(003) 始まりは、いつも突然に
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突然、船体が激しくぶれて、二人の睨み合いは一時中断となった。
「なんだ?」
人工が重力がいきなり切れて、身体がふわりと浮きあがる。一瞬、照明が明滅したかと思うと重力が復帰し、再び身体が重たくなった。
(……イダイ……)
マッカは、思わず舌を噛んでしまった。目に涙を浮かべつつ、とっさに座席に手を掛け身体を支える。
両手で銃を構えていたセーナは、そうもいかず体勢を崩した。
「……動くな!」
チャンスかとも思ったが、飛びかかれなかった。
セーナは、体勢を崩しつつも狙いだけは外していない。片膝を付きながらも銃の構えだけは解かず、隙がなかった。
「そんな場合じゃねえだろ!」
船が隕石かデプリにでもぶつかったのか、機械の故障か、あるいは何者かの攻撃か……。いずれにしてもケンカなどしている状況ではない。
けれど、セーナは銃を降ろさなかった。よっぽど信用されていないらしい。
格闘戦では敵わないとわかっているのだろう。銃を降ろせば、立場が一気に逆転する。だから、降ろさない。
逆に言えば銃を構えている限り主導権は彼女の方にあるので、マッカの方も動けなかった。
他の乗客たちはうるさく騒ぎ始め、悲鳴をあげてる者もいるというのに、彼女は外のことなどまったく眼中にないようだった。
マッカには、ひどく長い時間に感じられたが、現実にはおそらく数秒程度後。警報が鳴り、非常アナウンスが流された。
『現在、本艦はベルゼブルの一群との交戦状態に陥りました。乗客の皆様は座席から離れずにベルトを締めてお待ちください。繰り返します、現在、本艦は──』
客室は一気にパニックになった。
ベルゼブルの襲撃!
再び、身体がふわりと浮いてしまう。戦闘状況に入ったため、艦内重力が切られたのだろう。
それでもセーナは、少しのあいだ銃を構えたまま動かなかったが、結局「ちっ」と舌打ちをして懐へしまった。
その後の行動は迅速で、反対側の座席を蹴ると反動を得て一気にマッカの目の前に迫り――、鼻と鼻の先がぶつかるほど迫り――、「どけ」と、肩を小突き、彼を座席へ押し込むと、自分はその上に覆い被さった。
「お、おい!?」
セーナは、マッカのヘソの下辺り――かなりきわどいところに手を置いて身体を支えているが、すこしも気にした風もなく、もう片方の手で窓スクリーンの下から操作パネルを引き出している。
指摘するのも意識するみたいで何も言えず、マッカはただ顔を赤くして狼狽えた。
「……これは……。まさか、直接転移してきてるのか。バカな」
セーナは、船外モニターの映像を拡大したり時間を巻き戻したりして、外の様子を探っているようだ。
「何か見えんのか?」
マッカの疑問には答えず、ポケットから携帯端末を取り出して操作パネルと接続させる。すると、いきなり画面が戦闘状況を示す図に切り替わった。
「……完全に囲まれているな。五十……、百……、どんどん増えていく……」
「なにやってんだ? あんた?」
普通、客席のスクリーンなんかで、戦闘状況を確認できるはずがない。
さっき接続した端末が怪しいが、まさか、ブリッジのハッキングでもしてるのだろうか?
