第52話:粛清の炎と真なる魔導砲
帝都から遠く離れた、ガルディア帝国東部に広がる肥沃な大平原。その中央にそびえ立つ巨大で豪奢な城塞こそが、帝国の建国以来、長きにわたって特権と富を独占し続けてきた旧貴族派の筆頭、ゲオルグ・マクシミリアン公爵の居城である。
分厚い城壁と幾重にも張り巡らされた防衛用の黒魔法陣に守られた城の最上階。大理石で造られた絢爛豪華な大広間では、今宵も旧貴族たちによる秘密の宴が開かれていた。
シャンデリアの眩い光の下、最高級のワインと希少な魔獣の肉が並べられた大テーブルを囲み、絹のローブを纏った貴族たちが醜悪な笑い声を響かせている。彼らの話題は常に一つ。いかにして実力主義を掲げる若き簒奪者、皇帝ルーファスを玉座から引きずり下ろすかであった。
「ルーファスめ、先代を討ち取ったまでは運が良かったようだが、政治というものを全く理解しておらん。血統を持たぬ泥のような平民どもを重用し、あろうことか魔力すら持たぬ異邦の野蛮人を特務親衛隊に引き入れるとは。我がガルディアの誇り高き歴史を汚す暴挙だ」
上座に座るゲオルグ公爵が、血のように赤いワインを揺らしながら忌々しげに吐き捨てた。
「その通りです、公爵閣下」と、取り巻きの貴族たちが一斉に同調する。
「異世界から来たというあの鉄の鎧を着た男。ヴォルフとか申しましたか。先のルミナス王国との小競り合いで、かつての仲間に敗れ無様に逃げ帰ってきたと聞いております。しょせんは魔力を持たぬ紛い物。帝国の武を預かる器ではありません」
ゲオルグは満足げに頷き、そして大広間の片隅で静かに壁に背を預けている一人の若き魔導師へと視線を向けた。
漆黒の軍服を隙なく着こなしたその男は、特務親衛隊隊長セス・オズワルドである。スラム街の出身でありながら、その並外れた黒魔法の才能と野心によって異例の出世を遂げた男。本来であれば、血統を重んじる旧貴族たちにとって最も忌み嫌うべき対象のはずであった。
「どうかな、セス隊長。君もそうは思わないか?」
ゲオルグは、わざとらしく親しげな笑みを浮かべてセスに語りかけた。
「君のような真の力を持った若き英傑が、どこの馬の骨とも知れぬ異邦人の下につけられ、正当な評価を受けていない現状を、私は非常に心苦しく思っている。ルーファスは君の才能を恐れているのだ。どうだろう、我が旧貴族軍に加わらぬか。我々が帝都を制圧し、正しき秩序を取り戻した暁には、君を帝国軍の最高司令官として迎える用意がある」
セスは表情を変えることなく、手元のグラスを見つめていた。
ゲオルグの言葉が甘い毒であり、自分を単なる使い捨ての駒としてしか見ていないことなど、スラムで生き抜いてきた彼には痛いほどわかっていた。しかし同時に、ルーファスが突如として現れたヴォルフ・シュナイダーを重用し、自分を日陰に追いやったことに対する激しい嫉妬と憎悪の炎が、セスの心を黒く焦がし続けていたのも事実である。
(この豚どもを利用してルーファスを失脚させ、あのヴォルフという目障りな男を排除する。その後で、このゲオルグも暗殺して私がすべてを掌握すればいい)
セスは内心で冷酷な計算を巡らせながら、恭しく一礼した。
「公爵閣下の温かいお言葉、光栄の至りに存じます。私兵軍団二万、そしてこの城塞に敷かれた大魔導陣があれば、帝都の防衛線を内側から崩すことも容易いでしょう。私の特務親衛隊の一部も、喜んで閣下のために動きましょう」
「素晴らしい! さすがは話がわかる男だ!」
ゲオルグは高らかに笑い声を上げ、グラスを掲げた。
「さあ、諸君! 愚かなる偽りの皇帝と、その犬どもに死を! 我ら誇り高き血統に永遠の栄光を!」
貴族たちが一斉に歓声を上げ、ワイングラスを打ち鳴らそうとした、まさにその瞬間であった。
ズドォォォォォォォォォォォンッ!!!
