第12話:真の捕食者たち
二つの月が放つ、青白く、そして赤黒い狂気の光。
それが、見渡す限りの紫色の樹海を不気味に照らし出していた。
未知の次元、聖大陸エルドラへと放り出されてから、体感時間で数時間が経過していた。
ジン・クロサワを先頭とする一行は、東郷博士を中央に庇う陣形を取りながら、鬱蒼とした密林の中を慎重に進んでいた。
目的は、夜露と外敵を防げる安全な拠点を見つけることだ。
「……湿度が異常だな。それに、この大気中の成分……PM-ギアのフィルターを通しても、肺に重くのしかかってくるような圧迫感がある」
ジンが周囲の巨大なシダ植物をブレードで切り払いながら呟く。
「生身で呼吸をしている私には、それがよくわかるよ。まるで空気そのものがゼリーのように粘り気を持っているようだ。未知のエネルギー……強いて言えば、ファンタジー小説に出てくる『魔力』のようなものが、大気中に高濃度で充満しているのだろう」
東郷が息を切らしながら、ジンの後ろを歩く。彼の顔には疲労の色が濃いが、その瞳の奥には、未知の世界に対する隠しきれない探究心がギラギラと燃えていた。
「魔力だかなんだか知らねえが、ジメジメして最悪の気分だぜ。早く屋根のある場所を見つけて、一休みしたいところだ」
後衛を務めるヴォルフが、周囲を油断なく見回しながら舌打ちをした。
その時である。
先行して索敵を行っていたシオンが、ピタリと足を止め、右腕の双剣を構えた。
「隊長! 前方十一時の方向、距離二百メートル。複数の生体反応が急速に接近してきます! この波形……間違いない、地球に出現していた『未確認生命体』と同じデータパターンです!」
シオンの報告に、部隊の空気が一瞬だけ張り詰める。
だが、その緊張はすぐに安堵と、ある種の「慢心」へと変わった。
「なんだ、いつもの連中かよ」
ヴォルフが肩の力を抜き、獰猛な笑みを浮かべた。
「得体の知れない化け物ならともかく、勝手知ったる害獣どもなら話は別だ。地球じゃあ俺たちに指一本触れられずにミンチになってた連中だぜ。異世界に来てまで的当てゲームの相手をしてくれるとは、涙ぐましいじゃねえか」
木々の隙間から、地響きを立ててその姿が現れる。
全高七メートルを超える巨体、漆黒の体毛、背中から生える鋭利な骨の棘。そして、四つの赤い瞳。
間違いなく、彼らがこの一年間、地球で文字通り「蹂躙」し続けてきたあの怪物たちだった。数は五体。
「ヴォルフ、油断はするな。陣形を維持したまま、手早く片付けるぞ」
「わかってるよ、隊長。一瞬で終わらせてやる」
ヴォルフは足を大きく開き、腰を落とす。ベルトのコアが青く輝き、瞬時に両腕へ粒子金属が供給された。形成されたのは、お馴染みの巨大な重粒子ガトリング砲だ。
「吹き飛べ、ゴミども!!」
ヴォルフの咆哮と共に、静寂に包まれていた密林の空気が爆発した。
毎秒数百発という桁違いの重粒子弾が、青白い光の尾を引いて怪物たちへと降り注ぐ。
本来であれば、この弾幕を浴びた瞬間に怪物たちの魔法障壁はガラスのように砕け散り、肉体は原型を留めず挽肉に変わるはずだった。それが、彼らの「常識」である。
しかし。
「……は?」
ヴォルフの口から、間の抜けた声が漏れた。
凄まじい着弾音と土煙が晴れた後、そこにあったのは、無傷で立ちすくむ五体の怪物の姿だった。
彼らの皮膚の表面には、地球で展開していたものとは比べ物にならないほど分厚く、高密度の光を放つ六角形の「魔法障壁」が展開されていた。
ヴォルフの放った重粒子弾は、その障壁の表面で激しく火花を散らしただけで、本体にはかすり傷一つ、体毛の一本すら焦がすことができていなかったのだ。
「嘘だろ……? 俺の弾が、弾かれた……?」
ヴォルフが信じられないものを見るように目を見開いた直後。
先頭にいた怪物が、深く息を吸い込むように胸郭を大きく膨らませた。その喉の奥が、太陽のように赤く、異常な高熱を帯びて発光し始める。
「ヴォルフ! 避けろ!!」
ジンの怒号が飛ぶ。
「ギィルルルルルルルッ!!」
怪物の四つの瞳が凶悪に細められ、大きく開かれた顎から、地獄の業火が解き放たれた。
