第58話:激突する三極
天を貫く巨大な光の柱が、赤茶けた荒野と血の海を青白く照らし出していた。
中立地帯のクレーターから放たれたその光は、分厚い暗雲と黄金の極光を強引にこじ開け、遥か上空に地球という未知の世界の蜃気楼を映し出している。
しかし、その神の奇跡のような光景を前にしても、大戦場で殺し合う二十万の兵士たちの狂乱が止むことはなかった。いや、むしろその未知の力こそが、彼らの欲望と恐怖をさらに掻き立てていた。
大地の魔力脈の果てにある、新たな次元の力。それを手にした国家こそが、このエルドラ大陸の永遠の覇者となる。
ガルディア帝国の黒魔法と、ルミナス王国の白魔法が、泥と血に塗れた荒野で幾万もの爆発を巻き起こし、命の灯火が秒単位で無数に消えていく。
その混沌の坩堝と化した大戦場において、西の帝国軍の先陣を切り裂き、単機で王国の陣形を蹂躙し続ける一つの巨影があった。
「ハァーッハッハッハ! 脆い! 脆すぎるぞ、王国の白豚どもォ!」
漆黒と赤銅色が混ざり合った進化した重装甲。黒騎士ヴォルフ・シュナイダーである。
彼の纏うPM-ギアは、帝国の黒魔法と完全に同調し、装着者の底知れぬ破壊衝動を体現する悪魔の兵器と化していた。機体の各所から高熱の赤い蒸気を噴き出し、一歩踏み出すごとに大地がドロドロに融解していく。
彼の行く手を阻もうと、王国の誇る重装聖騎士団数百名が、幾重にも連なる巨大な光の盾を構えて強固なファランクス陣形を組んだ。いかなる物理攻撃も魔力干渉も弾き返す、王国の絶対防衛陣。
「くだらねえ。そんな薄っぺらい光の板で、俺の火力を防げると思うな!」
ヴォルフは歩みを止めることなく、右腕の巨大な竜の顎のような砲身、新形態のファフニールを前方へと突き出した。
装甲の表面を走る赤黒い魔力回路が、爆発的な鼓動を打つ。大地の魔力脈から直接エネルギーを吸い上げ、それを地球の科学技術による極限の圧縮プロセスで臨界点まで高める。
「消え失せろ!」
ファフニールの顎が開かれ、凄まじい轟音と共に、極太の赤黒い熱線が放たれた。
それはもはや砲撃という次元ではない。数万度のプラズマと圧縮された重力波が融合した、破壊の概念の具現化であった。
王国の重装聖騎士団が展開していた光の盾は、熱線が触れた瞬間にガラスのように粉々に砕け散り、数百人の騎士たちは悲鳴を上げる間もなく、その重厚な鎧ごと一瞬にして蒸発し、炭化した灰となって戦場に舞い散った。
「ヒィィッ! 化け物だ!」
「退け! あれには魔法が通じない!」
圧倒的な暴力を前に、戦意を喪失した王国兵たちが蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
ヴォルフはその後ろ姿を冷酷に睨み下ろしながら、右腕から立ち上る白煙を払った。
彼にとって、これらの雑兵を殺すことなどただの通過儀礼に過ぎない。彼の猛禽類のような視線は、常に戦場の中心、巨大な光の柱が立つクレーターの底へと向けられていた。
「待っていろよ、ジン……。貴様の首は俺が獲る。お前がどんな狂った真似を企んでいようと、俺の力で力ずくでねじ伏せてやる。この世界で一番強いのは、俺だ!」
地球の防衛軍時代から抱え続けてきた、ジンに対する劣等感と執着。力こそがすべてだと信じる彼にとって、絶対に折れない心を持つジン・クロサワという存在は、必ず乗り越えなければならない壁であった。
ヴォルフは咆哮を上げ、さらなる破壊を撒き散らしながら、クレーターの中心へと猛進していく。
一方、その大戦場の東側。
血に飢えた帝国の獣人部隊と、醜悪な肉の塊のような巨大ゴーレムの群れが、黒魔法の瘴気を撒き散らしながら王国軍の前衛に襲いかかっていた。
帝国の圧倒的な物量と暴力の前に、王国の兵士たちが次々と倒れゆく。
そこに、一筋の白銀の閃光が突き刺さった。
「そこを退きなさい!」
凛とした声と共に、超音速の軌跡を描いて戦場を駆け抜けたのは、聖騎士シオン・ミカゲである。
彼女の纏う進化したPM-ギアは、天使の羽衣のような光のスタビライザーを展開し、泥に塗れた戦場において一滴の汚れも寄せ付けない神々しさを放っていた。
彼女の動きには、一切の迷いがない。
かつては賢者たちに与えられた偽りの正義に縛られていたが、今は違う。ルカという愛する人を見つけ、守るべき真の民の平和を知った彼女の心は、極限まで澄み切っていた。
