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第16話 貴族令嬢、来城(8)

 そうであった。


 ビュシーを助けようとして逆に魔獣に襲われた五才の苦い思い出が脳裏によぎる。


 最終的に半泣きした我は、ビシッ、バシッ、ピシャン! と大きな音を立てたビュシーの平手打ちに魔獣が倒れていく様を目の当たりにしたのだ。


 つまり、ビュシーはとんでもなく強い。


 勇者を縛り上げる貴族令嬢……という奇妙な光景に数秒で慣れてしまうほどに。


 かける言葉が見つからなかったが、とにかくまずいということだけは分かった。


 ビュシーの身の安全が確保されているようで安心したのだが、それ以上に、勇者のことが知られてしまったという絶望的な状況に陥ってしまった。


 勇者を葬ることができなかったと魔界中に広まれば、魔王としての地位が失墜してしまう。なんとかビュシーには黙ってもらわねばならぬ。


「聞きたいことがありますの」


 ビュシーは微笑みを携えて我に問う。顔が怖い。


「どうしてヴェーベンちゃんという存在があるのですか?」


 こうなったら正直に吐くしかない。誠意をもって頼み、黙ってもらうしかないのだ。


「それは……我の責任だ。どうしても葬ることができなかった」


「闇に葬ることができなかった? それほどの気持ちを抱いていたのですね」


「すまぬ。葛藤があったのだが、こうする道を選んでしまった」


「では、ビュシーが帰ったら、またヴェーベンちゃんと会うつもりでしたの?」


「あぁ、そうだ。だが、今回の件があった以上、早急に処遇を改める必要が出てきた」


「まさか、そこにヴェーベンちゃんと一緒になるという選択はありませんよね?」


「それはもちろんだ。一緒にいることなどできぬ」


 フッとビュシーの瞳から暗い色が抜けていった。


「ただ、だからといって、無下に葬ってしまうのは心苦しい」


 と思えば、再びビュシーの瞳が黒く染まる。


「未練が残っているというのですね」


 む? 未練? そういうわけではないのだが。


「でも、どうしてですか? ビュシーがいるというのに、どうして……」


 一度俯いてからビュシーは顔を上げた。瞳の色は元通りになっている。


「どうしてヴェーベンちゃんだなんて愛人を持っていたのですか?」


 むむむ?


「愛人……?」


「もしや、ビュシーと年に二、三回しか会えない寂しさから、他の女でその寂しさを埋めようとしたのですか?」


「いや、待つのだ……」


「そうやって逢瀬を重ねているうちに、本気になってしまったのですね!」


「ビュシーよ、そうではないのだ」


「いいえ、もう嘘なんて聞きたくありません! ビュシー以外に女はいないと仰っていましたのに! ひどいです!」


「だから、それは愛人ではなく勇し……」


 そこまで言って、ハバが我の肩に手を置いた。


「ベルシュート様、言ってはいけません。ビュシー様は勇者を貴方様の愛人だと勘違いしているのです。このまま黙っていれば勇者を仕留め損なったという事実は露呈しません」


「だが、我に愛人がいるなど、魔王として不名誉であろう?」


「では、勇者だと教えて更なる不名誉を獲得するおつもりですか?」


「ぬぬぬ……、それは勘弁だ」


 目尻に涙を溜めたビュシーが勇者(愛人)を縛り上げる。


「そうですわ。先程、闇に葬ることができなかったと仰いましたよね? でしたら、ビュシーが代わりにこの女を処刑して差し上げます。ご安心下さい。元よりそのつもりでしたから」


 それで勇者を縄で縛っていたのか……なんて納得している場合ではあらぬ。


「よろしいですよね? ベルシュート様にはビュシーがいますものね?」


「ま、待つのだ、ビュシー。冷静になるのだ」


「冷静になんてなれません。ビュシーが大切に想うベルシュート様に愛人がいたのですよ。冷静でいられる方がおかしいではありませんか!」


 まずい……。


 このままでは、ビュシーに勇者が処刑されてしまうぞ。


「何を焦っておられるのです?」


 慌てる我に、ハバが落ち着いた声で言う。


「勇者と知られずに、勇者を葬ることができる。最善ではありませんか。このまま勇者を処刑していただきましょう」


「しかし……」


「貴方様は何もしなくて良いのです。ビュシー様が処刑するのですから、ただ勇者の果てる姿を見ていれば良いのです」


 説得される間に、ビュシーは魔力の球を勇者に向けた。バタバタと勇者が暴れるが、ビュシーに縛られた状態からはビクともしない。


「ちゃんと魔力は調整したから大丈夫よ、ヴェーベンちゃん」


「ビュシーよ。さすがにそれはやりすぎであろう?」


「やはり未練が強いのですね、ベルシュート様。では、はっきりさせてしまいましょう」


 自信に満ちた微笑みを浮かべてビュシーは言った。


「ビュシーとヴェーベンちゃん、どっちが大事ですか?」


 苦手な貴族令嬢と恐るべき勇者。


 究極の二択……と言えないわけでもないが、答えは分かりきっている。


 我は息を吸って答えた。


「それは勇し……ヴェーベンだ!」


「え…………」


 答えた瞬間、ビュシーは固まり、やがて全身から覇気が抜けたように膝を落とした。


 む?


