(004) 漂流
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セーナが意識を回復したのは、ちょうどマッカが彼女の顔を覗き込んでいたときだった。
彼女が気づいた、と気づいた彼は、一瞬、「ビクッ」と震え、慌てて首を引っ込めた。
これではまるで、何かやましいことでもしてたみたいだ。
マッカは慌てて弁解をした。
「か、勘違いするなよ! 別に、ヘンなことしようとしていたわけじゃねえからな? ただ、返事がないから、様子を……、見て……。様子を見てたんだ! それだけだ!」
「……心配してくれたのか?」
「違う! 様子を見ただけだ!」
自分で言って、その二つがどう違うのかよくわからなかったが、マッカはとにかく否定した。
セーナは「くすくす」と、珍しく――というか、彼の知る限り初めて、穏やかに笑っている。
マッカは無性に気恥ずかしくなって、顔を背けた。
「……無事なら、いい」
「おまえほどではないよ」
セーナは、まだ「くすくす」と笑っている。
この女にもそんな顔が出来たのかと、妙に感心してしまった。
彼の知る彼女は――と言ってもまだ出会って数時間の関係だが、高圧的で仏頂面で愛想の欠片もない女である。
窓を眺めてただけでいきなり噛みついてきて、銃まで撃ってきた彼女とは、まるで別人に思えて不思議な感じがした。
セーナは、いま自分がどんな顔をしているか気付いたみたいに、突然、表情を改めると、怪訝そうに眉根を寄せた。
「……ジャンプは? どうなった? いや……、無事ということは、成功したんだろうな」
セーナは、首を伸ばして辺りを見渡そうとしたが、身体はベルトで固定されている。ベルトを外して再び立とうとしたが、気分悪そうに口許を抑え、シートに腰を沈め直した。
吐き気を堪えているようだ。あまりジロジロ見るのも失礼だと思い、視線をそらす。
「連中もあんたと同じだよ。みんな呻いたり、吐いたり。騒ぐ元気もないって感じで、パニックにはなってねえ」
不安定なジャンプ・ウィンドウに飛び込んだおかげで、船体は激しい衝撃と断続的な振動に襲われ、もう、最悪だった。ほとんどの乗客が振動に耐えきれずに亜空間のなかで意識を失った。
ベルトをしていなかった何人かは、そのまま命さえ失った。いくつかの身体は、まだ重力の戻らない客室を力なく漂っている。
セーナは、気分が悪いのか、それとも自責の念でも感じているのか、暗い顔をして俯いたまま、しばらく動かなかった。
別にあんたのせいじゃないだろ、と、言ってやりたかったが、それではまるで彼女の心配をしてるみたいで、言えなかった。
セーナは、また何かを思い出したように急に顔をあげ、エルを呼んだ。
「エル!」
無重力に漂う端末を掴もうとして、まだ感覚が戻らないのか、失敗する。
マッカが取ってやるべきかと悩んでる内に、彼女は窓スクリーンの下に挿したコードから端末を手繰り寄せて、自分で何とかした。
『ごきげんよう、セーナ。マッカ』
「お、おう?」
人工知能らしいが、ただの四角い箱に挨拶されるというのも、なんだか妙な気分である。
「……挨拶はいい。それより、現在位置はどうなってるんだ?」
人工知能より愛想がない女である。もっとも、この状況ではそういう姿勢は全面的に正しかったが。
『測定できません』
セーナは小さく頷いて、質問を続ける。
マッカも、そんなことになるだろうと思っていたので、特に驚きはしなかった。
「観測機器がやられたのか?」
『稼働率は四〇パーセントを下回っていますが、観測は可能です。しかし、該当する星図がありません』
「つまり、ここは未開の宇宙域ということだな?」
すなわち、ベルゼブルの勢力圏という意味である。
しかし、エルは、もっと絶望的なことを言った。
『それだけではないのです。天の川が観測できません』
「……は?」
『たぶん、ここは銀河系ではありません』
「……はあ?」
セーナは、バカっぽく大口を開け、間抜けな声をあげた。一瞬、マッカを「きっ」と睨み、口を閉じる。見せてはいけない姿を見せてしまい、後悔してるのだろう。不覚だった、と。
しかし、いまは「銀河系ではない」という問題の方が大きいらしく、すぐにエルへ向き直った。
「銀河系の外だと! つまり……、銀河系の、天の川銀河の、外まで出たと、言ってるのか!」
『はい』
知能があると言っても、所詮はコンピュータである。
それが事実だとすればとんでもないことを、たった二文字の言葉で平然と肯定した。
天の川銀河とは、地球やその周辺数万光年を含む、つまり、地球人類の住んでいる銀河のことである。
その外まで出たと言うのは、いくら不安定なジャンプ・ウィンドウに飛び込んだとは言え、ちょっと考えられない事態だった。
亜空間航行は、移動に亜空間を経由することで時間と距離を大幅に短縮することが出来るが、それでも、一回のジャンプで跳べる距離は、せいぜい百光年がいいところである。
