第38話 万能の霊髄
暴食の甲殻公ゼルギウスの巨体が地底湖に崩れ落ち、真っ二つに両断された強固な甲羅の奥へと近づいた。
分厚い装甲の奥深く、魔力蒸気が立ち上る中枢部で、それは静かに、しかし脈打つように青白く輝いていた。
(……見つけた。あれが、受肉ポーションの主核素材……)
〈ああ。間違いねぇ、『万能の霊髄』だ〉
俺とアリエラの間に、言葉にならない深い感慨が共有される。
太古の失われた秘薬『神の肉体生成ポーション』を完成させ、俺を現実の食卓へ呼び戻すための、超難関にして絶対不可欠な素材。
それが今、目の前にある。
「チェルシー、リコ。あの中枢にある青白い結晶を、傷つけずに取り出せるかしら」
「任せるにゃ。あたしの解体ナイフなら、周囲の神経網や殻をミリ単位で削ぎ落とせるにゃ」
「薬効成分を逃がさないように、私が魔力で包み込みながら抽出します!」
チェルシーが音もなく殻の奥へ滑り込み、両手のナイフで霊髄の周囲を覆う分厚い膜を鮮やかに切り開く。
露出した霊髄へ、リコが小さな両手をかざし、慎重に魔力を流し込んでポロリと外した。
「取れました……!すごい魔力密度です。このまま外気に触れさせると劣化してしまうかもしれません」
リコはすぐさま背負っていた大きな鞄を下ろし、自作の特殊な保冷瓶を取り出した。
瓶の中に、防腐効果と魔力安定効果のある乾燥ハーブを隙間なく敷き詰め、その中央に『万能の霊髄』をそっと安置する。さらに上から緩衝材としてふわふわの薬草を被せ、何重にも封を施した。
リコのその手つきは、いつもの少し抜けたところのある少女のものではなく、命を扱うプロフェッショナルな薬師のそれだった。
「……リコ、厳重に保管してくれてありがとう」
「当然です!……アリエラさんが、これを誰に使うのか、私にはわかりません」
リコは瓶を大事そうに胸に抱き抱え、琥珀色の瞳でアリエラを真っ直ぐに見上げた。
「でも、これがアリエラさんを救ってくれた、大切な『恩人』のためのものだってことはわかってます。だから、絶対に傷一つつかせません。私からアリエラさんの大切な人への、最初のお薬の準備ですから!」
リコの純粋な言葉に、アリエラは目を細めて優しく微笑んだ。
「……ええ。彼もきっと、喜んでくれるわ」
〈お、おう……なんか照れるな。リコのやつ、いい子じゃないか〉
俺は脳内で頭を掻きながら、仲間たちの温かい思いやりに胸を熱くしていた。
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無事に『万能の霊髄』を回収した後、ゼルギウスの巨体を前にして、今後の算段が始まった。
〈おいアリエラ。霊髄も大事だが、この超特大ガニの死骸を置いていくなんて、料理人として絶対に許されねぇぞ!〉
(カニ……。確かに、あなたは食べる気満々だったわね)
〈ああ!殻の内側には極上の身と濃厚なミソがパンパンに詰まってるんだ!要塞に持ち帰って、マルコのおっさんの大鍋で絶品カニ鍋にするぞ!〉
俺の熱烈な主張に、アリエラは呆れたようにため息をつきつつも、皆に向かって提案した。
「……ねえ、このゼルギウスの死骸、要塞に持ち帰らない?殻の内側には極上の身が詰まっているわ」
その言葉に、大盾を下ろしたガルブレイスがゼルギウスの甲羅をコンコンと叩いて頷いた。
「フッ、アリエラの言う通り、こいつをここに捨て置く手はないな」
「ガルブレイスも賛成なの?あなたもカニ鍋が食べたかったの?」
「いや、飯のこともそうだが……この物理無効の凶悪な装甲だ。少し加工すれば、帝国の国宝級にも劣らない至高の武器や防具の素材になるぞ。前線で戦う要塞の兵士たちにとっても、これ以上ない最高の土産だ」
食材としてだけでなく、軍事物資としても超一級品。
それを聞いたアリエラは、小さく頷いた。
「わかったわ。でも、これだけの巨体をここで解体していたら時間がかかりすぎる。魔獣の血の匂いに惹かれて別の敵が来ないとも限らないわ」
「にゃあ……でも、どうやって運ぶにゃ?こんな重いバケモノ、あたしたちじゃ引きずれないにゃ」
「ないなら作ればいいじゃない。台車を」
ガルブレイスが巨大な戦斧を抜き放ち、地底湖の周囲に生えていた硬質な地下樹木や、黒蝕の荒野の枯れ木が密集している場所へ向かった。
アリエラも白銀の大剣を構え、彼に続く。
ズガァァァンッ!ドゴォォォンッ!
