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第30話:帰還派の咆哮

崩落する岩盤。明滅する古代の魔法回路。

地下数百メートルに広がる広大なドーム空間は、今や崩壊の連鎖によって完全な死地と化していた。

セスの放った不用意な魔法によって軌道を逸らされたゴーレムの極太の魔力光線は、ドームの天井を支えていた巨大な石柱を次々と薙ぎ払い、何千トンという岩石の雨を降らせていた。

その岩石の雨の下で、セス・オズワルドは頭を抱えて悲鳴を上げ、ただ無様に地面を這い回ることしかできなかった。

彼が誇る黒魔法の結界など、この圧倒的な質量の落下物の前では紙切れ同然だ。

だが、ジン・クロサワの瞳に焦りの色は一切なかった。

彼は無機質な目で頭上の崩落の軌道を瞬時に計算し、自身と魔力脈のコア、そして逃げ惑うセスに迫る巨大な岩盤を視界に収めた。

同時に、右半身をもがれてなお暴走状態にある古代ゴーレムが、残された左腕を振り上げ、ジンを粉砕せんと突進してくる。

「リミッター解除。第一防壁、パージ」

ジンの低く冷たい声が、崩壊の轟音を切り裂いて響いた。

通常、神話クラスの魔獣を両断する際には第一から第五までの全防壁をパージする。だが、今回は相手が一体のゴーレムであり、何よりも地下空間での過剰なエネルギー放出は自らを生き埋めにする危険があった。

ゆえに、限定的な解放。

ジンの右腕の装甲がカシャリと音を立ててパージされ、青白い粒子金属が空中に舞う。

それは大気中の魔力を吸い上げ、極限まで圧縮され、一本の長大な刃の形へと収束していく。

「顕現せよ、ムラサメ……一撃で終わらせる」

暗闇の地下空間に、月明かりを凝縮したような青白い大太刀が顕現した。

ジンは姿勢を低く沈め、大太刀を腰だめに構え、静かに息を吸い込んだ。

時間は、まるで氷結したかのように遅く感じられた。

迫り来るゴーレムの巨大な拳。

頭上から降り注ぐ何千トンもの岩盤。

ジンは、地を蹴った。

スラスターの爆発的な加速を伴った、神速の居合い抜き。

音は遅れてやってきた。

青白い一閃の剣筋が、空間そのものに一筋の亀裂を刻み込んだように見えた。

次の瞬間、ジンの頭上に落下してきていた巨大な岩盤が、まるで豆腐のように綺麗に斜め半分に切断され、ジンの両脇へと滑り落ちて激突した。

そして、その剣閃の延長線上にいた巨大な古代ゴーレムの巨体は。

「…………ギッ」

機械的な短い摩擦音を残し、右肩から左脇腹にかけて、全く抵抗を感じさせない滑らかさで斜めに両断されていた。

断面から高圧の魔力流体が噴出し、十メートルを超える鉄の巨神が、ズズンという地響きと共に上半身と下半身に分かれて崩れ落ちた。

沈黙。

降り注ぐ岩盤も、古代の防衛兵器も、たった一振りの刃によって完全に物理切断され、機能停止したのだ。

発光苔の淡い光の中、ジンはムラサメの刃を静かに霧散させ、肩で大きく息をした。限定的とはいえ、装甲の一部をパージし、極限の集中力で居合いを放った代償として、彼の肉体には確かな疲労が蓄積していた。

「ば……馬鹿な……」

瓦礫の陰で震えていたセスは、信じられないものを見る目でその光景を凝視していた。

帝国の黒魔法でも、王国の白魔法でもない。魔法の詠唱も、魔陣の展開もなく、ただの一振りで神話の遺物を切り捨てたのだ。

(あ、あんな出鱈目な力があってなるものか! あの男、ヴォルフ以上に危険だ!)

セスの胸中で、恩を売って手駒にするという先ほどの野心は完全に霧散していた。

あのような底知れない化け物を、自分がコントロールできるはずがない。

その時、セスの卑小な目に、呼吸を整えるためにジンがわずかに膝をつき、背中を見せたのが映った。

装甲の一部が剥がれ落ち、隙だらけに見える背中。

(……今なら。今なら殺せる!)

