第13話 貴族令嬢、来城(5)
「我はもう疲れたぞ……」
洗面所の前で我はうな垂れていた。
先程ようやくクレアルーン領の報告をビュシーが終え、間食を共にした後、我は婚約への期待の眼差しから逃げるようにしてトイレへと駆け込んだのだ。
ビュシーが一週間も城にいるという事実で心労がどっと出たというのに、これがまだ半日しか過ぎていないことに愕然となる。
「ベルシュート様、お気を確かに。まだあと六日と少しあります」
「具体的な数字を出すでない」
ハバが珍しく隣で我を労わるが、現実が重くのしかかるだけだ。
「もういっそ婚姻を結んでしまってはいかがです? 心配性で小心者な貴方様なんかに好意を抱いて下さっているのですから」
「うッ……。ハバは他人事だからそんなことを言っていられるのだ。実際に婚約の圧力にあってみよ。お主も我と同じように耐えられぬはずだ」
「そうですか。しかし、いつかは婚姻を結ばねばなりません」
「まだ数年先でも大丈夫だ」
「ですが、そうも言っておられません。その間もビュシー様は婚約を熱望されるかと」
「ぬぬぬ……」
「まあ、無理にとは言いませんが。ビュシー様は貴方様を好いており、父上である領主様は娘を魔王の妻として魔界での安定した地位を得たい。親子で利害が一致している以上、クレアルーン家の強引な縁談を止めるというのは難儀な話です」
「あまり迫られると困るのだがな」
勇者の次はビュシーが来るとは。疲労が取れぬ。
そういえば、ビュシーに一週間も傍にいられては勇者の様子を確認することができぬ。一応、指示を出して勇者が窮地に立たぬよう牢獄を改装したから、覚醒するなんてことは避けられたはず。だが、勇者を侮ってはいけぬ。様子を見にいかせる必要があるな。
「ハバよ、頼まれてくれぬか」
「何でしょう?」
「勇者の動向を確認してきてもらいたい。それからお主の職務もあるだろう。ビュシーは我に任せてお主の職務を優先してくれ」
伝えると、妙に怪訝な顔をされた。
「お気は確かですか?」
「わ、我だって部下の一人も労えぬわけではないのだぞ」
「いえ、貴方様一人で正当に職務を全うできるかどうかを危惧しているのです」
「うッ。勇者の件が一段落した今、我もある程度自信はついた。我は魔王なのだぞ」
ハバは少し迷った様子でいたが、「承知致しました」と頷くと、我が洗面所を出たのと同時に地下牢へと向かった。
「待たせたな、ビュシー」
応接室に戻ると、ビュシーがキョトンと首を傾げる。
「あら? ベルシュート様、ハバは一緒ではなかったのですか?」
「あぁ、ハバなら勇し……他の職務があるのでな。そちらを優先させたのだ」
危ない。勇者のことをうっかり漏らしてしまうところだった。
一日であれば隠し通すのは充分に可能なことであったが、一週間ともなると厳しいかもしれぬ。さすがにビュシーが地下牢へ行くことはないであろうが……。
「何やら長い間、話されていたようですが、職務のことだったのですね」
「あぁ、そうなのだ。ハバは几帳面なのでな。つい話も長くなってしまった」
「ところで、ベルシュート様」
「む? なんだ」
「何か隠されてます?」
まずい……勇者のことに勘づいたのか?
「べ、別に何も隠してなど、おおおらぬぞ?」
ビュシーは我を真っすぐな瞳で見つめてくる。め、目を合わせられぬ。
「どうやらビュシーの勘違いだったみたいですね」
誤魔化せたようだ。すっかりいつもの清楚な笑顔に戻って微笑んでいる。
「では、たくさんお話を致しましょう! 二人の馴れ初めは覚えておいでですか? あれは確かビュシーが七つの頃……初めて来城した時のことでした。うっかり魔獣に囲まれてしまったビュシーの元にベルシュート様が助けに来てくださり、魔獣から庇ってくれたのを今でも鮮明に覚えています」
「な、懐かしいな」
我にとっては恥ずかしい思い出だ。
魔王の庭ではぐれたビュシーが野生の魔獣に襲われていたところをとっさに助けようとした…………が、五才の我は魔獣に散々噛みつかれて魔王の後継者としてあってはならぬ姿を晒したのを覚えている。
「我ができたのは、お主の怪我を心配するくらいのものだ……」
「そのお心遣いがビュシーには、とっても嬉しかったです。誰かに真剣に心配されることなど、全くないものでしたから」
この話はもう何十回と聞いている。その度に我は居心地の悪い思いをするのだから困る。まあ、ビュシーの従者たちはもう何百回と聞かされているのだろうが。
「そうだ、ビュシー」
「どうされました、ベルシュート様」
「我は夕食の時間まで職務をしたいのだが、お主はその間、城でくつろいではどうだ?」
手頃な穴があればそこに隠れたくなった我は、勇者のことが暴かれてしまう危惧もあり、職務という言い訳を用いてビュシーから逃げようとした。あと何時間か対面する気概があったのだが、綺麗さっぱり全部消えた。
「ありがたい申し出ですが、ビュシーはベルシュート様と一時でも多くの時間を過ごしたいのです。職務の邪魔はしませんから、お傍に居させていただくことはできませんか?」
「しかし、傍に居られると職務に集中できぬ。すまぬが待っていてくれぬか?」
「では、ビュシーも職務を手伝います。それではダメでしょうか?」
「魔王の職務を領主貴族の者にやらせるわけにはいかぬ」
「そうですか。そこまで仰るのなら」
きっぱりと言い切ると、ビュシーは渋々従ってくれた。
よし、解放されたぞ!
