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第21話:黒騎士と聖騎士の誕生

ガルディア帝国帝都、黒曜石の円形闘技場。

見渡す限りの観客席を埋め尽くすのは、帝国の軍服に身を包んだ数万の屈強な兵士たちであった。

闘技場の中央に立つ一人の男に向けて、地鳴りのような歓声と怒号が降り注いでいる。空に向けては幾十もの炎の魔法が祝砲として打ち上げられ、空気を灼熱に焦がしていた。

「強者こそが絶対だ!」

「俺たちの新たな将軍に栄光あれ!」

獣のような咆哮の波。それは地球の整然とした軍事パレードとは対極にある、むき出しの暴力と熱狂の渦であった。

その渦の中心で、ヴォルフ・シュナイダーはゆっくりと周囲を見渡していた。

彼の顔には、隠しきれない獰猛な笑みが浮かんでいた。

(……最高じゃねえか)

ヴォルフの脳裏に、遠い地球での記憶が蘇る。

防衛軍に所属していた頃、彼は常に厄介者として扱われてきた。スラム街で育った孤児という出自、命令違反を繰り返す粗暴な振る舞い。どれだけ最前線で未確認生命体を吹き飛ばし、部隊の危機を救っても、彼の胸に勲章が飾られることはなかった。

上層部の連中はいつも冷ややかな目で彼を見下し、「力しかない野蛮な犬」と陰口を叩いていた。清潔な会議室でふんぞり返るエリートたちに支配される息苦しい世界。ヴォルフの心には、常に満たされることのない巨大な飢餓感と、社会に対するどす黒い怒りが渦巻いていたのだ。

だが、この世界は違う。この帝国は違う。

血筋も、過去も、教養も、ここでは一切意味を持たない。

敵を粉砕する圧倒的な力さえあれば、こうして数万の人間が心の底からひれ伏し、歓声を上げてくれるのだ。

闘技場の特設された巨大な玉座から、皇帝ルーファス・ヴァン・ガルディアが静かに立ち上がった。

彼が右手をわずかに上げただけで、数万の兵士たちの地鳴りのような歓声が、まるで魔法をかけられたかのように一瞬で静まり返る。

絶対的なカリスマ。それが、この帝国の頂点に立つ男の力であった。

「我が帝国の同胞たちよ。そして、新たなる力を渇望する戦士たちよ」

ルーファスの声は、魔力によって闘技場の隅々にまで低く重く響き渡った。

「我らはかつて、血統という虚構に縛られ、誇り高き領土を失った。無能な者が上に立ち、真の実力を持つ者が泥水をすする。そのような腐敗した世界を、私は自らの手で終わらせた。このガルディア帝国において、価値あるものはただ一つ。おのれの力で未来を切り開く、圧倒的な実力のみである」

