第29話:地底の遭遇
聖大陸エルドラへの転移から二十九日目。
地上で黒魔術と白魔法が凄惨な衝突を繰り返している頃、その遥か地下、中立地帯の最深部では、静寂に包まれていた古代遺跡が不気味な産声を上げようとしていた。
地盤崩落の余波は、分厚い岩盤を伝わり、地下迷宮の最奥部にまで到達していた。
天井から巨大な石の破片が降り注ぎ、発光苔に照らされた空間に濛々とした土煙が立ち込める。
「ほう。どうやら地上の連中、ずいぶんと派手にやり合っているらしいな。この地下まで衝撃波が届くとは」
東郷創一は、崩れ落ちてくる瓦礫を気にする素振りも見せず、眼前に広がる光景に目を奪われていた。
そこは、広大な地下ドーム空間だった。
中央には、青緑色に輝く純粋な魔力の奔流が、巨大な河のように渦を巻いて流れている。これが、エルドラの大地を循環するエネルギーの心臓部、「大地の魔力脈」のコアであった。
「ジン、見ろ。魔力脈の波動が、地上の戦争で発生した莫大な魔力干渉を受けて不安定になっている。……ん?」
東郷が携帯端末の数値を読み上げようとした時、魔力脈の河の中心から、地響きのような重低音が鳴り響いた。
ゴォォォォォォォ……ッ!
青緑色の光の河が割れ、中から巨大な影がゆっくりと立ち上がった。
それは、岩石と未知の古代金属で構成された、全高十メートルを超える巨大な機械仕掛けのゴーレムであった。
頭部には目はなく、代わりに十字の形に掘られた溝から、真紅の魔力光が明滅している。太い四本の腕の関節部では、巨大な歯車が不気味な摩擦音を立てて回転し、全身の装甲の表面には、現代の魔法陣とは全く異なる幾何学的な古代文字がびっしりと刻み込まれていた。
「自律型の防衛兵器か。魔力脈の異常を感知して、排除モードに移行したようだな」
ジン・クロサワは、一切の動揺を見せることなく、腰のウェポンラックから高周波ブレードを引き抜いた。
「面白い。あれの装甲材質は、帝国や王国が使っているミスリルよりも遥かに高密度だ。君の刃がどこまで通用するか、見物させてもらおう」
東郷は安全な岩陰へと下がり、端末でゴーレムのスキャンを開始する。
「ギガァァァァッ!!」
古代ゴーレムの十字の顔面から、機械的な咆哮が発せられた。
次の瞬間、ゴーレムの四本の腕が、凄まじい速度でジンに向かって叩きつけられた。
ドゴォォォンッ!
ジンが直前まで立っていた石畳が、紙くずのように粉砕される。
回避したジンは、空中でスラスターを僅かに吹かしてゴーレムの側面に回り込み、高周波ブレードをその膝の関節部に叩き込んだ。
ガキィィィィンッ!!
激しい火花が散る。
防衛軍の最新鋭のブレードが、全く刃が立たずに弾き返された。
(……硬いな。装甲表面に、衝撃を分散させる魔力の皮膜が張られている)
ジンは着地と同時に後方に跳び退き、ゴーレムの次なる攻撃を躱した。
ゴーレムのギミックは、単なる硬さだけではなかった。
物理的な攻撃を受ける瞬間、装甲の表面にある古代文字が光り、装甲板そのものがスライドして攻撃の威力を完全に受け流す構造になっているのだ。さらに、四本の腕はそれぞれが独立した思考を持っているかのように、死角を完全に補い合う変則的な連撃を繰り出してきた。
「圧倒的な質量と、完璧な防御機構か。厄介な相手だ」
ジンは冷静にゴーレムの動きを観察した。
焦りはない。彼は地球で、これよりも遥かに理不尽な未確認生命体と幾度も死闘を繰り広げてきた歴戦のプロフェッショナルなのだ。
「必ずどこかに、冷却のための排熱口か、魔力の継ぎ目があるはずだ」
ジンは回避に専念しながら、ゴーレムの動作の規則性を計算し始めた。
その激しい戦闘の様子を、ドームの遥か上方の岩棚から、息を殺して見下ろしている一人の男がいた。
ガルディア帝国特務親衛隊隊長、セス・オズワルドである。
(なんなのだ、ここは……! なぜこんな地下深くで、化け物同士が戦っている!?)
セスの全身は土埃と擦り傷にまみれ、息も絶え絶えだった。
彼は地上の戦場で、ゲオルグ公爵の計画通りヴォルフの補給線を絶つための工作を行っていた。その最中、ヴォルフとシオンの激突を起点とした大規模な地盤崩落に巻き込まれ、深い亀裂の底へと滑り落ちてしまったのだ。
地下の暗い横穴を必死に這い進み、ようやく広い空間に出たと思ったら、目の前で神話時代の遺物のような巨大兵器と、漆黒の装甲兵が死闘を繰り広げていたのである。
(あの装甲……間違いない。あの憎きヴォルフと同じ、異邦人の兵器だ)
セスは岩陰から顔を半分だけ出し、ジンの戦いぶりを凝視した。
(だが、戦い方が全く違う)
ヴォルフの戦い方は、圧倒的な火力で正面からすべてを吹き飛ばす、野蛮で大味なものだった。
しかし、眼下で戦っている男は違う。
巨大なゴーレムの四本の腕が巻き起こす嵐のような連撃を、男は最小限の動きで、紙一重で躱し続けている。力任せの攻撃は一切行わず、冷徹な機械のように相手の弱点を探っているのが、セスのような魔導師の目にもはっきりと理解できた。
(……あの男、伝説の騎士の仲間の一人か。たしか、三人いたという話だったが……)
セスの頭脳が、恐怖を上回るどす黒い野心で急速に回転し始めた。
(ヴォルフは、力こそすべてと嘯く制御不能の狂犬だ。ゲオルグ公爵も、私をただの捨て駒としか見ていない。だが……もし、あの男を私の手駒にできたらどうだ?)