セスの脳内で、どす黒い嫉妬と功名心が恐怖を塗り潰した。

ここでこの男を殺せば、得体の知れない脅威を一つ排除できる。さらに、ゲオルグ公爵に「黒騎士の仲間を始末した」と報告すれば、自分の地位はさらに強固なものになるはずだ。

「死ねェッ! 異界の化け物め!!」

セスは狂ったように叫び、両手から極大の黒魔法「暗黒螺旋衝」を放った。

空間を捻じ曲げ、触れたものを原子レベルで分解する帝国屈指の暗殺魔法。それが、無防備なジンの背中へ向かって音もなく殺到する。

勝った。

セスが歪んだ笑みを浮かべた、まさにその瞬間。

ジンは振り返ることすらなく、腰のウェポンラックから抜いた高周波ブレードを、背後へと向かって無造作に一閃した。

パァァァァンッ!!

暗黒の魔力の塊が、ただの物理的な刃によって真っ二つに切り裂かれ、ジンの両側をすり抜けて後方の岩壁に激突し、虚しく四散した。

「な……!?」

セスが驚愕に目を剥いた時には、ジンはすでにセスの眼前に立っていた。

音も、殺気すらなかった。ただ、気づけばそこに死神が立っていたのだ。

「ひっ……!」

ジンは右足でセスの腹部を容赦なく蹴り飛ばした。

「がはっ!」

胃液を吐き出しながら、セスは石畳の上を無様に転がり、仰向けに倒れ込んだ。

起き上がろうとするセスの顔面のすぐ横に、ジンの高周波ブレードが深々と突き刺さる。

氷のような、感情の一切欠落した瞳が、バイザーの奥からセスを見下ろしていた。

「お前がどこの誰で、どんな野心を持っているかなど、俺にはどうでもいい」

ジンの声には、怒りすら含まれていなかった。ただ、路傍の石を退けるような無機質さだけがあった。

「俺は、お前たちのように他人を蹴落とすゲームで遊んでいる余裕はない。俺の目的はただ一つ、家に帰ることだ。それを邪魔する奴は、帝国だろうが王国だろうが、神だろうが……斬る」

その瞳を見た瞬間、セスは完全に心をへし折られた。

彼は帝国のスラムで数え切れないほどの死体を見てきたし、軍部での血みどろの権力闘争も生き抜いてきた。

だが、目の前の男が放つのは、そういった次元の殺気ではない。何万、何十万という異形の怪物たちと血みどろの殺し合いを演じ、常に死の淵を歩き続けてきた、本物の修羅だけが持つ「絶対的な暴力の静けさ」だった。

自分のちっぽけな野心やプライドなど、この男の前では微塵の価値もない。

セスはガチガチと歯を鳴らし、股間を濡らしながら、ただひたすらに首を横に振り続けた。

「ひぃぃっ……! ゆ、許して……許してください……!」

ジンはブレードを引き抜き、セスの首ぐらをつかんで放り投げた。

「地上の連中に伝えろ。俺の邪魔をするな、と」

セスは転がるようにして立ち上がると、もはや振り返ることもせず、来た時の横穴へと泣き叫びながら逃げ去っていった。

暗闇の地下空間に、再び静寂が戻る。

「くくく……。素晴らしい。実に素晴らしいよ、ジン。君のその冷徹さこそ、私の実験には不可欠だ」

岩陰から姿を現した東郷創一は、拍手をしながら歩み寄ってきた。

彼の手にある端末は、すでに大地の魔力脈のコア・コンソールと完全にリンクし、緑色のデータが滝のように流れていた。

「終わったのか、博士」

ジンが息を整えながら問う。

「ああ。古代の魔法回路のセキュリティは強固だったが、君がゴーレムを破壊してくれたおかげで、ファイアウォールは完全に沈黙した。これで、この大陸の地下を流れる巨大なエネルギーの奔流は、私の意のままに制御できる」

