第15話 貴族令嬢、来城(7)
ビュシーと二人きりで夜空を見上げながら、ボクは零れ落ちそうになる涙を目に浮かべていた。
あぁ、どうしてこんなことに……。
振り返ってもしかたがないが、ボクはまだ牢屋にいた時のことを思い出す。
――なんとかして牢屋から逃げようと考えていたわけだけど、閉じ込められている状態から逃げ出すなんてまずできるわけがない。
食事が運ばれる時は、牢屋の扉の脇にある小さな戸から渡されるし、扉をくぐったのは牢屋へ入れられた時と内装が豪華になった時のみ。
つまり、逃げるチャンスは生贄のために牢屋から連れ出される時だけだ。
失敗すれば、本当の終わり。
そうやって脱出について考えていると、蝋燭の明かりに揺らめく人影がボクの牢屋まで伸びてきていることに気が付いた。ゆったりとした足音と共に真っ黒の影が迫ってくる。
魔王のシルエットではないようだけど、誰なのだろう?
牢屋の前で椅子に座っているゼービが立ち上がったと同時に、その人影は姿を現した。
「ビュシー様! どうしてこちらに?」
慌てるゼービに、現れた魔族は微笑む。整った容姿に華やかな装いの似合う女性だ。
「ベルシュート様が何か隠し事をしているようだったから。将来のことを考えれば、今のうちから夫の全てを知っておくべきでしょう?」
「へ、へえー。隠し事ですか? いったい何でしょうねー」
「あの口ぶりからして、下の階に何か隠していると思ったのだけれど」
「さあ? 魔王城の序列にも入っていない俺には何のことだか分かりませんねー」
「あら、そう」
ぎこちない喋り方をするゼービから視線を外し、「ビュシー様」と呼ばれた魔族はボクの牢屋へと視線を移す。
「ところで、どうしてこの子の牢獄だけこんなに華美なのかしら。まるで宿屋みたいね」
「え、えーっと。それは、ですね…………こ、この方は、ある貴族様の娘さんなんです! どうやら悪さをしてしまったようで、貴族様から魔王城の牢獄でしばらく反省するよう言われていまして。だから内装が……」
「かわいそうね。まだ若いでしょうに、こんな惨めな思いをさせられてしまうなんて」
ゼービの言葉を最後まで聞かず、ビュシーは哀れみのこもった目でボクを見つめる。
「ねえ、あなた。ここから出してあげましょうか?」
「へ?」
あまりに急な救いの手に、間抜けな声が出た。
「で、出たいです!」「ダメですよ、ビュシー様!」
ボクとゼービの声が重なる。
今なら生贄にされる時よりはるかに逃げやすい。ビュシーはボクのことを勇者だと分かっていないみたいだし、これが最大のチャンス! 何をしてでも逃げ出してやる!
「あなた、名前は?」
「ヴェーベンです! ビュシー様、ボクをお救いください! 何でもしますから!」
魔族を様づけで呼び、必死で鉄格子にすがりつくボク。全力で勇者失格である。
「ウフッ、可愛らしい子。でも、不思議ね。貴族がわざわざ魔王城の牢獄に若い娘を入れるなんて…………ん?」
ふと、ビュシーが口元に手を添えて、考え込む。
そして、納得がいったように「あっ」と声を出すと、急に目の色が真っ黒になった。
「そういうことね」
「え?」
「ベルシュート様の隠し事っていうのは、あなたのことだったのね」
「「……ッ!」」
あまりの気迫と正体がバレたことに、ボクはゼービと共に戦慄した。
「ヴェーベンちゃん。あなた………………ベルシュート様の愛人だったのね」
ん?
あいじん? あいじんって、あの愛人? いや、そんなわけないか。
「まさかビュシーというものがいながらベルシュート様が女を隠していたなんて。地下牢へ入れて上手く隠したつもりでも、内装がこれだけ豪華であればそれ以外にあり得ない」
「ビュシー様、勘違いです! そうではなくて……」
「あら、何が違うっていうの? さあ、早くヴェーベンちゃんを出して。ビュシーがきちんと立場を分からせてあげないと」
え、ボク何かされるの?
「それはできません。出すな、と魔王様から……」
「やっぱり女じゃない。ビュシーが帰るまで牢獄で隠し通すつもりだったんでしょう?」
「いえ、そうではなく……」
「ねえ、ゼービ」
フッとビュシーから殺気が漂った。それも今まで戦ってきた魔族と桁違いの殺気が。
「ビュシーに逆らうことがどういうことか分かっているのかしら?」
「しかし、これは魔王様のご命令で……ガァッ!」
バタッとゼービが倒れた。
……み、見えなかった。いつの間にかゼービの背後にビュシーが移動していたのだ。
「さて」
暗い声で呟くと、ビュシーはゆったりとゼービから鍵を奪って牢屋の正面に立つ。
「悪い虫は退治してあげないとね」
……やばい。
この魔族、怖い。怖すぎる!