鼓膜を突き破るような爆音と共に、城塞の強固な大広間の扉が、巨大な熱量によって跡形もなく吹き飛ばされた。
吹き荒れる熱風と瓦礫の破片が広間を直撃し、数名の貴族が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。最高級の料理が並んでいたテーブルは一瞬にして炭化し、シャンデリアが落下して粉々に砕け散った。
「な、なんだ!? 何事だ!」
ゲオルグがワインをこぼしながら立ち上がる。
濛々と立ち込める黒煙と炎の向こう側から、コツ、コツという優雅な足音と、ズシン、ズシンという地響きのような重い機械音が、不規則な和音を奏でながら近づいてくる。
「宴の最中に失礼するよ、薄汚い豚ども。それと、迷子のネズミが一匹」
煙を切り裂いて現れたのは、真紅のローブを纏った炎の宰相、レオン・バルバトスであった。
彼の指先には、周囲の酸素を喰らって不気味に揺らめく、高密度の圧縮火炎が弄ばれている。そして、そのレオンの背後から、天井スレスレの巨体を揺るがして姿を現した存在に、大広間の全員が息を呑んだ。
それは、深い漆黒と、血のように赤黒い魔力回路が複雑に絡み合った、悪魔のような重装甲兵。
かつての無機質な軍用兵器の面影は完全に消失していた。装甲の表面は異世界の魔力脈を吸収して自己進化を遂げ、まるで生きた怪物の外殻のように脈動している。関節部からは高熱の蒸気が噴き出し、頭部のバイザーの奥では、飢えた猛獣のような凶悪な真紅の光が爛々と輝いていた。
伝説の黒騎士、ヴォルフ・シュナイダー。
彼の纏う進化したPM-ギアが放つ、空間そのものを押し潰すような圧倒的な殺気と魔力のプレッシャーに、旧貴族たちは恐怖で顔を引き攣らせ、後ずさりをした。
「レ、レオン・バルバトス! なぜお前がここにいる! ここは私の領地だぞ!」
ゲオルグが震える指でレオンを指差し、叫ぶ。
「皇帝陛下の勅命だ、ゲオルグ。帝国内の害虫を駆除しに来た。お前たちの反逆計画など、とうの昔に筒抜けだったということだ」
レオンは優雅に微笑みながら、広間の隅で立ち尽くしているセスへと視線を向けた。
「おや、特務親衛隊のセス隊長。お前もこんなところで害虫どもと仲良く宴会とはな。ルーファス陛下の飼い犬も、随分と安く寝返ったものだ」
セスは舌打ちをし、即座に脳内で状況を弾き出した。
二万の私兵がいようと関係ない。この場にレオンとヴォルフという、帝国の最高戦力が二人がかりで直接乗り込んできた時点で、ゲオルグの計画は完全に破綻したのだ。
セスは瞬時に冷徹な判断を下し、ゲオルグの側近の胸を背後から黒魔法の短剣で貫いた。
「勘違いされては困りますね、レオン殿」
セスは血濡れた手を拭いながら、平然とした顔でレオンの側へと歩み寄った。
「私は陛下より、この愚か者どもの反逆の証拠を掴むため、密かに潜入捜査を命じられていたのです。さあ、共に帝国の敵を排除いたしましょう」
あまりにも見え透いた嘘と寝返り。
ゲオルグは目を見開き、「き、貴様ぁッ! 騙したな!」と絶叫した。
「ククッ……ハハハハハハ!」
そのセスの浅ましい保身を見て、ヴォルフが装甲の奥から地響きのような大爆笑を漏らした。
「おいおい、スラム出身の成り上がりにしては、ずいぶんと安いプライドだな! まるで尻尾を巻いて逃げる負け犬そっくりだぜ。まあいい、お前みたいな小悪党は後回しだ」
ヴォルフは一歩前に踏み出し、重厚な装甲を軋ませながらゲオルグたちを見下ろした。
「さあ、血筋しか自慢できないヒョロガリども。戦争の時間だ。お前らが自慢する二万の私兵とやらも、今頃は外で俺の部下たちに切り刻まれてる頃だろうが、ここで無様に命乞いをするか? それとも、少しは抵抗して俺を楽しませてくれるか?」
「おのれ……野蛮人どもめ! 私を誰だと思っている! ガルディアの正統なる血を受け継ぐマクシミリアン家の当主だぞ!」
ゲオルグは怒りと恐怖で顔を真っ赤に染め、大広間の奥にある緊急退避用の隠し通路へと転がり込みながら叫んだ。
「魔導兵団! 奴らを殺せ! 一対の肉片も残すな!」
