第75話:最終決戦への飛翔
第75話:最終決戦への飛翔
「あり得ない。あり得ないあり得ないあり得ないあり得ないっ!」
エルドラの大地をすり鉢状に抉り取った巨大なクレーターの底で、神を自称した狂気の科学者、東郷創一の絶叫が木霊していた。
全高十メートルを超える漆黒の魔王、PM-ゼロギア。その強靭無比であるはずの胸部装甲は無残に引き裂かれ、次元エネルギーの供給源である巨大な赤いクリスタルには、決定的な亀裂が走っていた。
その傷口から、本来ならば東郷が完全に支配しているはずの大地の魔力脈のエネルギーが、赤黒い蒸気となって空しく霧散していく。
生体ケーブルを通じてゼロギアの中枢と完全に融合している東郷の脳髄に、機体の損傷がそのまま肉体の激痛となってフィードバックされる。
だが、彼を狂乱させているのは肉体の痛みではなかった。
自らの築き上げた絶対的な次元崩壊システム、神の領域の数式が、たかが三人の人間の「意志」という不確定要素によって破綻させられようとしている事実への、耐え難い恐怖と屈辱であった。
「私は神だ。すべてを無に還し、新たな真理を創造する絶対者だ。それを、地球という泥水の中で這い回るだけの羽虫どもが、私の、私の計算を狂わせるなど……絶対に、許されるはずがないのだぁぁぁぁっ!」
東郷の狂気が、ゼロギアの安全装置を物理的に焼き切った。
もはや、ブラックホールを安定して拡大させるという当初の目的すら放棄していた。目の前にいるジン・クロサワという男と、彼を支える二人の戦士を、この空間ごと完膚なきまでに消し去ること。ただその一点のみに、ゼロギアの全エネルギーが注ぎ込まれようとしていた。
ドクン、と。
胸部の赤いクリスタルが、これまでにない悍ましい脈動を打った。
それは、限界を超えた出力を強引に引き出すための、悪魔の心臓の鼓動であった。クリスタルの亀裂から噴き出していた赤黒い瘴気が、突如として漆黒の闇へと変質する。
ゼロギアの背部に広がる四対の翼が、空間そのものを切り裂きながら異常なまでに肥大化していく。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ。
世界が、物理的に歪み始めた。
ゼロギアを中心に、重力の方向が完全に狂い出す。クレーターの底に溜まっていた泥水が天井へと向かって滝のように逆流し、砕け散った数千トンもの岩盤が、無重力空間のように宙へと浮き上がる。
上空で渦を巻いていたブラックホールの事象の地平から、巨大な漆黒の雷が幾筋も降り注ぎ、ゼロギアの巨体へと直接繋がり始めた。東郷は、空に開いた次元の穴そのものを、ゼロギアの拡張エネルギーとして強引に取り込み始めたのである。
「死ね。消えろ。お前たちのその不快な絆ごと、次元の狭間で永遠にすり潰されてしまええええええっ」
東郷の叫びと共に、ゼロギアの全身から、空間の座標そのものを消去する「次元崩壊波」が無差別に放たれ始めた。
光がねじ曲がり、音が消失する。触れれば原子のレベルで消滅する絶対死の波動が、荒れ狂う嵐となってクレーター全域を飲み込もうとしていた。
それはまさに、世界が終わる瞬間の、最も恐ろしく、最も美しい絶望の光景であった。
だが。
その絶対的な崩壊の嵐の中で、青白いプラズマの光を放ち続ける三つの点があった。
ジン・クロサワ、ヴォルフ・シュナイダー、シオン・ミカゲ。
ネットワークでリンクした三機のPM-ギアは、互いの生命力を極限まで燃やし合い、決して消えることのない一つの巨大な魂の光となって、空間の歪みに耐えていた。
「どうやら、あの狂ったジジイもこれが最後の悪あがきらしいな」
ヴォルフが、宙に浮き上がる巨大な岩盤をファフニールの砲身で叩き割りながら、獰猛な笑みを浮かべた。彼の纏う地球防衛軍のオリジナル装甲は、すでに限界温度を突破し、装甲の表面から蒸気が噴き出している。
「空間の歪みが激しすぎます。これ以上長引けば、私たちのネットワークが強制切断され、防壁が持ちません。……次が、最後の激突になります」
シオンが、黄金の光を帯びたロンギヌスを構え、冷静に、しかし隠しきれない熱情を込めて状況を分析する。
ジンは、荒れ狂う次元崩壊波の真っ只中で、静かに息を吸い込んだ。
インナースーツの胸の奥で、サエとリクの写真が、彼の心臓の鼓動と共に確かな熱を放っている。
