第8話 白状
戦闘終了後、静まり返った荒野で、アリエラは黙々と魔獣の解体作業を始めた。
素材を剥ぎ取るため、短剣で魔獣の死骸を切り開いていく。
彼女の視線が、魔獣の内部構造を冷静に観察しているのがわかった。
分厚い首の骨、そしてその下にある、まったく骨に守られていない柔らかい部位。
(……大賢者様)
アリエラの声は、ひどく低く、冷たかった。
(この魔獣の構造を見る限り……あの分厚い首の骨を断つよりも、骨の無い左わき腹を狙ったほうが、遥かに効率的だったのでは?)
〈あ、いや、それは……その魔獣の個体差というか、イレギュラーな骨格をしていた可能性がだな……〉
(では、お伺いします。先ほど荒野の入り口で見かけた『火喰い鳥』の弱点属性は何ですか?)
〈えっと……水!いや、氷か!?〉
(……火喰い鳥は水属性の変異体です。弱点は雷です。では、初級の治癒魔法の構成術式は?)
〈……気合いと、祈り?〉
沈黙が落ちた。
彼女が俺を試すような簡単な質問をいくつか投げかけたが、俺はことごとく回答を外してしまったようだ。
アリエラの手が止まる。
短剣を握る手が、小刻みに震えていた。
(……嘘、ですよね。あなた様は、万象宝典によって召喚された、深遠なる知識を持つ大賢者様のはず……)
………………
長い沈黙の後、俺は観念して全てを打ち明けることとした。
〈ご、ごめん!嘘ついてた!俺、ただのしがない定食屋の店員だったんだ。この世界の事も、魔法や魔獣の知識とかゼロで、全てが完全に初見なんだ!〉
耐えきれなくなった俺が自白すると、アリエラの心が限界まで張り詰める音がした。
完全なるポンコツ宣言。
それを聞いた彼女の脳内で、パチンと何かが弾け飛んだ。
(ふざ、ふざけるな……ッ!!)
アリエラが激昂した。
これまで見せたことのない、感情を剥き出しにした怒声だ。
(私がどれほどの思いで、どれだけの血と汗を流して『万象宝典』を手に入れたと思っているのだ!死んでいった仲間たちが、いつか手に入れようと命懸けで目指していた秘宝――『未完成のアカシック・オーブ』を、私が一人で各地を巡り、素材をかき集めてようやく完成させたものだぞ!?)
脳髄を直接揺らすような悲痛な叫び。
(一生に一度しか使えない、二度とやり直しのきかない神聖な儀式だったのに……!なのに、現れたのがただの定食屋ですって……!?)
〈そ、そんなこと言われたって、俺だって好きで大賢者として呼ばれたわけじゃない!前世で死んだと思ったら、勝手に頭の中に閉じ込められたんだ!そもそもこうなったのも俺のせいじゃねぇし!〉
俺もパニックと罪悪感から、つい開き直って反論してしまった。
その瞬間、アリエラの視界がぐらりと揺れた。
怒りが、急速に深い絶望へと塗り替えられていくのがわかった。
+++
『アリエラ、逃げろ……!お前だけでも生き残るんだ!』
不意に、俺の脳裏に知らない映像が流れ込んできた。
アリエラの記憶のフラッシュバックのようだ。
血まみれになって倒れる仲間たち。
彼女を庇って魔獣の牙に引き裂かれる、頼もしかったリーダーの背中。
未熟だったアリエラの判断ミス。
敵の生態に対する圧倒的な知識不足。
もしあの時、正しい知識があれば。
完璧な戦況判断ができれば、誰も死なずに済んだのに。
だからこそ彼女は、二度と目の前で仲間を失わないために、他人を激しく拒絶し、「孤独な一匹狼」として戦い続けてきた。
完璧な知識と戦況判断を持つ『大賢者』さえいれば、仲間を作らずとも一人で全てを終わらせられると信じて。
そのために、命懸けで『万象宝典』を獲得したというのに。
(ああ……終わった。私の唯一の希望が……私が生きるための、戦うための意味が……)
アリエラは地面にへたり込み、両手で顔を覆った。
彼女がどれほどこのスキルに全てを捧げ、精神的に依存していたか。
彼女の唯一の精神的支柱だったのだろう。
それを失ったことで、彼女の心は怒りと失望に苛まれ、ひどく情緒不安定になってしまったようだ。
ポタポタと、顔の頬を伝う涙が枯れた大地を濡らす。
〈アリエラ……悪かった。この世界の知識はないけど、俺にできることなら何でも手伝う。お前の戦いをサポートするから、そんなに絶望しないでくれ〉
彼女の背負っていたものの重さと切実な気持ちを理解した俺は、必死に励まそうと声をかけた。
しかし。
(……もう、話しかけないでください。私の頭の中から、出ていってちょうだい)
彼女の声は、氷のように冷たく、固く閉ざされてしまった。
俺の言葉はもう彼女に届かないようだ。
ただ無情な風が吹き抜ける荒野の中で、俺とアリエラの心の距離は、絶望的なまでに大きく広がってしまった。