シオンの右手に握られた黄金の閃光騎槍ロンギヌスが、凄まじい速度で繰り出される。
重厚な鎧に覆われた帝国の巨大ゴーレムの急所を、コンマ一ミリの狂いもなく的確に貫き、一撃でその機能を手停止させていく。
彼女は敵を無闇に殺すことはしない。武器を破壊し、手足を貫き、ただ無力化して戦闘能力を奪うことだけに特化した、神速の精密戦闘。
「チィッ! ちょこまかと動き回りやがって! 魔導兵団、あの銀色の蠅を撃ち落とせ!」
帝国の指揮官が怒号を飛ばし、数十人の黒魔術師が一斉にシオンの進行方向へと高位の追尾型黒炎魔法を放った。
視界を埋め尽くすほどの黒い炎の雨が、逃げ場を塞ぐようにシオンへと降り注ぐ。
だが、シオンは速度を緩めない。
「ルカ様!」
「任せろ、シオン!」
戦場の後方、エリアーナの神輿の側で指揮を執っていたルカ・エヴァンズが、手に持った杖を天高く掲げた。
ルカの高度な魔力演算によって、シオンの周囲に展開されていた空間の座標が一瞬だけ歪められる。
降り注ぐ黒炎の雨は、シオンの身体を直撃する寸前で、まるで目に見えない滑り台に弾かれたかのように軌道を逸らされ、無人の荒野へと着弾した。
「今です!」
シオンはルカの魔法による完璧な援護を受け、一気に魔導兵団の懐へと飛び込んだ。
槍の柄尻を用いた流れるような連続攻撃が、魔術師たちの意識を次々と刈り取っていく。圧倒的な速度と、ルカの知略の完全なる融合。それは、愛と信頼で結ばれた二人にしか成し得ない、芸術的なまでの蹂躙劇であった。
「ジン隊長……。私はもう、迷いません。私の信じる光で、あなたの悲しい戦いを終わらせてみせます」
シオンはクレーターから立ち上る光の柱を見据え、さらに推力を上げて戦場の中央突破を推し進めた。
国家の存亡を懸けた大乱戦。
その最前線において、互いの軍勢の死骸の山を築き上げながら、西から進撃する漆黒の悪魔と、東から駆け抜ける白銀の天使の軌道は、必然的に戦場の中心、クレーターの縁で交差することとなった。
ドズゥゥゥゥンッ! という重い着地音と共に、ヴォルフがクレーターの西側の岩山を粉砕して姿を現す。
ほぼ同時に、光の残像を引いて、シオンがクレーターの東側に降り立った。
戦場を覆う爆音と悲鳴の中で、二人の装着者は、数百メートルの距離を隔てて互いの存在をはっきりと認識した。
かつて地球の防衛軍で、同じ隊に所属していた上官と部下。
実力至上主義に染まり、絶対的な破壊の権化となった黒騎士ヴォルフ。
愛と秩序のために戦い、真の正義に目覚めた聖騎士シオン。
二人の纏う、全く異なる進化を遂げたPM-ギアから放たれる圧倒的な魔力のプレッシャーが、周囲の兵士たちを息苦しさに膝をつかせる。
ノイズ混じりの局地通信回路が、強引に接続された。
『……チッ。生きてやがったか、優等生。王国の腐った賢者どものお飾りになり下がったと聞いていたが、ずいぶんと威勢がいいじゃねえか』
ヴォルフの低く、嘲るような声が通信機から響く。
『ヴォルフ副隊長……。あなたこそ、帝国の破壊の力に呑まれ、狂ってしまったのですか。ジン隊長を狙うというのなら、私があなたをここで止めます』
シオンの声は、氷のように冷たく、一切の怯えを持っていなかった。
『ハッ! お前が俺を止めるだと? 寝言は死んでから言え! 力こそがすべてだ。正義だの愛だの、そんな薄っぺらい言葉でこのファフニールの熱量を凌げると思っているのか! どけ! 俺の獲物はジン・クロサワただ一人だ!』
ヴォルフの右腕の砲身が、限界を超えた赤黒い光を放ち始める。先ほど王国の盾を粉砕した以上の、周囲の空間そのものを焼き尽くさんとする極大のエネルギー収束。
『力だけで世界は救えません! 私は私の意志で、あなたを、そして隊長を止めます!』
シオンもまた、背中のスタビライザーから黄金の粒子を爆発的に噴射し、ロンギヌスの穂先に自身のすべての魔力と祈りを込めた。
互いの信念と存在意義を懸けた、最高戦力同士の激突。
ヴォルフのファフニールから絶死の熱線が放たれようとし、シオンが超音速の突撃態勢に入った、まさにその瞬間であった。
ゴォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!
