第20話 俺だけ。。
『今度こそ、私を選んでくれる?』
その声を聞いた瞬間、俺の心臓が跳ねた。
アリシアと同じ声。
アリシアと同じ顔。
なのに、まったく違う。
甘く、優しく、そして。
ひどく寂しそうな声だった。
「……誰だ?」
俺が尋ねると、女は笑った。
『ひどいなあ』
その声が、王都の空に響く。
『二百年も待っていたのに、忘れちゃったの?』
俺は、隣に立つ男を見た。
二百年前の俺。
正確には、初代管理者の記憶を保存した人格。
彼は、顔を真っ青にしていた。
「……まさか」
その唇が、震える。
「……エリス?」
女の声が、弾んだ。
『正解』
そして。
『おかえりなさい、レオン』
俺は、息をのんだ。
……エリス?
初めて聞く名前だった。
だが。
隣の男は、泣いていた。
あの、どこか達観したような顔をしていた男が。
声も出さずに、涙を流していた。
*
『エリス』
初代管理者が、呟いた。
『本当に、君なのか』
『うん』
女は、優しく答えた。
『ずっと、待ってた』
男は、顔を歪めた。
『……すまない』
『謝らないで』
『私は、君を』
『分かってる』
女は、静かに笑った。
『あなたは、世界を救おうとした』
その瞬間。
王都の空に、映像が浮かんだ。
二百年前。
まだ、王都が今ほど大きくなかった時代。
小さな店があった。
古びた看板。
木のカウンター。
そして。
そこに立つ、俺と同じ顔の男。
その隣には、アリシアと同じ顔の女性がいた。
二人は、笑っていた。
『最初は、本当に小さな店だったの』
エリスの声が響く。
『人間も、魔族も、獣人も、みんなが安心して買い物できる店』
映像の中で、女が看板を掲げる。
『当店では、種族による差別をお断りします』
俺は、息を止めた。
……同じだ。
俺の店と。
まったく、同じ規則。
『でも、世界は変わらなかった』
映像が、切り替わる。
戦争。
飢饉。
略奪。
燃える街。
『だから、私たちは考えたの』
エリスの声が、少しだけ低くなる。
『店の中だけじゃなく、世界中を安全な場所にできないかって』
俺は、拳を握った。
……境界拡張。
最初に考えたのは、彼らだったのか。
『でも、失敗した』
映像の中で、白い光が世界へ広がる。
人々が歓声を上げる。
だが。
次の瞬間。
光が、黒く染まった。
『みんなが、同じ規則を守るわけじゃなかった』
エリスは、静かに言った。
『守りたくない人もいた。守れない人もいた。それなのに、私たちは世界中へ規則を押しつけた』
俺は、息をのんだ。
『その結果、境界は暴走した』
映像の中で、人々が消えていく。
店が崩れる。
世界が、割れる。
『私は、最後の規則を使った』
エリスの声が、震えた。
『世界を元に戻すために』
俺は、目を見開いた。
……最後の規則。
『でも、代償が必要だった』
映像の中で、エリスが笑っている。
泣きながら。
初代管理者へ、手を伸ばしていた。
『私が、世界の境界を引き受ける』
その瞬間。
エリスの体が、光に包まれた。
そして。
消えた。
『私は、第零境界領域に残された』
王都の空が、静まり返った。
『それから二百年』
エリスは、静かに笑った。
『私は、ずっと店を守っていた』
俺は、息を止めた。
……二百年。
たった一人で?
*
「……待ってください」
俺は、空を見上げた。
「一つ、確認したいことがあります」
『何?』
「あなたは、今も生きているんですか?」
沈黙。
エリスは、すぐには答えなかった。
『……難しい質問ね』
「……どういう意味ですか?」
『私の体は、もうないの』
俺は、息をのんだ。
『でも、記憶は残ってる。意識も、残ってる』
エリスは、静かに続けた。
『この世界の境界を維持するために、私は管理機構の一部になった』
……そういうことか。
初代管理者の記憶が、人格として保存されていたように。
エリスもまた、記憶と意識を保存されていた。
ただし。
彼女は、管理機構そのものに組み込まれている。
「……じゃあ、アリシアは?」
『生きてるよ』
エリスは、即答した。
『ちゃんと、体もある』
俺は、息を吐いた。
……よかった。
『でもね』
エリスの声が、少しだけ低くなった。
『あなたがアリシアを連れ戻したら、この世界は壊れる』
俺は、顔を上げた。
「……なぜ?」
『彼女は、今、私の代わりに境界を支えているから』
俺は、息を止めた。
……何?
