第71話:再集結の刻、三つの軌跡
ズガァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
エルドラの崩壊する大地の底で、物理法則を完全に無視した光景が展開されていた。
全高十メートル、数千トンもの質量を誇り、次元の重圧すらも従える魔王、PM-ゼロギア。その巨大な漆黒の足が、たった一人の人間が突き出した一本の左腕によって、完全に空へと跳ね除けられたのだ。
「おおおおおおおおおおおっ」
ジン・クロサワの咆哮が、ブラックホールの轟音を切り裂いてクレーターに響き渡る。
彼の装甲から噴き出しているのは、エルドラの環境魔力ではない。ジンという一人の人間の、極限まで圧縮された生命力と意志が物理的な光となって顕現した、純粋な青白いプラズマの奔流であった。
『ガァァァァッ!? ば、馬鹿な、この神の機体が、ただの人間風情に……』
搭乗する東郷創一の驚愕の絶叫が外部スピーカーから漏れ出す。ゼロギアは完全にバランスを崩し、巨大な翼をばたつかせながら、地響きを立てて大きく後方へとたたらを踏んだ。
その隙を縫うように、泥と血に塗れた荒野を蹴り砕く二つの足音が、ジンの両サイドへと滑り込んだ。
「相変わらず、一番美味しいところは一人で持っていきやがる。昔っからそういうところが気に食わねえんだよ、隊長」
ジンの右側に立ったのは、大破したファフニールの銃身を肩に担いだヴォルフ・シュナイダーであった。漆黒の追加装甲は完全に剥がれ落ち、下から覗くのは傷だらけの地球防衛軍支給のオリジナル装甲。彼の口元には、血の混じった唾液と共に、不敵で凶悪な笑みが浮かんでいた。
「ジン隊長。前衛の負担を一人で背負い込むのは、あなたの悪い癖です。……遅くなりました。後方支援および遊撃、シオン・ミカゲ、現着しました」
ジンの左側に立ったのは、折れた黄金の槍ロンギヌスを構えたシオン・ミカゲであった。白銀の美しさは失われ、泥にまみれた装甲からは危険なバイパス駆動の火花が散っている。しかし、その瞳にはかつての迷いや偽りの正義は一切なく、ただ仲間を守り抜くという澄み切った決意だけが宿っていた。
ジンは、前を見据えたまま、短く鼻で笑った。
「……遅えぞ、お前ら。俺が潰されたらどうするつもりだった」
「ハッ、てめえがそんなヤワなタマじゃねえことくらい、俺が一番よく知ってんだよ」
ヴォルフが悪態をつきながら、ファフニールの強制駆動システムを操作する。
「申し訳ありません。ですが、隊長が少しだけ手こずっているように見えましたので、私たちが手を貸すのが一番効率的かと判断しました」
シオンが真顔で、しかしどこか冗談めかした口調で応じる。
「優等生が、一丁前に減らず口を叩くようになったじゃねえか。足引っ張んなよ、シオン」
「ヴォルフ副隊長こそ、ジェネレーターから危険な音がしていますよ。自爆するなら、隊長と私から十分離れた場所でお願いしますね」
絶望の底。上空にはすべてを飲み込むブラックホールが口を開け、目の前には世界を滅ぼす狂気の魔王がそびえ立っている。
そんな絶対的な終焉のただ中で、三人は軽口を叩き合っていた。
それは、彼らがかつて地球の防衛軍時代、無数の未確認生命体に囲まれた絶体絶命の死地で、恐怖をねじ伏せ、互いの生存を確認し合うために交わしていた、彼らなりの「儀式」であった。
エルドラという異世界で道を違え、帝国の黒騎士と王国の聖騎士として互いに殺し合った過去は、今この瞬間、完全に消え去った。
彼らは再び、地球防衛軍・特殊PM-ギア部隊の最強のチームとして、ここに肩を並べたのだ。
