第36話:決裂の牙
帝国宰相レオン・バルバトスの胸を切り裂き、ジン・クロサワが追撃の構えを見せたその瞬間。
戦場の空気を一変させるほどの、重く、淀んだ、そして途方もなく凶暴な殺意が二人を分断した。
「そこまでだ、レオン。引っ込んでろ」
低く唸るような声と共に歩み出てきたのは、全身から紫電を帯びた禍々しい魔力を噴出させるヴォルフ・シュナイダーであった。
彼の両腕はすでに粒子金属の再構築を終えており、地球の兵器技術と帝国の黒魔法が最悪の融合を果たした重魔導砲『ファフニール』が、赤黒い破壊の光を脈打たせている。
「チッ……。いいところだったんだがな」
レオンは胸の傷口から流れる血を手の甲で拭い、忌々しげに舌打ちをした。しかし、ヴォルフから放たれる常軌を逸した魔力の奔流を感じ取り、小さく肩をすくめた。
「まあいい。お前の上官殿は、期待以上に骨のある男だったぜ。ここから先は、身内同士の殺し合いってやつだ。せいぜい悔いの残らねえようにやれよ、ヴォルフ」
レオンが炎を纏って後方へと跳び退き、クレーターの縁にはジンとヴォルフの二人だけが残された。
「……相変わらず、他人の戦いに割って入るのが好きなようだな」
ジンは高周波ブレードについた血を静かに振り払い、無機質な視線をかつての部下へと向けた。
「へっ。俺は俺のやりたいようにやる。それがこの世界での俺のルールだ」
ヴォルフは獰猛な笑みを浮かべ、両腕の巨大な砲口をジンへと真っ直ぐに向けた。
「レオンとの戦い、見せてもらったぜ、隊長。魔法を使わねえで宰相に一矢報いるたぁ、さすがは地球の防衛軍が誇る完璧な兵士様だ。……だがな、俺の火力の前じゃ、そんな小賢しい体術も、カラクリ仕掛けの装甲も、何の役にも立たねえってことを教えてやるよ」
ヴォルフの腰にあるコアユニットが、耳障りな駆動音を立てて高速回転を始めた。
「ジェネレーター直結。魔力圧縮率、限定解放」
ファフニールの砲口に、周囲の空間を歪ませるほどの高密度なエネルギーが凝縮されていく。
それは先ほどのレオンの炎のように、熱で焼き尽くす魔法ではない。対象の分子結合そのものを物理的な衝撃と魔力的な干渉で原子レベルから粉砕する、純粋なる「破壊」の奔流。
「吹き飛べェェェッ!!」
ヴォルフが咆哮と共にトリガーを引いた。
ドゴォォォォォォォォォンッ!!
放たれた赤黒い閃光は、ジンの立っていたクレーターの縁を、岩盤ごと一瞬にして消滅させた。
爆発の火球ではなく、空間そのものが削り取られたような異様な光景。遅れてやってきた凄まじい衝撃波が、荒野の空気を引き裂き、巻き上げられた土砂が嵐となって周囲を打ち据える。
「スラスター起動、最大推力」
その破壊の嵐の只中から、土煙を切り裂いてジンの漆黒の装甲が飛び出してきた。
彼はヴォルフの射線から完全に軸をずらし、クレーターの斜面を滑るようにして距離を取ろうとする。
「逃がすかよッ!」
ヴォルフはファフニールの砲身を横に振り抜き、乱射を開始した。
ズガガガガガガガガッ!!
毎秒数十発という異常な速度で放たれる赤黒い魔力圧縮弾が、ジンの逃げる先々の地面を次々と抉り取っていく。
着弾のたびに巨大なクレーターが穿たれ、岩の破片が散弾となってジンに降り注ぐ。
「シールド、出力最大」
ジンは左腕の粒子シールドを展開し、降り注ぐ岩の破片と、直撃を免れた魔力弾の余波を弾き落とす。しかし、ファフニールの破壊力は、地球の未確認生命体の攻撃とは根本的に次元が違っていた。
シールドの表面が触れるたびに激しいスパークを散らし、PM-ギアのエネルギー残量がゴリゴリと削り取られていく。
(……速い。それに、以前よりさらに出力が上がっている)
ジンは斜面を転がるようにして回避しながら、冷静にヴォルフの戦力を分析していた。
地球にいた頃のヴォルフも確かに高火力を誇っていたが、システムの排熱とエネルギー切れという弱点があった。しかし、このエルドラの環境魔力を無尽蔵に吸い上げる『ファフニール』には、継戦能力の限界が存在しない。
「どうした、隊長! 逃げてばっかりじゃねえか!」
ヴォルフは空中に跳躍し、スラスターで滞空しながら、眼下を逃げ惑うジンに向かって雨あられと砲撃を浴びせかけた。
「地球じゃいつも俺を見下して、偉そうに指示を出してたよな! 『周囲の被害を考慮しろ』だの、『力を制御しろ』だの! だがどうだ、今の俺の力は! お前のそのちっぽけな戦術なんか、全部まとめて更地に変えちまえるんだよ!」
ヴォルフの言葉には、ジンに対するどす黒い憎悪と、それと同等かそれ以上に強烈な「承認欲求」が入り混じっていた。
自分はこれほど強くなった。皇帝にも認められた。だから、かつて自分を否定し続けたこの男にだけは、絶対に自分の力を認めさせ、ひざまずかせなければ気が済まないのだ。
「俺を見ろ! 俺の力を認めろ、ジン・クロサワ!!」
ズドォォォォンッ!!
