第43話:聖騎士の苦悩
ジンの右腕から放たれたパイルバンカーの衝撃波が、彼を縛り付けていた光の鎖を物理的に粉砕した。
だが、異端審問官カシウスの怒りは、その程度で収まるものではなかった。
「おのれ、神聖なる戒めを泥の腕で断ち切るとは……! 許さん。もはや慈悲は不要だ。異端者もろとも、その役立たずの肉の盾どもを『浄化』してやれ!」
カシウスが上空で杖を振りかざすと、今度はただの拘束魔法ではない、対象を跡形もなく消し去るための巨大な光の槍が幾千も実体化し始めた。
それはジンだけでなく、地面に這いつくばっている無数の洗脳兵たちをも完全に射程に収めている。自らの手足として使った民衆を、用済みとなれば巻き添えにして焼き払う。それが、この男の言う「絶対の正義」であった。
絶体絶命のジンに、無慈悲な光の雨が降り注ごうとしたその瞬間。
「……そこまでです、カシウス卿!!」
悲痛な、しかし凛とした声が戦場に響き渡った。
純白の装甲を纏ったシオン・ミカゲが、スラスターの最大噴射によってジンの頭上へと跳躍したのだ。
彼女の右手に握られた高周波ブレードが、ルミナス王国の聖なる白魔法の光を帯びて白銀の刃へと変貌する。
「シオン!? 貴様、何を――」
カシウスの驚愕の声を置き去りにして、シオンは空中で独楽のように回転しながら、降り注ぐ光の槍の雨を下から上へと一閃した。
物理的な斬撃と、相反する聖魔力の衝突。
パリィィィンッ! という甲高い音と共に、カシウスの放った処刑の魔法が、空中で粉々に砕け散り、無害な光の粒子となってクレーターに降り注いだ。
着地したシオンは、カシウスを鋭く睨み据えた。
「無抵抗の民衆を巻き添えにするなど、女神の教えに反します! 弱い者を守るための力こそが、我らルミナス王国の正義だったはずです!」
「黙れ、小娘が! 大義のための犠牲を否定するお前もまた、異端の毒に侵されているのか!」
激昂するカシウス。だが、その後ろから防衛の賢者アルベールが静かに歩み出て、カシウスの肩に手を置いた。
「落ち着け、カシウス。彼女は我らが聖騎士だ。……シオンよ、お前がそこまで言うのなら、自らの手でその異端者を討ち取り、王国の正義を証明してみせろ。できなければ、お前もろとも彼らを処分するだけだ」
アルベールの冷徹な通告に、シオンはギリッと唇を噛みしめ、そしてゆっくりとジンの方へと向き直った。
「……隊長」
バイザー越しに合う視線。
地球の防衛軍時代、シオンは常にジンの背中を追いかけていた。彼の冷静な判断力と、決して仲間を見捨てない背中に憧れ、部隊のエースと呼ばれるまでに成長した。
だが今、彼女は王国の聖騎士として、かつて最も尊敬した男に刃を向けなければならない。
「これ以上の非道は、私が許しません。……だからこそ、私があなたをここで討ちます。それが、私がこの世界で見つけた、せめてもの正義です」
シオンは高周波ブレードを正眼に構え、PM-ギアの出力と同調させた。
ジンは傷だらけの漆黒の装甲を軋ませながら、無言でサバイバルナイフとブレードを構え直した。
「スラスター起動。推力60パーセント……行きます!」
直後、シオンの姿がブレた。
凄まじい初速。しかし、それはヴォルフ・シュナイダーが力任せに放っていた荒々しい突進とは根本的に異なるものだった。
足裏のスラスター噴射と、白魔法による空気抵抗の軽減を完璧に計算し尽くした、一切の無駄がない滑るような接近。
「……速いな」
ジンの生体センサーが反応するよりも早く、シオンの白銀の刃がジンの首筋へと迫っていた。
ジンは咄嗟に左手のナイフでそれを受け流そうとする。
しかし、シオンの剣術は地球時代からさらに研ぎ澄まされていた。刃が触れ合うコンマ一秒前、彼女は手首を滑らかに返し、斬撃の軌道を真横から斜め下へと変化させたのだ。
ガキィィンッ!