「では、ビュシーはお言葉に甘えて魔王城を散策させていただきます」
「うむ。魔王城は上階の方がオススメだ。眺めも良いし、普段では見れぬ場所もあるからな。ぜひ散策するなら上階だ。下階の方にはこれといったものもないからな」
これだけ念を押せば、地下牢に行くことはないだろう。
それに今はハバが地下牢にいるから、もし下階へ行っても対処が…………む。
ここで我は大きな過ちを犯してしまったことに気が付いた。
ハバには牢獄の内装を豪華にしたことを伝えてないのだ。絶対に反対するに決まっているから、部下たちに内密に進めさせたのであった。
まずい……。
■
「何でしょうか、これは」
ボクの牢屋の前に執事が立っていた。牢屋の内装を見るなり顔をしかめる。
何か気に障るようなことしたかな? ふかふかのベッドに寝転がっていたんだけど。
執事の隣に立っている看守も気まずそうに執事の様子を窺っている。
「ゼービ。これはどういうことですか?」
執事が尋ねる。看守の名前はゼービと言うらしい。
「…………」
「なるほど。ベルシュート様から口止めをされているのですね」
視線を泳がせ黙っているゼービの様子を見て、執事はため息を吐く。
「まったく……。ベルシュート様は何を考えているのでしょう。捕らえた勇者を拷問するでもなく、牢獄の内装を改善させるなど……」
あれ? 執事はストレスフリーな生贄にすることに反対なのかな。もしかしたら、魔族の間でも意見が分かれているのかも。
良質な生贄を作る派と拷問で搾り上げる生贄派、といったかんじかな。
……なんか自分で考えておきながらすごく怖くなってきた。生贄に変わりはないんだ。
でも、快適な環境を与えてくれる魔王は案外優しいのかもしれない。
対照的に執事は魔族としての悪辣さが浮き彫りだ。拷問だなんて物騒な。非道だ!
「ひぃ……!」
軽く執事を睨んだら、魔王の数倍鋭い視線を向けられた。
この視線……生贄まで待てず今すぐにでも処刑しよう、なんて考えになってないよね?
「ベルシュート様は今、ビュシー様の来城で忙しいですからね。どうせ人間界の情報収集もできないでしょう」
執事がボクを見ながら言った。
言葉の続きは簡単に想像できる。『であれば、使い物にならない勇者はさっさと始末してしまいましょう。生贄は後で別の人間を捕らえれば良いのですから』
……終わった。
どうしようどうしようどうしよう。
処刑は嫌だ! 処刑だけは怖すぎるんだよぉ。生贄も怖いけどぉ。
「捕らえておくだけ露見の危険性が高まる。それはベルシュート様の魔王としての立場の危機を示す。であれば……」
小さく執事が息を吸った。
「さっさと始末してしまいましょう」
ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼
「……と言いたいところですが」
え?
「ベルシュート様の指示なく始末してしまうことはできない。なんとしても、ビュシー様から隠し通す必要があるようですね」
今、始末しないって言った? 言ったよね? 良かったぁ……。
「ゼービ。そんなことはないとは思いますが、万が一、ビュシー様が地下牢へお越しになった場合は、上手く勇者のことを誤魔化して下さい」
「分かりました」
去ろうとする執事とゼービが何やら話しているようだったけど、ボクは処刑を免れたことで安心し、空気が向けたように脱力した体には何も聞こえなかった。
ただ、生贄として犠牲になるという運命は変わっていない。
再び暗い気持ちに沈んでいると、裏のボクが奮い立てるような感情をぶつけてきた。
『勇者としての使命を忘れたのか』
そうだ、ボクは魔王を倒しに来たんだ。それが捕らえられ、なんとか生き延びようとして惨めに牢屋で一喜一憂している。
仲間が見たらどう思うだろうか?
勇者として皆に情けない姿は見せられない。
強く、ボクは決意を抱いた。
――ここから逃げよう。戦うために。たとえどんな手を使ってでも。
ご来城ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。




