第6話:予報システムと天才の影
2037年、春。
人類と未確認生命体との戦いにおいて、歴史的なパラダイムシフトが起きた瞬間だった。
防衛軍司令部の広大なメインブリーフィング・ルーム。ドーム型の天井を覆い尽くすほどの巨大な立体ホログラムモニターには、地球全土のマップと、その上に無数に点在する細かな波形データが青白い光を放って浮かび上がっていた。
数百名を超える軍の将官たち、そして各国の防衛代表者たちが固唾を呑んで見守る中、演壇の中央に立つ白衣の男――東郷創一博士が、静かに、しかし確信に満ちた声で口を開いた。
「皆様、これよりご覧いただくのは、人類がこれまで強いられてきた『後手』の防衛戦を、完全に『先手』へと逆転させるための新たなる目です」
東郷が手元のコンソールを操作すると、ホログラムマップの極東エリア、日本の特定の座標に赤いマーカーが灯った。時刻のカウントダウンが表示されている。
「私が開発した『異空間予報システム』は、地球を取り巻く重力場と微細な空間振動……我々の次元の壁に生じるマイクロレベルの亀裂を、発生の数時間前に探知・演算するものです。空間が歪み、あの忌まわしい未確認生命体どもがこちらの世界へ這い出してくる正確な座標と時間を、我々は事前に把握することが可能となりました」
ざわめきが波のように広がった。将官たちの顔に、驚愕と、そして隠しきれない歓喜の色が浮かび上がる。
これまでの戦いは、常に未確認生命体が都市部に突如として出現し、甚大な被害を出した後にPM-ギア部隊が駆けつけるという、いわばモグラ叩きのような状況だった。どれほどPM-ギアが強力であろうと、最初の出現地点にいる一般市民の犠牲は避けられなかったのだ。
しかし、出現する場所と時間が事前に分かるのであれば話は全く違う。無人のエリアに誘導するか、あるいは出現した瞬間に軍の全火力を集中させて出待ちで殲滅することができる。
「現在、マップ上に示された赤いマーカー。……今日の午後十四時三十分ちょうど。首都圏から北西に三百キロ離れた無人の荒野、旧採掘場跡地に、中規模の空間の歪みが発生します。現れる生命体の数は約二十体。我々のPM-ギア特殊部隊は、すでに現地で展開を完了しています」
東郷の言葉に合わせ、メインモニターの映像が、現地の荒野を映し出すドローンカメラの映像へと切り替わった。
赤茶けた土と岩肌が剥き出しになったすり鉢状の盆地。その縁に立つ三つの鋼鉄の影が映し出された。
ジン・クロサワ、ヴォルフ・シュナイダー、そしてシオン・ミカゲ。人類の誇る最強の矛であるPM-ギア部隊の三名である。
ブリーフィング・ルームの最後列で、腕を組んでモニターを見上げていた防衛軍の最高司令官が、感嘆の吐息を漏らした。
「東郷博士……あなたは本当に、神か何かの生まれ変わりではないのか。PM-ギアに続き、この予報システム。これでついに、我々は民間人の犠牲をゼロに抑え込むことができる。人類は、真の意味で勝利を手にしたのだ」
「過分なお褒めの言葉です、閣下。私はただ、与えられた数式を解いただけに過ぎません」
謙遜して深く頭を下げる東郷の姿に、会場から割れんばかりの拍手が巻き起こった。
誰もが彼を、人類を絶望の淵から救い上げた救世主として疑わなかった。
その頃、モニターに映し出されている無人の荒野では、乾いた風が砂埃を巻き上げていた。
周囲には草木一本生えていない。かつて資源採掘のために削り取られ、そのまま放棄された巨大なクレーターのような地形だ。
ジンは崖の上に立ち、眼下に広がる岩肌を静かに見下ろしていた。
漆黒と銀の装甲に覆われた彼のPM-ギアは、一切の無駄な動作をせず、彫像のように風景に溶け込んでいる。バイザーの奥の瞳は、HUDに表示されたカウントダウンの数字を冷徹に追っていた。
