第39話:ムラサメ対ファフニール
凍りついていた時間が、硝子のように砕け散った。
大太刀『ムラサメ』が空間に顕現したことによる一瞬の静寂を破り、極限まで圧縮された二つの規格外のエネルギーが、ついに中立地帯の底で真正面から激突した。
「おおおおおおおおおおっ!!」
ヴォルフ・シュナイダーの放った赤黒い破壊の閃光『ファフニール』が、すべてを飲み込む濁流となってジン・クロサワに襲いかかる。
対するジンは、防御のための装甲をすべてパージした黒いインナースーツの姿で、大上段に構えた青白い粒子の大太刀を、迫り来る死の光に向かって一切の躊躇なく振り下ろした。
ドゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!
それはもはや、爆発音と呼べるようなものではなかった。
巨大な質量と質量が衝突し、空間そのものが軋み、引き裂かれる時に発せられる宇宙の悲鳴。
赤黒い魔力の熱線と、青白い粒子の斬撃が交差した中心点から、太陽が地上に墜落したかのような絶対的な閃光が弾け飛んだ。
「ぐおおおおっ!? なんだこの光は!」
「目が……! 結界を張れ! 吹き飛ばされるぞ!」
クレーターの遥か後方へ退避していた帝国軍の精鋭たちですら、その閃光と衝撃波の前にバタバタと薙ぎ倒されていく。
軍馬は泡を吹いて倒れ、巨大な魔獣たちすらも本能的な恐怖に縮み上がって地に伏せた。
「冗談じゃねえぞ……これが、個人の放つ力だっていうのか!」
炎の宰相レオン・バルバトスは、自らの前方に何十枚もの分厚い炎の盾を展開し、かろうじてその余波を防いでいた。
帝国の魔の頂点に立つ彼から見ても、眼下で繰り広げられている力の衝突は、完全に常軌を逸していた。エルドラの魔法理論など一切通用しない。純粋な破壊の概念と、純粋な切断の概念が、世界の法則をねじ曲げながら互いを喰らい合っているのだ。
二つの力が衝突しているクレーターの底は、すでに岩盤がドロドロのマグマとなって沸騰し、地形そのものが液状化して底なしの地獄へと変貌していた。
赤黒と青白。二色の光の嵐が巨大な半球状のドームを形成し、落雷のようなスパークを天に向かって逆流させている。
その光の嵐が作り出す絶対領域の中には、何人たりとも立ち入ることはできない。もしレオンが今あの中に飛び込めば、帝国最強の炎の宰相であっても、一瞬で原子の塵となって消滅してしまうだろう。
そして、その絶対領域の中心。
すべてが光に塗り潰された世界の中で、二人の男は互いの全存在を懸けて押し合っていた。
「なぜだ! なぜ砕けねえ!!」
ヴォルフは両目からとめどなく血の涙を流し、全身の皮膚を炭化させながら絶叫した。
彼の腰のコアユニットは限界突破の過回転を続け、周囲の環境魔力を根こそぎ吸い上げては、両腕のファフニールへと強制的に送り込んでいる。
放たれる赤黒い熱線は、山脈すら一瞬で蒸発させるほどの圧倒的な質量を持っていた。
しかし、その絶対的な破壊の奔流は、ジンの構えるたった一振りの青白い大太刀によって、真正面から真っ二つに引き裂かれていた。
ムラサメの刃が、ファフニールの熱線を海を割るように左右へと分断しているのだ。
切り裂かれた熱線はジンの両脇を通り抜け、後方のクレーターの斜面を消し飛ばしていくが、ジンの真っ直ぐに立つその場所だけは、完全な無傷の空間として保たれていた。
「俺は神の力を手に入れたんだ! この世界の誰よりも強い、絶対の力を! なのに、なぜテメェのその薄っぺらい刃一本が折れねえんだよ!!」
ヴォルフの咆哮は、狂乱から次第に悲鳴のような響きを帯び始めていた。
どれだけ魔力を注ぎ込んでも、どれだけ自分の命を削って火力を上げても、目の前の男は一歩も引かない。
装甲をすべて捨て去り、黒いインナースーツ一枚となったジンは、ヴォルフの放つ数千度の熱波に晒されながらも、瞬き一つせずにムラサメの柄を握りしめている。
ジンの肉体もまた、限界を迎えていた。
PM-ギアの装甲による筋力アシストと冷却機能を完全に失った状態。インナースーツとベルトのコアだけが命綱だ。
大太刀を握る両腕の筋肉は悲鳴を上げ、毛細血管が破裂して皮膚の下に赤い斑点が浮かび上がっている。分断しているとはいえ、至近距離を通過していく熱線の余波によって、スーツの表面は焼け焦げ、呼吸をするたびに肺が焼かれるような激痛が走る。
