表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/67

第18話:王国の秩序

ガルディア帝国の荒々しい前線要塞を後にした一行は、転移から十日目、ついに大陸の東半分を支配するルミナス王国の心臓部へと足を踏み入れた。

王国の騎士団が護衛する純白の馬車に揺られ、彼らが辿り着いたのは「聖都ルミナス」。

巨大な城壁を抜けた瞬間、ジンの目に飛び込んできたのは、西の帝国とは文字通り正反対の光景だった。

空を突くような白亜の尖塔が立ち並び、街路樹は寸分の狂いもなく美しく切り揃えられている。道には塵一つ落ちておらず、建物の窓には色鮮やかなステンドグラスがはめ込まれ、エルドラの太陽の光を浴びて神々しい輝きを放っていた。

どこからか、澄み切った鐘の音と、美しい祈りの合唱が風に乗って響いてくる。

「……息が詰まりそうな街だな。空気にまで香水でも撒いてんのか?」

馬車の窓から顔を出したヴォルフが、鼻をつまんで不快げに吐き捨てた。

力と欲望がむき出しになっていた帝国の活気ある空気に馴染みかけていた彼にとって、この聖都のあまりにも整然とした静けさは、ひどく居心地の悪いものに感じられていた。

「口を慎みなさい、ヴォルフ。ここは野蛮な戦場ではないのよ」

シオンがヴォルフを鋭く嗜め、食い入るように窓の外を見つめた。

彼女の瞳は、驚きと感動で微かに震えていた。

窓の外を行き交う市民たちは、誰もが清潔な衣服を身に纏い、すれ違うたびに胸の前で十字を切って穏やかに挨拶を交わしている。

荷車からリンゴを落としてしまった老人がいれば、周囲の若者たちがすぐさま駆け寄り、笑顔でそれを拾い集める。そこには怒声も、諍いも、貧しさゆえの盗みも存在しない。

誰もが互いを思いやり、法律と道徳を完璧に遵守する、絵に描いたような理想郷がそこにあった。

「素晴らしい……。まるで、天国のような場所ですね」

シオンは感嘆の溜息を漏らした。

やがて馬車は、聖都の中心に位置する巨大な大聖堂の前に到着した。

出迎えたのは、白銀の甲冑に身を包んだ数百人の聖騎士たちと、中央で静かに微笑む二人の人物だった。

一人は、平原での交渉に赴いてきた八賢者のルカ・エヴァンズ。

そしてもう一人は、純白のドレスを身に纏い、透き通るような銀髪と宝石のような青い瞳を持つ少女。ルミナス王国の頂点であり、神託の巫女として民から崇拝される現聖王女、エリアーナ・ルミナスであった。

「よくぞ参られました、異界からの勇者様方。我がルミナス王国は、あなた方の来訪を心より歓迎いたします」

エリアーナが両手を胸の前で組み、鈴を転がすような美しい声で語りかけた。

彼女から発せられる微弱な光の魔力は、触れる者の心を穏やかにするような、純粋な慈愛に満ちていた。

「出迎えに感謝する。俺はジン。こっちはシオン、ヴォルフ、そして東郷だ」

ジンが代表して歩み寄り、軽く頭を下げる。

エリアーナの美しさと気高さには疑いようがなかったが、ジンの鋭い観察眼は、彼女の微笑みの奥に、どこか諦観にも似た深い悲しみが隠されているのを見逃さなかった。

「長旅でさぞお疲れでしょう。本日は聖堂内の客室をご用意しております。まずはゆっくりと休まれ、我が国の平和な空気に触れてみてください」

ルカが穏やかに微笑み、一行を大聖堂の内部へと案内した。

大聖堂の中は、外観以上に荘厳だった。

高い天井には緻密な宗教画が描かれ、大理石の床は鏡のように磨き上げられている。

ルカとエリアーナ自らが、シオンの隣に並んで歩き、この国の成り立ちや理念について語り始めた。

「我が国は、絶対的な正しさを記した『聖典』を法としています。民は聖典の教えに従い、己の欲望を律し、隣人を愛することで、この完璧な平和を維持しているのです」

ルカの言葉に、エリアーナが静かに頷く。

「争いのない世界。誰も涙を流すことのない世界。それが、私たちルミナス王国の誇りです」

その言葉を聞きながら、シオンは胸の奥が熱くなるのを感じていた。

地球での防衛軍の任務。そこは常に血と硝煙にまみれ、正義を執行するためには、敵の命を奪うしかなかった。力を持たない市民たちは常に恐怖に怯え、どれだけ戦っても真の平和など訪れないのではないかと、彼女は密かに絶望を抱えていたのだ。

