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第53話:聖なる誓いと白銀の進化

ルミナス王国の王都は、夜空に浮かぶ月の光を反射し、街全体が淡い真珠色に輝いているかのような錯覚を抱かせる。

空を突くような純白の尖塔群、精緻な彫刻が施された大理石の建築物、そして街の随所を流れる清らかな水路。どこまでも美しく、静謐で、狂おしいほどに秩序だったこの街は、西のガルディア帝国が放つ血と鉄の匂いとは対極にある、神聖なる平穏の象徴であった。

しかし、その美しすぎる平穏が、人々の自由な意志を奪い、盲目的な信仰と洗脳の上に成り立っている仮初めの箱庭であることを、今のシオン・ミカゲは痛いほどに理解していた。

王都の中心部から少し離れた、緑豊かな高台に建つ瀟洒な邸宅。

八賢者の一人、ルカ・エヴァンズの私邸の奥深くにある天蓋付きのベッドで、シオンは静かに目を覚ました。

ジン・クロサワとの死闘で全身の骨が悲鳴を上げ、魔力も生命力も枯渇しきっていた彼女であったが、ルカが手配した最高位の治癒魔法と霊薬によって、肉体の傷はすでに完治していた。

シオンはゆっくりと身を起こし、バルコニーから差し込む月明かりに照らされた部屋の片隅を見つめた。

そこには、彼女と共に死線を潜り抜けてきた純白のPM-ギアが、専用のスタンドに固定され、静かな呼吸を繰り返すように淡い光を放っていた。

それは、ジンとの戦闘前とは明らかに異なる姿へと変貌を遂げていた。

かつては地球の科学技術の結晶たる無機質な装甲であったが、今はエルドラの聖なる大地の魔力脈と深く結びつき、独自の進化を果たしている。

装甲の表面は、まるで天使の羽を思わせるような流線型の白銀の結晶体へと再構築され、継ぎ目のない滑らかなシルエットを描いている。内部を流れる魔力回路は、装着者であるシオンの純粋な祈りと精神波に呼応して、黄金色の微光を脈打たせていた。

それはもはや単なる兵器ではない。異世界の白魔法と、装着者の魂が完全に同調したことで生み出された、神聖なる武具。絶対的な防御力と、一切の空気抵抗を無にする神速の機動力を兼ね備えた、白銀の芸術品であった。

「……こんなに美しく進化しても、私は……」

シオンはベッドから滑り降り、裸足のまま冷たい床を歩いて、進化したPM-ギアの表面にそっと触れた。

装甲は主の手に心地よい温もりを返し、かすかな駆動音を立てる。

だが、シオンの瞳には深い哀しみと迷いが満ちていた。

私が信じていた正義は、ただの嘘だった。

賢者たちは、平和という名目で人々の心を殺そうとしている。私はそのために、あの虚ろな目をした民衆を盾にして戦っていた。

ジン隊長は、たった一人でその狂った世界を敵に回して、自分の愛する家族のために血を流し続けていたというのに。私は、何のためにこの力を振るえばいいのだろう。

シオンの瞳から、ポロリと涙がこぼれ落ち、白銀の装甲を濡らした。

「傷の具合はどうだい、シオン」

静かなノックの音と共に、部屋の扉が開かれた。

銀色の髪を月明かりに輝かせ、穏やかな微笑みを浮かべた若き賢者、ルカ・エヴァンズが、温かいハーブティーの入ったトレイを手に入室してきた。

「ルカ様……」

シオンは慌てて涙を拭い、居住まいを正そうとした。

「そのままでいい。君はまだ、心も体も休める必要がある」

ルカはトレイをテーブルに置き、シオンの側に歩み寄って、彼女の華奢な肩にそっと自らの上着をかけた。

「カシウスやアルベールの手出しは完全に封じてある。彼らは君を失敗作として処分しようとしていたが、私の権限と、エリアーナ殿下の御名において、この邸宅は完全な不可侵領域となっている。安心していい」

「ありがとうございます。……でも、私はルカ様に庇っていただくような価値のある人間ではありません」

シオンは俯き、自嘲するように弱々しい声を漏らした。

「私は、ただの愚かな操り人形でした。正義の味方になったつもりで、王国の一番残酷な部分から目を背けていた。ジン隊長にも届かなかった。……今の私には、この装甲を着る資格も、聖騎士を名乗る資格もありません」

シオンの震える肩を、ルカの大きく温かい手が優しく包み込んだ。

「君は、操り人形なんかじゃない。誰よりも優しく、誰よりも人々の痛みに寄り添える、気高き戦士だ」

ルカの声は、どこまでも甘く、そして深くシオンの心に染み渡っていった。

「アルベールたちの狂った計画を知り、それに絶望して涙を流せる君のその心こそが、私がこの国に最も必要だと信じているものなんだ」

ルカはシオンの前に片膝をつき、彼女の目線に合わせてその両手をそっと握りしめた。

「私は、八賢者の一人として、この国の腐敗を内側から変えようと孤独に戦ってきた。規則と洗脳で縛られた平和など、ただの墓場だ。だが、私一人の力ではどうすることもできず、もどかしい日々を送っていた。……そこに、君が現れたんだ」

シオンは息を呑み、ルカの真剣なエメラルドグリーンの瞳を見つめ返した。

「異世界から来た君が、必死に誰かを守ろうと剣を振るう姿を見て、私は救われた。君のその不器用で真っ直ぐな魂に、私はどうしようもなく惹かれていったんだ。……私は、聖騎士としての君の力が必要だから庇っているわけじゃない」