『あなたが共同管理制度を成立させたことで、王都の境界は安定した』
エリスは、静かに続けた。
『でも、世界全体の境界は、まだ不安定なまま』
その瞬間。
空に、赤い文字が浮かんだ。
【世界境界維持機構】
【中枢負荷:限界】
【第零境界領域:維持率二十一パーセント】
【世界境界崩壊まで:残り九分】
俺は、息をのんだ。
……九分?
さっきまで、管理権移転の期限を気にしていた。
だが。
あれは、世界の崩壊そのものを止める期限じゃなかった。
王都を守れた。
ベルク商会への移転も阻止した。
それでも。
世界の危機は、終わっていなかった。
『アリシアを戻せば、中枢は停止する』
エリスは、静かに言った。
『だから、選んで』
俺は、拳を握った。
『世界を救うか』
そして。
『彼女を救うか』
……またか。
また、その二択か。
俺は、目を閉じた。
エリオット。
初代管理者。
エリス。
みんな、同じことを言う。
誰かを犠牲にしなければ、世界は救えない。
だが。
俺は、もう知っている。
その考え方では、六回失敗したんだ。
*
「……エリスさん」
『何?』
「あなた、二百年間、ずっと一人で店を守っていたんですよね?」
『……うん』
「休みは?」
『……え?』
「休みです」
俺は、真顔で尋ねた。
「週休二日ですか? 有給休暇は?」
沈黙。
エリスは、しばらく黙っていた。
そして。
『……何を言ってるの?』
「労働環境の確認です」
俺は、腕を組んだ。
「二百年間、休みなしで世界の境界を維持するなんて、明らかに異常でしょう」
ユリウスが、横から呟いた。
「……今、そこか?」
「そこだよ」
俺は、頷いた。
「世界の危機の原因が、分かった気がする」
エリスが、息をのんだ。
『……何?』
「一人に仕事を押しつけすぎなんです」
俺は、空を見上げた。
「最初から、仕組みがおかしい」
初代管理者は、エリス一人に境界を任せた。
その後の試行でも、管理者がすべてを背負おうとした。
そして今。
アリシアが、代わりに犠牲になろうとしている。
……同じだ。
全部、同じ失敗だ。
「……だったら」
俺は、笑った。
「仕事を分ければいい」
エリスは、黙った。
『……無理よ』
「どうして?」
『世界境界の維持には、膨大な力が必要なの』
「一人では、でしょう?」
『……え?』
俺は、王都を見渡した。
白い光に包まれた街。
そこには、三十六人の補助管理者がいる。
そして。
規則を受け入れた、何万人もの人々がいる。
「俺たちは、もう共同管理制度を成立させました」
『……知ってる』
「なら、同じ仕組みを世界中へ広げればいい」
エリスは、沈黙した。
そして。
『……それは、二百年前に失敗した方法よ』
俺は、首を振った。
「違います」
『……何が?』
「あなたたちは、世界中へ規則を押しつけた」
俺は、胸を張った。
「俺たちは、守りたい人に選んでもらう」
エリスは、息をのんだ。
「同意した人だけが参加する」
「責任を引き受ける人だけが、補助管理者になる」
「嫌なら、いつでも抜けられる」
俺は、静かに続けた。
「それでも、みんなで守るんです」
エリスは、しばらく黙っていた。
そして。
『……そんなことが、本当にできるの?』
俺は、笑った。
「分かりません」
『……え?』
「でも、試してみる価値はあります」