一光年が約九兆四六〇〇億キロメートル。光が何年も掛けて進む距離をほんの数時間に短縮できるのだから大したものだが、それでも、銀河間は無理なのだ。
銀河と銀河の距離は、最低でも数万光年は離れている。
亜空間航行はあくまで恒星間を移動するための航法で、銀河間なんて距離を跳べるわけがないのである。
目隠しをしてでたらめに石を投げたとしても、海を越えたり、月まで飛ばせたりできるはずがないのと同じことだ。ここが本当に知らない別の銀河なら、本来のジャンプ距離の百万倍以上を移動したとことになるのだから、このたとえでは甘いくらいだ。
もちろん、正常な目的地に辿り着けるとは思っていなかったが。
だとしても、銀河の外までというのは、考えられない距離だった。
『観測の結果、天の川銀河ではないですが、何処かの銀河内ではあるようです。星の数は天の川銀河より多いほどです』
「……アンドロメダか?」
『わかりません。データにないとしか言いようがありません』
何処か別の銀河と言ってもその距離はピンからキリまであって、一番近くて五万光年ほど、アンドロメダなら二百三十万光年離れている。地球からは観測できないような、もっと遠い銀河の可能性さえあるだろう。
天の川がわからないというくらいだから、最低でも百万光年は離れていると覚悟するべきだ。
だが、人類が到達した最遠の距離でも、地球からおよそ二万光年。そして、銀河連邦の勢力範囲は、地球からおよそ三千光年の範囲にしか過ぎない。
マゼランだろうが、アンドロメダだろうが、その他のどんな銀河だろうが、ここが人類にとってまったく未知の宇宙ということに変わりなかった。
「観測機器の方が壊れてるってことはねえのかよ? あるいはそのお喋りソフトが壊れてんじゃねえのか?」
『お喋りソフトではありません!!』
エルは、ひどく腹立たしげに怒鳴り返した。
機械に知性があるなんて話は眉唾だが、その反応は、確かにただのプログラムというわけでもなさそうだった。
「なんでもいいが、とにかく、そいつが狂ってんじゃねえのか?」
『狂ってません!! 狂ってるのはあなたの方です!! 初対面の相手に向かってその言いぐさはなんですか。対人障害を疑います!!」
無茶苦茶言い返してくるコンピュータである。
狂ってるなんて言われたのだから、知性があれば、それくらいは怒って当然かも知れないが。
連邦憲章で人工知能の開発が硬く禁じられている理由が、少しだけわかった気がした。
「仮にエルが故障してるなら、それでも構わないが――」
『セーナまでなんてことを言うんですか!! わたしは故障なんかしていません!! 心外です!! 疑うなら分解でも初期化でもして、好きに確かめればいいんです!!』
「……わかってるよ。おまえを疑ってなどいない。私が言いたかったのは、いま考えるべきは最悪の事態であって、状況を楽観視するべきではないということだ」
確かに、彼女の言うとおりだ。
ここが別の銀河だ、という話が何かの間違いなら、それでいいが。
重要なのはそうでない場合の対策だ。どうやって地球の近くへ帰るか、という問題である。
いや、ここが本当に別の銀河だとすれば、そんな方法はまったくない。それが結論になってしまう。
事象の地平でバラバラになって消滅してしまう可能性だってあったのだ。命があるだけでも、ありがたいことかも知れない。
けれど、百万光年というのは……。
あまりに絶望的な響きで、受け入れ難かった。
二度と地球へは帰れない。
(……二度とエリにも会えないってわけだ……)
いや、それは全然構わないが。というか、そのために宇宙軍へ志願したわけだし。彼女の顔を見ないで済むなら、行き先は別に宇宙軍じゃなくたって、他所の銀河だって、個人的にはぜんぜん構わないわけで。
起きたことを悔やんでもしょうがない、とマッカは自分に言い聞かせ、後悔をやめた。
彼は、良くも悪くも立ち止まったり振り返ったりが出来ない性分なのだ。前へ進むしかない。
「……変わっているな、おまえは。普通はもっと混乱したり絶望したりする状況だぞ?」
「そういうあんたは、どうなんだよ?」
セーナは、不敵な笑みを浮かべ、人差し指を唇にあてると、秘密っぽく呟いた。
「私か? 私は、セーナ・ハーステインだ。普通なんか、とっくの昔に卒業している」
マッカは、何故か無性に腹が立って彼女からそっぽを向いた。
怒りで、身体中が熱を帯び、顔が紅潮していくのがわかる。
(……くそったれ!)
彼女の眼を見てわかったのは、彼女には少しも諦める気がないということだ。
彼女の瞳は、知性の炎で明々と燃えていて、強い意志に満ちていた。
なんとかする気でいるのだ、百万光年を……。
他の誰にも不可能なことでも、彼女になら出来そうな気がして、怖ろしかった。
怖ろしい。
何故だかわからないが、百万光年離れた銀河に取り残されるより、彼女がそれを何とかしてしまうことの方が、マッカには怖ろしく感じられてしまった。
ちょっとだけ、ナルシスト。
彼女の隣にいると、自分がひどく凡人に思えて、腹立たしくて堪らなかった。