「発生まで残り五分。各員、最終チェックを怠るな」
ジンの低く落ち着いた声が、部隊の専用回線に響く。
「へっ、待ちくたびれたぜ。これまでみたいに街中で暴れ回られるよりはマシだが、こうやって何もない荒野で突っ立ってると、ただの案山子になった気分だ」
ヴォルフが退屈そうに首を鳴らした。彼の腰のベルトからはすでに大量の粒子金属が溢れ出し、両腕に巨大な重機関砲のベースを形成しつつある。いつでも火力を叩き込めるよう、アイドリング状態を保っているのだ。
「無駄口を叩かないで、ヴォルフ。この作戦が成功すれば、もう二度と、逃げ惑う市民の悲鳴を聞かずに済むのよ。私たちの手で、確実に出現と同時に息の根を止めるわ」
シオンが鋭くたしなめる。彼女の機体はすでに装甲の大部分をスラスターユニットへと再配置しており、極限まで軽量化されたフォルムで出撃の瞬間を待ち構えていた。両手には、青白い光を放つ粒子金属の双剣が握られている。
「シオンの言う通りだ。ここは市街地ではない。周囲の被害を一切考慮する必要はない。敵がこちらの次元に足を踏み入れたその瞬間、お前たちの最大火力と最大速度で一気に制圧しろ。一歩もこの荒野から出すな」
「了解。要するに、派手にぶっ放していいってことだろ?」
「ええ、一瞬で終わらせましょう」
ジンは二人の頼もしい返事を聞きながら、静かに息を吐いた。
この一年間、どれほどの血が流れただろうか。間に合わなかった命、守り切れなかった街。その度にジンは、妻のサエと息子のリクの顔を思い浮かべ、己の無力さと向き合ってきた。
しかし、今日からは違う。東郷博士のもたらしたこの予報システムがあれば、もう誰も死なせずに済む。自分はただ、指定された場所で剣を振るうだけでいい。
(東郷博士……あなたは本当に、世界を救ってくれた)
ジンは心の中で、あの温厚な天才科学者に対する深い感謝と尊敬の念を噛み締めていた。
『作戦エリアの空間振動、規定値を突破。次元の亀裂が開きます』
インカムから、司令部のオペレーターの緊迫した声が響く。
カウントダウンがゼロになった。
直後、すり鉢状の盆地の中央で、何もない空間がガラスのようにひび割れた。
ギィィィィンッ! という鼓膜を直接引っ掻くような甲高い破砕音が荒野に鳴り響き、空間の亀裂が巨大な口を開ける。
そこから溢れ出してきたのは、ドブと血が混ざったような異世界の瘴気と、漆黒の体毛に覆われた巨大な未確認生命体の群れだった。
総勢二十体。彼らは新たな狩り場に降り立ったと信じ、四つの赤い瞳を爛々と輝かせ、大気を震わせる咆哮を上げようと大きく息を吸い込んだ。
だが、彼らがその咆哮を轟かせることは、永遠になかった。
「吹き飛べ、化け物ども!!」
怪物が空気を吸い込んだその瞬間、崖の上からヴォルフの怒号が響き渡った。
両腕に形成された重魔導砲――ファフニールのプロトタイプとも言える重粒子カノンが、鼓膜を破る轟音と共に火を噴いた。
市街地では周囲への被害を考慮して威力を抑えていたヴォルフだったが、ここは無人の荒野である。リミッターを完全に解除し、ジェネレーターを直結させた圧倒的な粒子圧縮弾が、流星群のように盆地の底へと降り注いだ。
着弾。そして、絶大な爆発。
怪物たちが展開しようとした魔法障壁ごと、数万度の熱線と衝撃波が彼らの巨体を包み込んだ。
「ギャアアアアッ!?」
次元を越えてきたばかりで状況を把握できていない怪物たちは、何が起きたのかも理解できないまま、先頭の数体が文字通り消し炭となって吹き飛んだ。
「まだよ! 陣形を立て直させるな!」
