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第57話:全面戦争勃発

中立地帯に穿たれた巨大なクレーターを境界線として、エルドラ大陸の歴史上類を見ない、絶対的な絶望と狂気が交差する時間が訪れようとしていた。

見上げる空は、完全に二つの異質な色に分断されていた。

西の空は、ガルディア帝国軍十万の放つ圧倒的な黒魔法の瘴気と、無数の軍用飛竜が羽ばたく影によって、太陽の光すら届かない分厚く淀んだ暗雲に覆い尽くされている。大地を焦がす硫黄の匂いと、血に飢えた獣のような兵士たちの殺気が、物理的な重圧となって吹き荒れていた。

対する東の空は、ルミナス王国軍十万が放つ神聖な白魔法の輝きによって、まるで天界の門が開かれたかのような黄金色の極光に照らされている。清らかな賛美歌の合唱が風に乗って響き渡り、オゾンのような澄み切った空気が西の瘴気とぶつかり合って、不可視の境界線で激しい火花を散らしていた。

西の帝国と、東の王国。

水と油、闇と光。決して相容れない二つの巨大なイデオロギーが、大地の魔力脈という一つの絶大な力を巡って、互いの国家の存亡を懸けた総力戦に臨んでいる。

西の陣営、ガルディア帝国軍の最前線。

巨大な漆黒の装甲板で覆われた、城ほどもある超大型の魔導戦車の甲板上に、皇帝ルーファス・ヴァン・ガルディアが冷徹な瞳で戦場を見下ろしていた。重厚な漆黒のマントを風に翻し、彼は片手をゆっくりと天に掲げた。

長い演説も、兵士を鼓舞する熱い言葉も必要ない。実力主義を掲げる帝国において、皇帝の存在そのものが絶対の勝利の象徴であり、彼が手を下すという動作一つが、全軍への最も残酷な殺戮の許可を意味していた。

「……蹂躙せよ」

ルーファスのその静かな呟きは、風の魔法に乗せられ、十万の帝国兵すべての耳元へと届けられた。

「ウォォォォォォォォォォォォッ!!」

大地を揺るがす、十万の獣の咆哮。

先陣を切ったのは、炎の宰相レオン・バルバトスが指揮する精鋭の魔導砲兵団であった。彼らが構える数百門の重魔導砲から、空気をプラズマ化させるほどの超高熱の圧縮火炎が一斉に放たれる。

さらに上空からは、数千匹の軍用飛竜に騎乗した竜騎士たちが急降下し、大雨のような黒魔法の爆撃を王国軍の陣地へと降らせ始めた。炎と闇の奔流が、空間を歪ませながら東の空へと殺到する。

それに対する東の陣営、ルミナス王国軍の最前線。

純白の天馬が牽く豪奢な神輿の上で、聖王女エリアーナ・ルミナスが両手を胸の前で強く組み、目を閉じて深く祈りを捧げていた。

かつては賢者たちに強いられていた形だけの祈りではない。愛する民を守り、真の自由を勝ち取るための、彼女自身の魂の底からの真実の祈りであった。

「大いなる光よ。我が愛する民を、悪しき炎から守り給え……!」

エリアーナの祈りに呼応し、王国軍十万の兵士たちの足元に巨大な黄金の魔法陣が展開された。

空を覆い尽くさんばかりに迫り来る帝国の圧縮火炎と黒魔法の爆撃に対し、王国の誇る絶対の防壁魔法、大結界アイギス・ルミナが戦場全体を覆うように発動する。

ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!

帝国の放った数千度の炎の波濤が、王国の黄金の結界に激突した。

その瞬間、天地が反転したかのような錯覚に陥るほどの爆音と、網膜を焼き尽くすほどの強烈な閃光が中立地帯全土を包み込んだ。

二つの魔法が衝突した境界線の地表は、あまりのエネルギーの反発によって岩盤がドロドロに融解し、巨大なガラスの湖へと変貌していく。衝撃波が嵐となって吹き荒れ、後方にいる兵士たちですら立っているのがやっとという地獄の様相を呈していた。