主の命令に従い、大広間に潜んでいた数十名の精鋭魔導師たちが一斉に姿を現し、高位の黒魔法陣を展開した。
空間を切り裂く不可視の真空刃、触れるものを腐敗させる猛毒の沼、そして絶対零度の吹雪。普通の軍隊であれば一瞬で全滅するであろう必殺の魔法の波が、レオンとヴォルフに向けて放たれる。
「チッ、目障りな花火だ」
レオンが指を鳴らした。
詠唱など必要ない。ただ一動作。それだけで、レオンの周囲に展開された莫大な魔力が、広間の酸素をすべて燃焼させるほどの絶対的な炎の防壁となって顕現した。
放たれた高位魔法はすべて、レオンの展開した紅蓮の炎に触れた瞬間に蒸発し、かき消されていく。
「お前たちの魔法は、あまりにも行儀が良すぎる。温室で育った貴族のお坊ちゃんらしい、実戦を知らないただのお遊戯だ」
レオンは冷酷に宣告し、掌を前に突き出した。
「これが、本当の炎だ」
紅蓮の波濤が、大広間を飲み込んだ。
悲鳴を上げる間もなかった。数十名の精鋭魔導師たちは、レオンの放った数千度の高熱の前に、骨すら残さず一瞬にして灰へと変わった。
床の大理石がドロドロに溶け出し、壁の装飾が次々と燃え上がっていく。
「さて、ネズミが城の地下へ逃げ込んだようだな」
レオンは灰の舞う広間を見渡し、隣のヴォルフに声をかけた。
「追うぞ、ヴォルフ。この城塞ごと、反逆の芽を完全に焼き尽くす」
「言われるまでもねえ」
二人は燃え盛る城の奥へと歩を進めた。
その背後で、セスは圧倒的な力の差を見せつけられ、ギリッと唇を噛みしめることしかできなかった。彼がどれほど知略を巡らせようと、この二人の絶対的な暴力の前では、すべてが児戯に等しかったのだ。
城塞の地下深く、巨大な空間に広がる魔力炉の中心で、ゲオルグ公爵は絶望の淵に立たされていた。
外周を守っていた二万の私兵は、特務親衛隊の急襲によってすでに壊滅状態にあり、頼みの綱であった精鋭魔導師たちもレオンの炎によって瞬殺された。
残されたのは、この城塞の地下に隠された、旧貴族たちの最終兵器のみである。
「起動しろ! 何人死のうが構わん! 奴らをこの領地ごと消し飛ばすのだ!」
ゲオルグの狂乱の命令により、地下空間に控えていた数百人の魔導師たちが、自らの生命力を削りながら巨大な黒魔法陣へと魔力を注ぎ込み始めた。
床に描かれた直径百メートルに及ぶ魔法陣から、おぞましい瘴気が立ち昇る。
それは、数千人の命を触媒にして発動する禁忌の大魔術『深淵の暴食』。空間そのものを削り取り、ブラックホールのようにすべてを吸い込んで圧壊させる、絶対破壊の魔法陣であった。
ズズズズズ……と、地下空間の天井が崩落し、漆黒の球体が徐々にその姿を現し始める。
その圧倒的な重力波によって、城塞の基礎が軋みを上げ、崩壊を始めていた。
そこへ、悠然と足音を響かせてヴォルフとレオンが姿を現した。
「ほう。これはなかなか見事な術式だ。数千の命をすり潰してこれほどの質量兵器を造り出すとは。旧貴族どもも、狂気という点においてだけは少しは評価してやってもいいかもしれないな」
レオンは頭上で膨張を続ける漆黒の球体を見上げ、感心したように呟いた。
「レオン、手出しはするな」
ヴォルフは、地響きを立てながら一歩前に出た。
進化したPM-ギアの全身から、高熱の蒸気が吹き出し、赤黒い魔力回路が限界を超えて発光を始める。
「新しい体の試運転には、ちょうどいい的だ。あの薄汚い黒玉ごと、俺が全部吹き飛ばしてやる」
「好きにしろ。だが、あまり派手にやりすぎて私まで巻き込むなよ」
レオンは肩をすくめ、後方へと少しだけ距離を取った。
ヴォルフは両足を肩幅に開き、重心を深く沈み込ませた。
装着者であるヴォルフの闘争心と、エルドラの大地の魔力脈が、PM-ギアを通じて完全にリンクする。
かつては背中に背負っていた無骨な重魔導砲。しかし今は違う。装甲の右腕全体が、無数の粒子金属の増殖によって、巨大な機械の竜の顎のような禍々しい形状へと変貌していく。
それは単なる物理的な砲身ではない。地球の科学が導き出した極限のエネルギー圧縮技術と、異世界の黒魔法が持つ破壊の概念が、完全に一つの兵器として融合した姿であった。
