第72話:帝国の意志、託された覇道
全高十メートルの巨大な漆黒の魔王、PM-ゼロギア。その胸部に輝く絶対的な力の象徴である赤いクリスタルに、三人の戦士が放った純白の刃は確かに深い亀裂を刻み込んだ。
だが、それは狂気の科学者である東郷創一の理性を完全に破壊し、純粋な殺意と破壊衝動だけを暴走させる結果を引き起こした。
許さん。私を、神であるこの私を、ただの人間風情が傷つけただと。
外部スピーカーから漏れ出す東郷の狂乱の絶叫と共に、ゼロギアの背部に展開された四対の翼が、血のようにどす黒い赤色へと染まり上がった。
上空ですべてを飲み込もうと渦巻くブラックホールの超重力と、ゼロギアから放たれる次元エネルギーが完全に共鳴する。
その直後、クレーターの底に広がる血と泥の海が、不気味に泡立ち始めた。
ブクブクと沸騰する赤茶けた大地の中から、このエルドラの世界には存在しない、悍ましい異形の群れが次々と這い出してきたのだ。
大戦場で散っていった二十万の兵士たちの血肉と、魔獣の死骸、そしてブラックホールの事象の地平から逆流した次元の欠片。それらが東郷の狂気によって無秩序に融合し、産み出された次元魔獣の群れであった。
全身が鋭利な刃物で構成された多脚の怪物。複数の頭部を持ち、それぞれの口から赤黒い瘴気を吐き出す巨大な獣。
その数は数百、数千と瞬く間に膨れ上がり、クレーターの底を埋め尽くすほどの絶望の壁となって、ジン、ヴォルフ、シオンの三人の前に立ちはだかった。
あのデカブツ、自分の手を汚すまでもないってか。舐めやがって。
ヴォルフが、残骸となったファフニールの銃口からプラズマの火花を散らしながら悪態をついた。
シオンもまた、折れたロンギヌスを構え直し、無数に蠢く次元魔獣の群れを前に息を呑んだ。
数が多すぎます。私たちの今のPM-ギアの出力は、三機をネットワークでリンクさせてギリギリシステムを維持している状態です。この数の群れを相手にエネルギーを消費すれば、あの東郷の本体に届く前に、間違いなくこちらが自壊します。
シオンの冷静な分析は、残酷なほどに的を射ていた。
彼らは自らの生命力を直接燃料にしてギアを強制駆動させている。ゼロギアの本体に最後の一撃を叩き込むための一瞬のエネルギーしか、もう彼らには残されていないのだ。
だが、この数千の次元魔獣の壁を突破しなければ、東郷の元へは決して辿り着けない。
チッ、出し惜しみしてる余裕はねえ。俺が最大火力で道をこじ開ける。隊長とシオンは、俺が作った道を走れ。
ヴォルフが一歩前に出ようとした、その時だった。
待て、ヴォルフ。
ジンの鋭い制止の声が響いた。
ジンの視線は、群がり来る次元魔獣の壁ではなく、はるか後方、完全に崩壊し、赤い瘴気の津波によって削り取られたガルディア帝国の本陣跡地へと向けられていた。
そこには、血の海と瓦礫に塗れながらも、決して大地に膝をつくまいと、互いの体を支え合って立ち上がろうとする二人の男の姿があった。
ガルディア帝国皇帝、ルーファス・ヴァン・ガルディア。
そして帝国宰相にして筆頭魔導師、レオン・バルバトス。
先ほどのゼロギアが放った赤い閃光により、レオンは右半身を大きく損傷し、ルーファスは左腕を根元から失うという重傷を負っていた。彼らの肉体はすでに限界を通り越し、凄まじい出血と魔力枯渇によって、とうに意識を失っていてもおかしくない状態であった。
だが、彼らは大地に倒れ伏すことを良しとしなかった。生かされているのではない。彼ら自身の持つ、帝国を統べる者としての強靭すぎる誇りが、薄れゆく意識を強引に繋ぎ止めていたのだ。
レオン。生きているか。
ルーファスが、血に染まった唇の端を歪めて笑った。
ええ、陛下。どうやら、私の魂はまだ地獄の底には届いていないようです。ですが、このままでは本当に帝国の歴史が終わってしまいます。