セスの瞳が、薄暗い野望の光で濁っていく。
あの冷徹な戦士を、金か、地位か、あるいは女で手なずけることができれば。自分はヴォルフの圧倒的な暴力を恐れる必要もなくなり、ゲオルグ公爵のような老いぼれにへつらう必要もなくなる。
帝国の頂点に立ち、すべてを見下ろすことができる。
(そうだ……。あの男が疲弊しきったところで恩を売り、私に忠誠を誓わせるのだ。ふふふ、天は私を見放していなかった!)
セスは歪んだ笑みを浮かべ、手に黒魔法の魔力を蓄えながら、介入のタイミングを虎視眈々と狙い始めた。
そんな頭上の姑息な視線など気にも留めず、ジンはゴーレムの解体作業を大詰めへと進めていた。
(見切った。攻撃モーションに入ってから、関節の装甲がスライドして防御を固めるまでのタイムラグ。……0.2秒)
ジンは、あえて自分から壁際へと追い詰められるように移動した。
「ギガァァァッ!」
ゴーレムが好機と見て、四本の腕を束ねて巨大なハンマーのようにし、ジンの頭上へと振り下ろしてきた。
「今だ」
ジンは回避しなかった。
両脚のパイルバンカーを床の石畳に打ち込んで自らを固定し、スラスターの全出力を「上方への推力」へと回す。
そして、振り下ろされる四本の腕のど真ん中へ向かって、自ら跳躍したのだ。
激突の0.2秒前。
ゴーレムの関節部の装甲が、防御のためにスライドしようと開いた、その一瞬の隙間。
ジンの高周波ブレードが、そのわずか数センチの隙間に、針の穴を通すような精密さで突き刺さった。
「システム・オーバーライド。粒子強制注入」
ブレードの刀身から、高濃度の装甲粒子がゴーレムの駆動部へと直接流し込まれる。
内部の魔法回路が異物の混入によって激しくショートし、凄まじいスパークが弾けた。
「ギ、ギギギッ……!?」
ゴーレムの右半身の二本の腕が、内部から爆発を起こして完全に沈黙し、だらりと垂れ下がった。
「一つ。……次は脚だ」
ジンは空中で体勢を立て直し、機能停止したゴーレムの腕を蹴って背後へと回り込む。
そして、排熱のために開いていた背面の魔法シリンダーの隙間に、予備の短剣を柄まで深々と突き立てた。
プシュゥゥゥゥッ! という音と共に、高圧の魔力流体が噴き出す。
完璧な要塞であった古代ゴーレムが、ジンの冷徹な戦術の前に、文字通り一つ一つの部品をもがれるように解体されていく。
(ば、馬鹿な……。あんな巨大な神話の兵器を、魔法も使わずに、たった一本の刃で……!)
岩棚から見下ろしていたセスは、戦慄に震えた。
ヴォルフの火力も恐ろしかったが、この男の放つ、感情の一切欠落した「純粋な殺意の技術」は、魔導師であるセスの理解を完全に超えていた。
(ま、待て。このままでは奴が一人で勝ってしまう。恩を売る隙がない!)
焦ったセスは、ゴーレムがジンに向かって最後の反撃として、胸部のコアから極太の魔力光線を放とうとしているのを見た。
(今だ! ここで私がゴーレムの目を眩ませれば……!)
「恩寵を受けよ、異邦の戦士! この特務親衛隊隊長、セス・オズワルドが加勢する!」
セスは岩棚から飛び降りながら、両手から暗黒の魔球を放った。
「黒炎連弾!!」
漆黒の炎が、ゴーレムの顔面めがけて飛んでいく。
しかし、それは完全に最悪のタイミングでの横槍であった。
ジンの緻密な計算によって誘導されていたゴーレムの攻撃軌道が、セスの魔法の着弾による衝撃でわずかにズレたのだ。
「チッ……余計な真似を」
ジンは舌打ちをした。
ゴーレムの胸部から放たれた極太の魔力光線は、ジンを逸れ、魔力脈のコアの周囲に立ち並んでいた古代の石柱を吹き飛ばし、地下ドーム全体を揺るがす大崩落を引き起こした。
ガラガラガラッ!!
天井から家屋ほどの大きさの岩盤が、次々と落下してくる。
「ひぃっ!?」
着地したばかりのセスは、頭上から落ちてくる巨大な岩盤を見て、悲鳴を上げて腰を抜かした。
ジンは回避行動を取りながら、苛立たしげにセスの姿を一瞥した。
地上の事情など知ったことではないが、この地下での作業をこれ以上邪魔されるわけにはいかない。
「……博士、少しだけ予定を変更する」
ジンは通信機に向かって短く告げた。
「あのうっとうしい鉄屑と、邪魔なネズミを……一括で処理する」
ジンの右手が、ついに腰のベルトの奥深く、封印されたコアへと伸ばされる。
暗闇の地下空間で、最強の装甲兵が、ついにその本来の牙を剥き出しにしようとしていた。