ありえないと言いたいが、彼女は宇宙船の客室に銃を持ち込んだり、それを実際に撃ったりするような女だから、何をやってもありえないとは言えないだろう。たとえそんなことが可能でも、軍艦のコンピュータなんかに無断で侵入したらどうなるかを考えれば、普通はやらないものだが。それを言うなら、すでに銃を持ち込んだ時点でどうかしているが。
ともかく、マッカもスクリーンに表示されたデータを確認した。
確かにベルゼブルを示す赤色の光点が次々に増えて行ってるのがわかる。そして、それが普通でないこともわかった。
「まだ太陽系のなかだろ? ジャンプ・アウトできんのかよ?」
亜空間航行から通常空間への移行処理のことを、俗にジャンプ・アウトと呼んでいる。
しかし、恒星や惑星の近くでは、重力の影響が強すぎて正常なジャンプ・アウトは出来ないはずなのだ。実際、本艦〈クリスティナ〉も、まだジャンプ可能距離まで到達してないから、通常航行を行っている。
セーナは、顎に人さし指を当て、考える風に小さく唸った。
「できないはずだが、やっているな。……『新種』かも知れない」
これまで人類がベルゼブルの侵攻を阻止できたのは、直接惑星の周囲へのジャンプが不可能だったからだ。普通、惑星の周囲どころか恒星系の外にしかジャンプ・アウトできず、惑星に辿り着くまでの間に迎え撃つ猶予があった。だが、これほど近い位置に直接出現されては、今回地球への降下を阻止できないかも知れない。
「おそらく奴らの本来の目的は、地球攻撃だろう。〈クリスティナ〉はその通り道にあるというわけだ」
〈クリスティナ〉は輸送艦ではあるが、恒星間用の宇宙船だ。ベルゼブルとの不意の遭遇戦を想定して、最低限の武装や護衛の戦闘機は積んである。だが、ベルゼブルを示す赤い光点は、三百、六百、と幾何級数的に増えていき、地球どころか、自艦自身さえとても守りきれるとは思えなかった。
地球には、地球軌道艦隊があるが、ベルゼブルが出現しているのは、なにも〈クリスティナ〉の周囲だけではないらしく、それこそ地球の防衛だけで手一杯で、こちらに救援を出す余裕などはなさそうだ。
「万事休す、だな」
セーナは、まるで他人事みたいな軽い言い方をした。
命が掛かってるというのに、妙に落ち着いているというか、あまり感情が感じられない。
「なんとかならねえのかよ!」
マッカは、つい大きな声をあげてしまった。
そんなこと彼女に要求しても仕方のないことだ。これではまるで自分の方がヒステリーで、恥ずかしくなった。
セーナの腰を退けて、立ち上がる。
立ったところで出来ることは何もないが、じっと座っていることはできなかった。
なんとかしたいと思うが、何も出来ない。
自分がひどく無力な人間に思えて、堪らなかった。
ちょっとだけ、ナルシスト。
彼は決して凡人ではないが、この場においては一介の乗客に過ぎなくて。逃げることも戦うことも出来ず、ただ眺めていることしかできない。
それは彼にとっては、ひどい屈辱なのである。
「黙って座っていろ。おまえに出来ることなど、何もないよ」
それは実際そうなのかも知れないが、あまりに言い方が冷たくて、腹が立って、マッカは言い返さずにはいられなかった。
「じゃあ、あんたには何か出来るって言うのかよ!」
セーナは、一瞬、猛獣みたいに牙を剥き出しにして大きく口を開きかけたが――、何も言わず、そのまま閉じた。不愉快そうに唇を歪ませている。
やはり、彼女にも出来ることなんて思いつかないのだろう。
そして彼女にとっても、それは面白くないことなのだ。
ふと、周りの乗客たちの様子を確認すると、無駄に「ぎゃあぎゃあ」と喚いている。
まるで、騒げば騒ぐほど、事態が好転するとでも信じているように。必死に、力一杯、喚いている。
それと比べれば、自分や彼女はまだマシかも知れないが、何も出来ないことには変わらない。
セーナは、しばらくじっとスクリーンを眺めていたかと思うと、突然振り返りマッカの襟首を掴んで自分の目の前に引き寄せた。「ピン!」と人さし指を一本立てる。
「ジャンプだ」
「はぁ?」
「ジャンプ・インすれば、この状況から逃れられる」
前述した通り、太陽系内では重力の影響が強すぎて、亜空間へのジャンプ・ウィンドウを正常に開けない。けれど、マッカがそのことを口に出すより先に、セーナは、「ちっちっち」と指を振った。
「虫どもに出来て、この私に出来ないはずがないだろう」
「どけ!」と、マッカを突き飛ばしてから、再びスクリーンの方へ向き直り、画面上に仮想キーボードを呼び出して何かを高速でタイピングし始めた。
スクリーンには、恐ろしい速さで数字とアルファベットの羅列が流れ、何か小さなウィンドウが次々と現れては消える。よくわからないが、何かのプログラムを作っているようだ。
「エル、メインコンピュータとこの船の電子頭脳を掌握しろ」
――エル?
セーナが何かに呼びかけたが、何に呼びかけたのかはわからなかった。辺りを見渡すが、それらしき人物も見あたらない。
(俺じゃないよな……?)
