第15話:接触
苔むした古代遺跡を抜け、鬱蒼と茂る紫色の樹海が不意に途切れた。
「……ハァッ……ハァッ……」
ジン・クロサワの荒い呼吸が、静寂に包まれた空気に白く溶けていく。
地竜との死闘で限界まで装甲を削り落とし、一撃必殺の「ムラサメ」を放った代償は大きかった。ジンの肉体を覆う漆黒と銀の装甲は大部分が欠損し、内蔵コアは微弱な修復パルスを発しているものの、完全に元通りになるにはまだ時間を要する状態だった。
「隊長、無理をしないでください。肩を貸します」
シオン・ミカゲが双剣を解除し、ジンの右腕を自分の肩に回して支える。
「……すまん、助かる」
「へっ、あの化け物相手にあれだけ無茶をやったんだ。隊長が歩けてること自体が奇跡みたいなもんだぜ。だが、これでようやくあの気味の悪い森とおさらばだ」
ヴォルフ・シュナイダーが、焼け焦げた装甲のまま大きく背伸びをした。
四人の目の前には、これまでの薄暗い密林とは打って変わって、見渡す限りの広大な平原が広がっていた。
地球の草原によく似た、淡い緑色の背の低い草が地平線の彼方まで続いている。空を覆っていた分厚い雲は晴れ、エルドラの空を支配する二つの月が淡い光を残す中、東の空からは神々しいまでの朝日が昇り始めようとしていた。
「風が通る。大気中の魔力濃度も、森の中に比べればずいぶんと安定しているな。どうやら、我々は無事に文明圏の境界線まで辿り着けたようだ」
東郷創一博士が、泥だらけの白衣を整えながら、携帯端末の画面を見て満足げに頷いた。
しかし、その穏やかな安堵の時間は、ほんの一瞬しか続かなかった。
平原を見下ろすなだらかな丘を越えた瞬間。
ジンたちの足が、文字通り地面に縫い付けられたようにピタリと止まった。
「……なんだ、ありゃあ……」
ヴォルフの口から、呆然とした呟きが漏れる。
朝日が照らし出した平原の全容。それは、のどかな自然の風景などでは決してなかった。
眼下に広がる広大な大地のすべてを埋め尽くすように、無数の「人」と「鋼鉄」がひしめき合っていたのだ。
その数は一万や二万ではない。優に十万を超えるであろう巨大な二つの軍勢が、平原の中央で凄まじい殺気を放ちながら、今まさに激突の時を待って対峙していた。
「軍隊……? 地球の防衛軍じゃない、あれは……!」
シオンが息を呑み、絶句する。
ジンのバイザーが、遠方の軍勢の姿を光学ズームで捉え、視界に投影した。
平原の西側に陣取っているのは、禍々しいまでの漆黒に染め上げられた重装甲の軍団であった。
空を覆い尽くすほどの真紅の軍旗が風に翻り、最前列には巨大な獣を模した戦車や、身の丈を越える大剣を持った屈強な兵士たちが並んでいる。
そして何より異様なのは、彼らの頭上に浮かび上がる無数の幾何学模様――暗黒の魔力を帯びた「魔法陣」であった。数千人の黒衣の魔術師たちが一斉に呪文を詠唱し、大気そのものを黒く歪ませるほどの圧倒的な破壊のエネルギーを蓄積させている。
力と恐怖で全てを支配する攻撃的な魔導国家、ガルディア帝国の軍勢である。
対する東側に陣取っているのは、西側とは対極の、眩いばかりの白銀に輝く軍団であった。
朝日に反射する純白の甲冑を纏った騎士たちが、一糸乱れぬ完璧な陣形を構築している。彼らが手にしているのは、ただの剣や槍ではない。青白く神聖な光を放つ十字の盾と、美しい装飾が施された杖だ。
兵士たちの背後からは、空から降り注ぐような清らかな光の柱が何本も立ち上り、軍全体を強固な防護結界で包み込んでいる。
絶対的な秩序と正義を掲げる聖なる国家、ルミナス王国の軍勢である。
「剣と、魔法……。ファンタジーの御伽噺が、そのまま実体化したような光景だな」
ジンが油汗を流しながら呟く。
「なぜ、こんな場所にこれほどの軍勢が集結しているのよ。まさか、私たちがこの世界に来たことを察知して……?」