ピィィィィィィィィンッ。
三人が横一列に並び立ったその瞬間、彼らが纏う大破した三機のPM-ギアから、同時に甲高い電子音が鳴り響いた。
それは、エルドラの魔力システムのエラー音ではない。地球の科学技術が本来想定していた、機体間のローカルネットワーク接続の承認音であった。
『Squadron Link: Active. Local Network Established.』
ジンのバイザーの奥、真っ暗だったモニターに、突如として緑色のシステムUIが再起動を果たした。
同時に、画面の端に、ヴォルフとシオンの生体サインと機体ステータスが表示される。
彼らのPM-ギアは、エルドラの魔力を動力源として進化していたため、東郷が魔力を支配した時点で完全に沈黙したはずだった。しかし今、彼らは自らの生命力を直接燃料にしてギアを強制起動させている。
本来であれば、数分も持たずに機体が自壊するか、彼ら自身が命を落とす危険な駆動法だ。
だが、三つの機体がネットワークでリンクした瞬間、奇跡的な現象が起きた。
ヴォルフの機体で暴走しかけていた過剰な熱量を、シオンの機体の冷却システムが強制的に引き受け、ジンの機体で不足していた演算処理能力を、二人のコアが並列処理で補い始めたのだ。
互いの欠損した機能とエネルギーを、三機のPM-ギアがネットワークを通じて完全に補完し合い、一つの巨大なシステムとして完璧な最適化を開始したのである。
それは、魔法でも奇跡でもない。地球の科学が、極限状態の人間たちの絆に呼応して生み出した、究極のシステム連携であった。
三人の機体の周囲を、それぞれの命の熱量が混ざり合った、純粋な青白い光の粒子が包み込む。
『馬鹿な……。魔力システムを完全に遮断したはずだ。お前たちのその旧式の玩具が、私のゼロギアの干渉波の中で、なぜシステムを維持できている!』
体勢を立て直したゼロギアの内部で、東郷が理解不能な現象に苛立ちの声を上げる。
ゼロギアの胸部の赤いクリスタルが激しく明滅し、周囲の空間ごと彼らを消し飛ばそうと、極大の赤黒い瘴気が再び収束し始めた。
「東郷。お前は確かに天才だ。だが、現場の兵士の執念ってやつを、甘く見すぎたな」
ジンが、ムラサメの柄に手をかけながら静かに言い放つ。
「俺たちは、一人じゃお前に勝てないかもしれない。だが、三人揃えば、お前の作ったその悪趣味な箱庭くらい、簡単にぶち壊せる」
ジンは、短く息を吸い込み、部隊の隊長として、久しぶりの、そして最も慣れ親しんだ命令を下した。
「配置につけ。目標、正面の巨大未確認生命体。……全機、殲滅開始」
「了解!」
ジン、ヴォルフ、シオンの声が完全に重なり合った。
次の瞬間、青白い光の軌跡を残して、三機のPM-ギアが爆発的な速度で散開した。
『小賢しい羽虫どもが! 一緒に仲良く消し飛べ!』
東郷の怒号と共に、ゼロギアの四対の漆黒の翼から、空間を抉り取る赤いプラズマの極太のレーザーが、扇状に薙ぎ払うように放たれた。
それは先ほど、帝国と王国の残存兵力を一瞬で消滅させた絶対死の波動。
だが、三人は回避行動すらとらなかった。
「俺の前で、火力自慢してんじゃねえぞ、ジジイ!」
右翼に展開したヴォルフが、限界までエネルギーを充填した残骸のファフニールを正面に突き出した。
「灰燼に帰せ、ファフニール……すべてを吹き飛ばす!」
黒魔法を失い、自らの生命力とプラズマだけで放たれる一撃。だが、その純粋な物理的破壊力は、かつて帝国で放っていた魔法砲撃を遥かに凌駕していた。
青白い極太のプラズマ砲が、ゼロギアの放った赤いレーザーと正面から激突する。
ズガァァァァァァァンッ!