マッカが戸惑っていると、さきほど彼女が操作パネルへ接続した携帯端末から音声が返った。
『掌握しました』
女の声だ。セーナのあまり抑揚のないハスキーボイスに比べると、少女らしい可愛い声だ。もちろん声だけだから顔はわからないが、年下という印象を受ける。
マッカは、改めて周りを見渡してみたが、通信相手らしい女の子の姿は見えなかった。
「私の予備計算をチェックしてくれ。あとシミュレーションも頼むぞ」
『了解です』
「誰なんだ?」
セーナは、作業にいったん区切りが付いたのか、いったん伸びをして、横目でじっとこちらを睨むと、珍しく質問に答えてくれた。
「誰、じゃない、コレ、だ。名前は、エル」
そう言って、自分の携帯端末を「トントン」と叩く。
『エルです。はじめまして、マッカ』
端末が自己紹介をした。
一瞬、意味がわからなかったが、どうやら誰かと通信しているわけではなく、この端末そのものが喋っているらしい。
「……電子頭脳なのか?」
電子頭脳とは、宇宙船の制御や大きな施設の運営などに使われる特殊なプログラムのことで、細々(こまごま)とした無数の処理や膨大なデータを統括して管理、整頓してくれるシステムのことだ。複雑になりすぎたコンピュータと人間との仲介役みたいなもので、音声入力などの簡単な操作や指示だけで、必要な命令や手順を判断し、処理してくれる。
「いや、もっと高度なものだよ」
「電子頭脳より高度って、まさか、人工知……」
セーナは、マッカの唇に人差し指を押し当てて、黙らせた。
人工知能。それは電子頭脳のような、ただ会話形式で入力ができるだけのインターフェイスではない。自分で自分への指示を考え、自分で自分への命令を決定することが出来る、究極のコンピュータである。
SF映画ではないが、その気になれば、真剣に人類へ反旗を翻すことも可能な存在であり、よって連邦憲章により、設計、作成、所持が固く禁じられている代物だった。
「それとも少し違うんだが。まあ、軍には秘密だ。言えば、今度こそおまえを消すからな」
セーナは、指で拳銃の形を作って「バーン!」と口真似だけで囁いた。
その挑発的な態度は不愉快だったが、いまは、それより人工知能について興味が湧いた。
「……そんなもの、何処で手に入れたんだよ?」
「作ったんだよ」
「作った? じんこ……、それを? 自分で?」
詳しくは知らなくても、人工知能や電子頭脳が凄く膨大で複雑なシステムだということくらいは、彼にもわかる。軍の電子頭脳は勿論だが、市販のただのお喋りソフトでさえ、何十人という技術者が集まって、莫大な費用を掛けて、開発してるのだ。
それより高度なものを個人で作れるはずがない。
だいたいそんなことが可能なら、いくら連邦憲章があっても規制することは不可能だ。
『完了しました。ジャンプ・ウィンドウの展開は可能ですが、安定率はやはり基準を大きく下回ります』
「このまま戦闘を継続した場合、船が沈没するまでのリミットは?」
『最短で三分四十秒、最長で三七分です』
「通常航行で戦闘宙域から離脱できる可能性は?」
『不確定要素を除き、ゼロです』
「一つだけ幸運なのは、そこまで絶望的だと迷う必要がないということだな」
セーナは改めてコンソールを操作し始める。
「おい、あんた、いったい何をするつもりだよ?」
「横で聞いててわからなかったというなら、おまえに話すことなど何もないな。……黙っていろ」
マッカは、文句を言い返そうと大きく口を開けたが、再び人さし指を唇に押し当てられ、止められた。
セーナは、携帯端末に向かって何かを話し始めた。
「輸送艦〈クリスティナ〉の乗員全員に告ぐ。これより本艦は緊急ジャンプに移行する! 繰り返す、これより本艦は緊急ジャンプに移行する! 総員衝撃に備えろよ」
セーナがいま言ったのと同じ言葉がアナウンスとして客室に、いや、おそらく船全体に放送された。
「なにやってんだ、あんた! 勝手に!」
「やかましい。口を閉じてろと言っているだろう。――無力なことは大目に見てやるが、その無能さは救い難いな」
「誰がっ、無能だって!」
セーナは、人さし指を「ピン!」と伸ばし、「だ・ま・れ」とでも言う風に左右へ振った。
「いまから不安定なジャンプ・ウィンドウに飛び込むんだ。……舌を噛むぞ?」
「うるせえよ」
もっと言い返したかったが、さすがに状況は弁えている。マッカは、セーナに自分の座席を奪われてしまったため彼女の席に腰を降ろして、膨れっ面を浮かべつつも、ベルトを締めた。
(……くそったれ!)