ジンの脇腹の装甲が浅く切り裂かれ、火花が散る。
「くっ……!」
ジンは反撃に転じようと右手のブレードを振り抜くが、シオンはすでにその場にはいない。
彼女は斬撃の反動を利用して軽やかに後方へ跳び退き、瞬時に魔法陣を展開して三発の光弾を放ってきた。
PM-ギアの機動力と、異世界の白魔法の完璧な融合。
力任せに空間を破壊していたヴォルフとは対照的な、まるで氷上を舞うような、正確無比で美しい剣術であった。
ジンは光弾をシールドで弾き落とすが、その隙を突いてシオンが再び死角から踏み込んでくる。
「なぜですか、隊長!」
激しい剣戟の音と共に、シオンの悲痛な声が響いた。
「なぜ降伏してくださらないのですか! 王国の法に従えば、命まで奪われることはありません! なぜ、たった二人の家族のために、この世界の平穏を壊そうとするのですか!」
シオンの流れるような連撃が、ジンの装甲を的確に削っていく。
肩、太もも、腕。致命傷こそ避けているものの、疲労困憊のジンは完全に防戦一方に追い込まれていた。
「お前の言う平穏とは……あの鎖に繋がれた民衆の上に成り立つものか」
ジンはシオンの刃をブレードで受け止めながら、低く重い声で返した。
「それは……! 王国がまだ完璧ではないからです! 私やルカ様が、いつか必ず内側からこの国を変えてみせます! だから今は、大義のために犠牲を受け入れるしかないんです!」
「誰かが用意した『大義』にすがるな、シオン!」
ジンの喝破が、シオンの動きを一瞬だけ止めた。
「お前は優しい。だからこそ、自分の手を汚さずに世界が救われるという王国の詭弁から目を背けている。……自分の目で現実を見ろ。お前の背後で笑っている奴らが、本当にこの世界を救うと思うか」
「……っ!」
シオンの心に、鋭い痛みが走る。
わかっている。賢者たちのやり方が間違っていることなど、彼女の純粋な正義感はとうの昔に気づいていた。
それでも、この異世界にたった一人で放り出され、孤独と恐怖に震えていた彼女に、居場所と「正義」を与えてくれたのはルミナス王国だったのだ。
その恩義と、聖騎士という立場が、彼女の心をがんじがらめの鎖で縛り付けている。
「私は……私は、王国の聖騎士です! もう迷いません!」
シオンは自らの迷いを断ち切るように叫び、ブレードに限界まで魔力を注ぎ込んだ。
純白の光が刀身から溢れ出し、巨大な光の刃となってジンに襲いかかる。
「シールド、出力最大!」
ジンは左腕の粒子シールドを展開してその光刃を受け止めた。
だが、エースとしての天性のセンスと魔法が融合したシオンの出力は、今のジンの残存エネルギーを優に上回っていた。
パリーンッ!
ジンのシールドが限界を超えて砕け散る。
そのまま光刃がジンの胸部装甲を深々と切り裂き、鮮血が夜明けの空を舞った。
「がはっ……!」
ジンは大きく後方へと弾き飛ばされ、地面を数メートル転がって仰向けに倒れ伏した。
「隊長……!」
シオンは息を切らしながら、倒れたジンを見下ろした。
彼女の美しい白銀の装甲には、返り血一つついていない。それが、今の二人の間にある絶対的なコンディションと力の差を無情に物語っていた。
「……終わりです。これ以上は、本当に死んでしまいます」
シオンはブレードの切っ先をジンの喉元に向け、震える声で降伏を促した。
これ以上、尊敬する男を傷つけたくない。彼女の瞳からは、大粒の涙が零れ落ちていた。
しかし。
致命傷に近い一撃を受け、息も絶え絶えになっているはずのジンは、インナースーツの胸元からこぼれ落ちた一枚の写真を、血に塗れた手でそっと握りしめた。
「……まだだ。俺は、こんなところで……倒れるわけにはいかない」
ジンの瞳の奥にある青白い光は、シオンの圧倒的な剣術を前にしても、決して折れてはいなかった。