竜の顎の奥深くで、赤黒い魔力の粒子が恐るべき密度で収束し、周囲の空間が陽炎のように歪み始める。
「な、なんだあの化け物は……!」
ゲオルグは、ヴォルフの右腕から放たれる次元の違うエネルギーの奔流を前に、腰を抜かしてへたり込んだ。
ヴォルフの口元に、凶悪な笑みが浮かぶ。
全身の筋肉が軋みを上げ、進化した装甲が、装着者の絶大な殺意に応えて雄叫びを上げる。
「システム同調……ジェネレーター直結。魔力圧縮率、限界突破」
ヴォルフの低い、地鳴りのような声が地下空間に響き渡る。
竜の顎の奥で圧縮されたエネルギーが、臨界点を超え、真っ白な光へと変貌していく。
ゲオルグたちが展開した『深淵の暴食』の重力波すらも、ファフニールの放つ圧倒的なエネルギーの引力に吸い寄せられ、その形を維持できずに崩壊を始めている。
「灰燼に帰せ、ファフニール……すべてを吹き飛ばす!」
咆哮と共に、ヴォルフは右腕を真っ直ぐに突き出した。
ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
放たれたのは、光でも、炎でもなかった。
それは、純粋な「破壊」という概念そのものが、極太の奔流となって顕現したものであった。
赤黒い閃光が、巨大な竜の顎から解き放たれ、地下空間の空気を一瞬にしてプラズマ化させる。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃッ!」
ゲオルグの絶叫は、轟音にかき消されることすらなく、その存在ごと光の中に消滅した。
ファフニールの閃光は、数百人の魔導師たちを塵一つ残さず蒸発させ、彼らの切り札であった漆黒の球体『深淵の暴食』を、まるで飴細工のように容易く貫き、粉砕した。
それだけではない。
圧倒的なエネルギーの奔流は、地下空間の天井を吹き飛ばし、ゲオルグの巨大な城塞そのものを内側から爆散させ、さらにその後方にある小高い山を丸ごと一つ、文字通り「消し飛ばして」しまったのである。
地響きが止み、爆煙が風に流されていく。
かつて帝国の歴史を誇った旧貴族の壮麗な城塞は、もはや影も形もなかった。
そこにあるのは、ガラス状に融解した巨大なクレーターと、どこまでも続く赤茶けた荒野だけである。
「……ハッ。少し出力が高すぎたか。これじゃあ、骨も残らねえな」
ヴォルフは、右腕から立ち上る白煙を払いながら、満足げに鼻を鳴らした。
彼の進化したPM-ギアは、これほどの絶大なエネルギーを放出したにもかかわらず、一切の損傷を見せていない。魔力脈からのエネルギー還元によって、瞬時に自己冷却と最適化を完了させていた。
「やりすぎだ、馬鹿者が。皇帝陛下からは財産の没収も命じられていたのだぞ。これでは金貨一枚回収できやしない」
後方から歩いてきたレオンが、呆れたようにため息をつく。しかし、その顔には隠しきれない歓喜の笑みが浮かんでいた。
「金なんかどうでもいいだろうが。邪魔なゴミは全部掃除できたんだ。これで、ルーファスも心置きなく戦争の準備に集中できるはずだ」
ヴォルフは振り返り、遥か西の空、帝都の方向を見据えた。
旧貴族派の筆頭であるゲオルグ公爵の完全なる死と、その私兵軍団の壊滅。
この瞬間、ガルディア帝国内部に存在していた反乱の火種は、文字通り完全に灰燼に帰した。血統や過去の栄光という無意味な幻想にしがみついていた者たちはすべて消え去り、帝国は新皇帝ルーファス・ヴァン・ガルディアのもと、完全な実力主義という一つの巨大な意志に統一されたのである。
最強の皇帝、すべてを燃やし尽くす宰相、そして次元を超えた破壊の力をもたらす黒騎士。
かつてないほど強固な一枚岩となったガルディア帝国は、大地の魔力脈を独占し、世界をその手中に収めるため、ルミナス王国との最終決戦へと向けて、その凶悪な牙を完全に研ぎ澄ませた。
「待っていろよ、ジン……次こそが、本当の殺し合いだ」
ヴォルフの低く獰猛な声が、熱を帯びた荒野の風に溶けていった。