そして、左右に立つ最高の仲間たちの存在が、彼に究極の絶対的安心感を与えていた。
「ヴォルフ。シオン」
ジンの低く、よく通る声が、通信機を通じて二人の耳に届いた。
「俺たちは、このエルドラで色々なものを失い、色々なものを背負ってきた。帝国の人間の誇りも、王国の祈りも、全部俺たちの背中にある。……だがな、最後に信じるのは、俺たちが地球の泥水の中で叩き込んできた、防衛軍の流儀だ」
ジンは、右手に握ったムラサメの柄を、両手で力強く握り直した。
装甲の防御力をすべて犠牲にして生み出される、一撃必殺の光の刃。それを放つためには、対象の懐に完全に飛び込み、一切の障害がない状態で振り抜く必要がある。
「最終フォーメーション『オメガ』に移行する」
その言葉が出た瞬間、ヴォルフとシオンの顔つきが、異世界の戦士から、地球防衛軍の生粋の軍人のそれへと完全に切り替わった。
何千回、何万回とシミュレーションで繰り返し、幾度となく死線を潜り抜けてきた、彼ら特殊PM-ギア部隊の最大の奥義。
前衛が敵のすべてを切り裂くため、後方と遊撃が己の命を懸けてただ一本の「道」を創り出す、絶対的な信頼がなければ成立しない捨て身の陣形。
「了解」
二人の声が重なる。
「行くぞ。俺たちの世界へ、帰るために」
ジンの合図と共に、三機のPM-ギアが爆発的な青白い光の軌跡を描き、狂乱するゼロギアへと向かって一直線に飛翔した。
『愚かな。正面から突っ込んでくるか。すべてまとめて空間ごと消し飛ばしてやる!』
東郷がゼロギアの腕を振りかざし、圧縮された次元崩壊波の巨大な球体を三人に向けて撃ち放った。
「隊長の前に立つんじゃねえよ、三流が!」
先頭に躍り出たのは、ヴォルフであった。
彼は機体の推進力のすべてを前方に集中させ、ジンとシオンの盾となるように真っ直ぐに突っ込んでいく。
「俺の命は、ルーファスとレオンに預けられたもんだ。こんなところで使い切るわけにはいかねえが……隊長の道を作るためなら、喜んで全部燃やしてやる!」
ヴォルフは、大破したファフニールの銃口を、迫り来る次元崩壊波の巨大球体へと真正面から突きつけた。
「ジェネレーター、臨界突破。……帝国に咲く泥臭い花火、特等席で見やがれ!」
ヴォルフの全身の装甲が、極限の出力に耐えきれずに次々と弾け飛ぶ。人工筋肉が引きちぎれ、血が噴き出す。だが彼は、一切の痛みを無視して引き金を引いた。
プラズマと生命力、そして帝国の覇道を継いだ誇りのすべてが込められた、極太の破壊光線。
それが次元崩壊波の球体と激突した瞬間、空間そのものが白く発光し、音の存在しない大爆発が巻き起こった。
ヴォルフの放った光線は、ゼロギアの放った死の波動を見事に相殺し、さらにその奥にあるゼロギア本体の次元断層シールドへと直撃した。
ギガァァァァァァァァァンッ。
「オラァァァァァァッ! 開けええええええええっ!」
ヴォルフの咆哮と共に、ファフニールの砲身が完全に融解して崩れ落ちる。それと同時に、ゼロギアの前面を覆っていた次元断層シールドが、凄まじい衝撃と共に縦に大きく叩き割られた。
『なっ……私の絶対防壁を、力任せに粉砕しただと!? だが、装甲を失った貴様など、もはや的でしかない!』
東郷が激怒し、シールドを割られて無防備になったヴォルフに向けて、翼から無数のプラズマ刃を放とうとする。
「ヴォルフ副隊長の作った道を、塞がせはしません」
東郷の死角、上空の空間の歪みの中から、光の速さで急降下してくる白銀の影があった。
シオンである。
彼女は、ルカとエリアーナから託された黄金の光のすべてを、折れたロンギヌスへと注ぎ込んでいた。
「ルカ様。エリアーナ殿下。これが、私が見つけた、誰も傷つけさせないための、私の正義の形です!」
シオンの全身が、一つの巨大な光の槍へと変貌する。
彼女は、ヴォルフを狙おうとしていたゼロギアの四対の翼の根本、空間制御のスタビライザーとなっている関節部分に向けて、超音速で突撃した。
『小娘が、ちょこまかと!』
ゼロギアが巨大な腕でシオンを払いのけようとする。
だが、シオンの動きは東郷の予測を遥かに超えていた。彼女は空中で姿勢を捻り、ゼロギアの巨大な腕の軌道を紙一重で躱すと、そのままゼロギアの右肩の関節部にロンギヌスを深々と突き立てた。
ガキィィィィィィィィンッ!