なにやらよくわからないが、とにかく無性に悔しかった。
どうやったのか知らないが、この女はここからブリッジをハッキングし、船を亜空間へ飛び込ませようとしているのだ。とんでもない女である。
おそらく、今頃ブリッジでは大騒ぎになってるだろう。自分たちではない謎の声にいきなりアナウンスを流されて、船のシステムを乗っ取られて、不安定なジャンプ・ウィンドウに飛び込まされようとしているのだから。
重力の影響圏では、ジャンプ・ウィンドウは開けないというのが一般常識だが、正確には、開いても安定しないのである。そして、不安定なジャンプ・ウィンドウでは、行き先を固定できないし、下手をすれば飛び込んだ瞬間にバラバラになる。当たり前だが、無事に亜空間航行を行うためには、非常に精密な計算が必要なのだ。
だが、この場に留まることも自殺行為と考えるなら、こちらの方がほんの少しくらいは分の良い賭かも知れない。しかし、それがどれだけ合理的な判断でも、他人や自分の生死が懸かったこの状況で、そんなに簡単に決断が下せるものだろうか?
セーナには、少しも迷いや不安が感じられなかった。
誰にも相談せず、自分の理屈と意志のみですべてを決め、問答無用で実行しようとしている。
そのことの是非はともかく、とんでもない女だ、と思った。
どうかしてる、と思う反面、なにやら無性に悔しくて、堪らなかった。
たぶん、彼女は今、自分には出来ないことをやっているからだ。
何故か腹を立てているマッカの表情を、不安になってるとでも勘違いしたみたいに、セーナは冗談めかしたことを言ってきた。
「……何か遺言があるなら、聞いておいてやるぞ?」
横目をこちらに向ける。様子を観察されていることがわかった。
マッカは精一杯平然さを取り繕って、冗談っぽく言い返してやった。
「死ぬときは、二人とも一緒だろ?」
「それは、そうだ」
セーナは、一瞬表情を崩し、「くすくす」と声を押し殺して小さく笑った。
どうしてこの女は、こんなに平然としているのだろう?
まさに、一か八かである。
この強引なジャンプが成功する可能性は極めて低い。ほんの二分後には、自分たちはこの宇宙から消滅しているかも知れない。死ぬかも知れないのだ。
不安がないなんて方が、どうかしている。
もしかすると不安や動揺を見せないように、彼女も必死で平然そうに振る舞っているだけなのかも知れないが。
横目で彼女の様子を観察すると、彼女は何か面白いアイディアを思いついたというように「ポン」と手を打った。
「ひょっとして、さっきのはプロポーズ……、だったりするのか? ……ま、待て。いまおまえが私に抱いている感情は、いわゆる吊り橋効果という奴で、危機的状況における興奮を恋愛感情と錯覚しているだけだ。だいたい、私はおまえみたいな無神経な男は嫌いなんだ。おまえみたいな口だけの役立たずは、私がいちばん嫌いな――」
「バカか! 何いきなりわけわかんねえこと言ってやがる! もうすぐ跳ぶんだろ? 口を閉じてろよ?」
「バカ? バカ、だと? バカだと!? この私に向かってよくも――!」
だが、と思う。
マッカ自身も、言うほど強い不安や恐怖は感じていなかった。
それは自分が普通より遥かに肝がすわっているからか。
それとも、彼女が隣にいるせいか。
いよいよ船の前面にジャンプ・ウィンドウが展開される。
漆黒の宇宙を斬り裂くように浮かぶ、波打つ蒼い光りの境界線。
光りは普通よりずっと激しく揺らぎ、ある意味では、より美しかった。
宇宙の黒が、境界の蒼に段々と塗り潰されていく。遂に、スクリーンが蒼だけで一杯になった。
マッカは、深呼吸をしてシートに深く座り直す。宇宙に出たのが初めてなのだから、もちろんこれが彼にとって初めての亜空間航行でもあった。
目の隅に、投げ出されていたセーナの右手を見つけ、そっと、自分の左手を重ね合わせる。
――たぶん、吊り橋効果。いまだけの。
彼女は、一瞬、「むっ」とこちらを睨み付けたが、舌を噛みたくないせいか、何も言わなかった。
瞼を閉じる。
高揚していた気分が収まっていく。
何故だかわからないが、上手くいきそうな気がした。




