第37話:狂信の果て
怒りに我を忘れたヴォルフ・シュナイダーの咆哮が、クレーターの斜面を揺るがせた。
彼の両腕に形成された重魔導砲ファフニールから、次々と赤黒い閃光が放たれる。先ほどまでの狙いを定めた砲撃ではない。ただ目の前の気に食わない存在を、地形ごと完全に消し去るための狂乱の弾幕であった。
「死ね! 死ねェェェェッ!」
ズドドドドドォォォォォォンッ!!
何十発という魔力圧縮弾が、ジンの周囲の岩肌に容赦なく着弾する。
大地が悲鳴を上げ、数トンクラスの岩塊が飴細工のように砕け散り、空高く巻き上げられる。爆炎と土砂の嵐がクレーターの底へと雪崩れ込み、視界は完全な赤黒い絶望に染まった。
「スラスター全開。緊急回避」
ジンはその破壊の嵐の中を、限界まで推力を引き上げたPM-ギアの機動力で掻き潜っていた。
右から迫る爆風をシールドで受け流し、その衝撃を利用して左へと跳躍する。足元が崩落すれば、落ちていく岩の破片を足場にして空中で体勢を立て直す。
だが、ファフニールの破壊範囲はあまりにも広大だった。
直撃こそ避けているものの、至近弾の衝撃波と超高熱がジンの漆黒の装甲を容赦なく叩き据える。装甲の表面が焼け焦げ、内部の緩衝材が限界を超えて悲鳴を上げ、ジンの肉体に重い鈍痛を叩き込んでいた。
「ハァッ……ハァッ……ハハハハハハッ!!」
上空から砲撃を続けるヴォルフは、眼下で逃げ惑うジンの姿を見て、狂ったような哄笑を上げた。
「どうした隊長! 逃げ回るしかできねえのか! 地球じゃあんなに偉そうに俺に説教を垂れていた完璧な兵士様が、随分と無様な姿じゃねえか!」
ヴォルフの叫びは、砲撃の轟音を掻き消すほどのすさまじい執着に満ちていた。
「俺を見ろ! 俺はこの帝国で、数万の兵士から命を預けられる英雄になったんだ! 皇帝陛下すら俺の力を認め、俺に頭を下げて力を貸してくれと頼んできた! 俺は誰の指図も受けねえ、誰にも見下されねえ、絶対的な神の力を手に入れたんだよ!」
ヴォルフは両腕の砲身を交差させ、さらなる極太の閃光をジンの進行方向へと放った。
「それなのにテメェはなんだ! こんな圧倒的な力を見せつけられても、まだあの薄汚い地球に帰るだの、家族が待ってるだのと寝言を抜かしやがって! 地球に帰ってどうする! また上の連中の犬になって、誰にも評価されねえ泥水みてえな人生を送るのか!」
爆炎がジンの視界を奪う。
しかし、ジンの瞳は、バイザーの奥で少しの揺らぎも見せていなかった。
彼の脳内では、ヴォルフの狂ったような弾幕の軌道が、冷徹な計算式として処理され続けている。
(……右腕の砲身、出力低下。魔力の供給バランスが崩れ始めている)
「お前は過去の幻影に縛られた臆病者だ、ジン・クロサワ!」
ヴォルフの罵倒が、空間を震わせる。
「家族なんてものはな、お前が逃げ込むためのただの言い訳だ! 本当はこの世界で誰かに認められるのが怖いから、過去の記憶にすがりついて現実から目を背けてるだけじゃねえか! そんな臆病者に、俺が負けるわけがねえんだよ!!」
ヴォルフは自らの言葉に酔いしれ、己の正当性を証明しようとさらに魔力を振り絞った。
だが、彼のその言葉は、ジンにとって全くの的外れなノイズに過ぎなかった。
ジンは迫り来る爆炎の波を、スラスターの横滑りで強引に突破した。
装甲の冷却材が瞬時に蒸発し、機体温度が危険域に達するが、構わない。彼はヴォルフの砲撃の「隙間」を完全に見切っていた。
怒りに任せた乱射。
それは一見すると圧倒的な暴力に見えるが、プロの兵士の目から見れば、魔力のリソース配分を無視し、大振りで直線的な軌道を描くだけの、ただの「癇癪」に過ぎなかった。
地球で共に戦っていた頃のヴォルフは、命令違反こそすれ、自らの火力を最大限に活かすための戦術的な嗅覚を持っていた。だが今の彼は違う。力に依存し、力でねじ伏せることしか頭にない。
「……黙れ」
ジンの低く、氷のように冷たい声が、通信機を通じてヴォルフの耳に直接届いた。
直後、爆炎の煙幕を突き破って、漆黒の装甲兵がヴォルフの真正面へと跳躍してきた。
「なっ!?」
ヴォルフが驚愕に目を見開いた時には、ジンはすでに高周波ブレードを逆手に構え、ヴォルフの巨体の懐深くへと潜り込んでいた。
ファフニールの巨大な砲身は、遠距離の面制圧には絶大な威力を発揮するが、至近距離での格闘戦においては決定的な死角を生む。
「シールド、出力全開。一点集中」
ジンは左腕の粒子シールドを極小のサイズに圧縮し、それをヴォルフの右腕の砲身の下部、魔力の接合部に力任せに叩きつけた。
ガギィィィィンッ!!
