第34話 飯テロ
〈ふざけんな!俺の宿主を勝手に壊そうとしてんじゃねぇ!〉
俺は、持てる限りの想像力と記憶を総動員し、アリエラの脳髄に向けて最大音量で叫んだ。
〈そんなことよりアリエラ、今夜は唐揚げだ!!〉
(……えっ?)
絶望に染まりかけていたアリエラの意識が、唐突すぎる俺の言葉にピタッと止まる。
〈いいか、よく想像しろ!たっぷりの油を高温に熱するんだ。パチパチとはぜる心地よい音!そこに、醤油とニンニク、生姜の特製ダレに一晩漬け込んだ鶏肉を放り込む!ジュワァァァァッ!!〉
俺は今思いついた必殺技『飯テロ・シンフォニー』を発動し、揚げたての音、香ばしく焦げるタレの匂い、そして溢れ出す肉汁の記憶を、彼女の五感へと強制的に送り込んだ。
〈外はサクサク、中はジューシーだ!絶対に衣は二度揚げにするぞ!それに、レモンはどうする!?絞る派か、それともそのままいく派か!?〉
(か、唐揚げ……。衣は二度揚げ……レモン……)
血の匂いとトラウマで充満していた精神世界が、暴力的なまでのニンニク醤油の匂いと、サクサクの衣の食感に急激に塗り潰していく。
強烈な食欲と日常の温もりが、ミストラルの作り出した陰惨な幻覚を強引に上書きしていくのだ。
「な、なんだ!?この下品な油と焦げた匂いは!」
精神世界を共有しているミストラルが、突如として充満した唐揚げの匂いに大混乱に陥る。
「ヒヒッ……ええい、幻影ども!早くその女を斬り捨てろ!」
ミストラルの命令に従い、カインの幻影が再び無機質な瞳で剣を振り下ろしてきた。
しかし、アリエラの蒼氷色の瞳には、すでに絶望の色は微塵もなかった。
彼女は地に落ちていた白銀の大剣を力強く握りしめ、カインの剣を真正面から弾き返した。
(私は、前に進むわ、カイン。私はもう、過去の幻影には囚われない)
アリエラは真っ直ぐにカインの幻影を見据え、静かに、しかし確かな声で宣言した。
「今の私には、背中を預けられる仲間と……うるさい料理長殿がいるの」
その言葉と同時に、アリエラの大剣が空気を切り裂く。
圧倒的な一閃がカインの幻影を両断し、周囲の血だまりもろとも、ミストラルの精神世界にピキピキと巨大なヒビを入れた。
パリンッ!とガラスが割れるような音を立てて、悪夢の空間が完全に砕け散る。
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視界が晴れると、そこは元の黒蝕の荒野だった。
周囲を覆っていた幻惑の霧が、急速に薄れていく。
「バ、バカな……!僕の完璧な精神破壊が、あんな油臭い妄想に負けたというのか!?」
ミストラルが頭を抱え、後ずさる。
精神攻撃を完全に無効化された彼は、ひどく動揺していた。
アリエラは剣を構え、氷のように冷たい視線でミストラルを睨みつけた。
「よくも悪趣味な幻影を見せてくれたわね。それに……」
アリエラはミストラルの細身の体を品定めするように見つめる。
「あなた、なんだか肉質が柔らかそうね」
「……ヒィッ!?」
アリエラの全身から、怒りと強烈な殺気(と、もしかしたら少しの食欲)が立ち上る。
ダンッ!と地面が爆砕し、瞬きする間もなく距離を詰めたアリエラが、渾身の斬撃をミストラルに見舞う。
ミストラルは防御する間もなく強烈な一打を叩き込まれ、悲鳴を上げながら宙を舞った。
「そこだにゃ!」
「吹き飛んでください!」
「逃がさん!」
吹き飛んだミストラルの落下地点に、いつの間にか合流していたチェルシーの短剣、リコの炸裂ポーション、そしてガルブレイスの強烈なシールドバッシュが立て続けに炸裂する。
仲間全員の完璧な連携攻撃を受け、ミストラルは断末魔を上げる暇すらなく、完全に粉砕された。
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「みんな……無事だったのね!」
アリエラが剣を納め、駆け寄ってきた仲間たちを見回す。
全員、息は上がっているものの怪我はないようだ。
だが、その表情にはどこかスッキリとした、一皮むけたような逞しさが漂っていた。
「アリエラ。お前も、霧の中で過去の幻覚を見たのか」
ガルブレイスが分厚い盾を下ろしながら、静かに問いかけてきた。
彼の言葉に、アリエラは小さく頷く。
「ええ。カインたちの幻影に責められて……危うく心が壊れるところだったわ。あなたも、カインを?」
「ああ。俺の盾が間に合わず、あいつが死ぬ瞬間を何度も見せられた」
ガルブレイスが深く息を吐く。
チェルシーとリコも、互いに顔を見合わせて口を開いた。
「あたしも、義賊団の仲間が急襲されてバラバラになる悪夢を見たにゃ……」
「私なんて、作ったポーションを全員から『ゴミだ』って罵倒されて、誰にも認めてもらえない日々の幻覚でした……」
ミストラルの幻惑の霧は、やはり仲間全員のトラウマを的確に抉っていたのだ。
「でもね、アリエラ様」
チェルシーが猫耳をピンと立てて、ニシシと笑う。
「悪夢の中で仲間を失って泣いてたら、アリエラ様やショーヤンと一緒に囲んだ、あの『塩釜焼き』の匂いとか、温かい焚火の熱を思い出したんだにゃ。そしたら、急に幻覚がバカバカしくなって、自力でぶち破ってやったにゃ!」
「私もです!今の私には、私の薬草を美味しいご飯に変えてくれて、頼りにしてくれる皆さんがいますから。過去の孤独な自分には、もう負けません!」
「俺も同じだ。今の俺の盾が守るべきものは、幻影ではなく今ここにいる仲間だからな」
仲間たちの報告を聞いて、アリエラの蒼氷色の瞳が僅かに潤む。
それぞれが過去の絶望に直面し、それでも今の絆と、共に囲んだ温かい食卓の記憶を武器にして、一人で幻覚に打ち勝っていたのだ。
(みんな……本当に強くなったわね)
〈ああ。美味い飯を一緒に食った仲間は、そう簡単には折れねぇんだよ〉
俺が脳内で誇らしげに言うと、アリエラはフッと柔らかく微笑んだ。
「ええ、その通りね」
アリエラは振り返り、その先にある禍々《まがまが》しい瘴気の源――四天王ゼルギウスの巣窟を真っ直ぐに見据えた。
もう、過去の亡霊に怯える孤独な一匹狼はどこにもいない。
「行こう。あともう少しで、ゼルギウスの根城よ。……全員で生きて帰って、最高の祝勝会をしましょう!」
アリエラの号令に、仲間たちが力強く応える。
世界の命運を懸けた決戦の地へ向けて、俺たちは迷いのない足取りで進み始めた。




