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第66話:狂気の起源と崩壊の序曲

ジン・クロサワの左腕が、全高十メートルを超える巨大な魔王、PM-ゼロギアの振り下ろした足を受け止めていた。

数千トンの質量と、周囲の空間ごと消し飛ばすはずの次元エネルギー。それが、たった一人の人間の、一本の腕によって空中で完全に静止させられている。足元の岩盤がドーム状に陥没し、凄まじい衝撃波が吹き荒れる中、ジンの瞳には、絶対に生きて帰るという狂気じみた、しかしどこまでも澄み切った意志の光が灯っていた。

「……ふざけ、るな」

ゼロギアの胸部に埋め込まれた巨大な赤いクリスタルの奥深く。無数の生体ケーブルによって機体と直接神経を接続されている東郷創一は、その光景を信じられないものを見るように見開かれた目で見つめていた。

なぜ動く。なぜ、私がすべての魔力と物理法則を支配しているはずのこの空間で、彼の装甲は機能を停止しないのだ。

ジンの瞳に宿る、決して折れることのない強靭な光。

それを見た瞬間、東郷の脳髄の奥底に分厚い氷で封印されていた、どす黒く、そしてひどく悲しい記憶の扉が、無理やりこじ開けられた。

それは、かつて東郷自身が持っていた光だった。

世界を変えられると信じて疑わなかった、純粋無垢な探求心の輝き。

数十年前の地球。

化石燃料は枯渇の危機に瀕し、各国の資源を巡る紛争は激化の一途を辿っていた。新たなエネルギー資源の開発は、人類が生き残るための最重要課題であった。

若き日の東郷創一は、純粋だった。

大学の薄暗い研究室にこもり、寝る間も惜しんで、黒板を数式で埋め尽くし続けた。彼の原動力は、名誉でも金でもなかった。ただ純粋に、人類をこのエネルギー危機から救いたいという、科学者としての純粋な使命感だけだった。

彼は信じていた。科学の力で宇宙の真理を解き明かせば、必ずすべての人々が豊かに、争うことなく暮らせる未来が来ると。

そして数年の血の滲むような研究の末、彼はついに見つけた。

宇宙の真理のひび割れを。この次元とは異なる、高位の未知なるエネルギーに満ちた並行世界へのアクセスポイントを。

次元干渉による無尽蔵のクリーンエネルギー抽出理論。

それを完成させた夜、若き東郷は一人、散らかった研究室で顔を覆って泣き崩れた。歓喜の涙だった。これで世界は救われる。貧困も、資源を巡る無益な戦争も、すべてが終わる。自分は人類を次のステージへと導く、希望の鍵を見つけたのだと。

希望に胸を膨らませ、彼は世界最高峰の科学者たちが集う国際学会の壇上に立った。

「お前のような、たかが一人の兵士の意志が。私を、神となった私を凌駕するなど、あってたまるか」

ゼロギアの内部で、東郷の口から低い、呪詛のような声が漏れた。

彼と同化している巨大な赤いクリスタルが、搭乗者の精神の激しい揺らぎをダイレクトに感知し、悍ましい明滅を始める。

東郷の怒りと悲しみに呼応し、ゼロギアから放たれる赤黒い瘴気が爆発的に膨れ上がった。

ズガァァァァァァッ。

ジンの押し返す力に反発するように、ゼロギアの機体全体から次元を切り裂く特異な波動が全方位に向けて放たれた。

その余波だけで、クレーターの縁で息を潜めていた帝国軍と王国軍の残存兵士たちが、悲鳴を上げる間もなく赤い霧となって消滅していく。

大地がすり鉢状に抉り取られ、上空のブラックホールの引力に抗うように、ゼロギアを中心とした絶対的な破壊の領域が拡大していく。

学会の壇上で、若き東郷は自らの理論を熱弁した。次元の壁を越え、無限のエネルギーを取り出すという夢のようなビジョンを。

しかし、彼を待っていたのは、賞賛の拍手でも、希望に満ちた歓声でもなかった。

冷ややかな沈黙。そして、嘲笑だった。

「次元干渉だと。君はSF映画の見過ぎではないのかね、東郷君」

「実証不可能なオカルト理論だ。我々が求めているのは、現実的な解決策であって、君の誇大妄想の発表会ではない」

学会の重鎮たちは、東郷の理論を理解しようとすら引かなかった。

いや、彼らは理解できないものを恐れたのだ。自分たちのこれまでの研究や常識を根底から覆す、あまりにも革命的すぎる理論。それは彼らにとって、自分たちの権威と地位を脅かす危険思想でしかなかった。