物理的な打撃と粒子の反発作用によって、ヴォルフの右腕の砲線が上空へと大きく弾き飛ばされる。
「クソッ!!」
ヴォルフは咄嗟に左腕のファフニールをジンの胴体に向けようとした。
しかし、ジンはその動きを予測していたかのように、ヴォルフの懐をくぐり抜け、その背後へと回り込んだ。
そして、高周波ブレードの柄尻で、ヴォルフの背面の魔力排熱スリットを容赦なく強打した。
ガァァァンッ!!
「がはっ……!」
内部機構への強烈な衝撃が、ヴォルフの巨体を空中で大きくよろめかせる。
ジンはその反動を利用して後方へと跳び退き、再びクレーターの斜面へと着地した。
致命傷ではない。だが、完璧な英雄であるはずの自分が、魔法も使わない物理的な格闘術で完全に翻弄されたという事実は、ヴォルフの肥大化したプライドをズタズタに引き裂くには十分だった。
「お前は、何も変わっていないな、ヴォルフ」
ジンは着地したまま、ブレードを下段に構えてヴォルフを見据えた。
その声には、嘲笑も怒りもない。ただ、冷厳な事実を告げるだけの無機質さ。
「皇帝に認められた? 兵士に称賛された? だからなんだ。お前はただ、自分を甘やかしてくれる都合のいい檻を見つけて、そこに逃げ込んだだけだ」
「……黙れ」
ヴォルフの全身が、屈辱と怒りでわなわなと震え始めた。
「今の自分の攻撃軌道を見てみろ。単調で、無駄が多く、魔力のロスも計算できていない。力に酔いしれて、兵士としての冷静さを完全に失っている」
ジンの言葉は、ヴォルフの心の最も柔らかい部分を、鋭利な刃でえぐり出していく。
「お前は力を得たんじゃない。その力に振り回され、使われているだけのただの奴隷だ。そんな薄っぺらいプライドで、俺の帰還を邪魔できると思うな」
ジン・クロサワという男は、最後まで自分を認めない。
自分がどれだけ強くなろうと、どれだけ世界を支配する力を手に入れようと、この男だけは、地球のあの薄暗い基地のロッカールームで自分に説教をした時と全く同じ目で、自分を否定し続けるのだ。
その事実が、ヴォルフの精神の奥底にあった「劣等感」という時限爆弾のスイッチを、完全に押し込んだ。
「あ……ああ……あああああああああああっ!!!」
ヴォルフの口から、もはや人間のものとは思えない、絶望と狂信が入り混じった獣の咆哮が迸った。
彼の中で、何かが決定的に壊れた。
ジンを屈服させるためなら、自分の命すらどうなってもいい。この男を消し去ることができるなら、この世界ごと焼き尽くしてしまっても構わない。
「テメェは……テメェだけはァァァァァッ!!」
ヴォルフの腰のコアユニットが、耳障りな限界警報を鳴らし始めた。
安全装置が物理的に焼き切れ、彼の肉体とエルドラの環境魔力が、完全に直結状態となる。
それは、かつて峡谷で巨大な魔獣の群れを地形ごと吹き飛ばした時と同じ、自らの生命力を燃料とした「限界突破」のプロセスであった。
周囲の空間が、異常な魔力の収束によってグニャリと歪み始めた。
光が曲がり、音が消失し、クレーターの斜面の岩石が無重力状態のようにフワフワと宙に浮き上がる。
ヴォルフの両腕のファフニールが、ドス黒い赤紫色の光を放ち、その砲身そのものが熱でドロドロに溶け出し始めていた。
「警告。目標から規格外のエネルギー収束を検知。空間の崩壊係数が限界値を突破。回避不能」
ジンのシステムが、女性の合成音声で絶望的な状況を告げる。
ヴォルフの背後で待機していたレオン・バルバトスすらも、その常軌を逸した魔力の膨張に顔色を変え、全軍に後退の指示を出した。
「あの馬鹿野郎、自分の命ごと相打ちにする気か! 全軍、防壁を展開して後退しろ! 巻き込まれるぞ!」
空も、大地も、すべてが赤紫色の狂気に塗り潰されていく。
ヴォルフの瞳からは血の涙が流れ落ち、彼の全身の毛細血管が限界を超えて破裂し始めていた。
しかし、その口元には、狂気的なまでの歓喜の笑みが張り付いている。
「消えろ……消えろ消えろ消えろォォォッ!! 俺のすべてを否定する過去の亡霊め! この一撃で、テメェのその存在ごと、宇宙の果てまで吹き飛ばしてやる!!」
回避も、防御も不可能な、絶対的な破壊の光。
それが完成するまで、あと数秒。
クレーターの底にいる東郷ですら、端末から手を離し、狂気に満ちた目でその破滅的な光景を見上げていた。
だが、ジン・クロサワは逃げなかった。
彼は迫り来る死の閃光を前にしても、呼吸一つ乱すことなく、ただ静かに右手を腰の奥深くにある封印されたコアへと伸ばした。
「……仕方がないな」
ジンの瞳に、ついに修羅の光が宿る。
帰還のためのエネルギーを温存するという制約を自ら破り、最強の装甲兵が、かつての部下を確実に「殺す」ための決断を下した瞬間であった。
交わることのない二つの信念が、互いのすべてを燃やし尽くす最後の一撃へと向けて、極限の収束を続けていた。




