第6話 朝の気まずいルーティン
翌朝。
まぶたの裏に差し込む朝日の眩しさで、俺は目を覚ました。
正確には、アリエラが目覚めたことで俺の意識も自動的に浮上した。
肉体を持たないはずの俺が、宿主の睡眠サイクルに完全に同調してしまうというのは、なんとも不思議な感覚だ。
(おはようございます、ショーヤン様!)
目覚めるなり、アリエラの弾んだ声が脳内に響き渡る。
視界が起き上がり、彼女は迷いなく部屋の隅にある小さな扉――手洗い場へと向かった。
〈お、おいっ!朝から元気なのはいいが、どこに行くんだ!?〉
(?起床後の生理現象を済ませるだけですが)
アリエラは当然のように答え、衣服の留め具に手をかけた。
〈ストーップ!待て待て待て!昨日の風呂に続いて、トイレまで視覚を共有する気か!?〉
(排泄は生命活動の基本であり、ただの有機物の排出です。食べれば出ます。大賢者様ともあろう御方が、そのような些末なことをお気になさるのですか?)
不思議そうに首を傾げながらも、彼女は一切動作を止めない。
〈いや、そういう問題じゃ……あああっ!頼むから目を開けるな!いや、俺に目を閉じさせろぉぉ!〉
俺の悲痛な叫びも虚しく、便座に腰を下ろす彼女の清々しい朝のルーティンは、視覚のみならず感覚ごと強制的に俺の脳内へと共有された。
風呂以上の居心地の悪さと強烈な羞恥心に、俺は朝から精神力をゴリゴリと削られる羽目になった。
用を足した後、彼女が手早く着替えを済ませていく。
昨日までの氷のように冷たいオーラはどこへやら、今の彼女からは隠しきれない高揚感が伝わってくる。
(本日は、早速実践にてあなた様の深遠なる実力を拝見したく存じます。大賢者様が加わった私の戦いがどう進化するのか、今から楽しみでなりません)
……きた。
恐れていた事態が、最速でやってきた。
昨晩は料理のアドバイス(という名のただの調味料の配合)で誤魔化せたが、実戦となれば話は別だ。
俺は魔法も使えなければ、魔王軍の知識なんて一ミリも持っていないのだから。
〈ど、どうかな。我は長き眠りから目覚めたばかり。まだ本調子じゃないし、今日のところは街の見物からというのは……〉
俺は必死に言い訳を並べて逃げを打った。
(ご謙遜を。少しでも構いません。ほんのわずかでも、ショーヤン様の実力を見せてほしいのです)
ダメだ、完全に目がキラキラしている。
何を言っても「大賢者様は奥ゆかしい」と好意的に解釈されてしまい、アリエラは嬉々として剣を腰に帯びてしまった。
+++
街を出て狩場へ向かう前、アリエラは帝都の裏通りにある冒険者ギルドへと立ち寄った。
扉を開けると、そこには安いエールと汗の匂い、そして荒くれ者たちの喧騒が充満している。
FランクからSランクまで、様々な階級の冒険者たちが集う場所らしい。
彼らはそれぞれパーティーを組み、「次はどこの迷宮へ行くか」「前衛が足りない」などとワイワイ騒ぎながら依頼書を吟味している。
だが、アリエラが足を踏み入れた瞬間、ギルド内の空気が一変した。
ピタリと私語が止み、全員の視線が彼女(俺)に釘付けになる。
そこにあるのは敬意と、そして強烈な畏怖だろうか。
昨日大通りで見た民衆の反応と同じだ。
「……剣聖様だ」
「おい、また一人で前線に行く気かよ」
「近づくな、陰気がうつるぞ」
ひそひそと囁かれる声を完全に無視し、アリエラは迷うことなく受付へ向かい、最も危険度の高い『影喰みの荒野』と書かれた難関討伐依頼を無造作に引き剥がした。
受付嬢が震える手で手続きを済ませるのを待ち、アリエラは誰とも言葉を交わすことなくギルドを後にする。
定食屋でワイワイやるのが大好きだった俺にとって、この徹底した孤立っぷりは見ていて息が詰まりそうだ。
〈なぁ、アリエラ。なんでそんな危険な場所に行くのに、仲間を誘わないんだ?〉
俺がたまらず尋ねると、歩きながらアリエラは淡々と脳内で答えた。
(仲間の必要性を感じないからです。未熟な者と群れても、足手まといになるだけですから)
〈足手まといって……でも、一人より二人のほうが安全だろ?背中を預けられる奴がいれば――〉
(背中なら、私が一人で守ります。……それに)
アリエラの声が、ほんの少しだけ硬く、そして冷たくなった。
(一人の方が、失うものがない。誰かの命を背負うことも、守れずに後悔することもない。私は一人で十分です。ましてや、今はショーヤン様という全能なる大賢者様が私の中にいらっしゃるのですから)
彼女の心に分厚い壁があるのを感じた。
ただの傲慢さじゃない。
何かを極度に恐れ、あえて自分から孤独を選んでいるような……そんな歪な拒絶だった。
俺はそれ以上深く踏み込むことができず、ただ黙って彼女の視界に映る景色を眺めることしかできなかった。