最大のチャンスなんかじゃなかった。それどころか大ピンチの予感。
「ヴェーベンちゃん、あなたはベルシュート様にとって有害だから……」
口元にだけ笑みを浮かべて、ビュシーは牢屋の鍵を回した。
「処刑しないとね」
あああああああああああ‼ 処刑人だぁあああああああ‼
――そうしてボクは縄で体を縛られ、処刑されるべく屋上に連れて来られたのだ。
「うぅ…………」
下を向くと、涙がポロポロと零れていく。
ボクの正体に気づいた途端、ビュシーは態度を豹変させた。ビュシーは処刑人。魔王とは違い、勇者のボクを一刻も早く始末してしまおうとしている処刑派の魔族なんだ。
「ねえ、ヴェーベンちゃん」
夜半の空に浮かぶ月が、ビュシーの微笑みの中にある真っ黒な瞳を照らして、その暗黒さをボクに見せつける。
「よくもビュシーの大切なベルシュート様をたぶらかしてくれたわね」
勇者、許すまじといった気迫でビュシーは…………ん? たぶらかしたって何のこと? 魔王と休戦の契約を結んだこと?
「でも、あれは魔王から持ち掛けてきて……」
「何言ってるの? ベルシュート様にはビュシーがいるのよ。ヴェーベンちゃんから誘ったんでしょう? ねえ?」
「え、君こそ何を言って……」
「なぁに? 口答えするっていうの?」
「イギャッ!」
ボクを縛る縄を引っ張られ、ギシッと体がひしめく。
「まあ、いいわ。後でベルシュート様から聞けばはっきりすることよ。それよりも……」
「ひぃ!」
ビュシーが恐ろしい真顔をボクに近づける。鼻と鼻がくっ付きそうなくらい。
「ベルシュート様とはどこまでいったのかしら?」
「え?」
「まさか、最後までいってないでしょうね」
どこまで? 最後?
ハッ! 大広間まで行って魔王と対峙したのは、最後の戦闘という意味になるのでは?
「たしかにボクは最後までいったけど、それは宿命でイタタタッ!」
縄を縛り上げる手が月光を遮り、黒い影を成す。
「まだビュシーはお傍にいることしかできていないというのに、ヴェーベンちゃんはもうそこまでいったっていうの。そう。そうなの。ふーん」
瞳の色は黒いままで、おもむろにビュシーが親密な間柄のようにボクの肩に手を回し、今度は頬と頬を近づけられる。
「今日は満月ね」
「え?」
いきなり話題が変わって動揺していると、肩に置かれた人差し指がピンと立つ。
「ヴェーベンちゃん。ビュシーの指している方向をよぅく見ていてね」
「……はい」
逆らえない雰囲気に流され、ボクは肩にのった人差し指の先をそろそろと見やる。
そこには魔界の夜に深い青を添える山々が連なる厳かな光景があるだけ。何か特別気に留めるものや目印はない。
「……ッ」
急に魔力の球がボクの頬に当たるかどうかという距離……ビュシーの指先に現れた。
「ちゃんと見てるのよ」
それがピュンという可愛らしい音を立てて(その割には剛速球で)飛んでいく。
やがてその魔力の球は見えなくなり、何がしたかったのかとビュシーを横目で窺おうとした瞬間――――
ドゴゴゴゴオオウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンン!
「あら、ちょっとやりすぎちゃったかしら」
「…………ッ!」
や、山が……爆発した……!
人差し指の先にあった山を発生源とする信じられない轟音と光景が五感を停滞させた。
間違いない。
ビュシーが山を崩壊させたんだ……。
被害場所は風が強いのか、徐々に土煙が晴れていく。
そしてそこには、球状の何かにその大半を削り取られたような跡を残す、無残な山のシルエットが出現していた。
「さすがにあそこまではやらないけど、ヴェーベンちゃんもあんなふうになるのよ」
ガクガクガクガク……。
どうしようどうしようどうしよう。
体中が震えだして止まらない。
こうなったら、魔王にしたようにああするしかない!
ボクはサッとビュシーに向き直り、縛られた状態で精一杯体をかがめる。
「ご、ごごごめんなさああいいいぃぃぃ!」
涙目で訴えると、グイッと縄で体を引っ張り上げられ、顎に手を添えられる。
暗黒の瞳とばっちり目が合った。
「そんなに怖がらないで。処刑したら、許してあげるから」
ひぃいいいいいいいいいいいい!
……終わった。
そう思った時だった……魔王が現れたのは。
「勇者よ、お主の好きにはさせぬ! この魔王ベルシュートが相手を、して……?」
どうしてだろう。
魔王が来たというのに、助けが来たと思ってしまったのは。
ご来城ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。