レオンもまた、残された左腕で炎の杖を力強く握り締めながら、不敵に笑い返した。
二人の視線の先には、上空のブラックホールと、狂気を振り撒く魔王ゼロギア、そしてその足元で、地球の防衛軍の装甲を剥き出しにして立ち向かう三人の戦士の姿があった。
あの馬鹿犬め。帝国の黒騎士という虚飾の鎧を捨て去り、己自身の足で立ち上がったか。
ルーファスは、泥だらけの装甲で吼えるヴォルフの後ろ姿を見て、目を細めた。
皇帝であるルーファスは、純粋な力を愛していた。生まれや血筋など関係なく、強き者が世界を統べるという実力主義。それこそが、彼が腐敗した旧貴族たちを粛清し、ガルディア帝国に打ち立てた絶対の真理であった。
だからこそ、彼は東郷創一という男がどうしても許せなかったのだ。
自らの手で這い上がり、強さを証明しようとする者たちを電池と嘲笑い、自らは安全な特等席からシステムという暴力で世界を蹂躙する。あんなものは、力ではない。ただの弱者の癇癪であり、帝国の美学に対する最悪の侮辱であった。
我らが帝国は、あの狂った異界の神の癇癪によって、甚大な被害を受けた。我が誇り高き兵士たちの多くが散り、このエルドラの大地も引き裂かれている。
ルーファスの残された右手に、底知れぬ漆黒の闇が凝縮されていく。
だが、私はガルディアの皇帝だ。力を絶対の真理と定めた私が、ただ虫けらのように踏み潰されて終わるなど、決して許されない。我が帝国はここで滅びはしない。私は、私たちの未来を、あの男たちに託す。
お供します、ルーファス。私も、あの悪友が泥に塗れて戦っているというのに、このまま寝ているわけにはいきません。私たちが道をこじ開け、あいつらを神の元へ送り届けましょう。
レオンが、自身の残された魔力をすべて絞り出すようにして、極限の圧縮火炎を創り出し始めた。
彼らは知っていた。
先ほど、自分たちが放った帝国の威信を懸けた極大魔法は、ゼロギアの胸部にある赤いクリスタルに完全に吸収され、敵のエネルギーとなってしまったことを。
東郷の乗るゼロギアは、この世界の魔力脈を完全に支配している。どれほど強大な魔法を放とうと、直接本体を狙えば、再び吸収されて終わりだ。
だが、眼下に群がる数千の次元魔獣たちは違う。あれは東郷が即席で創り出した物理的な肉の壁であり、ゼロギア本体のような完全な魔力吸収システムまでは備わっていない。
我らの魔法は、もはやあの魔王には届かぬ。ならば、我らのすべきことは一つだ。
ルーファスとレオンは、互いの残された魔力のすべてを、限界を超えて引き出した。
人間の肉体が許容できる限界を遥かに超えた魔力の奔流。二人の血管が内側から悲鳴を上げ、目や鼻からとめどなく鮮血が流れ落ちる。
だが、彼らの表情には、一切の悲壮感はなかった。
あるのは、絶対的な強者としての誇りと、その誇りを未来へと繋ぐ、清々しいほどの覚悟であった。
レオン。我が親友よ。あの馬鹿犬の前に立ち塞がる目障りな塵を、すべて払い落としてやろう。
承知しております。我らが帝国の底力、あの男の目に焼き付けてもらいましょう。
ルーファスの絶対的な腐敗の闇と、レオンのすべてを焼き尽くす紅蓮の炎。
二つの極大魔法が、彼らの生命力をギリギリまで削り取ることで、完全なる融合を果たした。
それはもはや、魔法という枠組みすら超越していた。ガルディア帝国という国家が歩んできた歴史、幾万の兵士たちの血の代償、そして、頂点に立つ二人の男の生き様そのものが、巨大な破壊の概念となって顕現したのだ。
我らはガルディア帝国。力こそが、我らの絶対の真理である。
行くぞ、黒騎士。帝国の未来を、お前がその手で切り開け。
ルーファスとレオンが、同時にその腕を前へと突き出した。
黒炎の覇竜。
彼らのすべてを懸けて放たれた、漆黒と紅蓮が混ざり合う巨大な光の柱が、クレーターの縁から斜面を駆け下り、大戦場の底へと向かって猛然と突き進んだ。