「結界を維持しろ! 癒やしの部隊は前衛の魔力回復に全力を注げ! 決して崩されるな!」

神輿の傍らで、若き賢者ルカ・エヴァンズが全軍に的確な指示を飛ばす。

彼の指揮のもと、王国軍は一糸乱れぬ動きで陣形を整え、反撃の詠唱を開始する。上空へ向けて、数万の白魔法による光の矢が一斉に射出され、空を覆っていた帝国の飛竜たちを次々と撃ち落としていく。

悲鳴を上げて墜落する飛竜の巨体が、帝国の前衛部隊の上に降り注ぎ、凄惨な爆発を引き起こした。

魔法と魔法の遠距離戦は、互角。

しかし、このまま膠着状態が続くことを、帝国の戦士たちが許すはずがなかった。

「退け! まどろっこしい魔法の撃ち合いなどしている暇はねえ! 俺が道を切り開く!」

帝国軍の前衛を無理やり押し退け、赤黒い魔力回路を極限まで発光させた巨大な漆黒の装甲兵が、最前線へと躍り出た。

黒騎士、ヴォルフ・シュナイダー。

彼の進化したPM-ギアの右腕、巨大な竜の顎のようなファフニールの銃口から、次元すら歪めるほどの尋常ではない密度の破壊エネルギーが収束していく。

「消し飛べ、白豚どもォォォッ!」

ヴォルフの放った極大の魔導砲撃は、一直線に王国の黄金の結界へと突き刺さった。

エリアーナの祈りによって強化された絶対防壁に、ミリミリと不吉な亀裂が走る。防壁を維持していた王国の魔導師たちが、あまりの魔力負荷に次々と血を吐いて倒れ伏していく。

「させません!」

防壁が崩れ去る寸前。

王国軍の最前線から、天使の羽衣のような光のスタビライザーを展開した白銀の流星が飛び出した。

聖騎士、シオン・ミカゲである。

彼女の進化したPM-ギアは、ヴォルフの放った極大の破壊エネルギーの側面に、光速の跳躍で接近。右手に握られた黄金の閃光騎槍ロンギヌスを、防壁に突き刺さる寸前のファフニールの閃光の軌道へと、下から上へと思い切り弾き上げた。

ギィィィィィィィィィィンッ!!