爆炎と土煙が舞い上がる中、シオンが崖を蹴って弾丸のように飛び出した。
彼女の背部スラスターから噴射される青白い粒子の光が、空中に美しい幾何学模様の軌跡を描く。
超高速で落下しながら、シオンは生き残って混乱している怪物たちの間を縫うように駆け抜けた。
双剣が一閃するたびに、怪物の巨大な足の腱が切断され、あるいは赤い瞳が正確に潰されていく。反撃しようと腕を振り回しても、シオンの残像を切り裂くだけだ。
「遅い、遅い、遅い! あなたたちの攻撃など、もう止まって見えるわ!」
正義感に燃えるシオンの猛攻により、怪物の群れは完全に指揮系統を失い、同士討ちや無軌道な暴走を始めた。
そして、その混乱の頂点に、ジン・クロサワが静かに降り立った。
彼は空中で腰のベルトを操作し、右腕の装甲粒子を極限まで収束させる。生成されるのは、高周波振動を伴う巨大なブレード。
「一部隊、殲滅する」
ジンの体がブレた。
スラスターの爆発的な推力と、彼自身の洗練された体術が見事に融合し、PM-ギアはもはや一つの生命体として完成された動きを見せる。
怪物の死角に滑り込み、関節の隙間を的確に切断。倒れ込んだところにパイルバンカーを叩き込み、瞬時に別の敵へと跳躍する。
無駄な動きが一つもない。流れるような武装換装と、冷徹なまでの急所攻撃。
ヴォルフの圧倒的な面制圧で逃げ場を奪い、シオンの超高速機動で感覚を麻痺させ、ジンが一撃必殺の刃で命を刈り取る。
これまでの戦いの中で研ぎ澄まされてきた「鋼鉄の三連星」の連携は、この無人の荒野において完璧な芸術の域に達していた。
戦闘開始から、わずか三分。
空間の亀裂から現れた二十体の未確認生命体は、誰一人として盆地の縁を越えることなく、すべて物言わぬ肉塊へと変わっていた。
「……周辺の生体反応、全消失。空間の亀裂も閉鎖を確認した。ミッション・コンプリートだ」
ジンがインカムを通じて司令部へと報告する。
彼らのPM-ギアには、かすり傷一つ付いていなかった。完全なる無傷。完全なる勝利。
数秒の静寂の後、司令部と繋がった通信回線越しに、割れんばかりの歓声が響き渡った。
『信じられん! 本当に出現と同時に殲滅しやがった!』
『被害ゼロだ! 民間人どころか、周辺の施設への被害も全くなしだ!』
「へっ、あっけねえな。これならいくら湧いてきても、ただの的当てゲームと変わらねえぜ」
ヴォルフが砲身から立ち上る白煙を吹き飛ばしながら、肩をすくめた。
「的当てゲームだなんて不謹慎なこと言わないで。でも……本当に、これで誰も傷つかずに済むのね」
シオンが双剣を解除し、ホッと安堵の息を漏らす。
ジンは血塗られた荒野を見渡し、そして空を見上げた。
分厚い雲の隙間から、太陽の光が真っ直ぐに差し込んでいる。
(サエ、リク。……もう大丈夫だ。平和な世界は、すぐそこまで来ている)
ジンは固く拳を握り締め、勝利の余韻を静かに噛み締めていた。
数時間後、防衛軍司令部は前代未聞の祝賀ムードに包まれていた。
予報システムの完璧な実証と、PM-ギア部隊の圧倒的な戦果。もはや人類に脅威はない。誰もがそう信じて疑わなかった。
祝賀会の喧騒を離れ、ジンは司令部の長い廊下を歩いていた。向かう先は、東郷博士のプライベート・ラボである。
自動ドアが開き、中へ入ると、東郷は一人でカウチに座り、ワイングラスを傾けていた。
「おお、ジン。見事な戦いぶりだった。君たちのデータはすべて拝見したよ。ギアの稼働率も、連携も、非の打ち所がない」
東郷が柔和な笑顔でジンを迎える。
「博士。今日は、どうしても直接お礼が言いたくて来ました」
ジンは東郷の前に立ち、深く、真摯に頭を下げた。