その凄まじい熱量と魔力の密度は、上空のブラックホールの引力すらも一瞬だけ押し留めるほどの、圧倒的なスペクタクルであった。
光の柱の標的は、ゼロギアではない。
ジンたち三人の前に立ち塞がり、今まさに襲い掛かろうとしていた、数千の次元魔獣の群れであった。
なっ。
ヴォルフが、背後から迫る凄まじい熱量に気づき、振り返った。
黒炎の覇竜は、ヴォルフたち三人の頭上をギリギリで通り抜け、次元魔獣の群れの中心へと直撃した。
轟音すら遅れてやってくるほどの、絶対的な破壊の光。
魔獣たちは悲鳴を上げる間もなかった。刃の足を持つ怪物も、瘴気を吐く獣も、すべてが漆黒と紅蓮の炎に飲み込まれ、細胞の一つすら残さずに完全に消滅していく。
数千という絶望の壁が、帝国の誇りを懸けた一撃によって、文字通り一瞬にして灰燼に帰したのである。
燃え盛る炎が、クレーターの底を一直線に切り裂き、ゼロギアの眼前まで続く一本の道を創り出した。
それは、帝国が残された力を振り絞って切り開いた、希望への一本道であった。
陛下。レオン。
ヴォルフは、振り返ったまま、その炎の軌跡の出発点であるクレーターの縁を見上げた。
そこには、魔力を完全に使い果たし、崩れ落ちるようにして大地に倒れ伏すルーファスとレオンの姿があった。
彼らはもはや指一本動かす力も残されておらず、その意識は深い闇へと沈んでいこうとしていた。
だが、倒れ伏した彼らの顔には、やり遂げたという満足げな笑みが浮かんでいた。
その姿を見たヴォルフの胸の奥で、熱いものが込み上げてきた。
地球の防衛軍時代から、自分はずっと居場所を探していた。そしてこのエルドラに転移し、ガルディア帝国という国で、ルーファスやレオンといった強者たちと出会った。
東郷に電池として利用されていたと知った時は、帝国での日々すらも無意味だったのかと絶望した。
だが、違った。
今、自分たち地球の戦士のために、命を削ってまで道を切り開いてくれた彼らの誇りは、決して嘘でも幻でもない。共に酒を飲み、共に戦場を駆け抜けた日々は、確かにヴォルフの魂に刻み込まれているのだ。
死なせやしねえぞ、お前ら。
ヴォルフは、倒れた二人に向け、誰にも聞こえない声で呟いた。
俺がこの世界を救って、必ず帝国に戻る。そして、またお前らとバカ話をしてやる。だから、俺が帰るまで絶対に死ぬんじゃねえぞ。
ヴォルフは、それが自分自身の勝手な約束であることを知っていた。
だが、その約束が、今の彼に無限の力を与えていた。彼はファフニールの残骸を力強く握り直し、ゼロギアへと向き直った。
道は開かれた。行くぞ、隊長、シオン。
ヴォルフの声には、もはや一切の迷いも、劣等感も存在しなかった。
帝国の意志を背負い、仲間の命を背負い、彼は今、真の強者としてそこに立っていた。
ジンとシオンもまた、炎によって切り開かれた真っ直ぐな道を見据え、無言で頷いた。
彼らも理解していた。この異世界で生きる人々が、どれほどの誇りと覚悟を持って、自分たち地球人に未来を託してくれたのかを。倒れた彼らがまだ微かに命の灯火を燃やしていることを信じ、その灯火を守るために戦うのだと。
次元魔獣の壁を消し飛ばされ、自らが創り出した炎の道すらも利用された東郷が、ゼロギアの内部で忌々しげに舌打ちをする。
貴様ら、どこまでも私の邪魔を。
ジンが、ムラサメを正眼に構え、極限まで圧縮された青白いプラズマを刃へと収束させる。
帝国の人たちが繋いでくれた道だ。一歩も引く気はねえ。
ジンが大地を蹴った。
それに続くように、ヴォルフとシオンもまた、残されたすべての命の炎を燃やして駆け出す。
狂気の魔王と、三つの軌跡。
崩壊する世界の中心で、託された未来を胸に、地球防衛軍の戦士たちは炎の道を駆け抜け、最後の決戦へとその身を投じた。