空間が悲鳴を上げ、二つのエネルギーが拮抗して巨大な光の球体を形成した。
『フン、馬鹿力だけは健在か。だが、いつまで持つかな!』
東郷がゼロギアの出力を上げ、赤いレーザーがヴォルフの青白いプラズマを押し返し始める。ヴォルフの装甲が軋み、彼の口から血が噴き出す。
だが、ヴォルフは一歩も退かない。彼の役割は、敵の最大火力を真正面から受け止め、強引に隙を作り出すことだからだ。
「シオン! 今だ!」
「承知しています!」
ヴォルフが作り出したコンマ数秒の均衡。その死角を突いて、左翼からシオンが超音速の跳躍でゼロギアの頭上へと肉薄していた。
彼女の背後に天使の羽衣はない。ただ、スラスターから一直線に噴き出す青白い推進炎だけが、彼女を光の槍へと変えていた。
『目障りな蠅が!』
東郷は即座にゼロギアの巨大な左腕を振り上げ、空中のシオンをハエ叩きのように粉砕しようとした。
王国の防壁魔法を失った今のシオンがその一撃を受ければ、間違いなく即死する。
だが、シオンのバイザーの奥の瞳は、一切の恐怖を感じていなかった。
「貫け、ロンギヌス……悪を断ち切る!」
シオンは空中で姿勢を捻り、折れたロンギヌスの柄を、振り上げられたゼロギアの巨大な左腕の関節部に向けて、極限の精密さで突き立てた。
ガキィィィィィンッ!
それは、攻撃ではない。ゼロギアの腕の運動エネルギーを、テコの原理と絶妙な角度で受け流すための「誘導」であった。
防衛軍時代、シオンが最も得意としていた、敵の巨大な質量を利用したカウンター技術。
ゼロギアの巨大な左腕は、シオンの神業的な防御技術によって軌道を上に逸らされ、空振りに終わった。さらに、その勢い余った腕の動きによって、ゼロギアの巨体そのものが、大きく前のめりに体勢を崩したのである。
『なっ……!?』
東郷が驚愕に目を見開く。
ヴォルフが正面の火力を完全に釘付けにし、シオンが敵の防御を崩し、決定的な隙を作り出す。
彼らは一切の通信を交わしていない。互いの呼吸と、長年培ってきた阿吽の呼吸だけで、この完璧な連携を成立させているのだ。
そして、その完全に無防備となったゼロギアの胸部、赤いクリスタルの真正面へと。
部隊の最も鋭利な刃が、すでに音もなく入り込んでいた。
「貰ったぞ、東郷」
ジン・クロサワである。
彼は、ヴォルフとシオンが作り出した完璧な道筋を通り、ゼロギアの懐へと潜り込んでいた。
その右手には、青白いプラズマを極限まで圧縮した、身の丈を超える巨大な光の太刀、ムラサメが握られている。
『チィィッ! 次元断層シールド、最大展開!』
東郷が慌ててゼロギアの胸部に、空間そのものを断絶する絶対防御のシールドを展開する。かつて、シオンのロンギヌスを容易くへし折った、いかなる物理干渉も受け付けない盾。
「隊長! 盾が来ます!」
シオンが叫ぶ。
「知るか! そのままぶった斬れ、ジン!」
ヴォルフが咆哮する。
ジンは、一切の減速を行わなかった。
「リミッター解除。第一から第五防壁、全パージ」
ジンの口から、静かで、冷徹な起動コマンドが紡がれる。
彼を覆っていた青白い光の装甲粒子が、すべて右手のムラサメへと収束していく。防御力をゼロにする代わりに、ただ一つの標的を確実に両断するための、究極の刃。
仲間が繋いでくれたこの一瞬の隙に、自分の命のすべてを乗せる。
「顕現せよ、ムラサメ……一撃で終わらせる!」
ジンが、大地を踏み砕き、ゼロギアの胸部に向かってムラサメを真っ向から振り抜いた。
青白い閃光が、次元断層シールドと激突する。
ギィィィィィィィィィィィンッ!!!!