一際巨大な魔力弾が、ジンの隠れようとした巨大な岩石を、粉微塵に吹き飛ばした。
その爆風をまともに浴び、ジンの体がボールのように弾き飛ばされ、クレーターの底に向かって斜面を転がり落ちていく。
「がはっ……!」
ジンは口内に血の味を感じながらも、空中で無理やり体勢を立て直し、両足のパイルバンカーを岩肌に打ち込んで強引にブレーキをかけた。
黒い装甲は随所がひしゃげ、関節部からは不吉な白煙が上がっている。
だが、ジンのバイザーの奥の瞳は、一切の恐怖も屈辱も映し出していなかった。
(右腕の砲身、排熱まで一・五秒。左腕の砲身、連射による魔力収束のタイムラグ、〇・八秒。……隙は、ある)
ジンはヴォルフの叫びなど、最初から一言も聞いていなかった。
承認欲求? 力への渇望? そんな個人的な感情など、この戦場においてはノイズでしかない。
ジンの脳内を占めているのは、敵の火器のクールダウン時間、射角、自身の残存エネルギー、そして反撃のための最適なルートの計算だけだった。
「……まだ生きてるか。しぶとい野郎だ」
ヴォルフが上空からゆっくりと降下し、ジンの見下ろす位置で滞空した。
彼の目には、ボロボロになったかつての上官の姿が、心地よい優越感をもたらしていた。
「なあ、隊長。お前のその無表情、昔から本当に気に食わなかったぜ。自分が常に正しくて、俺たちが間違ってるって顔だ。……だが、今ここで地面に這いつくばってるのはどこの誰だ?」
ヴォルフはファフニールの砲口をジンの顔面に向け、嗤った。
「お前はもう、俺には勝てねえ。お前の持ってるそのチンケなナイフやライフルじゃ、俺のこの重装甲には傷一つつけられねえんだからな。……さあ、負けを認めろ。お前が俺よりも下だってことを口に出して言えば、皇帝陛下に命乞いしてやらなくもねえぞ」
絶対的な優位に立ち、かつての上官をいたぶる喜悦。
ヴォルフはジンからの屈辱的な敗北の言葉を、今か今かと待ち望んでいた。
しかし。
ジンはゆっくりと立ち上がり、装甲の埃を払うと、ただ一言、氷のように冷たい声で放った。
「……無駄口を叩いている暇があるなら、とっとと撃て。それとも、弾切れか?」
その言葉は、ヴォルフの期待していた哀願でも、怒りでもなかった。
自分という存在を、底の底まで見下し、全く相手にしていない「無関心」。
地球にいた頃と何一つ変わらない、完全な兵士としての冷徹な拒絶であった。
「……テメェ」
ヴォルフの顔から、優越感の笑みが完全に剥がれ落ちた。
彼の心の中で、何かが決定的に音を立てて崩れ去る。
俺は強くなった。この世界の頂点に立った。
それなのに、なぜこの男は、俺を少しも認めようとしない。
なぜ、あの時と同じ目で、俺を見下し続けるんだ。
「ふざけるなァァァァァァァッ!!」
ヴォルフの理性が完全に吹き飛び、彼のコアユニットから、これまでとは比較にならないほど凶悪で膨大な魔力が溢れ出した。
「認めねえなら、テメェのその薄汚いプライドごと、跡形もなく消し飛ばしてやる!!」
ヴォルフの両腕のファフニールが、危険な限界突破の赤い光を放ち始める。
周囲の空間が、莫大なエネルギーの収束によってミシミシと悲鳴を上げ、大気が渦を巻いて彼へと吸い込まれていく。
「警告。敵機から規格外のエネルギー反応。回避不能。直ちに装甲の全パージを推奨」
ジンのシステムが、けたたましいアラートを鳴らし続ける。
しかしジンは、逃げることも、武器を構えることもしなかった。
彼はただ静かに、腰の奥深くにある封印されたコアへと、ゆっくりと右手を伸ばした。
力に溺れ、獣に成り下がったかつての仲間の咆哮が、クレーターの空を完全に震わせていた。