その瞬間。
美咲が、叫んだ。
「……レオン!」
「何だ!」
「できるかもしれない!」
俺は、顔を上げた。
「……本当か?」
「うん!」
彼女は、興奮した声で続けた。
「第零境界領域は、世界中の境界をつなぐ中継点なの!」
俺は、息をのんだ。
「……つまり?」
「王都の共同管理機構を、中枢へ接続できれば」
美咲は、笑った。
「世界中の境界を、一人じゃなく、複数の管理者で維持できる!」
俺は、拳を握った。
……よし。
これだ。
だが。
その瞬間。
赤い文字が浮かんだ。
【世界境界崩壊まで:残り七分】
……七分。
時間がない。
*
「……ヴァルガ!」
俺は、魔王を呼んだ。
彼は、すぐに駆け寄ってきた。
「何だ、店主」
「魔族の領域へ、連絡できますか?」
「可能だ」
「協力をお願いしたいんです」
ヴァルガは、俺を見た。
「……何をすればいい?」
「店の規則を、広めてください」
俺は、説明した。
「暴力を振るわない。盗まない。脅さない。差別しない」
「それだけか?」
「はい。ただし、本人が納得した場合だけです」
ヴァルガは、少しだけ笑った。
「……面白い」
そして。
「我が軍の三千人から始めよう」
俺は、頷いた。
「お願いします!」
次に。
「……アルベルト陛下!」
国王が、俺を見た。
「何だ、レオン」
「王国中の町へ、連絡をお願いします!」
「……何を伝えればよい?」
「新しい避難区域を作る方法です」
俺は、説明した。
「ただし、強制はしないでください」
アルベルトは、静かに頷いた。
「分かった」
そして。
「王国の名において、協力を呼びかけよう」
俺は、深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そのとき。
リリアーナが、笑った。
「人間の国だけじゃ、足りないわね」
俺は、彼女を見た。
「……リリアーナ?」
「魔族の商人たちにも、声をかけるわ」
彼女は、胸を張った。
「交易路なら、私たちのほうが詳しいもの」
俺は、笑った。
「頼みます!」
セレスティアが、契約書を掲げた。
「同意書の形式は、こちらで統一しますわ!」
ユリウスが、剣を掲げた。
「各地の冒険者ギルドへ、伝令を出す!」
ミロが、帳簿を抱えた。
「僕も、できることをします!」
俺は、息をのんだ。
……みんな。
みんなが、動いてくれている。
俺一人じゃ、何もできなかった。
だが。
今は、違う。
*
【世界境界崩壊まで:残り五分】
空に、白い光が走った。
王都から、遠くへ。
山を越え。
川を越え。
海を越え。
各地の町へ。
その先で、小さな光が生まれた。
【新規境界管理区域を検知】
【対象:東方交易都市】
【対象者の同意:確認】
【補助管理者登録:成功】
さらに。
【対象:魔族領・南部集落】
【対象者の同意:確認】
【補助管理者登録:成功】
また一つ。
【対象:北方鉱山都市】
【対象者の同意:確認】
【補助管理者登録:成功】
俺は、息をのんだ。
……広がっている。
世界中に。
店の規則が。
だが。
その瞬間。
空に、赤い文字が浮かんだ。
【警告】
【世界境界維持負荷:高】
【第零境界領域:維持率九パーセント】
【中枢負荷の分散には、管理機構の承認が必要です】
俺は、歯を食いしばった。
……承認?
今さら?