二人が対峙する直線上。
巨大な光の柱が立ち上るクレーターの底から、戦場のすべての音を掻き消すほどの、異常な鳴動が響き渡った。
「なっ……!?」
「これは……!?」
それは、帝国軍の黒魔法でも、王国軍の白魔法でもなかった。
エルドラの大地に存在するいかなる魔力波長とも異なる、極限まで冷たく、そして絶対的な拒絶の意志を持った「未知の波動」であった。
クレーターの底から放たれたその白青いエネルギー波は、戦場を中心にして波紋のように一瞬で全方位へと広がっていった。
波動が通過した瞬間、信じられない現象が起きた。
上空で飛竜から放たれようとしていた黒炎が、空中でただの冷たい煙となって霧散した。
王国軍が展開していた黄金の絶対防壁が、まるで電源を切られた幻灯機のように音もなく消滅した。
魔法による肉体の強化を施されていた兵士たちは、突如としてその力を奪われ、重たい鎧の重みに耐えかねて次々と地面に這いつくばった。
魔法の無効化。
いや、大気中に存在する魔力素子そのものを、次元の壁の摩擦によって生じる「虚無のエネルギー」で完全に上書きし、消滅させてしまったのである。
ヴォルフとシオンの進化したPM-ギアも例外ではなかった。
環境魔力を吸収して駆動していた彼らの装甲は、波動を受けた瞬間、激しいノイズを上げて一時的な機能不全に陥り、放とうとしていた必殺のエネルギーが強制的に霧散させられてしまった。
「な、なんだこれは……! 俺の魔力が、装甲の出力が急激に落ちていく! 魔法が消えただと!?」
ヴォルフが苛立ちと共に右腕の砲身を叩く。
シオンもまた、黄金の輝きを失ったロンギヌスを杖代わりにして、膝をつくのを必死に堪えていた。
二十万の軍勢が、突如として訪れた魔法の消失と、圧倒的な次元の重圧の前に沈黙し、恐る恐るクレーターの底へと視線を向けた。
そこから、ゆっくりと、一つの影が這い上がってくる。
ズシン、ズシン。
魔法も、奇跡も必要としない。ただ純粋な機械の重さと、尋常ではない密度で圧縮された次元のエネルギーだけを纏った、重厚な金属の足音。
光の柱を背にして、クレーターの縁に降り立ったその姿に、両軍の兵士たちはもちろん、ヴォルフも、シオンも、息を呑んで戦慄した。
ベースとなるのは、光すらも吸い込むような絶対的な漆黒の装甲。そこには数え切れないほどの魔獣の血と肉の染みがこびりつき、まるで深淵から這い上がってきた悪魔のような禍々しさを放っている。
しかし、その装甲の隙間からは、周囲の魔法を無効化するほどの純度を持った、透き通るような白青い次元エネルギーが溢れ出し、背後で天使の羽衣のような光輪を形成して美しく宙を舞っているのだ。
天使と悪魔。
相反する二つの概念を無理やり一つの機体に封じ込めたような、狂気と神聖さが同居する異形の最終形態。
「……ジン」
ヴォルフが、枯れた声でその名を呼んだ。
ジン・クロサワは、右手に握った身の丈を超える巨大な白青い光の太刀を、血に塗れた大地へと静かに突き立てた。
彼のバイザーの奥の瞳は、極寒の氷のように冷たく、二十万の軍勢のすべてを「ただの障害物」として見下ろしていた。
「……ここから先は、一歩も通さない」
彼には、帝国を滅ぼす理由も、王国を救う理由もない。
ただ、あの空の向こう側に映る世界へ帰り、愛する家族を抱きしめる。
ゲートが完全に開くまで、その扉に近づくすべての者を平等に排除する「調停者」として、孤独な帰還者は戦場の中心に降臨したのである。
絶対的な静寂が戦場を支配した。
次なる地獄の扉が開くその瞬間を、世界中が息を止めて待っていた。