数万の兵士たちが、一斉に右拳を左胸に叩きつけ、金属音を響かせた。

それは彼らがルーファスの理念に狂信的なまでに賛同している証であった。

「今日、我々は未知の地より訪れた、一人の無双の戦士を同胞として迎え入れる。彼は神話の魔獣を一撃で屠るほどの、規格外の破壊力を持つ男だ」

ルーファスの視線が、闘技場の中央に立つヴォルフに向けられた。

「前に出よ、ヴォルフ・シュナイダー」

ヴォルフは重々しい足取りで、玉座へと続く黒曜石の階段を登った。

PM-ギアの装甲を纏った彼の巨体は、周囲のどんな猛将よりも威圧感を放っている。

玉座の前に膝をつくヴォルフに対し、ルーファスは自らの手で、帝国の紋章が金糸で刺繍された漆黒の重厚な外套を彼の肩に掛けた。

「君のそのすべてを灰燼に帰す力、このガルディア帝国のために振るうことを許そう。今日この時より、君を特務親衛隊総司令、伝説の黒騎士として任命する」

ヴォルフが立ち上がり、漆黒の外套を翻して背後の数万の兵士たちへ振り返った瞬間、闘技場は再び爆発的な熱狂に包まれた。

「黒騎士! 黒騎士! 黒騎士!」

地響きのようなコールが巻き起こる。

「ガハハハハ! いやあ、見事なもんじゃないか、俺たちの新しい黒騎士様は!」

玉座の傍らから、宰相であり筆頭魔導師であるレオン・バルバトスが豪快に笑いながら近づいてきた。彼の手には、自身の背丈ほどもある巨大な酒樽が握られている。

レオンはそのまま酒樽の蓋を叩き割り、ヴォルフの頭から琥珀色の強い酒を豪快にぶちまけた。

「歓迎するぜ、ヴォルフ! 今日からお前は俺たちの兄弟だ。この大陸のすべてを、俺たち二人の火力で焼き尽くしてやろうぜ!」

「へっ、上等だ。俺のファフニールの力、出し惜しみはしねえ。邪魔する奴は、神様だろうが王様だろうが、まとめて吹き飛ばしてやるよ」

ヴォルフは頭から滴る酒を舌で舐めとり、心の底から湧き上がる獰猛な笑い声を上げた。

彼を長年縛り付けていた鎖は完全に砕け散った。

地球への帰還など、もはや彼の頭の片隅にも残っていない。彼は今、自分の存在が完全に肯定される、待ち望んでいた最高の居場所を手に入れたのだ。

しかし、その熱狂の光景を、闘技場の暗がりから憎悪に満ちた目で睨みつけている男がいた。

特務親衛隊の前隊長、セス・オズワルドである。

「ぽっと出の野蛮人ごときが……。私の、私が泥を這って手に入れた地位を、あんな簡単に……」

セスは自身の唇から血が滲むほど強く噛み締め、ギリギリと爪を立てていた。

「無念かな、若き魔導師よ」

そのセスの背後から、しわがれた、しかし毒を含んだような声が囁きかけた。

振り向くと、そこには豪奢なローブを身に纏い、冷ややかな目を細める老人、旧貴族派の筆頭であるゲオルグ・マクシミリアン公爵が立っていた。

「公爵……。貴族のあなたが、なぜこのような場所に」

「ただの余興の見物さ。だが、見ていて気分が悪くなる。由緒正しき魔導の力を、あのような出処の知れぬ異端の輩に汚されるなど、帝国の恥辱というほかない」

ゲオルグは蛇のような目で、歓声の中央に立つヴォルフを見据えた。

「陛下は少々、新しき力というものに惑わされすぎている。我々で、あの黒騎士が本当に帝国の頂点に立つにふさわしいか、試してやる必要があるのではないかね。……お前の力を貸せ、セス・オズワルド。奪われた誇りを取り戻すために」

セスの暗い瞳に、危険な陰謀の炎が灯る。

帝国の熱狂の裏側で、力と嫉妬が入り混じる血生臭い暗闘が、すでに静かに幕を開けようとしていた。

一方その頃。

西の帝国とは全く異なる、神聖なまでの静寂が支配する場所があった。

東のルミナス王国、聖都の最奥に位置する白亜の大聖堂である。

高くそびえる天井には、王国の歴史と天使たちの姿が精緻なフレスコ画として描かれている。巨大なステンドグラスを通して差し込む七色の光が、磨き上げられた大理石の床を天界の回廊のように照らし出していた。

何千人もの市民と純白の甲冑を纏った騎士たちが大聖堂を埋め尽くしているが、そこに歓声や怒号は一切ない。

聞こえるのは、数千人が完全に声を一つにして合わせる、清らかで厳かな祈りの合唱だけであった。

その光の道の中心を、シオン・ミカゲはゆっくりと歩いていた。

彼女の身を包んでいるのは、防衛軍の機能的で無骨なインナーではない。

王国の最高級の絹と、聖なる魔力を帯びた白銀の軽甲冑で設えられた、美しい騎士の礼装であった。彼女の長く美しい黒髪は、純白の衣装とコントラストを描き、まるで神話から抜け出してきた戦乙女のような神々しさを放っている。

(……静かだ。なんて穏やかな空気なのだろう)

シオンは胸の前で手を組み、祭壇へと続く大理石の階段を一歩一歩踏み締めながら、己の心の内を見つめていた。

彼女が地球で信じていた正義。それは常に、血と泥と硝煙にまみれていた。

防衛軍のエースとして、人々の平和を守るために未確認生命体と戦い続けてきた。しかし、彼女がどれだけ剣を振るっても、街は破壊され、無辜の市民が犠牲になり、上層部は責任逃れと政治的な駆け引きに終始するばかりだった。

