第41話:白の降臨と冷酷なる正義
伝説の黒騎士ヴォルフ・シュナイダーを退け、炎の宰相レオン・バルバトスが率いるガルディア帝国軍が地平線の彼方へと姿を消した直後。
中立地帯の巨大なクレーターの底には、焦げた土の匂いと、静寂だけが残されていた。
「ハァッ……ハァッ……」
ジン・クロサワは、ドロドロに溶けて固まりかけた岩盤の上に片膝をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
装甲をすべてパージしたインナースーツ姿の肉体は、限界をとうに超えていた。ヴォルフの放つ赤黒い熱線に晒され続けた表面は至る所が焼け焦げ、内部の人工筋肉繊維は断裂し、微弱なスパークを散らしている。
筋肉は硬直して悲鳴を上げ、関節は動かすたびにガラスの破片が入り込んだような激痛を訴えかけてきた。
「見事だ、ジン! あの規格外のエネルギーの衝突が、次元の壁を穿つための強力なクサビとなってくれた!」
東郷創一は、ジンの疲弊など全く視界に入っていないかのように、コンソールの前で狂喜の声を上げていた。
「これでゲート開通への第一段階はクリアだ。だが、ここからが本当の地獄だぞ。地球とこの世界を安全に繋ぐためには、この魔力脈からさらに数ヶ月単位で莫大なエネルギーを汲み上げ、幾重もの繊細な座標チューニングを重ね続けなければならない。途方もない時間が必要だ。さあ、急いで機材の保守と装甲の再構築を行い、次なる迎撃の準備をするんだ。休んでいる暇はないぞ」
東郷の言う通りだった。
第一段階を突破したとはいえ、ゲートを完全に開通させるためには、ここからさらに途方もない時間と魔力が必要になる。
ジンは痛む足に鞭を打ち、ゆっくりと立ち上がった。ウェポンラックから予備の冷却材を取り出し、火傷を負った首筋に押し当てる。
シューッという白い蒸気と共に、わずかな安堵が訪れる。
これで、帝国という最大の脅威は退けた。
彼らがすぐに態勢を立て直し、再びこの中立地帯へ侵攻してくるまでには、少なくとも数日の時間はかかるだろう。その間に、防御陣地を再構築し、自身の体力を回復させなければならない。
果てしない防衛戦。だが、サエとリクの待つ地球へ帰るための扉は、確実に開きつつあった。
だが。
ジンが腰のコアユニットの再起動シークエンスに入ろうとした、まさにその時。
ピリッ……。
ジンの生体センサーが、西へ去った帝国軍とは全く逆の方向、東の空から、肌を刺すような冷たくも神聖な魔力の波動を感知した。
それは、帝国の黒魔法のような、空間を焼き尽くす暴力的な熱量ではない。
大気中の塵一つすら許さないような、すべてを白く染め上げる無機質で絶対的な「秩序」の気配。
「……博士。周囲の魔力濃度が異常だ」
ジンの声が、かつてなく緊迫した響きを帯びた。
「なんだと? 馬鹿な、帝国の軍勢は完全に撤退したはずだ。これほどの干渉波がどこから……」
東郷が文句を言いながら顔を上げた瞬間、彼の言葉も途切れた。
クレーターの東側の空。
分厚い暗雲を切り裂くようにして、夜明けの太陽の光を完全に掻き消すほどの異常な純白の光が、天空を覆い尽くしていた。
空中に、幾千もの幾何学的な白い魔法陣が展開される。その光の輪の中から、まるで天界から降り注ぐような、神聖で、しかしひどく人工的な賛美歌のコーラスが響き渡ってきた。
「あれは……ルミナス王国か」
ジンは焼け焦げたインナースーツのまま、空を見上げた。
純白の光の中から、無数の白銀の甲冑を纏った騎士たちが、光の翼を持つ巨大な鳥型の魔獣に跨って降下してくる。
その数は、先ほどの帝国軍を遥かに凌ぐ、数万の規模であった。
しかし、大軍であるにもかかわらず、そこには軍隊特有の熱気や怒号が一切存在しなかった。
何万という兵士たちが、まるで一つの巨大な機械の歯車のように、一糸乱れぬ完璧な陣形を保って空中に静止している。武器の触れ合う音一つ、軍獣の嘶き一つ聞こえない。
圧倒的なまでの暴力と個の強さを誇示した帝国軍とは対照的な、個人の感情や意志を完全に剥奪された「整然とした狂気」。
それこそが、法と秩序の名の下に国民を縛り付けるディストピア国家、ルミナス王国の真の姿であった。
その整然たる大軍の最前列に、三つの影が進み出た。
一人は、豪奢な純白の法衣を纏い、冷酷な笑みを浮かべる男。八賢者が一人、異端審問官カシウス。
一人は、何枚もの光の盾を周囲に巡らせた、重武装の神官。八賢者が一人、防衛の賢者アルベール。
そしてもう一人。
神聖な白魔法の光と、地球の最新鋭の装甲技術が融合した、純白のPM-ギアを纏う若き戦士。
右手に、超高速の突撃を可能とする閃光騎槍ロンギヌスを構えた、王国の聖騎士。
「……シオン」
ジンの口から、かつての部下の名前が静かにこぼれ落ちた。
シオン・ミカゲは、純白のバイザーの奥で、眼下に広がる破壊の痕跡と、傷だらけのジンの姿を痛切な目で見つめていた。
地球の防衛軍時代、シオンにとってジンは絶対的な目標であり、尊敬する隊長であった。彼のもとで戦うことこそが自分の正義だと信じていた。
しかし今、彼女はルミナス王国の聖騎士として、ジンを「排除すべき異端」として討ち取るためにこの場所に立っているのだ。
