲る気はあらぬぞ」
「何が正々堂々だ! 牢屋にぶち込んでおいて魔王側に堂々もくそもねえだろ!」
「ともかく、ビュシーを返してもらおう」
「綺麗事ぬかしてんじゃねえぞ。オマエの薄っぺらい良心でそう上手くいくと思うなよ!」
ぬぬぬ……、会話が妙に成立しておらぬというのに、ダイレクトに心が刺さってくる。
だが、弱気になどなれぬ。我は魔王として、城で起きることの責任を取る必要がある。
「どうしても譲らぬというのだな」
「あぁ……。あ? 譲ったらどうなるか分かって言ってんのか?」
む? どういう意味だ?
勇者の反応に戸惑いながらも、我は一歩前に出る。
「止まれ、近づくとビュシーを突き落とすぞ! チッ……、だからハッタリだって言ってんだろ!」
え、ハッタリなのか? いや、そんなわけあらぬ。我を惑わそうとしているのだな。
冷静に対処せねばなるまい。
「お主の目的は我の首であろう。ならば、ビュシーと我を取り替えるというのはどうだ?」
「なんだと?」
「ベルシュート様、何を仰るのですか?」
我の言葉に、勇者もハバも驚きの声を上げる。
「我がビュシーと代われば、お主にとって人質を取る必要はないであろう? 魔王である我を捕らえることになるのだからな」
「何を企んでいる? 『どうしよう』じゃねえ。知るか、オレに聞くな」
「む? 何も企んでなどおらぬ。ただビュシーの安全を確保したいだけだ」
勇者の言動を怪訝に思いつつも、我は息を吸った。
「これは命令ではない。願望だ。だが、もし破るというのなら、魔王として我はお主に容赦はせぬ。さあ、我のビュシーを返してもらおうか」
出せる限りの威圧感を放ち、真剣に訴えた。
「ベルシュート様……」
すると、放心していたビュシーがようやく無垢な顔を上げた。
美しい瞳が我の姿を映していた。
■
……やばい。
ビュシーが心を取り戻した。おまけに魔王からの圧力も強まった。
大剣がない以上、オレは満足には戦えない。
どうする? 正面突破で大剣を奪うか?
『ダメだよ! まずはビュシーを解放して、その次に大剣を貰わないと!』
さっきから心の中でうるさい表のオレの意識がはっきりとしてきた。まだ無理をした時の疲れが残っているのか。
「ビュシーを解放したとして、魔王が本当に大剣を渡すと思うか?」
「お主が素直に従うなら、我も誠意を見せよう」
『知らないよ、そんなの!』
「はあ? 何言ってんだ?」
「む……ならば人質を我と交換でどうだ?」
『魔王がビュシーのことを思いやっているんだよ。ないがしろになんてできないよ!』
「オマエ、情が移ったのか? 魔族相手にバカか!」
「バ、バカ!? な、何を言っているのだ……?」
『違うよ! 勇者として、魔王の誠意に応えようとしてるんだ! なんでそんなことも分からないんだよ、このバカ!』
「誰がバカだ! このアホ!」
「わ、我はそんなことは言っておらぬぞ! 挑発のつもりか?」
『魔王は自分の首を差し出してまでビュシーを返してほしいって願ってるんだ。勇者として、いや、人としてそれに背いたらダメだよ!』
「あぁ、もう。うるせえな! 分かったよ。こうすれば良いんだろ!」
表の声を振り払うように、オレはビュシーの背中を押した。
「ビュシー!」
魔王が受け止めると、下っ端らしき魔族が大剣を恐る恐るオレの前に置いて退く。
まさか本当に大剣を渡すとはな。
「あー、くそッ。訳が分からねえ」
要求が呑まれたというのに、なぜか腑に落ちない気持ちを抱えながら大剣を担いだ。
すぐに戦闘態勢に入る魔族。いつでも互いに開戦できる状態ではある。
だが、オレのご主人様が望んでいることはちゃんと理解してる。
「しかたねえな」
オレは屋上の端の立ち上がりにヒョイと上ると…………そこから飛び降りた。
風を切るように落下するなかで、夜空が遠ざかっていく。
戦わなかったのには、ちゃんと理由がある。
一つは、表のオレが逃げ出すことを優先していたこと。二つは、複数戦闘を勝ち切るほど意識を保っていられる時間がなかったこと。あと、もう一つ感じた気はするが、まあ、いい。どうせ表のオレが願ったことだろう。魔族相手にどうかしてる。
「さて……、オレは屋上から飛び降りたわけだが、もう意識が持ちそうにない。オマエの目的である逃げることには大成功したわけだから、あとは任せる」
『え、ちょっと待って。着地の算段があったから飛び降りたんじゃないの?』
『知るか。戦闘を行わずに逃げるには、こうするしかないだろ』
そこで、フッと意識が反転する。
慌てて下を見やり、暗い地面との距離に絶望した。
あ……終わった。
「えええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…………………………――――‼」
ご来城ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。




