第20話:決意と決裂の足音
聖大陸エルドラへの転移から十三日目。
両国の境界線に位置する中立地帯の宿営地は、嵐の前の静けさというべき異様な空気に包まれていた。
深夜。ジン・クロサワは自身のテントで、PM-ギアのメンテナンスを行っていた。
外では、それぞれ別の方向を見つめる部下たちの気配がする。彼らの心はすでに別の世界へと旅立っており、あとは物理的な別離の時を待つだけだった。
その「時」は、唐突に、そして暴力的な形で訪れた。
宿営地の西側、荒涼とした岩場で一人夜空を見上げていたヴォルフ・シュナイダーの背後に、ぬらりと巨大な影が這い寄った。
「……いい気なものだな、どこの馬の骨とも知れぬ異邦人よ」
声と共に、周囲の重力が異常な数値を弾き出した。岩場の小石がフワフワと宙に浮き上がり、次の瞬間、凄まじい圧力となってヴォルフの頭上からのしかかる。
ガルディア帝国特務親衛隊隊長、セス・オズワルドであった。
「スラムの泥水をすすってきた俺が、どれだけの血を流してあの地位を手に入れたと思っている。それを、ぽっと出の貴様が皇帝陛下の寵愛を奪うなど、断じて許されることではない!」
セスの両手から、漆黒の魔力が奔流となって放たれる。周囲の空間そのものを圧縮し、対象をミンチに変える帝国特有の高位黒魔法「重力崩壊」だ。
しかし、ヴォルフは振り返りもしなかった。
彼の腰のコアが、紫電を帯びた青い光を猛烈に放ち始める。
「……嫉妬かよ。帝国ってのは実力主義なんじゃなかったのか? テメェの力が足りねえのを、俺のせいにするんじゃねえよ」
ヴォルフはニヤリと凶悪な笑みを浮かべ、右腕を後方のセスへと向けた。
大気中の魔力が、東郷のパッチプログラムによって無慈悲なまでにPM-ギアへと吸い上げられていく。
「ジェネレーター直結。魔力圧縮率、限界突破。……灰燼に帰せ、ファフニール……すべてを吹き飛ばす!」
ヴォルフの右腕を覆う粒子金属が、瞬時に巨大な砲身へと変貌する。
限定展開された重魔導砲ファフニールから放たれたのは、これまでの青白い光線ではない。帝国の黒魔法の魔力と、粒子金属のエネルギーが最悪の形で融合した、赤黒い破壊の閃光だった。
ドゴォォォォォォッ!!
セスの放った重力崩壊の魔法陣が、ファフニールの閃光に触れた瞬間にガラスのように粉砕された。
圧倒的な質量の暴力。閃光はそのままセスの横の岩山を丸ごと消し飛ばし、天を焦がすような爆炎を巻き起こした。
「ヒィッ……!?」
セスは腰を抜かし、完全に崩れ落ちた。あと数センチ狙いが違えば、自分もあの岩山と同じように原子の塵と化していた。圧倒的な次元の違いを前に、彼の野心は恐怖へと塗り潰されていた。
「そのくらいにしとけ、ヴォルフ。俺の可愛い親衛隊長が失禁しちまうぜ」
暗闇の中から、パチパチと拍手をしながら姿を現したのは、皇帝ルーファス・ヴァン・ガルディアだった。彼は一部始終を、影から愉快そうに見物していたのだ。
「皇帝陛下……」
ヴォルフが砲身の熱を逃がしながら振り返る。
「見事な火力だ。やはり私の目に狂いはなかった」
ルーファスは地に這いつくばるセスを一瞥すらせず、ヴォルフの前に漆黒の外套を放り投げた。
「その力、私に預けろ。今日この時から、君を帝国の特務親衛隊総司令、伝説の『黒騎士』として迎え入れる。私と共に、この大陸のすべてを力でひれ伏させようではないか」
ヴォルフは足元の外套を拾い上げ、バサリと肩に羽織った。
「悪くねえ。俺のすべてを吹き飛ばす力が、この世界でどこまで通用するか、試させてもらうぜ」
時を同じくして、宿営地の東側。
シオン・ミカゲは、不気味な気配を感じて双剣を構えていた。
「そこまでよ。姿を現しなさい」
彼女の視線の先、木々の影から音もなく現れたのは、純白の仮面を被った数人の暗殺者たちだった。彼らの手には、聖なる魔力を帯びた光の短剣が握られている。
「我らは司法の賢者、カシウス様の命により参る。神聖なる聖典に反する異端の技術を持つ者たちに、天罰を下す」
「異端……? 私たちを殺しに来たというの!?」
