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第10話 貴族令嬢、来城(2)

 いつぶりだろうか。ベッドで寝たのは。


 ボクはやたらと硬そうな牢屋の天井を見上げながら考えていた。


 魔界に入ってからはずっと野宿をしていたから、ボロボロといえどもベッドで眠れたというのはありがたかった。でも、起きたら魔王城の地下牢にいるわけで、絶望が重くのしかかって体を起こすのも一苦労だ。


 地下牢の廊下から朝の日差しが射し込んでいる。どうやら廊下部分だけ半地下らしい。


「それにしても、妙だな」


 ボクはふと、昨日の出来事を振り返る。


 腰が抜けて何もできなかったボクを、魔王は生かすも殺すも選択できた状況だった。


 なのに生かした。まさかボクに同情をして……いや、魔王に限ってそんなわけないか。極悪で悪辣な魔王が人間に同情するわけがない。


 ということは、やっぱり理由があって魔王はボクとの戦闘を避けている?


 休戦を結んだ時は、ボコボコ説と魔物戦闘説、それから生贄説を考えていたんだけど。


 あ…………。


 牢屋に囚われたという認識が、一度寝て落ち着いたボクを鮮明な答えに導いた。


「生贄だ……絶対そうだ」


 ボコボコ説ならとっくにボクの顔はアザだらけだし、魔物戦闘説ならとっくに魔物のところへ向かわされているはずだ。だけど、生贄説ならこうやって牢屋に閉じ込めて、しっかり儀式とか下準備とかすることもあるだろうから納得がいく。


 きっとボクが女だから殺さずに生贄として生かしたんだ。どこかで生贄は若い女が良いって話を聞いたことあるし。これから奈落に棲む禍々しい魔物に丸呑みに……。


「ひいぃぃぃ! 生贄なんて嫌だぁぁぁぁぁぁ!」


 そして、魔王の企みが分かったところで……。


「逃げられないんだよなぁ」


 とにかく今は牢屋に閉じ込められているわけだから何もできない。当然、武器も没収されたし、鉄格子はビクともしない。もう祈るしかない。


 射し込む光に向かって手を組んでいると、カツカツと二つの足音が近づいてきた。


 牢屋の中からだと誰が接近してきているのか分からない。足音が大きくなるにつれ、手汗がじわじわと溢れ出る。


「魔王様、こちらです」


 あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼ 魔王来たぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼


 何だよ何だよ何だよぉ?


 案内をした看守が下がると、魔王は執事と共にボクの牢屋の前に立った。


 ボクは反射的にそこらへんに落ちていた細い木の枝を拾って構える。意味はないけど。


「勇者よ、気分はどうだ?」


 とてつもない威圧感を放ちながら魔王が尋ねてきた。


 これから魔物の胃の中に落ちるんだから気分なんて良いわけがないというのに。


「最悪だよ!」


 思わず叫んでしまった。


 魔王の片眉がピクッと反応する。お、怒ったか……?


「安心せよ。直に良くなる」


 良くなる? いったいどういう意味だ?


 ハッ、まさか……。


 死んでしまえば苦しみも感じなくなるって意味か?


 ……終わった。


 どうやらボクの命は今日までのようだ。


   ■


「直に良くなる」


 これは失言であった。


 勇者を刺激しないように慎重に言葉を選んだにも関わらず、叫ばれて怖気づきそうになるのを我慢しながら放った言葉。牢獄にいるわけだから、今後はそれ以上に悪くなることはないのではないか? ぐらいの軽い考えだったのだが、「良くなる」と口にした瞬間、後ろに立つハバから圧を感じた。


 まさか、前から勇者、後ろから執事という二つの脅威に挟まれてしまうとは……。


 おっかなくて勇者の処遇を伝えようにも伝えられぬ。


 こんな時、父上であれば即断即決していたというのに……。


 今は亡き父上のことを思い出していると、ふと父上の言葉が頭をよぎる。


 ――こちらが勝ったと思った瞬間、人間はとてつもない力を発揮するのだ。


 そうだ。


 牢獄へと幽閉した時点で我ら魔族は勇者に勝利を確信している。もはや負けることは有り得ないと高を括っているが、今この状況こそ警戒すべき時ではないのか?


 勇者が窮地に陥っている状況で覚醒でもして強くなってしまっては大変だ。魔法を遮断する鉄格子を破って脱獄するぐらいのことなら容易くやってのけてしまうに違いない。


 きっと木の枝を剣のように構えているのも、覚醒すれば枝で牢獄の鉄格子を斬ってしまえるという予兆であろう。


 つまり、勇者を窮地に立たせてはいけぬ!


 なんとかして機嫌を取らねばならぬのだ!


