酔夢
ワインを開けよう、一等いいワインを開けよう。
そうして恋ごと飲み干してしまおう。フレイアはそう思った。グラスに揺れる炎よりも深い赤色のワインは、フィーナ好みの甘口で、フレイアの口には甘すぎた。しかし、フレイアはグラスに口付けて飲み干す。ただ酔いたかった。
愛してるなんて自分からから最も遠い言葉だった。なのにこんなにも、胸が痛いほど、愛しているなんて。
今の心臓にロンドンの夜はうるさいくらいだ。カジノも、裏路地の売春宿も。表通りのバーも、ネオンが煌めいて、雨上がりの水溜まりに反射している。
自分にはお似合いな色。
そんな夜に、暗い部屋でぼんやりグラスを傾けているのが、フレイアは自分でもよく分からなかった。アルコールに心拍が上がっていくのだけが明らかで。フレイアは机に伏せた。
月を捕まえるほど難しい。まともに恋なんてしてなかった。
真面目に向き合えば向き合うほど、ぐちゃぐちゃで分からなくなる。あまりにも様々な色をフィーナから受け取って、受け取るが故に心のキャンバスが色が混ざって黒くなる。フレイアは傾けたグラスに月を映して飲み干す。
こうしてフィーナのことも簡単に口付けられればどれだけいいだろう。簡単なことなのに、どうして出来ないのだろう。真剣になればなるほど、その薄桃色の唇に口付けるのが怖くなる。この黒いキャンバスでは汚してしまう気がする。もう恋など簡単な言葉では表せない。
おかしくなってしまう。苦しくて心臓のある場所を掻き毟りたくなる。こんなのアタシじゃない、と全細胞が叫んでいる。もうワインボトルは半分も無くなっていた。
呼吸が熱い、思考が回らない。
こんなに好きなのに何も出来ない。
頭が壊れそうに痛い、悪酔いと、こんなにも誰かを考えた事がなくて。それでも今の状態で言葉を交わすなんて難しくて、フレイアはやはりワインを飲むのであった。
どれくらい経っただろう。視界がもう、ぐらぐらしている。ワインボトルは2本ほど足元に転がっていた。空が白んでいる、あんなにふけた夜が明けるなら、アタシの恋も明けるだなんて、妙におかしくて笑いが込み上げる。自分の知っているフレイア・ディーノという人間は、こんな人間ではなかった。夜を歩き、陰を纏い、影を揺らめかせて、ギャンブルを楽しむ。
危険で、誰も近寄らない、そんな人間だったはずだ。そう自認していた。なのに、今いるのは朝まで酒に溺れて恋に悩むちっぽけな人間だ。どうして。
フィーナが悪いのだ、全て。
フレイアはそう思うことにした。
彼女が自分をおかしくさせたのだと、酔って頭痛の酷い頭で考えた。その頭痛と気持ち悪さは、心臓の痛みと気持ち悪さと似ていて、二割増しに気持ちが悪かった。
しかし何故だろう、悪い気はしないのだ。フィーナのことで悩んでいる自分というのは。悩む分だけ愛している証明になる気がした。実際にはただ一人の酔っ払いの戯れ言であるけれど。
ワインの味にも飽きてきた。もう三本目である。フレイアはふらつく足で、やはりフィーナの部屋に向かった。
部屋の扉を開けると、フィーナの使っている甘い香水の香りがふわりと香る。
後ろ手に扉を閉めて、フレイアはまだ眠っているフィーナの元へふらふらと近づいた。ベッドの前で跪いて、フィーナの寝顔を眺める。いつも自分を愛してくれる小さな身体から、すやすや聞こえる寝息が愛おしくて、今度はワインのためではなく、愛おしさで心拍数が上がっていくのが分かる。
身体中が熱かった。
脳の血管という血管が、愛おしさという圧力で切れそうだ。
フレイアはフィーナに口付ける。
「愛してる」「好きだ」と縋るように囁いて、こんな衝動でしか伝えられない自分がフレイアは悔しくて、何だか泣きそうだった。
だが、流石に飲み過ぎたらしい身体と頭は徐々に動かなくなってくる。フレイアはフィーナのベッドの縁に頭を乗せてそのまま眠りに落ちた。
うっとりした気分から、フレイアは半分覚醒した。残った昨日のワインと、眠たさでふわふわする頭でぼうっと考える。今アタシは頭を撫でられている…?誰かの膝に頭を乗せて…?フレイアの頭はそこまで考えて覚醒した。そして、瞬間的に目を開けてしまった。目に映るのは、自分を撫でながら優しく微笑むフィーナだった。
「おはよう、ねぼすけさん」
「…夢?」
「夢だと思うならそれでいいよ、もう一回寝よっか」
「ああ…そうするよ…」
フレイアはフィーナの膝にすり寄る。ワインでは分からない幸せが確かにそこにあって。
フレイアは、頭を撫でられる感覚に、またうつらうつらしていった。
幸せって、こんな形なんだなぁ…と思いながら。
苦しみも痛みも、想える事が幸せの形の1つなんて知らなかった。
こんなに心が満たされているなんて初めてだった。
これが「恋」なのだと、やっと分かった。