シオンが息を呑む。彼らが狙っているのは自分だけではない。テントにいるジンや東郷をも、この国の「正義の邪魔」として抹殺しに来たのだ。
「させない!」
シオンが地を蹴り、暗殺者たちと激突する。しかし、相手は王国が誇る異端審問官の精鋭。変幻自在の光の魔法の前に、シオンの双剣は防戦を強いられる。
そこへ、一筋の清らかな閃光が横殴りに突き刺さった。
「退きなさい、カシウスの猟犬たち! 彼らは私の大切な客人だ!」
現れたのは、八賢者の一人、ルカ・エヴァンズだった。彼の杖から放たれた防御結界が、暗殺者たちの光の短剣を弾き返す。
ルカの姿を見た暗殺者たちは、舌打ちをして瞬時に闇の中へと消え去っていった。
「ルカ殿……! なぜ、あなたの国の人間が私たちを」
「申し訳ありません、シオン殿」
ルカは悲痛な表情で頭を下げた。
「我が国は、平和という名の病に侵されています。カシウスやバルバロスといった古い賢者たちは、自分たちの都合の良い秩序を守るためなら、あなた方のような無実の異邦人すら平気で暗殺する。この国の正義は、とうの昔に腐りきっているのです」
ルカはシオンの前に跪き、彼女の手を強く握り締めた。
「私は、この国を内側から変えたい。誰もが心から笑い合える、真の平和を取り戻したい。……シオン殿。あなたのその真っ直ぐな正義の心が、私には必要なのです。どうか、私の剣となり、この国を救ってはいただけないでしょうか」
その言葉は、シオンがずっと待ち望んでいたものだった。
誰かを救うための、偽りのない正義の戦い。自分の力を、正しい目的のために振るうことができる場所。
「……わかりました」
シオンは涙を拭い、決意に満ちた瞳でルカを見つめ返した。
彼女の腰のコアが、呼応するように神聖な白銀の光を放つ。
「スラスター起動。思考加速、聖魔力同調……」
シオンの右手に、防衛軍の双剣ではなく、王国の大気から抽出された魔力と粒子金属が融合した、美しく巨大な閃光の騎槍が形作られていく。
「貫け、ロンギヌス……悪を断ち切る!」
シオンは夜空に向けて騎槍を掲げた。それは、彼女がルミナス王国の「聖騎士」として生きることを誓った、純白の決意の光だった。
数時間後。
夜明けの光が、中立地帯の平原を淡く照らし出し始めていた。
宿営地の中央。ジン・クロサワは、ただ一人焚き火の跡の前に立ち、東と西へそれぞれ歩み出そうとしている二人の背中を見つめていた。
漆黒の外套を翻し、ガルディア帝国軍の迎えの馬車へと乗り込むヴォルフ。
純白の法衣を身に纏い、ルミナス王国のルカの隣で微笑むシオン。
彼らはもう、振り返らなかった。
地球で背中を預け合い、数え切れないほどの死線を共に潜り抜けてきた「鋼鉄の三連星」は、ここで完全にその絆を断ち切ったのだ。
「引き止めなくてよかったのかね、ジン。君の権限で命令すれば、彼らも少しは躊躇したかもしれないが」
背後から、東郷博士が冷酷な笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「……あいつらは、もう俺の部下じゃない。自分の生きる場所を、自分で決めた一人の人間だ」
ジンは静かに答え、視線を東郷へと移した。
「それより博士、お前の計画通りになったな。彼らが両国の中枢に入り込んだことで、魔力脈へのアクセスは容易になる。……必ず俺を、サエとリクの元へ帰せ。そのために俺は、あいつらを切り捨てたんだ」
「無論だとも。私は君の頼れるオペレーターだからね。君のその執念深い刀で、せいぜいこの世界の邪魔者を切り開いてくれたまえ」
東郷は歪んだ笑みを隠すように、端末の画面へと視線を落とした。
昇りゆく異世界の太陽が、ジン・クロサワの孤独な影を大地に長く伸ばしていく。
仲間を失い、帰還という一つの目的のためだけに修羅の道を進む最強の装甲兵。
剣と魔法の二大国家の戦争に巻き込まれながら、それぞれが信じた「力」と「正義」と「帰還」の刃が、やがて最悪の形で激突することになるとは、この時の彼らはまだ知る由もなかった。