エリオットが、静かに現れた。
『そのとおりです』
俺は、彼を睨んだ。
「……また、あなたですか」
『世界境界の管理方式変更には、監査官の承認が必要です』
「なら、承認してください」
『できません』
即答だった。
俺は、息をのんだ。
「……理由は?」
『前例がありません』
俺は、目を見開いた。
そして。
「……は?」
『過去六回の試行で、共同管理による世界境界維持は実施されていません』
俺は、しばらく黙った。
そして。
「……それだけ?」
『はい』
俺は、思わず笑った。
「……エリオット」
『何でしょう』
「あなた、商売向いてないですよ」
エリオットが、目を細めた。
『……どういう意味ですか』
「前例がないから、できない」
俺は、首を振った。
「そんなことを言ってたら、新しい商品なんて一つも作れません」
『……ですが』
「大事なのは、前例じゃない」
俺は、彼を見据えた。
「今、目の前で何が起きているかです」
エリオットは、黙った。
俺は、続けた。
「共同管理制度は、成立した」
「王都の境界は、維持できている」
「各地の人々も、自分の意思で参加している」
そして。
「誰も、犠牲になる必要はない」
俺は、深く息を吸った。
「それでも、承認できませんか?」
長い沈黙。
エリオットは、俺を見つめていた。
そして。
『……確認します』
その瞬間。
空に、文字が浮かんだ。
【監査官による審査開始】
【審査対象:世界境界共同管理制度】
【審査基準:安全性・同意・継続性】
俺は、拳を握った。
……よし。
審査が始まった。
だが。
【世界境界崩壊まで:残り三分】
……間に合うか?
*
そのとき。
アリシアの声が、響いた。
『……レオン』
俺は、顔を上げた。
「アリシア!」
『……聞こえる?』
「ああ!」
彼女は、静かに言った。
『私、決めた』
俺は、息をのんだ。
「……何を?」
『もう、誰かの代わりに犠牲になるのは、やめる』
俺は、目を見開いた。
『私は、自分の意思で帰る』
その声は、震えていた。
だが。
まっすぐだった。
『あなたの店に、帰りたい』
俺は、拳を握った。
「……ああ」
そして。
「待ってる」
そのとき。
別の声が響いた。
『……エリス』
初代管理者だった。
彼は、空を見上げていた。
『君も、帰っておいで』
長い沈黙。
エリスが、小さく笑った。
『……私には、体がないの』
『分かっている』
『……もう、あなたと同じ時間は生きられない』
『それでも』
初代管理者は、静かに言った。
『君の仕事を、終わらせてあげたい』
エリスは、答えなかった。
男は、続けた。
『二百年間、ありがとう』
その声が、震えた。
『もう、十分だ』
長い沈黙。
そして。
エリスが、泣いた。
『……遅いよ』
その声は、ひどく小さかった。
『……二百年も、待たせて』
俺は、目を閉じた。
……そうだ。
誰かを犠牲にして成り立つ世界なんて。
いつか、必ず壊れる。
だから。
今度こそ。
終わらせなきゃいけない。
*
【世界境界崩壊まで:残り一分】
空が、赤く染まった。
王都の人々が、空を見上げている。
子供たちが、泣いている。
兵士たちが、祈っている。
そして。
俺は、静かに立っていた。
もう、管理者権限はない。
特別な力もない。
ただの商人だ。
だが。
俺には、まだできることがある。
「……エリオット」
『何でしょう』
「審査は、どうなりました?」
『……継続中です』
俺は、頷いた。
「そうですか」
そして。
「じゃあ、最後に一つだけ」
『……何でしょう』
俺は、空を見上げた。
「あなたも、うちの店のお客様になりませんか?」
エリオットは、目を見開いた。
『……私が?』
「はい」
『私は、管理機構の監査官です』
「知ってます」
『私は、人間ではありません』
「それが、何か?」
エリオットは、黙った。
俺は、笑った。
「うちの店では、種族による差別をお断りしています」
その瞬間。
エリオットの表情が、変わった。
『……私は、規則を守ることができません』
「どうして?」