世界が引き裂かれるような金属と魔力の摩擦音が響き渡る。

シオンの渾身の一撃によって軌道を僅かに逸らされたヴォルフの砲撃は、王国の軍勢の頭上をかすめ、遥か後方の岩山を丸ごと一つ消し飛ばした。

「チッ! 出しゃばりやがって、地球の優等生が!」

「これ以上、王国の民を傷つけさせはしません!」

通信機を介することなく、互いの装甲が放つ圧倒的な殺気と決意が戦場で激突する。

この両軍の最高戦力であるヴォルフとシオンの接触を合図に、魔法の撃ち合いを続けていた十万対十万の軍勢が、ついに物理的な距離をゼロにして真っ向から衝突した。

それは、言葉では到底表現しきれない、阿鼻叫喚の血みどろの地獄絵図であった。

帝国の重装甲歩兵が、黒魔法を付与された巨大な戦斧を振り回し、王国の聖騎士たちの盾を腕ごと叩き割る。

王国の槍兵が、白魔法の光を纏わせた長槍で、帝国の獣人兵たちの心臓を的確に貫き通す。

治癒魔法の詠唱をしていた王国の少女兵の頭上に、帝国のゴーレムの巨大な拳が振り下ろされ、一瞬にして肉の塊へと変わる。

そのゴーレムの関節を、王国軍の光の魔法が容赦なく切断し、中枢回路を破壊する。

怒号、悲鳴、刃が肉を断つ音、骨が砕ける音、そして爆発音。

すべての音が入り混じり、戦場は完全なカオスへと陥っていた。

大地は瞬く間に両軍の兵士たちの血で赤く染まり、踏みしめられた泥は、内臓と血肉が混ざり合ったおぞましい沼へと変貌していく。

誰が味方で、誰が敵かもわからないほどの乱戦。顔に仲間の血を浴びながら、ただ目の前の動くものを殺すという生存本能だけが、二十万の人間を突き動かしていた。

皇帝ルーファスは自ら前線に降り立ち、指先一つで王国の精鋭部隊を数十人まとめて腐敗させていく。

対するルカも、エリアーナの神輿を守りながら、高度な結界魔法と空間転移を駆使して、帝国の猛攻を冷徹に凌ぎ切る。

戦場は、完全な互角。泥沼の総力戦であった。

そして。

その歴史的な大殺戮が行われている大戦場の、まさに中心。

血の海と化した大地に穿たれた、巨大なクレーターの底に、その男たちはいた。

「ハァーッハッハッハッハ! 素晴らしい! 素晴らしいぞ!」

クレーターの中央に構築された簡易要塞の防弾ガラスの中で、東郷創一は外の地獄絵図を一瞥することもなく、キーボードを狂ったような速度で叩き続けていた。

彼の視線の先にあるモニターには、大地の魔力脈から汲み上げられたエネルギーの数値が、限界を突破して跳ね上がっていく様が表示されている。

「見ろ、ジン! 上で殺し合っている二十万の兵士たちが放つ莫大な魔力と、彼らが死にゆく際に放出される強烈な生命エネルギーが、このクレーターの底へと滝のように流れ込んできている! この戦場そのものが、ゲートを開くための巨大な生贄の儀式として機能しているのだ!」

東郷の言う通り、戦場で兵士たちが魔法を使うたび、そして命を落とすたびに、空中に散華した魔力と魂の欠片が、クレーターの中心に立つ巨大な次元観測機の光柱へと吸い込まれていった。

彼らの流す血と涙が、世界を崩壊させるためのエネルギーとして貪欲に吸収されていく。

「システム、最終ロック解除。次元座標、地球……日本、東京。空間断層の突破シークエンス、開始イグニッション!」

東郷が、コンソールの中央にある赤いスイッチを、歓喜と共に叩き込んだ。

ゴォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!!

その瞬間、世界中のすべての音が消え去ったかのような、圧倒的な静寂と、それに続く次元の鳴動が響き渡った。

クレーターの底から立ち昇っていた青白い光柱が、突如としてその体積を数百倍に膨張させ、天を覆っていた暗雲と黄金の極光を強引に引き裂いて、遥か宇宙の果てまで届くほどの巨大な光のトンネルへと変貌したのだ。

激しく殺し合っていた帝国軍と王国軍の兵士たちが、そのあまりにも人知を超えた神々しくも恐ろしい光景に、思わず武器を下ろして天を仰いだ。

空間そのものがガラスのようにひび割れ、未知の世界の風景が、蜃気楼のように空の向こう側に映し出され始めている。

高層ビル群、アスファルトの道路、そして、見慣れぬ鉄の乗り物。

それは紛れもなく、ジン・クロサワの故郷である、地球の風景であった。

ゲートの起動シークエンスが、ついにはじまったのである。

その巨大な光の柱の根元。

クレーターの底の、要塞の外に立つ男の姿があった。

天使の光輪と、悪魔の漆黒の外殻。相反する二つの力を完全に融合させた異形の装甲を纏ったジン・クロサワである。

ゲートが完全に安定し、人が通れるようになるまでには、まだ少しの時間がかかる。

そして、この異常な光柱の出現を見た二大国家の軍勢が、これを見過ごすはずがない。彼らは必ず、このクレーターの底へと雪崩れ込んでくる。

次元の扉という、神の領域の力を奪い取るために。

ジンは右手に握った白青い次元断層の太刀を、血塗られた大地へと静かに突き立てた。

装着者と完全に同調したPM-ギアの装甲から、周囲の空気を凍てつかせるほどの絶対的な殺気と、極寒の魔力が全方位に向かって放たれる。

「……ここから先は、一歩も通さない」

彼には、帝国を滅ぼす理由も、王国を救う理由もない。

ただ、あの空の向こう側に映る世界へ帰り、愛する家族を抱きしめる。

そのただ一つの目的のためだけに、彼はこの狂った異世界の二十万の軍勢すべてを敵に回し、立ちはだかる決意を固めていた。

血の海と化した戦場の中心で、光の柱が天を貫く。

次元の壁が崩壊の産声を上げる中、悪魔の装甲を纏った孤独な帰還者は、迫り来る二十万の殺意に向かって、静かにその刃を構え直した。

全面戦争の行方は、すべてこの地獄の中心に立つ一人の男の手に委ねられようとしていた。

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