第49話:交差する閃光
光の迷宮の中心、純白の円形広間は、嵐の前の完全な静寂に包まれていた。
周囲を取り囲む無機質な結晶の壁は、先ほどまでの激しい戦闘の余波で無数にひび割れ、砕け散った破片が床に散乱している。天井からは冷たい人工的な光が降り注ぎ、赤黒い血だまりを不気味に照らし出していた。
その死の闘技場の中央で、対極の二つの魂が最後の交錯を迎えようとしている。
シオン・ミカゲの纏う純白のPM-ギアから放たれる光は、もはや人間の眼球では直視できないほどの神々しさと密度を帯びていた。
彼女の足元から円を描くようにして、エルドラの聖魔力が渦を巻き、強力な上昇気流となって広間の空気を激しくかき混ぜる。大気中の塵さえもが魔力の熱で蒸発し、オゾンのような焦げた匂いが充満していく。
彼女の右手に握られた閃光騎槍ロンギヌスは、その刃の先端に空間そのものを歪めるほどの絶対的なエネルギーを圧縮させていた。光の穂先が微かに揺れるだけで、空間がチリチリと悲鳴を上げている。
もはや、そこに迷いはなかった。
己の信じた正義が賢者たちの用意した残酷な偽りであったと知ってもなお、彼女は一人の戦士としての矜持を胸に、かつて最も尊敬した男を止めることを選んだ。その純粋すぎる覚悟と哀しみが、彼女の肉体と精神を、PM-ギアの限界を超えた未知の領域へと押し上げていた。
「システム、リミッター最終解除。全魔力、ロンギヌスへ直結」
シオンの凛とした声が、魔力の渦の中で静かに響く。
装甲の各部から排熱の白い蒸気が荒々しく噴き出し、彼女の機体そのものが一つの巨大な光の槍と化していく。地球の科学技術の結晶であるPM-ギアと、異世界の神聖なる白魔法。本来交わるはずのない二つの理が、シオンという類稀なる才能を持ったパイロットの器を通して、完全なる高次元の融合を果たそうとしていた。
対するジン・クロサワは、自らの血で赤黒く染まった床の上に、両足を踏みしめて立っていた。
彼の状態は、誰の目から見ても限界をとうに超えていた。いや、すでに死んでいておかしくない状態であった。
漆黒の装甲は無残にひしゃげ、関節部のモーターは動くたびにガラスを擦り合わせるような不吉なノイズを漏らしている。左脇腹に受けたロンギヌスによる深い裂傷からは絶え間なく血が流れ落ち、インナースーツの下の肉体は激痛によって痙攣を起こしかけている。
システムはすでに危険領域を振り切り、エラーのアラートすら表示する機能を完全に失っていた。バイザーの表示はノイズにまみれ、視界の半分は自らの流血によって赤く染まっている。
最大の懸念は、エネルギーの完全な枯渇であった。
特務親衛隊総司令ヴォルフ・シュナイダーとの死闘で限界までコアを酷使し、さらに異端審問官カシウスの光の鎖によって生命力ごと魔力を根こそぎ奪われた今のジンには、必殺の粒子大太刀ムラサメを顕現させるだけの出力は一ミリも残されていなかった。
圧倒的な質量と熱量、そして速度を誇るロンギヌスの最後の一撃を正面から受け止めれば、シールドはおろか、ジンの肉体ごと原子レベルで消滅させられることは火を見るよりも明らかである。
手元に残されているのは、先ほどの攻防で刀身の半分が砕け散り、高周波の振動すら失ったボロボロのブレード一本のみ。
防御も、回避も、迎撃も不可能な、絶対的な死の状況。
だが、ジンのバイザーの奥の瞳は、極寒の氷のように冷たく、そして恐ろしいほどに澄み切っていた。
絶望という感情は、今の彼には微塵も存在しない。彼の脳内では、残されたコンマ数秒の間に、生き残るための数万通りの戦術シミュレーションが展開され、そして次々と破棄されていく。
視覚情報、センサーの数値、空気の微細な流れ、床に落ちている瓦礫の配置、そしてシオンの呼吸のリズム。
すべてを演算し尽くし、ただ一つの極細の糸のような「生存ルート」を導き出していく。
(槍の最大の強みは、その絶対的なリーチと、一点に収束された圧倒的な貫通力だ)
ジンは浅く血の混じった呼吸をしながら、地球での防衛軍時代の記憶を脳裏に明滅させていた。
防衛軍訓練校の広大な演習場。まだ新兵であり、生真面目すぎるがゆえに実戦で体が強張ってしまっていたシオンに、近接格闘の基本を徹底的に叩き込んだ日のこと。