『私は、管理機構の命令に従う存在です』
「なら」
俺は、静かに言った。
「自分の意思で、選んでください」
エリオットは、息をのんだ。
「誰かの命令じゃなくて」
俺は、彼を見据えた。
「あなた自身が、どうしたいのか」
長い沈黙。
エリオットは、空を見上げた。
そして。
『……私は』
その声が、震えた。
『……世界が、続いてほしい』
俺は、笑った。
「じゃあ、決まりですね」
俺は、手を差し出した。
「いらっしゃいませ」
その瞬間。
エリオットの体が、白く輝いた。
【監査官エリオット】
【自発的同意:確認】
【管理規則受諾:確認】
【監査官権限による審査】
【世界境界共同管理制度:承認】
俺は、息をのんだ。
……来た。
そして。
【世界境界維持負荷:分散開始】
【第零境界領域:負荷低下】
【世界境界崩壊:停止】
その瞬間。
空の亀裂が、止まった。
黒い光が、消えていく。
赤く染まっていた空が、ゆっくりと青へ戻る。
王都の人々が、息をのんだ。
そして。
誰かが、叫んだ。
「……助かった!」
次の瞬間。
歓声が、爆発した。
「助かったぞ!」
「世界が、終わらなかった!」
「生きてる!」
俺は、膝をついた。
……終わった。
本当に。
終わったんだ。
*
だが。
俺には、まだ仕事が残っていた。
「……アリシア」
俺は、空を見上げた。
「迎えに来たぞ」
その瞬間。
白い光が、王都の中央に降り注いだ。
【第零境界領域】
【対象者:アリシア】
【本人の帰還意思:確認】
【契約失効後の拘束根拠:なし】
【帰還処理:開始】
俺は、息を止めた。
光の中に、人影が現れる。
長い髪。
白い服。
そして。
見慣れた顔。
「……レオン」
アリシアだった。
俺は、立ち上がった。
足が、震える。
だが。
走った。
「……アリシア!」
彼女も、走ってきた。
そして。
俺たちは、抱き合った。
強く。
強く。
もう、二度と離れないように。
「……ばか」
アリシアが、泣きながら言った。
「……本当に、ばか」
「……悪かった」
「……どうして、いつも無茶するの」
「……店長だからな」
彼女は、俺の胸を叩いた。
「……関係ない!」
俺は、笑った。
「……そうだな」
そして。
「……おかえり」
アリシアは、顔を上げた。
涙で濡れた目。
少し赤くなった頬。
そして。
いつもの笑顔。
「……ただいま」
俺は、彼女を抱きしめた。
……よかった。
本当に。
帰ってきた。
*
そのとき。
もう一つの光が、降り注いだ。
俺は、顔を上げた。
そこには。
エリスが、立っていた。
アリシアと同じ顔。
だが、少しだけ大人びた表情。
そして。
透き通るような体。
初代管理者が、ゆっくり歩み寄る。
「……エリス」
彼女は、笑った。
「……久しぶり」
男は、手を伸ばした。
だが。
その手は、彼女の体をすり抜けた。
エリスは、少しだけ寂しそうに笑った。
「……やっぱり、触れないね」
男は、俯いた。
「……すまない」
「もう、謝らないで」
エリスは、首を振った。
「あなたが、最後まで諦めなかったことは、知ってるから」
男は、涙を流した。
そして。
「……ありがとう」
エリスは、笑った。
「……こちらこそ」
その瞬間。
二人の体が、淡く光り始めた。
俺は、息をのんだ。
「……待ってください!」
エリスが、俺を見た。
「……何?」
「消えるんですか?」
彼女は、少しだけ笑った。
「……うん」
俺は、拳を握った。
「……そんな」
「大丈夫」
エリスは、静かに言った。
「もう、十分だから」
初代管理者が、彼女の隣に立った。
「……私も、行こう」
俺は、目を見開いた。
「……あなたも?」
男は、頷いた。
「私は、二百年前の記憶にすぎない」
そして。
「本来なら、あの時代に終わっていた存在だ」
俺は、何も言えなかった。
男は、俺を見た。
「……レオン」
「……はい」
「店を、頼む」
俺は、息をのんだ。
そして。
ゆっくり頷いた。
「……任せてください」
男は、笑った。
「……ありがとう」
エリスも、笑った。
「……また、いつか」
そして。