「ですが、数式は完全に成立しています。計算上、必ず扉は開く。ほんの少しの投資と実験設備さえあれば、私は人類を救えるんです」

必死に食い下がる東郷に対し、権威ある老人たちは氷のように冷酷な決定を下した。

「君の研究は危険すぎる。万が一、その次元の扉とやらが開いたとして、向こう側から何が出てくるか保証できるのか。未知のエネルギーなど、パンドラの箱に等しい。君は学会の異端だ。これ以上の研究費の支給は打ち切る。直ちに研究室を明け渡したまえ」

純粋な探求心は、権威主義という分厚い壁の前に、あっけなく打ち砕かれた。

彼らは人類の未来よりも、自分たちの現在の椅子を守ることを選んだのだ。

「ア、アアアアァァァァァッ」

ゼロギアの内部で、東郷が頭を抱えて絶叫する。

生体ケーブルを通じて機体と同化した彼の脳髄に、あの日の屈辱と絶望が鮮明にフラッシュバックし、脳細胞を焼き焦がす。

「奴らは私を否定した。私を理解しようともせず、狂人として社会の片隅へと追いやったのだ。私がどれほどの思いで、人類のためにあの数式を書き上げたか。それを、あの愚か者どもは」

ゼロギアの四対の漆黒の翼から、大雨のように赤いプラズマの刃が降り注ぐ。

もはやそれは、明確な標的を持った攻撃ではない。自分を拒絶した世界そのものに対する、理不尽な癇癪のような破壊の嵐であった。

プラズマの刃が着弾するたびに、大戦場の瓦礫が原子レベルで消滅し、巨大なクレーターがさらに深く、深く抉られていく。

辛うじて生き残っていた兵士たちが、無慈悲なプラズマの雨に打たれ、次々と消し飛んでいく。

「ひぃぃっ、助けてくれええっ」

命乞いの言葉を言い切る前に、王国の兵士が赤い閃光に包まれて消滅した。

「退け、退けええっ」

逃げ惑う帝国の獣人兵も、背中からプラズマに貫かれ、跡形もなく空間ごと削り取られた。

二十万いた軍勢は、今や数十人にも満たない数にまで激減し、その残党すらも、東郷の狂気の産声によって完全に刈り取られようとしていた。

研究室を追い出され、学会から完全に追放された東郷。

しかし、彼は諦めなかった。自分の理論が正しいことを証明するため、自宅の小さなガレージを改造し、細々と研究を続けた。

資金はすぐに底をついた。機材を買い揃えるため、家財を売り払い、借金を重ねた。

いつか必ずわかってもらえる。この扉が開けば、世界は私を認めるはずだ。

その純粋だったはずの探求心は、いつしか、自分を否定した世界に対する見返してやりたいという、どす黒い執念へと変質し始めていた。

昼夜を問わず数式に向かい、独り言を呟きながら金属の部品を組み立てる彼を、周囲の人間は不気味なものを見るような目で遠ざけた。かつて共に夢を語り合ったはずの研究仲間たちも、彼からの電話に出なくなり、道で会っても目を逸らすようになった。

社会からの完全な断絶。

自分が人類のために身を粉にしているのに、なぜ誰もわかってくれないのか。なぜ世界はこんなにも冷たいのか。

孤独な暗闇の中で、東郷の心は少しずつ、しかし確実に壊れ始めていた。

それでも、彼を支えていたのは、いつかこの偉業を成し遂げれば、すべてが報われるという一つの妄執だけだった。

「理解できないものを恐れ、排斥する。それが人間の本性だ。だから私は、人間であることを辞めた。この次元のすべてを壊し、ゼロから作り直す神になったのだ」

東郷の叫びが、ゼロギアの重低音の咆哮となって世界を震わせる。

彼の破壊衝動は、単なる悪意から生まれたものではない。

純粋すぎた天才が、世界から完全に拒絶されたことによる、深すぎる悲しみと絶望。その反動こそが、このブラックホールを生み出し、二つの世界を対消滅させようとする狂気の起源であった。

悲しみが深ければ深いほど、ゼロギアの出力は限界を超えて無限に上昇していく。

「お前も同じだ、ジン君。お前がどれほど強靭な意志を持っていようと、それを理解し、受け入れる世界などどこにもない。お前のその家族への愛も、所詮は自己満足の幻想に過ぎないのだ」

ゼロギアの巨大な足が、ジンの左腕から強引に引き剥がされ、再び高く持ち上げられた。

今度は、先ほどとは比べ物にならないほどの、極限まで圧縮された次元の重圧が込められている。赤いクリスタルから放たれる瘴気が、巨大な足の裏に渦を巻き、空間そのものをドロドロに溶かしていく。

「消えろ。私を否定した世界と共に、永遠の暗黒へと沈むがいい」

赤い瘴気を纏った巨大な足が、ジンの小さな体を完全に押し潰そうと、無慈悲な速度で振り下ろされる。

東郷の悲しみと怨念のすべてが込められた、絶対的な破壊の一撃。

崩壊する大戦場の中心で、狂気の産声が、次なる絶望の扉を完全に叩き割ろうとしていた。

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