東郷は狂気に満ちた笑みを浮かべ、魔力脈の輝く河を見つめた。

「さあ、始めようじゃないか。地球の座標を特定し、次元の壁に穴を空けるための第一段階。……我々の存在を、この愚かな異世界の住人たちに刻み込んでやる」

東郷が端末の実行キーを、迷いなく叩き込んだ。

その瞬間。

地下ドームを満たしていた青緑色の魔力の河が、突如として激しく逆流を始めた。

大地が鳴動し、遺跡の石組みが悲鳴を上げる。

莫大なエネルギーが、何万年もの沈黙を破って一点に収束し、そして上方向、すなわち地上の戦場に向かって一気に噴出したのである。

地上。中立地帯の平原。

ガルディア帝国軍とルミナス王国軍の全面衝突は、すでに数万の死傷者を出し、戦場は血の池と化していた。

黒騎士ヴォルフ・シュナイダーの放つ赤黒いファフニールの閃光が、王国の防衛線を次々と吹き飛ばす。

聖騎士シオン・ミカゲの構える白銀のロンギヌスが、帝国の魔獣部隊を貫き、防衛の要を死守する。

互いの思想と正義を懸けた、血で血を洗う泥沼の殺し合い。

皇帝ルーファスも、聖王女エリアーナも、それぞれの陣営の後方からこの世界の命運を決する戦いを見守っていた。

だが、彼らの戦争は、突如として最悪の形で中断されることになった。

ゴゴゴゴゴゴォォォォォォォッ!!

平原の中央。先ほど地盤陥没が起きた巨大なクレーターの底から、聞いたこともないような地響きが鳴り響いた。

両軍の兵士たちが、武器を止めて足元を見る。

大地が波打ち、亀裂が走り、重力が異常な数値を弾き出す。

「な、なんだ!? 何が起きている!?」

ヴォルフがスラスターで空中に退避し、眼下を見下ろした。

シオンもまた、ルカと共に城壁の上からクレーターの底を凝視した。

次の瞬間。

ドヴァァァァァァァァァッ!!!

平原の中央を突き破り、天に向かって直径百メートルを超える巨大な「青白い光の柱」が噴出した。

それは帝国の黒魔法でも、王国の白魔法でもない。

純粋な星のエネルギーと、未知のテクノロジーが融合した、絶対的で神話的な力の奔流であった。

光の柱は分厚い暗雲を完全に吹き飛ばし、エルドラの空に二つの月をくっきりと浮かび上がらせた。

あまりのまばゆさと凄まじい衝撃波に、数万の兵士たちがバタバタと薙ぎ倒され、視力を奪われてうずくまる。

魔法陣はかき消され、空を飛んでいた魔獣たちは強風に煽られて墜落していく。

「あ、あれは……!」

帝国の本陣で、皇帝ルーファスが玉座から立ち上がり、目を見開いた。

「女神の……光……? いや、違う。あれは神聖なる力ではない!」

王国の本陣で、八賢者のバルバロスが杖を落とし、驚愕に顔を歪めた。

十万を超える軍勢が、完璧に戦闘を停止した。

誰もが、天を貫くその巨大な光の柱を、ただ呆然と見上げるしかできなかった。

しかし、その戦場の中でたった二人だけが、その光の正体を正確に理解していた。

「……隊長。やりやがったな」

空中で強風に耐えながら、ヴォルフは獰猛な笑みを浮かべて呟いた。

「ジン殿……東郷博士……」

城壁の上で、シオンは祈るように両手を握り締めた。

その青白い光の波長。

それは、地球で彼らが纏っていたPM-ギアのエネルギーそのもの。

帝国にも、王国にも与せず、ただ一つの帰還という目的のためだけに、世界の裏側で牙を研いでいた「第三の勢力」の咆哮であった。

光の柱は、帝国と王国の戦場を物理的に、そして概念的に完全に分断した。

実力主義を掲げる覇王。

絶対の秩序を掲げる賢者たち。

そして、すべてを斬り捨てて家族の元へ帰ろうとする最強の装甲兵。

交わることのない三つの信念が、この異世界の空の下で明確に姿を現した瞬間であった。

戦火は一旦の静寂を迎え、しかしそれは、やがて訪れるより巨大な破滅の序曲に過ぎない。

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