『いいか、シオン。槍や長剣を相手にする時、距離を取るのは下策だ。武器の長さは、そのまま攻撃の軌道の直線性に直結する。逆に言えば、軌道は完全に読みやすく、一度懐に深く潜り込まれてしまえば、どんな強力な長物もただの棒切れに成り下がる。……恐怖を捨てろ。死地に向かって、一歩前に踏み込む勇気を持て』
教官として伝えたその言葉を、今度は自らが体現しなければならない。
しかし、今のシオンの突進速度は超音速の領域にある。
見てから避けることは不可能。ましてや、その絶死の突撃の真正面から懐に潜り込むなどという挙動は、狂気の沙汰、完全な自殺行為以外の何物でもない。
少しでもタイミングがずれれば、胸を貫かれて即死する。
それでも、ジンにはその道しか残されていなかった。
「……システム。冷却ガスの残存タンク、セーフティ解除」
ジンは音声入力で、機体の深部に眠る最後の機能を呼び起こした。
ヴォルフの放つ数千度の熱線から機体を守るため、冷却システムにはまだ微量のフロン系冷却ガスが圧縮状態で残されていた。冷却機構そのものはすでに完全に破壊されているが、タンクのバルブを手動で吹き飛ばせば、一瞬だけ外にガスを直接放出することができる。
「残存推力、右足首の姿勢制御スラスターのみに全バイパス。……タイミングは、俺が合わせる」
準備は整った。
ジンの構えた折れたブレードが、微かに下段へと下がる。
その微細な動きを、ついに限界まで魔力を圧縮し終えたシオンが、突撃の合図と捉えた。
「行きます……ッ!!」
シオンの姿が、完全に視界から消失した。
いや、消えたのではない。圧倒的な光の速度に、人間の網膜が全く追いつけなかっただけだ。
轟音すらも置き去りにした白銀の閃光が、純白の広間を真っ二つに引き裂きながら、ジンの心臓へと一直線に襲いかかる。
大気が異常な圧力で圧縮され、真空の刃となって周囲の結晶壁を粉砕し、巻き上げながら迫り来る。
ジンにとって、ここからの時間は、永遠にも似た極限のスローモーションの世界へと変貌した。
コンマ一秒前。
ジンの網膜に、凄まじい光の奔流が焼き付く。生体センサーの数値は完全に振り切れ、意味を成さない。
ロンギヌスの放つ絶対的な死の気配が、ジンの肌をジリジリと焦がし始める。
コンマ零五秒前。
「……今だ」
ジンは腰のコアユニットを強制操作し、冷却ガスのタンクを限界圧力で爆破した。
プシュウウウウウッ!!
ジンの機体の各部から、マイナス数十度という超低温の白い冷却ガスが、爆発的な勢いで全方位に噴出した。
それは物理的な防御の壁としては何の役にも立たない。だが、極低温のガスが、シオンの放つ熱量によって異常に温められていた広間の空気と急激に混ざり合った瞬間、大気中の水分が一瞬にして凍結し、ジンの周囲に濃密な「白い霧」を発生させた。
コンマ零三秒前。
超音速で突進していたシオンの視界が、突如として発生した白い霧によって一瞬だけ奪われる。
(目くらまし!? ですが、この速度と軌道は絶対に逸れない!)
シオンは驚愕しながらも、自らの直線の軌道を信じ、ロンギヌスをさらに深く突き出した。
彼女の判断は戦術として完全に正しい。この速度で直進している以上、ジンが左右に逃げようとも、その余波だけで彼を吹き飛ばすことができるからだ。
だが、ジンは逃げなかった。
コンマ零一秒前。
ジンは右足首にバイパスしていた最後のスラスターを、最大出力で点火した。
しかしその推力は、後方への回避でも、左右への跳躍でもなく。
シオンの放つ絶死の閃光の真正面、その完璧な「内側」へ向かって、自らの体を斜め前方に放り出すための、決死の踏み込みであった。
コンマ零零五秒前。
白い霧を突き破り、白銀の槍の穂先がジンの胸部装甲に到達する。
その距離、わずか数ミリ。
圧倒的な熱量がインナースーツを焦がし、ジンの皮膚が直接焼ける不快な匂いが立ち込める。
その瞬間。
ジンは下段に構えていた折れたブレードを、下から上へと極小のモーションで跳ね上げた。
刃で斬り合うのではない。ブレードの平らな側面、すなわち「鎬」の部分を、極限の精密さでロンギヌスの槍の側面に滑り込ませたのだ。
ガガガガガガガガガガガガッ!!!