「あの予報システムは、人類の希望です。……俺の妻と息子も、これでようやく、夜に怯えることなく眠ることができます。あなたがいてくれたから、俺は大切なものを守り抜ける。本当に、ありがとうございます」
ジンの言葉は、心の底からの感謝に満ちていた。軍の兵器としてではなく、一人の父親として、家族を守る力を与えてくれたこの天才科学者を、ジンは心から尊敬していた。
東郷は少し驚いたような表情を見せた後、ふっと優しく微笑んだ。
「頭を上げてくれ、ジン。私はただの科学者だ。私の作ったシステムや兵器に、命を吹き込んでいるのは君たち自身の勇気だよ。君が最前線で戦ってくれるからこそ、世界は平和に向かっている。君の家族も、君という誇り高い父親を持って幸せだろう」
「……もったいない言葉です。これからも、俺たち部隊に指示を頼みます、博士」
ジンは再び深く一礼し、清々しい表情でラボを後にした。
彼の背中を見送る東郷の目は、どこまでも優しく、慈愛に満ちているように見えた。
ラボの扉が完全に閉ざされ、ロックの電子音が鳴り響く。
その瞬間。
東郷創一の顔から、あの温厚な笑顔が、まるで蝋が溶け落ちるように消え去った。
ワイングラスをテーブルに無造作に置き、東郷は部屋の最奥に設置された厳重な隔壁の前へと歩み寄った。
網膜認証とパスコードを入力すると、重々しい音を立てて隔壁が開く。
そこは、司令部のどの人間も存在を知らない、東郷の真の実験室であった。
部屋の中央には、巨大な円筒形のエネルギー封じ込めチャンバーが設置されている。
チャンバーの内部には、先ほどの荒野で発生したものと同じ、しかし人為的に固定化され、絶えず蠢き続ける「空間の亀裂」が口を開けていた。
亀裂の周囲には、PM-ギアに使用されている粒子金属のケーブルが何重にも巻き付けられ、青白いエネルギーを亀裂へと強制的に送り込み続けている。
「……平和、か。馬鹿馬鹿しい」
東郷は冷酷な声で呟き、チャンバーのコンソールを操作した。
モニターには、地球側の粒子金属エネルギーと、亀裂の向こう側――異世界エルドラから漏れ出す未知の魔力エネルギーが、互いに反発し合いながらも、東郷の調整によって少しずつ「共鳴」していく波形が映し出されていた。
「私の予報システムを、ただの害獣駆除のスケジュール帳だと思っている無能な軍部。そして、家族の平穏などというちっぽけな感傷に浸るジン。お前たちは誰も、この宇宙の真の美しさを理解していない」
東郷の瞳に、狂気の光が宿る。
彼は、自分が開発した粒子金属が、単なる兵器の素材ではないことを最初から知っていた。それは、次元の壁を破壊し、二つの異なる世界を接続するための「鍵」なのだ。
「私が求めているのは、あんな野蛮な獣たちとの小競り合いではない。空間の歪みを強制的に押し広げ、地球と向こう側の世界を完全に衝突させること。相反する物理法則が交わり、すべての質量とエネルギーが対消滅を引き起こす、絶対的な『無』の創造だ」
東郷は自らの両手を広げ、チャンバーの中で禍々しく明滅する次元の亀裂を、まるで愛しい我が子を見るかのようにうっとりと見つめた。
「かつて私の理論を妄想だと笑い、学会から追放した愚かな人類。そして、向こう側の次元で蠢く下等な生命体ども。そのすべてを、私の手で等しく無に還してやろう」
コンソールの片隅で、未来の予測データを示す赤いランプが不吉に点滅している。
『次元崩壊予測:2039年』
人類が平和の到来を信じ、勝利の美酒に酔いしれているその足元で。
誰よりも信頼されている「人類の救世主」の手によって、世界を丸ごと飲み込む破滅のカウントダウンは、すでに引き返せない段階へと進み始めていた。
狂気の天才は、ただ一人、暗闇の中で哄笑を漏らした。