二人の規格外のフィジカルと膂力によって、あっという間に周囲の太い木々が切り倒され、無骨に削り出されていく。
チェルシーが手早く蔓や魔獣の皮で丸太を縛り上げ、ガルブレイスの指揮のもと、数十分後には巨大な即席の荷車が完成した。
「よし、積み込むぞ!」
アリエラとガルブレイスが息を合わせ、ゼルギウスの巨大なハサミや、両断された強固な甲羅を次々と荷車へ放り込んでいく。
あまりの重量に荷車の車輪(丸太)がミシミシと悲鳴を上げたが、アリエラたちの馬鹿力で強引に牽引し、俺たちは地底湖を後にした。
+++
フォルタ要塞の巨大な防壁が見えてきた頃には、空は赤く染まり始めていた。
「おい、見ろ!アリエラ様たちが帰還したぞ!」
「な、なんだあのバカでかい荷物は……!?あの赤い甲羅は、まさか……!」
要塞の門番が驚愕の声を上げ、けたたましい鐘の音が鳴り響く。
要塞の広場に俺たちが到着すると、知らせを聞きつけた兵士たちや、炊事番長のマルコおじさんが血相を変えて飛び出してきた。
「お嬢ちゃん!無事だったか……って、おいおいおい!」
マルコは荷車に積まれた朱漆色の外殻と巨大なハサミを見て、目を剥いた。
「こりゃあ、前線で『歩く難攻不落要塞』って恐れられてる、暴食の甲殻公ゼルギウスじゃねえか!お前ら、本当に四天王を討ち取りやがったのか!?」
「ええ、マルコ。みんなの力を合わせて、ね」
アリエラが誇らしげに微笑むと、要塞の広場は数秒の沈黙の後、爆発的な歓声と歓喜の渦に包み込まれた。
長年、兵士たちを震え上がらせてきた恐怖の象徴が打ち倒されたのだ。
抱き合って喜ぶ者、涙を流してアリエラたちを称える者で溢れかえる。
「すげえ……剣聖様が四天王を討ち取ったぞ!」
「あんな絶望的なバケモノを倒せるなんて……俺たち人類は、勝てるかもしれない!魔王軍との戦いに!」
狂喜乱舞する兵士たちを前に、アリエラは静かに手を上げ、周囲を制した。
「喜ぶのはまだ早いわ。この巨大な殻は、要塞の新しい防具と武器の素材として提供するわ。……そして、この殻の裏側に詰まっている肉は、今夜の私たちの祝勝会の『メインディッシュ』よ」
「メ、メインディッシュだと……?あの四天王を、食うっていうのか!?」
マルコが信じられないものを見る目でアリエラを見た。
(ショーヤン。マルコに、食材が入る大鍋を用意させるわ)
〈おう!腕が鳴るぜ!カニの解体ショーと、極上カニ鍋スープの宴の始まりだ!〉
俺たちの言葉に呼応するように、アリエラはマルコに向かって不敵に笑いかけた。
「マルコ、一番大きな大鍋と厨房を貸してちょうだい。それと、炭火の用意も。……これから四天王を、極上の料理に化けさせてみせるわ」