しかし、ここにはそれがある。

圧倒的な武力による恐怖の支配ではなく、正しき教えと秩序による、完全なる平和。

「私は……このような世界を、ずっと夢見ていました」

シオンの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。

「誰も傷つかず、皆が正しく生きられる場所。ルカ殿、エリアーナ様。あなた方は、私が理想としていた正義を、この大地で実現されているのですね」

シオンの涙を見て、ルカは優しくハンカチを差し出した。

「シオン殿。あなたのその純粋な涙こそ、あなたが真の騎士である証です。あなたのような誇り高い魂を持つ方にそう言っていただけて、私も、この国も救われる思いです」

ルカのその言葉には、一切の嘘や打算が感じられなかった。彼は本気で民を愛し、シオンの正義感に心からの敬意を抱いていた。

シオンはハンカチを受け取り、ルカの誠実な瞳を真っ直ぐに見つめ返した。

過酷なサバイバルと、帝国の野蛮な空気にすり減っていた彼女の心は、ルカの優しさと王国の美しい光によって、急速に癒やされ、そして魅了されていった。

しかし。

その後方で、ジンと東郷博士は、シオンたちとは全く別の冷ややかな視線で周囲を観察していた。

「……随分と、訓練の行き届いた市民たちだな」

ジンが周囲の回廊で祈りを捧げている神官や、窓の外の広場を行き交う市民たちを見下ろしながら、周囲に聞こえない声で呟いた。

「訓練、というよりも、もはやプログラミングに近いね」

東郷が眼鏡の位置を直し、携帯端末の画面を隠すようにしながら皮肉げに笑う。

「先ほどから、この街の住人たちの生体魔力波形を密かにスキャンしているのだが……異常だよ。何十人、何百人という人間の感情の起伏が、完全に同一の波形を示している。怒りも、悲しみも、そして本当の意味での喜びすら存在しない」

ジンの視線の先で、広場で遊んでいた子供が転んで膝をすりむいた。

普通の子供なら泣き出す場面だ。しかし、その子供は一切表情を変えず、すぐに立ち上がって両手を胸の前で組み、呪文のように何かを呟いた。

駆け寄ってきた母親も、子供を抱きしめるでもなく、心配するでもなく、同じように胸の前で手を組み、無表情のまま呪文を呟き返したのだ。

「……『聖典第十二節。痛みは神の試練なり。耐え忍ぶ者にのみ、光は与えられん』」

ジンが、彼らの呟いた言葉の口の動きを読み取る。

「狂っているな」

ジンは冷たく吐き捨てた。

「犯罪や争いがないのは、彼らが平和を愛しているからじゃない。聖典という名の見えない鎖で、思考そのものを縛り付けられているだけだ。喜怒哀楽の感情すら、法律で統制されている」

「その通りだ、ジン。帝国の実力主義は弱者を切り捨てるが、生きようとする人間の熱量がある。だが、王国のこの秩序は違う。生きながらにして、民から『自由な意志』を奪い取っている。完璧な平和とは、完全な停止状態を意味するのだよ」

東郷の言葉は、この国の真の姿、美しいディストピアの正体を正確に射抜いていた。

ジンは視線を戻し、前を歩くシオンを見た。

彼女は今、ルカの隣で、これまでに見たことがないほど穏やかで、美しい笑顔を浮かべていた。

地球での過酷な戦いに疲れ果てていた彼女にとって、この国の歪んだ静けさは、まさに待ち望んでいた麻薬のようなものなのだ。

(シオン。……お前は、この見えない鎖に縛られた国で、自ら剣を置くつもりか)

ジンはあえて彼女に忠告はしなかった。

帝国に惹かれるヴォルフ。そして、王国に惹かれるシオン。

彼らが自分自身の意志で選ぶ道に、口を挟む権利はない。自分はあくまで、地球へ帰るための情報を得るためにこの国を利用するだけだ。

「ジン殿、ヴォルフ殿、東郷殿」

客室の扉の前で、ルカが振り返って静かに微笑んだ。

「明日は、八賢者の長であるバルバロス様との面会が予定されています。どうか今日は、この聖都の平和な夜を心ゆくまでお楽しみください」

案内された豪奢な客室に入ると、そこには極上のベッドと、湯気を立てる素晴らしい食事が用意されていた。

しかし、ジンの心は少しも安らぐことはなかった。

窓の外から聞こえてくる、狂気的なまでに揃いすぎた祈りの大合唱。

それは、地球の未確認生命体の咆哮よりも、ある意味で遥かに恐ろしく、異質なものに聞こえた。

帝国と王国。

剣と魔法の大陸を二分する極端な二つの思想の真ん中で、鋼鉄の三連星の絆は、すでに決定的な決裂の時を迎えようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