第4話 路地裏の定食屋
〈あー……ゴホン。そのことなのだがな、アリエラよ。現在、万象宝典の膨大なログをキャッシュクリア中でな……。いわば、頭の棚卸し中だ。今はまだ情報の引き出しが開かん〉
俺は必死に横文字を並べて煙に巻いた。
(キャッシュ……クリア?棚卸し……?なるほど、世界のあらゆる真理を整理する御業なのですね……!深遠すぎて私には到底理解が及びません……!時間を置いて質問させていただきます)
アリエラは勝手に深読みし、またしても感銘を受けている。
チョロい。この剣聖、恐ろしくチョロいぞ。
俺はホッと胸を撫で下ろしつつも、偉大なる大賢者としての絶対的な信頼を裏切らないよう、今後の立ち回りを真剣に考えねばと肝に銘じた。
+++
しばらく歩いた後、アリエラは路地裏にある古びた定食屋に入った。
木製のテーブルと丸椅子が並ぶ、いかにも冒険者御用達といった素朴な店だ。
「……ふぅ」
部屋の隅の席に座ると、アリエラは白銀の軽装鎧の留め具を外し、首元を少しだけ緩めた。
やがて、店員が料理を運んできた。
メニューは、くすんだ色の野菜スープと、無骨な肉のグリル、そして硬そうなパン。
(いただきます)
アリエラは心の中で短く呟くと、ナイフとフォークを手に取り、肉を大きめに切り分けて口に運んだ。
……ん?
味覚も共有している俺の舌に、強烈な違和感が走った。
味が……しない。
いや、肉の味はするが、全く下味がついていない。しかも完全に火を通しすぎてパサパサだ。おまけにパンは膨らみが足りず、もさっとしていて喉に詰まりそうになる。スープに至っては、野菜の青臭さが前面に出すぎている。
料理人として、これは見過ごせないレベルの惨状だった。
〈おいアリエラ。なんだこの飯は。味がいまいちどころか、素材が泣いてるぞ〉
俺が思わず文句を言うと、アリエラは不思議そうに首を傾げた。
(そうですか?食事など、腹に入れば同じです。血肉に変えるための、ただの栄養補給ですから。味など気にしたこともありません)
なん……だと?
定食屋の厨房で毎日客の「美味い!」という笑顔のために汗水流してきた俺の魂が、激しく反発した。
〈バカ野郎!それは食に対する冒涜だ!舌が痩せては戦はできぬ!いいか、俺の指示通りに動け!〉
(は、はいっ。魔力操作の訓練ですね!)
〈違う!卓上の調味料を取れ!〉
俺は半ば強引にアリエラを動かした。
テーブルの端には、塩、粗挽きの香草、胡椒、それに少し酸味のある木の実の絞り汁のようなものがいくつか置かれていた。
〈まずはそれらを少しずつ舐めて、味を俺に伝えろ〉
(こ、こうでしょうか……)
アリエラは言われるがまま、小指の先で調味料を舐める。
よし、塩気、香り、酸味のバランスは把握した。
〈よし。小皿にその絞り汁を垂らし、塩をふたつまみ、香草を一つまみ、胡椒を少々入れて混ぜろ。そこに、肉から滲み出ている脂を少しだけ加えて乳化させるんだ〉
(乳化……?いったい何の儀式ですか、ショーヤン様)
〈いいからやれ!出来たら、それを肉にたっぷりつけて食ってみろ!〉
アリエラは戸惑いながらも、俺の指示通りに即席のソースを作り、分厚い肉に絡めて口に運んだ。
「……っ!!」
彼女の目が見開かれた。
酸味が肉の脂っこさを中和し、塩気が肉本来の旨味を引き出し、香草の香りがパサつきを誤魔化す。
ただの硬い肉が、立派なご馳走へと変化した瞬間だった。
(な、なんという美味……!硬いだけの肉が、まるで別次元の食べ物に……!)
アリエラの心が、これまでにないほど激しく揺さぶられているのが伝わってくる。
(食材の持つ隠された魔力を、見事に引き出す錬金術……!さすがは大賢者様です!これも深遠なる知識の賜物なのですね!)
〈ふっ。まあ、大したことじゃないさ〉
俺は心の中で得意げに鼻を鳴らした。
どうやら、俺の料理の知識はこの異世界でも十分に通用するらしい。
戦いの役には立たないかもしれないが、この不器用で孤独な剣聖の胃袋くらいは、満たしてやれるかもしれないな。
+++
定食屋を出て、夜の帝都をしばらく歩いた後、アリエラは一軒の簡素な石造りの屋敷へと辿り着いた。
どうやらここが彼女の家のようだ。
ガチャリと鍵を開けて中に入る。
部屋に明かりが灯り、俺の視界にその全貌が映し出された瞬間、思わず絶句してしまった。
……殺風景すぎないか?
一人暮らしの部屋のようだ。
それにしても、生活感というものがまるで存在しない。
部屋の隅には無骨な大剣や予備の防具が整然と立てかけられ、棚に並んでいるのは野営用のテントや旅の道具、それに回復薬らしき小瓶ばかりだ。
可愛いぬいぐるみはおろか、花瓶の一つ、化粧品の一つすら見当たらない。
趣味の品や女の子らしいものが、本当に何一つとしてない。
見た目はまだ二十代。
生前の世界なら一番オシャレや遊びを楽しみたい年頃だろうに。
彼女がいかにストイックに、そして孤独に「勇者」としての責務だけを背負って生きてきたのかが、この部屋の有様から痛いほど伝わってくる。
(さて、汗を流して明日の鍛錬に備えましょう)
アリエラがふうっと息を吐き、
寝室の奥へと向かう。
……ん?
汗を流す?
浴室?
ちょっと待て。まずい予感がするぞ。