世界が引き裂かれるような、鼓膜を破壊する高周波の金属音が鳴り響く。
空間を切り取る盾と、すべてを両断する太刀。
二つの絶対的な力が拮抗し、周囲の時が止まったかのような錯覚に陥る。
『無駄だ! このゼロギアのシールドは、大地の魔力脈そのものを利用している! 貴様らのような残飯のエネルギーで突破できるはずが……!』
「悪いな。俺の後ろには、最高に頭の悪いエンジンが二つも付いてるんだよ」
ジンの言葉と同時だった。
「オラァァァッ! 出力全開だ、持っていけ隊長!」
「私たちの命、すべて預けます!」
後方にいるヴォルフとシオンのPM-ギアから、限界を超えたエネルギーの奔流が、ネットワークを通じてジンのムラサメへと一気に流れ込んだ。
三人の命の熱量が、一本の太刀に完全に収束する。
ムラサメの刃が、太陽のように眩い純白の光を放って膨張した。
「おおおおおおおおおっ!」
パァァァァァァァンッ!!!!
ガラスが砕け散るような、甲高い音。
東郷が絶対の自信を持っていた次元断層シールドが、三人の力が結集したムラサメの前に、文字通り木端微塵に粉砕された。
そして、その勢いのまま、純白の刃が、ゼロギアの胸部に輝く巨大な赤いクリスタルの表面を、斜めに深く切り裂いた。
『ガァァァァァァァァァァァァァァッ!?』
クリスタルと同化していた東郷の脳髄に、直接的な破壊の激痛が走る。
ゼロギアの巨大な機体から、赤い瘴気と青白いプラズマが入り混じった凄まじい爆発が噴き出し、巨神が初めて、苦悶の叫びを上げて大きく後退した。
「やったか!?」
ヴォルフが荒い息を吐きながら叫ぶ。
ジンはムラサメを構えたまま、着地して鋭い視線をゼロギアに向ける。
完全な破壊には至っていない。クリスタルには深い亀裂が入ったが、大地の魔力脈から無尽蔵のエネルギーを吸い上げ、即座に修復を開始しているのが見えた。
だが、彼らは確かに、神の領域にいた魔王に、致命的な一撃を届かせたのだ。
魔法も、神の奇跡も必要ない。ただの人間たちの、泥臭い絆と戦術が、次元の暴力に打ち勝った瞬間であった。
『……許さん。許さんぞ、貴様ら。私を、この神である私を、ただの人間風情が傷つけただと……!』
赤いクリスタルの奥で、東郷の理性が完全に崩壊し、純粋な殺意と狂気だけが暴走し始める。
ゼロギアの背部にある四対の翼が、禍々しい血のような赤色に染まり、これまでにない規模の次元エネルギーが機体全体に収束していく。上空のブラックホールすらも共鳴し、その引力をさらに増幅させていた。
「来るぞ。ここからが本当の地獄だ」
ジンが、インナースーツの奥にある家族の写真の感触を確かめながら、低く告げた。
「上等だ。あのジジイの面を、跡形もなく消し飛ばしてやる」
ヴォルフがファフニールを構え直し、口の端の血を拭う。
「ええ。私たちの世界は、私たちが守ります」
シオンが折れた槍を力強く握り直す。
大破した三機のPM-ギアが、再び青白い光を放って並び立つ。
彼らの間に、もはや迷いは微塵もなかった。
絶望の底で再び集結した、地球防衛軍の三人の戦士たち。彼らの反逆の光は、エルドラの終焉を飲み込む漆黒の闇の中で、最大の輝きを放とうとしていた。