二人は、光の中へ消えていった。
俺は、しばらく空を見上げていた。
……二百年間。
ずっと、守ってくれていたんだな。
俺たちの世界を。
*
それから、三か月後。
王都は、すっかり元の姿を取り戻していた。
いや。
少しだけ、変わっていた。
人間と魔族が、同じ市場で商売をしている。
冒険者と兵士が、同じ食堂で飯を食っている。
そして。
街のあちこちに、小さな看板が増えていた。
『暴力禁止』
『窃盗禁止』
『脅迫禁止』
『種族差別禁止』
それは、俺の店から始まった規則だった。
だが。
もう、俺だけのものではない。
世界中の人々が、自分たちの意思で守っている。
俺は、王都支店のカウンターに立っていた。
「……店長!」
ミロが、元気よく駆け込んでくる。
「母さん、今日も元気です!」
俺は、笑った。
「よかったな」
「はい!」
彼は、胸を張った。
「今度、母さんが作った料理を持ってきます!」
「楽しみにしてる」
そのとき。
ユリウスが、店の奥から現れた。
「……レオン」
「何だ?」
「時給の件だが」
俺は、顔をしかめた。
「……まだ言ってるのか」
「当然だ」
彼は、腕を組んだ。
「世界を救った勇者の時給が、十五銅貨というのは、どう考えてもおかしい」
俺は、笑った。
「じゃあ、十六銅貨にするか」
「安い!」
店内に、笑い声が響いた。
そのとき。
セレスティアが、書類を抱えて入ってきた。
「レオン様!」
「……今度は何ですか?」
「新しい支店の契約書ですわ!」
俺は、目を丸くした。
「……また?」
「当然です!」
彼女は、胸を張った。
「世界中から、出店依頼が来ているのですから!」
俺は、ため息をついた。
……まったく。
世界を救っても、仕事は減らないらしい。
そのとき。
店の扉が、開いた。
ちりん。
鈴が、鳴る。
俺は、顔を上げた。
そこには、アリシアが立っていた。
白い服。
長い髪。
そして。
いつもの笑顔。
「……レオン」
「おかえり」
彼女は、少しだけ頬を赤くした。
「……ただいま」
俺は、笑った。
「今日は、何か買う?」
アリシアは、少し考えた。
そして。
「……ううん」
首を振った。
「今日は、あなたに会いに来たの」
俺は、息をのんだ。
……おい。
それは、反則だろ。
アリシアは、微笑んだ。
「……迷惑?」
俺は、首を振った。
「……まさか」
そして。
「大歓迎です」
彼女は、笑った。
その瞬間。
店の奥から、ユリウスの声が響いた。
「……おーい! 店長!」
「何だ!」
「注文が溜まってるぞ!」
俺は、ため息をついた。
「……はいはい」
アリシアが、くすりと笑った。
「……忙しいね」
「……まあな」
俺は、カウンターへ戻った。
そして。
店の扉が、また開いた。
ちりん。
鈴が、鳴る。
「……すみません」
見知らぬ青年が、顔を覗かせた。
「ここは、どんな店ですか?」
俺は、笑った。
「何でも屋です」
「……何でも?」
「はい」
俺は、胸を張った。
「ただし、ひとつだけ決まりがあります」
青年は、首をかしげた。
「……決まり?」
俺は、壁の看板を指差した。
『当店では、種族による差別をお断りします』
青年は、目を丸くした。
そして。
少しだけ笑った。
「……いい店ですね」
俺は、頷いた。
「ありがとうございます」
そのとき。
アリシアが、俺の隣に立った。
セレスティアが、帳簿を開いた。
ユリウスが、皿を運んできた。
ミロが、元気よく挨拶した。
リリアーナが、店の奥から顔を出した。
そして。
外では、ヴァルガが三千人分の注文書を広げていた。
……おい。
また、三千人分かよ。
俺は、思わず笑った。
まったく。
世界が終わりかけても。
魔王が来ても。
勇者が働いても。
俺の仕事は、変わらない。
目の前のお客様を、迎えるだけだ。
俺は、深く息を吸った。
そして。
いつもの言葉を口にした。
「いらっしゃいませ!」
店の中に、笑顔が広がる。
俺は、続けた。
「本日も、当店をご利用いただき、ありがとうございます!」
そして。
「またのお越しを、お待ちしております!」
続