それは単なる火炎放射ではなかった。大気中の魔力を燃料として圧縮された、絶対的な熱量を持つ「魔法の炎」の奔流だった。
「なっ……!?」
ヴォルフは咄嗟に機動力を犠牲にして装甲密度を最大に引き上げた。
直撃。
凄まじい爆発音と共に、ヴォルフの巨体が十メートル以上後方へと吹き飛ばされ、巨大な樹木の幹に激突した。
『警告。機体温度、危険域に到達。外部装甲の30パーセントが融解』
無機質なAIの音声が、絶望的な事実を告げる。
「ぐっ、ああああああっ!!」
「ヴォルフ!」
シオンが叫び、倒れ込んだヴォルフの前に躍り出る。
地球の怪物たちは、口から炎を吐くような真似は決してしなかった。ただひたすらに物理的な突進と爪で襲いかかってくるだけの、野蛮な獣だったはずなのだ。
「どういうことですか、博士! 奴ら、地球にいた個体とは強さも能力も全く違います!」
シオンが双剣を構えながら、背後の東郷に向かって叫ぶ。
東郷は持参した携帯端末で怪物のデータをスキャンし、驚愕を装った声で叫び返した。
「そういうことか……! シオン、ジン! あの化け物たちの生体魔力値は、地球に出現していた個体の数十倍、いや数百倍に達している!」
「数百倍だと!?」
ジンがブレードを構え、炎を吐き終えた怪物と対峙する。
「次元の裂け目だ! 地球とこの世界を繋いでいたあの亀裂は、一種の『フィルター』の役割を果たしていたんだ! 膨大な魔力を持つ強靭な個体は、あの亀裂のサイズと圧力に耐えきれず、地球へ通り抜けることができなかった。……つまり、これまで地球に現れていた奴らは、群れの競争に負け、魔力を持たない『最弱の個体』に過ぎなかったんだ!」
東郷の言葉が、ジンの脳髄を冷たい刃のように貫いた。
地球で人類を恐怖の底に陥れ、防衛軍を壊滅寸前まで追い込んだあの化け物たちが。
PM-ギアの力で一方的に蹂躙し、的当てゲームだと笑っていたあの敵が。
この世界においては、ただの「最弱の落ちこぼれ」だったというのか。
「グルルルルッ……」
怪物たちが、今度は物理的な突進の構えを見せる。
大地を蹴るその一歩だけで、巨大なシダ植物が根こそぎ吹き飛び、クレーターができるほどの圧倒的な脚力。
「……シオン! ヴォルフ! 戦術を根底から切り替えるぞ!」
ジンは瞬時に状況を判断し、部隊回線に鋭い指示を飛ばした。
「これまでのような正面からの力押しは通用しない。奴らは地球の個体とは全く別の、完成された殺戮兵器だと思え! 防御装甲を極限まで削り、回避と機動力にすべてを回せ!」
ジンは自らのベルトを叩く。
「脚部、胸部装甲パージ! スラスター出力120パーセント!」
ジンの体を覆っていた分厚い装甲が瞬時に液状化して霧散し、その分のエネルギーが背部と脚部の推進器へと回される。
一歩間違えれば、怪物の爪がかすっただけで肉体が両断される、まさに紙一重の極限状態。
「シオン、囮になれ! 敵の意識を散らせ! ヴォルフ、面制圧は無駄だ! ガトリングを単発の徹甲弾に換装し、奴らが口を開けた瞬間の喉の奥、あるいは関節の隙間だけを狙え!」
「り、了解しました!」
シオンもまた、装甲の大部分をパージし、極限まで軽量化された機体で森の中を縦横無尽に跳び回り始めた。
「クソッ……舐めるなよ、ただの獣の分際で!」
立ち上がったヴォルフが、融解した装甲から白煙を上げながら、両腕のガトリングを一本の巨大な狙撃砲へと組み替える。
怪物がシオンの動きに釣られ、再びその口に炎を蓄えようと赤い光を灯した。
「今だ、ヴォルフ!」
「吹き飛べェェッ!!」
ズドンッ! という鼓膜を破るような単発の轟音。
極限まで圧縮された粒子徹甲弾が、怪物の開かれた口内へ正確に吸い込まれる。
内部には魔法障壁が展開されていなかったのか、弾丸は怪物の後頭部を鮮やかに貫通し、脳漿と紫色の血を周囲に撒き散らした。
「ギャアアアアッ!?」
一体が致命傷を負い、地響きを立てて倒れ込む。
しかし、残る四体は怯むどころか、同族の血の匂いに狂乱し、さらに凶暴性を増して三人に襲いかかった。
「シオン、右だ!」
「くっ……!」
シオンが双剣で怪物の爪を受け流そうとするが、そのあまりの質量と力に耐えきれず、刃が嫌な音を立てて軋む。