「スラスター全開。……沈みなさいっ!」
シオンが残された推進力のすべてを下方に向けて噴射する。
巨大な光の楔を打ち込まれたゼロギアの巨体が、その圧倒的な運動エネルギーのベクトルを強制的にねじ曲げられ、大きく右側へと体勢を崩した。
次元制御のスタビライザーを破壊され、機体のバランスを完全に失った魔王。
その結果、ゼロギアの胸部、亀裂の入った巨大な赤いクリスタルが、完全に無防備な状態で真正面へと晒されることとなった。
ヴォルフが正面の盾を力ずくでこじ開け、シオンが敵の体勢を崩し、決定的な急所を剥き出しにする。
地球防衛軍が誇る、完璧な遊撃と後方支援。
彼らは自分たちの機体が完全に沈黙することを代償にして、この崩壊する空間の中に、たった一本の、真っ直ぐで汚れのない「道」を創り出したのである。
「隊長ォォォォッ! 行けええええええええっ!」
装甲を失い、血だらけになって落下していくヴォルフが叫ぶ。
「ジン隊長! 私たちの未来を、お願いします!」
ゼロギアの肩から弾き飛ばされながら、シオンが祈るように叫ぶ。
『ガァァァァァァッ! させん、させんぞ! 私の、私の神の世界がぁぁぁぁっ!』
体勢を崩しながらも、東郷は狂気の底から次元エネルギーを振り絞り、胸部のクリスタルから最後の破壊光線を放とうとする。
だが、遅かった。
ヴォルフとシオンが切り開いたその一本の道の延長線上に。
青白い光の粒子を限界まで纏い、完全に無音の世界へと足を踏み入れた男が、すでにゼロギアの懐深く、クリスタルの目と鼻の先へと潜り込んでいた。
ジン・クロサワ。
彼の纏う天使と悪魔の装甲は、防御システムである第一から第五までの防壁を完全にパージし、すべての装甲粒子が右手に握られた一本の太刀へと流れ込んでいた。
純白の光を放つムラサメ。それはもはや金属の剣ではなく、ジンという男の魂と、仲間の想い、そして家族への愛が究極に圧縮された、概念としての刃であった。
周囲の空間の歪みも、東郷の狂った絶叫も、今のジンの耳には一切届いていなかった。
彼の視界にあるのは、眼前の赤いクリスタルと、その向こう側に待っているはずの、愛する家族の笑顔だけだった。
すべては、この一撃のために。
泥水をすすり、血を流し、仲間とぶつかり合いながらも、絶対に諦めなかった九十日間のすべてを、今、この刃に込める。
「……待たせたな。サエ、リク」
ジンは、無重力のように浮き上がる空間の中で、完璧な居合いの構えをとった。
ムラサメの純白の光が、上空のブラックホールの闇すらも一瞬だけかき消すほどの、圧倒的な輝きを放つ。
「俺は、俺の世界に帰る」
ジンの研ぎ澄まされた瞳が、魔王の心臓を完全に捉えた。
東郷の絶望に満ちた悲鳴が上がる。
ヴォルフとシオンの願いが、青白い光となってジンの背中を押す。
エルドラの大地が、最後の審判を見届けるように静まり返る。
「リミッター解除。……顕現せよ、ムラサメ」
ジン・クロサワの、すべてを懸けた最後の一歩が、虚空を強く、力強く踏み砕いた。
「一撃で……終わらせるっ!!!」
振り抜かれた純白の刃が、魔王の心臓へと向かって、一直線に閃いた。