シオンが不安げに身を寄せる。
「いや、違うな」
東郷が端末のデータを弾き出し、冷静な声で告げた。
「彼らの布陣を見る限り、両軍は我々を待ち伏せていたわけではない。互いに相手国を警戒し、緊急展開した形跡がある。……原因は、おそらく先ほどの君の『ムラサメ』だ、ジン」
「俺の、一撃が……?」
「ああ。君が地竜を斬り裂くために限界まで圧縮した粒子金属のエネルギーと、地竜の持つ莫大な生体魔力が対消滅を起こした。その時に発生したエネルギーの余波は、この大陸全体を揺るがすほどの異常な数値だったはずだ。両国はそれを、敵国が未知の『超大規模殲滅魔法』の起動実験を行ったか、あるいは神話クラスの魔獣が降臨したと勘違いしたのだろう」
東郷は眼下の両軍を見下ろしながら、皮肉げに笑った。
「つまり、この異世界最大級の軍事衝突の引き金を引いたのは、他でもない我々というわけだ」
「笑い事じゃねえぞ! あんな連中のど真ん中に飛び込んでみろ、今のエネルギー残量じゃ、一瞬ですり潰される!」
ヴォルフが顔を引きつらせる。
ジンたちは咄嗟に丘の陰に身を隠そうとした。
だが、遅かった。
先ほどの地竜との戦闘でパージしたジンの粒子金属の残滓が、まだ微弱な青白い光の尾を引いて大気中に漂っていた。そして、エルドラの人間たちにとって、科学兵器であるPM-ギアの放つ粒子エネルギーの波長は、あまりにも「異質」すぎたのだ。
『……何者だ!!』
両軍の最前線で魔法の警戒網を張っていた数人の魔術師と騎士が、丘の上に立つ四人の異様な姿に気づいた。
平原の西側、ガルディア帝国の黒魔術師たちが、詠唱を止めて上空を見上げる。
平原の東側、ルミナス王国の白銀の騎士たちが、盾を構え直して丘の上を睨みつける。
数万人の兵士たちが放っていた、互いを殺し合わんとする巨大な殺気。
それが今、一斉に向きを変え、ジンたち四人へと完全に集中した。
「マズい……! 気づかれました!」
シオンが焦燥に駆られ、再び双剣を生成しようと構える。
「やる気かよ!? あんな大軍相手に、今の俺たちで勝てるわけがねえ!」
ヴォルフもまた、震える手で腰のコアに手を伸ばし、ガトリング砲の形成を試みる。
「待て! 二人とも武器を収めろ! 敵意を見せるな!」
ジンが残された力を振り絞り、二人の前に立ち塞がって両腕を広げた。
「隊長!?」
「見ろ、彼らも困惑している。向こうからすれば、俺たちは突如として現れた正体不明の異物だ。ここで俺たちが武器を展開すれば、間違いなく両軍から同時に魔法の集中砲火を浴びて消し飛ぶぞ!」
ジンの言葉通り、両軍はすぐには攻撃を仕掛けてこなかった。
未知の意匠を持つ漆黒と銀の装甲。一切の魔力を感じさせないにもかかわらず、そこから放たれる圧倒的な密度の未知のエネルギー。
ガルディア帝国の実力主義の将たちも、ルミナス王国の規律を重んじる騎士たちも、この異端の存在を前にして、次の行動を決めかねているようだった。
完全な静寂が、十万人を超える戦場を支配した。
風の音だけが、丘の上を吹き抜けていく。
黒魔法を絶対とする、力と野望のガルディア帝国。
白魔法を操り、秩序と正義を掲げるルミナス王国。
そして、科学技術の結晶たる装甲を纏い、ただ生き延びるためだけに立つ地球の人間たち。
(俺は……家族の元へ帰る。そのためなら、悪魔とでも手を組んでやる)
ジンは荒い息を整えながら、両軍の代表者らしき将校たちが、丘へ向かって馬を進めてくるのを見据えた。
これが、彼らの世界の命運を永遠に変えることとなるファーストコンタクト。
後に「鋼鉄の三連星」と呼ばれる無敵の部隊が、力と正義、そして帰還という「三つの道」へと完全に引き裂かれていく、決定的で、あまりにも緊張感に満ちた運命の交差点であった。
朝の光が、異世界の戦場に立つ四人の影を長く、濃く大地に刻み込んでいた。