少しでも刃の角度がブレれば、あるいは押し負ければ、その瞬間にジンは熱線に飲み込まれて消滅する。
防御力ゼロという極限の綱渡り。
だが、ジンの瞳の奥にある青白い光は、ヴォルフの狂乱の炎を前にしても、微塵も揺らぐことはなかった。
(……浅い)
ジンは、歯を食いしばりながら、冷徹な思考で目の前の熱線を分析していた。
ヴォルフの攻撃は、確かに巨大だ。圧倒的な質量と熱量を持っている。
しかし、それはただ闇雲にエネルギーを膨張させているだけの、中身のない風船と同じだ。
地球で共に戦っていた頃、ヴォルフの火力には「仲間を守る」あるいは「敵を確実に仕留める」という、粗削りながらも確かな兵士としての芯があった。
だが今のファフニールにあるのは、自分を認めてほしいという肥大化したエゴと、過去への憎悪だけ。
力に振り回され、魔力に喰われているだけの空っぽの暴力。
そんなもので、俺の帰還を阻めるはずがない。
「ヴォルフ……お前は、本当に空っぽになったな」
ジンの静かな声が、轟音の嵐を突き抜けてヴォルフの耳に届いた。
怒鳴り声でもなく、哀れみでもない。ただの事実の確認。
「うるせえ! 俺を否定するな! 俺を見下すなァァァッ!!」
図星を突かれたヴォルフは、残された生命力のすべてをファフニールに注ぎ込んだ。
赤黒い閃光がさらに一回り巨大に膨れ上がり、ムラサメの刃を押し戻そうと圧力を強める。
ジンの両足のブーツがドロドロに溶けた岩盤を削り、数センチだけ後方へ押し込まれた。
「死ね! 死ね! 死ねェェェェッ!!」
狂喜するヴォルフ。
しかし、ジンは押し込まれながらも、逆に自らのコアの出力を一点に集中させ始めた。
装甲をパージして生み出された青白い粒子は、刀身の表面で超高速の振動を起こしている。
ジンは自らの腕力で押し返そうとしているのではない。ファフニールの巨大な魔力の流れ、その最も結合が脆い「断層」を、研ぎ澄まされた刃の感覚だけで探り当てようとしていたのだ。
地球で待つ、サエとリクの顔が脳裏に浮かぶ。
必ず帰ると約束した。
俺は、こんな異世界の虚栄心に塗れた闘争で死ぬわけにはいかない。
俺の刃は、敵を殺すためのものではない。明日へ帰るための道を切り開くためのものだ。
「……ここだ」
ジンの瞳が、ファフニールの熱線の中心にある、魔力の僅かな淀みを見切った。
彼は両足のブーツに内蔵された小型スラスターを、限界を超えて一斉に点火した。
ゴォォォォォォッ!!
押し込まれていたジンの体が、スラスターの爆発的な推力によって、逆に熱線の濁流のど真ん中へと前進を開始する。
「なっ……!?」
ヴォルフが驚愕に目を剥く。
「貫け、ムラサメ」
ジンは両腕の筋肉を限界まで収縮させ、大太刀の刃の角度を数ミリだけ変化させた。
その瞬間。
青白い粒子の刃が、ファフニールの莫大なエネルギーの結合を完全に「解体」した。
パリィィィィィンッ!!!
まるで巨大な鏡が叩き割られたかのような、甲高い音が絶対領域に響き渡る。
ヴォルフの放っていた赤黒い熱線が、ムラサメの刃を起点にして、根元から真っ二つに裂け始めた。
分断された光は空へ、大地へと散らばり、無秩序な爆発を起こして消滅していく。
「あ……ああ……?」
ヴォルフの腕から、力が抜け落ちる。
自らの全存在を懸けた、神の力と信じて疑わなかった絶対的な火力が、たった一振りの青白い刃によって、紙くずのように切り裂かれていく。
ジン・クロサワの姿が、光の奔流を完全に断ち割りながら、ヴォルフの眼前へと迫る。
その瞳には、もはや過去の部下に対する感情は何もない。
ただ、道を塞ぐ障害物を排除するという、冷徹なる一刀の殺意のみ。
「う、おおおおおおおおっ!!」
ヴォルフは最後の足掻きとして、熱線を失った両腕の重魔導砲をそのまま巨大な鈍器として振り下ろそうとした。
だが、遅い。
ジンは残されたスラスターの全推力を前方への踏み込みに乗せ、上段へと跳ね上がっていたムラサメの刃を、ヴォルフの巨体に向かって袈裟懸けに振り下ろした。
「一撃で、終わらせる」
青白い軌跡が、赤黒い絶望の世界に、決定的な一本の線を引いた。