二つの金属が、超音速で擦れ合う絶叫のような摩擦音が広間に響き渡る。
火花が滝のように噴き出し、ジンの両腕の人工筋肉繊維が、想定を絶する衝撃によって千切れそうに悲鳴を上げる。
だが、ジンの狙いはロンギヌスを完全に止めることではない。
自らの前進するベクトルと、ブレードの鎬の角度を利用して、槍の直進する軌道をほんの数ミリだけ「外側」へと逸らすこと。
コンマ零零一秒前。
ジンとシオンの目が、バイザー越しに至近距離で交錯した。
シオンの瞳が、信じられないものを見るように見開かれる。
自分の放った絶対の槍が、ジンの胸部装甲の表面を削りながら、しかし致命傷を避けて脇の下へと滑り抜けていくのを、彼女は愕然と見つめていた。
(踏み込まれた……!? 私の、絶対の速度を、完全に読んで……!)
槍の軌道が完全に外れた。
それはすなわち、シオンの最大の武器が無力化され、防御を捨てて突撃にすべてを懸けていた彼女の無防備な懐が、ジンの目の前に完全に晒されたことを意味していた。
時間は、再び本来の速度を取り戻す。
ズガァァァァァァァンッ!!
逸らされたロンギヌスの閃光が、ジンの背後にある純白の結晶壁に直撃し、迷宮の一部を完全に吹き飛ばす大爆発を起こした。
そのすさまじい爆炎と轟音を背に受けながら。
ジンはシオンの懐に深く潜り込んだ体勢のまま、右手に握ったブレードを逆手に持ち替えた。
刃を向けるのではない。殺意はない。彼は、この若き戦士の未来をここで終わらせるつもりなど毛頭なかった。
彼はブレードの重厚な柄尻の部分を、シオンの純白のPM-ギアの腹部へ向けて放った。
狙うは、激しく脈打つ魔力の源であるコアユニットそのものではない。その直下にある装甲の僅かな継ぎ目、機体を強制的にシャットダウンさせるための物理的なフェイルセーフ機構。
「……終わりだ、シオン」
ゴッ……!!
コアの完全な粉砕を避けつつ、システムに致命的なエラー信号を叩き込む、極限の精密打撃。
鈍く、しかし機体の深部まで響き渡る決定的な衝撃音が、広間の中心で鳴り響いた。
「あ……」
シオンの口から、小さな吐息が漏れる。
彼女の機体の緊急停止回路が作動し、コアユニットが過負荷から身を守るためにネットワークから強制的に切断された。
循環していた聖魔力の光が行き場を失って空中に散華し、純白の装甲から急速に光と動力が失われていく。
致命傷ではない。コア自体も破壊されてはおらず、時間と設備があれば再起動は可能だ。だが、今のこの戦闘において、彼女の機動力と攻撃力は完全に絶たれた。
シオンの体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちそうになる。
ジンは自らの腕の激痛に耐えながら、倒れゆく彼女の肩を左手でがっしりと受け止めた。
「……隊、長……」
シオンはジンの腕の中で、力なく彼を見上げた。
勝敗は、完全に決した。
圧倒的な力の差、機体の性能差、そして万全のコンディション。そのすべてを覆し、ボロボロの肉体と泥臭い戦術、神業のような精密なコントロール、そして決して諦めないという絶対的な意志の力だけで、ジンは彼女の光を乗り越えたのだ。
「……強、いですね。やっぱり、あなたは」
シオンの瞳から、再び涙がこぼれ落ちた。
だがそれは、先ほどの絶望の涙ではない。すべてを出し切り、自らの迷いと決着をつけた、一人の戦士としての清々しい涙であった。
彼女は、自分が間違っていなかったことを確信していた。この男の背中を追いかけた自分の選択は、正しかったのだと。
「……お前もな。強くなった」
ジンは静かに応え、彼女をゆっくりと冷たい床に横たえた。
彼の体もまた、完全に限界を迎えていた。
視界は黒く染まりかけ、足の感覚はとうに消失している。
それでもジンは、倒れることを許さず、血まみれの足で立ち上がり、迷宮の奥へと向き直った。
そこには、まだ終わっていない戦いと、愛する家族の待つ帰るべき明日への道が続いている。
交差した閃光の余韻の中、傷だらけの帰還者は、ただ一人、静かに呼吸を整えていた。