 魔界を平穏へと導くためにも誤りは許されぬ。より慎重に言葉を選ぼう。


「勇者よ、お主に今後の処遇を言い渡そう」


 ピリッと張り詰めた空気が場を支配する。


「お主が人間界の情報を我らに渡すというのなら、ここから出してやらぬこともない」


 うむ、完璧だ。


 牢獄から出られるかもしれぬ、という希望を与えて勇者の機嫌を取り、なおかつ牢獄から出すかどうかは濁すことでハバからの叱責も免れるという素晴らしい処遇だ。


「それは……」と勇者が静かに口を開く。


「ボクに仲間を売れということか!」


 ぬぬぬ……、機嫌を悪くしたではないか!


 勇者の正義感を完全に計算していなかった。なんて厄介な……。


 だが、我も魔王。


 ここで一人の勇者に屈するわけにはいかぬ。なんとしてでも勇者の機嫌を良くせねば。


「嫌ならそれでもいい。牢獄から出られる機会を逃すことになるがな。それより、牢獄での暮らしはどうだ?」


「捕まっているんだぞ。良いわけがないだろう」


「何が不満だ?」


「こんなみすぼらしい場所に囚われていることだ!」


 そうか。やはり牢獄という場所が機嫌を悪くさせているのだな……牢獄という場所が。


 む! 閃いたぞ! 上手く勇者の機嫌を取る方法が!


「ならば、場所を変えてやろう」


「ど、どういうことだ?」


 敵対心からか、折れそうな木の枝を握りしめ、勇者は我を睨む。


 我の考え通りにいけば、木の枝で鉄格子が斬られるという事件は起きぬ。


「勇者よ、もう気に病むことはない。この牢獄での生活も今日までだ」


 そう、牢獄でなかったら良いのだ。これで勇者の機嫌も良くなり、万事解決だ。


「おふざけは済みましたか? ベルシュート様」


 不意に背後から発せられたその声に、寒気がした。


「いったい貴方様は何がしたいのです?」と我にだけ聞こえるように囁かれた冷たい言葉に、心臓が締め付けられる。この件はハバには黙っておこう。


「時間もありませんから、はっきりとして下さい。処刑か永久幽閉か」


「あぁ……そうであるな。とりあえずだな……」


 我は軽い気持ちで結論を出した。誤魔化しの結論を。


   ■


 人間界の情報を言ったら出してくれると魔王は言った。


 正直、揺らいだ。


 おどろおどろしい魔物の栄養分になるくらいなら、全部吐いた方が良いよね? と思って「それは……勇者関連のことでも良いの?」と聞こうとしたけど、あと一歩のところでボクは立ち止まった。


 勇者としての自覚が甘美な誘いを振りほどいたのだ。「ボクに仲間を売れということか!」と。


 そう。ボクは勇者として正しい言葉を投げた。


 魔王の威圧感溢れる声を聞いたら、すぐに取り消したくなったけど。


 それでもやっぱり魔王が「牢獄での暮らしはどうだ?」と苦しむボクを見て愉しんでいる様子に思わず反発してしまった。


 そして魔王の眉間に皺が浮かぶ。


 あああぁぁ、機嫌を損ねたらどうしよう……と焦っていると、


「ならば、場所を変えてやろう」


 場所を変える? 牢獄から出られるってこと? そんなことがあるわけ…………あっ。


 不意に気付いてしまった。


 魔王は――ボクを処刑するつもりなんだ。


 場所を変えるっていうのは、処刑台まで連れていくという意味なんだ。


「ど、どういうことだ?」


 震える体を抑えるが、手に力がこもる。


「勇者よ、もう気に病むことはない。この牢獄での生活も今日までだ」


 今日まで……。


 つまり、明日にはもう処刑されているということ…………………………。


 あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼


 死にたくないよおぉ‼


「おふざけは済みましたか? ベルシュート様」


 え?


 今、執事がおふざけって言った? な……なんだぁ。おふざけかぁ。どうりでおかしいと思ったよ。生贄にするはずなのに処刑しちゃうだなんて。


 ホッとボクは胸を撫で下ろす。


「時間もありませんから、はっきりとして下さい。処刑か永久幽閉か」


 押さえていた胸が爆発しそうになった。


 処刑って言った、処刑って言った、処刑って言った。 


 心臓が心の声に合わせて鼓動する。もはや心臓が喋ったみたいにして。


「あぁ……そうであるな」


 処刑じゃないよね? 違うよね?


「とりあえずだな……」と低い威厳のある声がボクに這いよる。「…………永久幽閉だ」


 今度こそ、ボクは胸を撫で下ろす。


 変な間はあったけど、処刑は免れたみたいだ。


「では、時間ですので」


 地下牢に執事の声が響き、魔王はマントを翻して帰っていった。


 これでどうやら魔王とは一旦距離を置けるみたいだ。


 でも、永久幽閉か……。


 間違いなく隠語だろう。誤魔化して言うほどボクに知られてはいけないことであり、魔界の存続もかかっているであろうその真意。


 それは……。


 魔物の胃袋の中への永久幽閉――――すなわち、生贄だ。


ご来城ありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております。

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