助けられなかった命。泣き叫ぶ子供たちの声。

シオンの正義感は、戦えば戦うほどに摩耗し、やがて「自分の信じる正義とは、ただの自己満足に過ぎないのではないか」という深い絶望へと変わりつつあった。

戦いの果てにあるはずの平和は、いつまで経っても彼女の前に姿を現さなかった。

だが、この国は違う。

争いも、犯罪も、悲鳴も存在しない。

人々は絶対的な正しさである聖典の教えに従い、互いを思いやり、静かに微笑み合っている。

彼女がずっと求めていた、誰も傷つくことのない完璧な平和が、このルミナス王国には確かに存在していた。

祭壇の最上段には、現聖王女エリアーナ・ルミナスと、八賢者の一人であるルカ・エヴァンズが、慈愛に満ちた微笑みを浮かべてシオンを待っていた。

シオンが祭壇の前に辿り着き、静かに片膝をついて頭を垂れると、祈りの合唱がピタリと止んだ。

完全な静寂の中、エリアーナが透き通るような声で紡ぎ始めた。

「異界より遣わされし、清らかなる魂を持つ者よ。あなたのその迷いなき正義の光は、あの恐ろしき地竜を討ち果たし、我が国に大いなる希望をもたらしました」

エリアーナは香油の入った銀の杯を手に取り、シオンの額に触れて静かに十字を切った。

「神聖なる聖典の名の下に、我らはあなたを王国の守護者として迎え入れます。その身に宿る光を以て、邪悪なる闇を払い、民の安らぎを守る盾となりなさい。……今日よりあなたを、ルミナス王国の聖騎士に任じます」

「ははっ。この命に代えても、王国の正義と平和をお守りいたします」

シオンは震える声で誓いの言葉を口にした。

続いて、ルカがシオンの前に進み出た。

彼の手には、王国の国宝の一つである白銀の長剣が恭しく捧げられていた。

「シオン殿。あなたのその純粋な正義の心に、私は深い感銘を受けました。どうか、この剣をあなたの力の依り代としてください。あなたの放つ光の槍が、この国を永遠の平和へと導いてくれることを、私は心から信じています」

ルカの誠実な青い瞳を見つめ返し、シオンは両手でその白銀の剣を受け取った。

剣に込められた聖なる魔力が、彼女のPM-ギアのコアと共鳴し、温かく清らかな光を放ち始める。

それは、地球の科学技術と、異世界の神聖な魔力が完全に融合した瞬間であった。

シオンが立ち上がり、大聖堂の入り口へと振り返った。

その瞬間、大聖堂に集まっていた数千の市民たちが、一斉に涙を流し、両手を組み合わせてシオンに向かって深く祈りを捧げ始めたのだ。

「おお、光の騎士様……」

「どうか、我らをお守りください」

歓声はない。ただ、静かで熱烈な、彼女に対する完全な信頼と信仰の涙だけがあった。

それは、シオンが地球の軍隊時代にどれだけ命を懸けても決して得ることができなかった、真の「承認」であった。

自分が正義であると、何千人もの人々が涙を流して肯定してくれている。

その圧倒的な事実に、シオンの胸は震え、彼女自身の瞳からも一筋の涙がこぼれ落ちた。

(私は、ようやく見つけた。私が命を懸けて守るべき、真の正義を。この美しい国の人々の祈りを、絶対に黒い炎などに焼かせはしない)

シオンは、胸に抱いた白銀の剣を強く握り締めた。

地球へ帰るというかつての目的は、彼女の中で神聖な使命の光に完全に塗り潰されていた。彼女は今、ルミナス王国の聖騎士として、この異世界で生きる覚悟を完全に固めたのである。

しかし、彼女はまだ気づいていなかった。

大聖堂の隅で、彼女の叙任式を冷酷な目で見下ろしている異端審問官カシウスや、防衛の賢者アルベールといった、古き賢者たちの暗い視線の存在に。

美しすぎる秩序の裏側に張り巡らされた、見えない毒の蜘蛛の巣に、彼女自身がすでに絡め取られていることに。

熱狂に包まれた帝国の黒騎士。

静寂に包まれた王国の聖騎士。

かつて同じ地球の空の下で、同じ目的のために命を預け合った二人の戦士は、剣と魔法の異世界において、全く正反対のイデオロギーの象徴として生まれ変わった。

彼らが手に入れたものは、地球では決して得られなかった「自己の完全なる肯定」であった。

そしてそれゆえに、彼らが再び交わる時は、互いの信じるものを懸けた、絶対に相容れない血みどろの殺し合いになる運命が決定づけられたのである。

鋼鉄の三連星の絆は、ここで完全に断ち切られた。

残るはただ一人。

世界のすべてを敵に回してでも、家族の待つ地球へ帰るためだけに刀を研ぎ澄ます男の、孤独な暗躍の始まりを待つだけであった。

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