そのまま弾き飛ばされそうになった瞬間、ジンの漆黒の機体が怪物の死角へと滑り込んだ。
「右腕部、全エネルギー収束。高周波ブレード、限界駆動!」
ジンは防御を完全に捨てた右腕で、怪物の膝の関節、鱗と鱗のわずかな隙間を狙って刃を振り抜いた。
地球の個体であれば、バターのように一刀両断できたはずの一撃。
しかし、激しい火花が散り、刃は怪物の強靭な骨の半ばでガキッと止まってしまった。
「硬い……!」
ジンは舌打ちし、すぐさまブレードをパージして後方へ跳躍した。直後、彼がいた空間を怪物の巨大な尻尾が薙ぎ払い、太い樹木を三本まとめてへし折った。
「隊長! 浅いです、奴らの骨格密度も段違いです!」
「わかっている! 一撃で倒そうとするな、機動力を削いで失血死を狙え!」
そこからは、まさに死闘と呼ぶにふさわしい、泥臭く過酷な戦闘が続いた。
ジンたちはPM-ギアの「その場で装甲を解除・再結合できる」という特性を極限まで酷使した。
怪物の炎を避けるために一瞬で装甲をパージして跳躍し、着地の瞬間に足元へ粒子を再結合させて衝撃を殺す。
ヴォルフの狙撃が怪物の眼球を潰し、シオンがその隙にアキレス腱を切り裂き、ジンが的確に急所に刃を突き立てていく。
圧倒的な強者としての戦いではない。
完全に格上の捕食者から逃げ惑いながら、針の穴を通すような致命傷を何度も何度も繰り返し与えていく、狩られる側の生存戦略だった。
「ハァッ……! ハァッ……!」
何十分が経過しただろうか。
最後の一体が、ジンのパイルバンカーによって心臓を完全に破壊され、ドスリと崩れ落ちた時、三人の全身は文字通り汗と脂にまみれていた。
「……周辺の、生体反応、消失……」
ジンが肩で激しく息をしながら、インカムで報告する。
ベルトのコアは、エネルギーの激しい消耗を知らせる赤色の点滅を繰り返していた。
「終わった……のか……」
ヴォルフがその場に力なく膝をつく。彼の自慢の装甲は炎で焼け焦げ、無惨な姿になっている。
シオンもまた、双剣を解除すると同時に地面へ座り込み、荒い呼吸を繰り返していた。
ジンは血に染まったブレードを液状化させてベルトに戻し、夜空に浮かぶ二つの月を見上げた。
勝った。しかし、そこにこれまでのようなカタルシスは一切ない。
たった五体の野生の獣を相手にするだけで、自分たちは全滅の危機に瀕したのだ。
「……これが、向こう側の次元。エルドラの本来の姿か」
東郷が瓦礫の陰から姿を現し、倒れた怪物たちの死骸を見下ろしながら静かに言った。
「君たちでも、五体を相手にするのがやっととは。兵器の性能差など問題にならない、根本的な生命の次元が違うということだな」
「ふざけんなよ……」
ヴォルフが地面を力任せに殴りつける。
「じゃあなんだ。俺たちは、地球じゃ最強の軍隊気取りだったのに、この世界じゃただの餌だってことかよ! こんな化け物がウヨウヨいる森で、どうやって生き延びろってんだ!」
ヴォルフの絶望は、もっともだった。
PM-ギアのエネルギーは無尽蔵ではない。補給線も、修理ドックもない。
装甲が削られ、体力が限界を迎えれば、彼らはこの異世界の食物連鎖の底辺へと真っ逆さまに転落する。
「……生き延びるしかないんだよ、ヴォルフ」
ジンの静かな、しかし確かな力強さを持った声が、夜の森に響いた。
「俺たちが食物連鎖の底辺に落ちたのなら、這い上がるだけだ。どんな手を使ってでも、泥水をすすってでも生き残る。俺たちは、防衛軍の兵士じゃない。家族の元へ帰るための、ただの『人間』だ」
ジンは二人に向き直り、力強い眼差しを向けた。
「エネルギーの消費を抑えろ。まずは雨風を凌げる洞窟か、岩場を探す。泣き言を言うのは、安全な寝床を見つけてからにしろ」
ジンの決して折れないその意志に触れ、ヴォルフとシオンは無言で立ち上がった。
どれほど世界が変わろうと、この隊長の背中だけは変わらない。それだけが、今の彼らを繋ぎ止める唯一の希望であった。
二つの月が冷たく見下ろす未知の密林の奥へ、満身創痍の三人と一人の天才科学者は、再び重い足取りで歩みを進めていった。
絶対的な弱者としての、果てしないサバイバルの第一夜が、こうして幕を開けた。




