第47話:極限の予測回避
閃光が、漆黒の装甲を容易く紙のように抉り取っていった。
シュガァァァァァッ!!
空気を切り裂くという次元ではない。空間そのものを一点に圧縮し、超音速で撃ち抜く絶対的な破壊の光。
シオン・ミカゲの放つ白銀の騎槍ロンギヌスの一撃は、ジン・クロサワの生体センサーが警報を鳴らすよりも早く、すでに彼の肉体を捉えていた。
「ぐっ……!」
ジンの左肩の装甲が爆散し、鮮血が宙を舞う。
衝撃を殺しきれず、ジンの体は光の迷宮の壁へと激しく叩きつけられた。無機質な純白の結晶に、ドス黒い血の染みが広がる。
システムからの警告音がバイザー内でけたたましく鳴り響いているが、もはやどの部位がどれだけ損傷しているのかを確認する余裕すらなかった。
速すぎる。
地球の防衛軍時代から、シオンの機動力はずば抜けていた。だが今の彼女は、PM-ギアの限界を超えたスラスター推力に、エルドラの聖魔力による物理法則の書き換えを融合させている。
空力抵抗はゼロ。慣性の法則すら無視した超高速の突撃。
視覚で捉えてから回避行動に移ったのでは、コンマ数秒遅い。そのコンマ数秒の遅れが、これまでにジンの右大腿部、左肩、そして脇腹の装甲を完全に削り取り、彼の肉体に深い裂傷を刻み込んでいた。
「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」
ジンの呼吸には、すでに血の泡が混じっていた。
肺が焼けつくように痛み、失血によって視界の端が明滅を繰り返している。
対するシオンもまた、息を切らしていた。
防御を捨て、すべてを速度と破壊力に変換するロンギヌスの連続使用は、彼女自身の肉体と精神にも莫大な負荷をかけている。
しかし、彼女の瞳には微塵の迷いもない。
ジンを止める。これ以上の犠牲を出さないために、かつて最も尊敬した男を、自分の手で終わらせる。その哀しいまでの純粋な覚悟が、彼女を光そのものへと変えていた。
「隊長……もう、終わりにしましょう」
シオンの声が響いた瞬間、彼女の姿がフッと空間からブレて消失した。
直後、ジンの正面から、致死の白銀が迫る。
普通ならば、死を覚悟するしかない絶望的な速度。
だが、壁に背を預けていたジンの瞳は、決して死んではいなかった。
彼は、迫り来る光を見ようとすることを、完全に放棄した。
視覚情報に頼るから遅れる。センサーの数値に従うから追いつけない。
ならば、すべてを予測すればいい。
シオン。お前は地球にいた頃から、誰よりも真面目で、誰よりも優等生だった。
ジンの脳内で、極限の論理演算が加速する。
防衛軍の訓練校を首席で卒業した彼女の剣術は、教科書に載せたいほど完璧で、美しかった。無駄な挙動が一切なく、常に最短距離で敵の急所を突く。
それは圧倒的な長所であるが、百戦錬磨のベテランから見れば、一つの致命的な弱点でもあった。
真っ直ぐすぎるのだ。
ジンは視界を半ば閉じ、周囲の環境データを脳内に展開した。
ここはアルベールが構築した光の迷宮。だが、先ほどの戦闘の余波で、純白の床には僅かながら壁の破片や装甲の瓦礫が散らばっている。
シオンが超音速の突撃を放つためには、足元の完璧なグリップが必要不可欠だ。瓦礫を踏めば、コンマ一ミリの体勢の崩れが命取りになる。
ならば、彼女が踏み込むルートは、瓦礫のない滑らかな床の直線上に限定される。
さらに、彼女の狙いは常に一撃必殺の心臓か首。
優しさゆえに、相手に無駄な苦痛を与えまいとする彼女の無意識の選択。
踏み込みの起点は、三メートル前方のあのタイル。狙いは、俺の心臓。
シオンの姿が完全に視界から消えた瞬間。
ジンは、彼女が動くよりも早く、自らの上体を右斜め前方へと沈み込ませた。
シュゴォォォォォォッ!!
ジンの耳元を、恐ろしい風圧と熱量を持った白銀の槍が通り抜けた。
槍が空気を切り裂く衝撃波だけで、ジンの頬の皮膚が裂け、血が飛ぶ。
だが、直撃は免れた。
「なっ……!?」
突撃の軌道上でジンを貫いたと確信していたシオンは、槍が虚空を突いたことに驚愕し、目を見開いた。
「まぐれではありません……今の動きは、完全に……!」
シオンは即座に体勢を立て直し、壁を蹴って三角跳びの要領で再び上段からジンへと襲いかかる。
光の雨のような、超高速の連続突き。
一秒間に数十発という異常な手数が、ジンの逃げ場を完全に塞ぐように放たれる。
しかし、ジンはその暴風のような槍の雨の中を、泥臭く、そして不気味なほどの正確さで潜り抜け始めていた。
右へ半歩。首を左へ傾ける。肩を落とす。
ジンの動きは、決して速くない。ボロボロの肉体と壊れかけの装甲では、俊敏な回避など不可能だ。
だが、彼の動くその場所だけが、まるで最初からシオンの槍が存在しないかのように、完璧な安全地帯としてぽっかりと空いているのだ。
互いの息遣いだけが、激しい金属音の合間に響く。
シオンのハッ、ハッという鋭く焦燥に満ちた呼気。
対するジンの、血反吐を飲み込みながらも、氷のように冷たく一定のリズムを保つ重い呼気。
「なぜ……なぜ当たらないのですか!」
シオンは焦りから、さらに推力を上げて突進を繰り返す。
しかし、急げば急ぐほど、彼女の攻撃はより直線的になり、ジンにとって読みやすいものへと変貌していった。
ジンにとって、この戦いはもはや反射神経の勝負ではなかった。
チェスや将棋のような、純粋な盤面の読み合い。
次に相手がどこに駒を置くか。それを過去の経験と、相手の心理状態、そして地形という情報から論理的に導き出し、あらかじめその場所から自分の急所をどかしておく。
ただそれだけの、極限まで研ぎ澄まされた予測回避。
あと、一歩。
ジンの目は、シオンの焦りによって生じたコンマ数秒のタメを見逃さなかった。
シオンが次こそは確実に仕留めようと、ロンギヌスを大きく引き絞った瞬間。
ジンは回避するのではなく、逆に残されたスラスターを僅かに吹かし、シオンの懐の内側へと自ら踏み込んだ。
「しまっ……!」
槍という武器は、その長さを活かした中距離において絶対的な優位性を誇るが、密着するほどの至近距離に入り込まれれば、ただの長い棒に成り下がる。
シオンがそれに気づき、慌てて後退しようとした時には、すでに遅かった。
血と汗と泥にまみれた、傷だらけの漆黒の装甲兵。
その冷徹なバイザーの奥の瞳が、至近距離でシオンを完全に捉えていた。
ジンは右手のサバイバルナイフを逆手に構え、シオンの腹部、装甲の隙間へと滑り込ませるようにして鋭く突き放った。