 周りの部下との距離を感じる。「なんてことを……」とハバは頭を抱えているほどだ。


 たしかに「ビュシー」と答えていれば魔王城は安泰だった。が、我は単純に問いに答えただけではないのだ。その後に起こり得ることも鑑みているのだ。


「そ、そんな…………」


 真っ白な瞳のビュシーが縄から手を放し、意気消沈したところで騒動は一件落着。


 かと思ったのだが……。


 スルッと縄が解ける音がした。


「おい、魔王。オレの言うことを聞け」


「……勇者!」


 我の目の前には、瞬時にビュシーを縛り上げた勇者の姿があった。


 ぬぬぬ……。


 本当にビュシーが人質になってしまったではないか!


   ■


 魔王とビュシーがボクのことと愛人の話で言い合っているなか、ボクは早くここから助かりたい……逃げたいという気持ちでいっぱいだった。


 そして、魔法で存在感を消していたのである。


 ボクの名前が聞こえる度に存在感を徐々に消していき、気付いた時には――裏のオレになっていた。


 緩まった瞬間にスルッと縄から抜け、微動だにしないビュシーを代わりに縛る。


「今すぐオレの大剣を持ってこい。それから契約を解除しろ」


「なぬ? そんなこと……」


「できないって言うんなら、ビュシーをここから突き落とす」


「……!」


 オレは放心状態のビュシーを屋上の端へと突き出す。


「やめろ、勇者! 分かった。お主の言う通りにしよう」


 魔王は案外簡単に言うことを聞いた。部下に目配せして大剣を取りに行かせたようだ。


 さて、その間に魔王にはオレが結ばされた不平等な契約を解除してもらおう。


 魔王城の魔族に手を出せないという契約はあまりに不都合。ん? 縄で縛り上げることができたということは、ビュシーは魔王城の魔族ではないのか。それは好都合だな。


「……ん」


 不意に心の奥から表のオレの意識が聞こえた。


『な、何やってるの!』


『何って、人質取って魔王に言うことを聞かせてんだよ』


『ダメだよ、そんなの!』


『はあ?』


『人質を取るだなんて非道だよ。魔王ならまだしも勇者であるボクがしたらダメだよ!』


『甘いこと言うなよ。オマエは武器もなく一方的に不利な契約を結ばされてるんだぞ? それに、何をしてでも逃げ出してやるって決意したのは誰だ?』


『それはボクだけど。でも……』


『じゃあ、他に良い方法があるのか?』


『そういうわけじゃないけど、やっぱり人質なんて……』


『ハア……。ビュシーはさっきまでオマエのことを殺そうとしてたんだぞ。人質にしたって罰は当たらねえよ』


『でも……』


『グダグダとうるせえなぁ。安心しろよ、ビュシーを突き落としたりしねえから。ただのハッタリだ。オマエが逃げたいって願ってるからオレが逃げる算段を整えてんだよ』


 そこまで伝えると、ようやく表のオレは大人しくなった。


「勇者よ、これを解約すればビュシーを解放してくれるのだな」


 魔王が契約書を取り出した。


「あぁ、そうだ。大剣が手に入れば、だがな」


 オレを一瞥すると、魔王は契約書とは別の解約書と書かれた紙を取り出した。そこに魔力を注ぐと、解約書に文章が綴られ始める。


「いけません、ベルシュート様! それをしては貴方様が危険です! ここは一斉に勇者を攻撃して……」


「おい、忘れたか! こっちには人質がいるんだぞ」


 魔王を制止しようとする執事にオレは叫ぶ。


 さすがに一斉攻撃をされると、契約で抵抗できないオレではまず勝てない。魔王なら人質の一人くらい何とも思わないかと危惧していたが、気を付けるべきは他の魔族かもしれないな。


『やっぱりダメだよ! そんな非道なことを言ったら!』


「あぁ、うるせえ!」


 いや、一番厄介なのは表のオレかもしれない。



ご来城ありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。

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