ルカはシオンの手の甲に、羽のように軽い、しかし熱を帯びた口付けを落とした。

「一人の男性として、シオン・ミカゲという一人の女性を愛している。君の悲しみも、迷いも、すべて私が受け止める。だから、もう自分を責めないでくれ」

その真っ直ぐな真実の愛の告白に、シオンの胸の奥で凍りついていた何かが、音を立てて溶け出していくのを感じた。

地球にいた頃から、戦うことしか知らなかった。弱音を吐くことは許されず、常に完璧なエースでいなければならないと自分を追い込み続けてきた。

そんな彼女の心の脆さを、ルカはすべて見透かし、その上で、丸ごと愛すると言ってくれたのだ。

「ルカ、様……っ」

シオンの瞳から、今度は止めどない温かい涙が溢れ出した。

彼女は堪えきれずにルカの胸に飛び込み、その背中に腕を回して声を上げて泣いた。ルカは愛おしそうに彼女の銀色の髪を撫で、何度も何度も、優しい言葉を囁き続けた。

冷たい月明かりの部屋が、二人の間にある確かな絆と、ロマンチックな温もりによって満たされていく。偽りの大義ではない。二人が共に見つけた、たった一つの真実の愛が、そこにはあった。

しばらくして、シオンが落ち着きを取り戻し、少し照れくさそうにルカの胸から顔を離した時である。

「……美しい絆ですね。羨ましいほどに」

部屋の奥、重厚な本棚の一部が音もなくスライドし、隠し通路から一人の女性が静かに姿を現した。

深いフードを目深に被っていたが、それをゆっくりと外すと、月光よりも神々しく、そしてどこか儚げな美しさを持った金糸の髪が零れ落ちた。

ルミナス王国の象徴であり、神の代行者とされる絶対的存在。

聖王女、エリアーナ・ルミナスその人であった。

「エリアーナ殿下! どうしてこのような夜更けにお一人で……」

シオンは驚き、即座にその場に膝をつこうとしたが、エリアーナは優しく微笑んでそれを制した。

「よいのです、シオン。今は王宮の堅苦しい礼儀は抜きにしましょう。ルカには、私から無理を言って手引きしてもらったのです」

エリアーナはシオンの側に歩み寄り、その進化した白銀のPM-ギアを感慨深げに見つめた。

「素晴らしい進化ですね。あなたの持つ純粋な祈りが、我が国の魔力脈と完全に調和しているのがわかります。……シオン、あなたには辛い思いをさせました。アルベールたちの非道な行いを止められなかった私の無力を、どうか許してください」

聖王女が頭を下げるというあり得ない光景に、シオンは慌てて首を振った。

「と、とんでもありません! 殿下が謝られることでは……」

「いいえ。私はこの国の頂点にいながら、賢者たちの作り上げた鳥籠の中で、ただ彼らの都合の良い神託を読み上げるだけの飾り物でした。民の心が洗脳の魔法で縛り付けられているのを知りながら、恐怖に負け、目を背け続けてきた愚かな傀儡です」

エリアーナの美しい瞳に、悲壮な決意の色が浮かび上がる。

「ですが、西の国境に帝国軍の十万の兵が迫り、この世界が未曾有の危機に直面している今、いつまでも鳥籠の中で泣いているわけにはいかないのです」

エリアーナはルカと視線を交わし、そしてシオンに向かって真っ直ぐに向き直った。

「ジン・クロサワという特異点が現れ、賢者たちの意識が外に向いている今この瞬間しか、好機はありません。……シオン、ルカ。あなた方二人に、聖王女としての私の真の意志を伝えます」

部屋の空気が、ピンと張り詰めた。

「これより、我がルミナス王国を裏から操り、民の心を縛り付ける腐敗した賢者たちをすべて排除します。偽りの秩序を破壊し、民に真の自由を取り戻すための内部クーデター。……名付けて、王国清浄化作戦」

それは、建国以来続く王国の体制そのものを根本から覆す、反逆の宣戦布告であった。

失敗すれば、エリアーナも、ルカも、そしてシオンも、異端者として火あぶりにされることは免れない。

しかし、エリアーナの顔に恐怖はなかった。自らの手を血で汚してでも、愛する民を解放するという、為政者としての悲しくも気高い覚悟がそこにはあった。

「シオン。あなたのその白銀の力、私に貸してはくれませんか? 王国のためでも、賢者のためでもない。あなた自身が信じる、本当の正義のために」

エリアーナの言葉に、シオンは迷うことなく立ち上がった。

彼女の視線の先には、自分を信じ、愛してくれたルカの優しい笑顔がある。そして傍らには、自分の心と完全に同調し、力を与えてくれる白銀の装甲がある。

もう、迷いはなかった。誰かに与えられた正義の台本は、もう必要ない。

愛する人と共に、この狂った世界を変える。それこそが、彼女がエルドラの地で見つけた、真の戦う理由であった。

「……私のすべては、ルカ様と、殿下の御心と共にあります」

シオンは右手を胸に当て、騎士としての最も美しい礼をとった。

「この進化した装甲に誓って。立ち塞がるすべての暗闇を、私が切り裂いてみせます」

偽りの平和に沈む王都の夜に、三つの気高き魂が静かに結集した。

愛と自由を取り戻すための、白銀の反逆劇が、今まさに幕を開けようとしていた。

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