「ルミナス王国、異端審問官カシウスである」
空中に浮かぶカシウスの声が、魔力によって増幅され、クレーター全体に響き渡った。
「異界からの迷い人よ。お前たちがこの大地の聖なる魔力脈を私物化し、世界に混乱をもたらそうとしていることは、すでに女神の神託によって明らかとなっている。直ちにその冒涜的な機械の稼働を停止し、王国の法の前にひざまずけ」
カシウスの言葉には、慈悲の欠片もない。
「抵抗するのであれば、神聖なる法に則り、お前たちを『異端』として即座に浄化する。これは女神の意志であり、絶対の正義である」
「正義、だと……」
ジンは低く呟き、視線を王国軍の最前列へと向けた。
そこには、白銀の騎士たちの足元、最も危険な最前線に、武装すらしていない無数の人間が鎖で繋がれて並ばされていた。
ぼろぼろの衣服を纏った下層区の住民や、罪人として捕らえられた者たち。
彼らの目は一様に虚ろで、焦点が合っていない。カシウスの放つ精神支配の白魔法によって完全に洗脳され、自らの意志を奪われた哀れな操り人形たちであった。
「見よ。彼らは過去の罪を悔い改め、王国の正義のための『盾』となることを自ら志願した尊き魂だ」
カシウスが両手を広げ、狂気的な笑みを深める。
「お前たちが抵抗し、攻撃を仕掛けてくれば、まずはこの哀れな民たちがその命を散らすことになる。彼らを殺した罪の重さは、異邦人であるお前たちの魂を永遠の地獄へと突き落とすだろう。さあ、どうする? 武器を捨てて裁きを受け入れるか、それとも無辜の民を虐殺する大罪人となるか」
それは、まさに外道の戦術であった。
王国の正義とは、力を持たぬ者を犠牲にして自らの手を汚さず、敵に精神的な苦痛と道徳的なジレンマを強いる、冷酷極まりないディストピアの論理だったのだ。
シオンは、自らの後ろに並ばされた虚ろな目の民衆を見て、ギリッと唇を噛みしめた。
彼女が求めた正義は、こんなものではなかった。弱い者を守るための力こそが聖騎士の使命であるはずなのに、今の自分は、その弱い者を肉の盾として最前線に立たせる賢者たちの隣に立っている。
(隊長……私は、間違っているのでしょうか……)
シオンの心の中で、かつてないほどの激しい葛藤が渦巻いていた。
しかし、クレーターの底に立つジン・クロサワの瞳には、一切の動揺も、怒りも浮かんでいなかった。
彼は、カシウスの卑劣な宣言も、シオンの苦悩に満ちた視線も、すべてを等しく「無意味なノイズ」として切り捨てていた。
(帝国だろうが、王国だろうが、やることは同じだ)
ジンはゆっくりと、深く息を吸い込んだ。
肺の奥が焼け焦げるような痛みに襲われるが、その痛みを自らの意識の奥底へと無理やり封じ込める。
サエ。リク。
必ず帰ると約束した。
その約束を果たすためなら、俺はどんな汚名でも被るし、どんな地獄でも歩く。
誰が用意した正義だろうと、誰が盾にされようと、俺の道を塞ぐ者はすべて排除する。
ジンは右手のガントレットを鳴らし、ウェポンラックからアサルトライフルを引き抜いた。
そして、左手で腰のコアユニットを操作し、限界まで消耗した装甲を再構築するためのシークエンスを起動する。
「……システム起動。防壁展開」
青白い粒子が空中に舞い、焼け焦げたインナースーツを覆い隠すようにして、再び漆黒の重装甲が形成されていく。
ヴォルフとの戦いで損傷した回路の修復は不完全であり、機体のあちこちから危険なアラートが鳴り響いている。
だが、ジンはそのアラート音すらも思考からシャットアウトし、完全に感情を排した「戦う機械」へと自らをセットアップした。
「降伏はしない」
ジンの低く冷たい声が、拡声器も使わずに、不思議なほどはっきりと王国軍の耳に届いた。
「俺は家に帰る。そのために、この場所は譲らない。……俺の邪魔をするなら、王国だろうが神だろうが、斬る」
その言葉を聞いた瞬間、カシウスの顔から笑みが消え、底冷えするような殺意が浮かび上がった。
「……愚かな。自ら滅びの道を選ぶか。ならば、女神の鉄槌を下すのみ」
カシウスが杖を振り上げる。
それと同時に、最前列に並ばされていた数千の洗脳兵たちが、虚ろな目のまま、武器も持たずにクレーターの斜面を雪崩を打って駆け下り始めた。
その後方からは、白銀の騎士たちが無数の光の矢をつがえ、一斉射撃の構えをとる。
「シオン! お前も行け! あの異端者を串刺しにし、王国の正義を証明してみせろ!」
アルベールの冷徹な命令が下る。
シオンは一瞬だけ目を閉じ、そして、覚悟を決めたように目を見開いた。
彼女の純白のPM-ギアが、聖なる白魔法の光と同調し、圧倒的なエネルギーを放ち始める。
右手に構えられた閃光騎槍ロンギヌスが、星のような輝きを放ち、ジンの心臓へと狙いを定めた。
「……行きます、隊長!」
傷だらけの漆黒の装甲兵と、純白の光を纏った若き聖騎士。
かつて同じ空の下で背中を預け合った二人が、互いの譲れない信念と哀しみを胸に秘め、無慈悲な死地に立っていた。
冷酷なる正義の軍勢が、疲労困憊の帰還者を飲み込むべく、今まさに牙を剥こうとしていた。




