第31話 露天風呂
決戦前の急速休養のため、俺たちは火山地帯にある湯治場、熱水源郷ボルカへとやってきた。
湯煙が立ち込める露天風呂。
極限まで張り詰めていたアリエラの心と体を癒やすには、温泉が一番だ。
……なのだが、俺にとっては少しばかり頭を抱える問題が発生していた。
「ふぅ……」
アリエラは湯船に肩まで浸かり、深く息を吐き出した。
だが、彼女の視線はなぜか、露天風呂の向こう側に広がる火山帯のゴツゴツとした岩肌と、遠くの景色に完全に固定されている。
俺の視界には、ひたすら無骨な岩と空しか映っていない。
チャプ、チャプと背後からお湯をかき分ける音がして、チェルシーとリコが近づいてくる気配がした。
「アリエラ様、こっち向いてお話しするにゃ。背中ばっかり見てるの寂しいにゃ」
「そうですよ、アリエラさん。せっかく一緒にお湯に浸かっているんですから、顔を見て話しましょうよ」
二人の無邪気な声に、アリエラの視界がビクッと揺れた。
(だ、ダメよ!私が振り向いたら、あなたにチェルシーたちの裸が見えてしまうから絶対にダメ!)
アリエラが脳内で俺に向かって猛烈な抗議の声を上げる。
〈いや、減るもんじゃないし、ちょっとくらい振り返っても……〉
(大賢者様ではないとわかった今、私自身の裸でさえも恥ずかしいのに!)
アリエラは断固たる意志で首を固定し、背中越しの二人に向かって必死に取り繕った。
「い、いいのよ。私はこの……荒々しい火山帯の景色を見ながら話をしたいの。とても風情があって、心が洗われるから」
「そうですか?ただの岩だらけの風景ですけど……」
リコが不思議そうに首を傾げる気配がする。
「アリエラ様は孤高の天才だから、岩を見るだけでも精神修行になるんだにゃ。なら、あたしたちも背中を流すにゃ!」
背後でキャッキャと他愛のない恋バナや、これまで食べた料理の思い出で笑い合うチェルシーとリコ。
俺は涙を呑んで岩肌を眺め続ける羽目になったが、視覚が固定されていても、アリエラが心底リラックスしているのは伝わってきた。
かつて他人を完全に拒絶し、一人で死線を彷徨っていた彼女が、仲間たちと湯に浸かって年相応の少女らしさを取り戻している。
その温かな感情の揺らぎを感じるだけで、俺の心までじんわりと温かくなった。
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湯上がり後。
宿の裏手へ出た俺は、アリエラの視覚を通してあるものを発見した。
岩の裂け目から、ものすごい勢いで高熱の蒸気が噴き出している源泉の噴気孔だ。
〈おいアリエラ!あれを見ろ。最高の天然の蒸し器だぞ!温泉の蒸気を使った『地獄蒸し』を作ってみないか?〉
(地獄、蒸し……?なんだか物騒な名前ね)
〈名前はともかく味は天国だ!宿の女将さんに竹籠を借りてこい!〉
俺の提案に乗り、アリエラは大きな籠に、魔獣肉、宿で分けてもらった卵、そして根菜類をぎっしりと詰め込んだ。
それを高温の蒸気が激しく噴き出す穴の上にセットし、分厚い布を被せて一気に蒸し上げる。
温泉のミネラル分を含んだ蒸気が食材を包み込み、余分な脂を落としながら中までじっくりと熱を通していく。
待つこと数十分。
蒸し上がりの良い匂いが漂い始めた頃、リコがすり鉢を抱えて意気揚々とやってきた。
「半熟たまごと蒸し肉にピッタリの、私特製の『薬草ブレンドタレ』を作ってみました!」
リコが誇らしげに掲げた小鉢を見た瞬間、アリエラとチェルシーの動きがピタリと止まった。
二人の脳裏に、かつて飲まされた「味覚を破壊する激苦ポーション」の阿鼻叫喚の記憶が鮮明に蘇る。
「にゃ、にゃあ……あたし、お肉は塩だけで食べるから大丈夫にゃ……」
チェルシーが耳をペタンと伏せて後ずさる。
「……リコ、気持ちは嬉しいけれど。その、少し爽やかすぎるお味ではないわよね?」
アリエラも引きつった笑顔で、ジリジリと距離を取った。
「失礼な!もう昔の私じゃありませんよ!」
リコはむんっと胸を張り、小鉢を二人の前に突き出した。
「ショーヤンさんに教わった味の引き出し方を応用して、カウナスの発酵調味料に柑橘の絞り汁と香草を絶妙にブレンドした自信作です!絶対に苦くありませんから!」
〈アリエラ、リコを信じてやれ。俺の鼻……いや、お前の嗅覚からも、そのタレが本物だって匂いがビンビン伝わってくるぞ〉
(……ショーヤンがそう言うなら)
アリエラは覚悟を決めたように、熱々に蒸し上がった半熟温泉たまごを小鉢に割り入れ、リコ特製のタレを少しだけかけた。
チェルシーも恐る恐る、湯気を立てるふっくらとした蒸し肉をタレにちょこんとつける。
二人は顔を見合わせ、同時におそるおそる口へと運んだ。
チュルッ、ハフッ。
「……っっ!」
「にゃあぁぁっ!?」
二人の目が見開かれた。
トロトロで濃厚な半熟の黄身に、カウナスの調味料の深いコクが見事に絡み合う。そこに柑橘の爽やかな酸味と香草の香りが加わり、卵の甘みを極限まで引き立てていた。
蒸されて余分な脂が落ち、ホロホロになった魔獣肉との相性も抜群だ。
苦味など一切ない、完璧な極上ダレだった。
「美味しい……!リコ、これ本当にすごいわ。素材の旨味が何倍にも膨れ上がっているわ」
「にゃふふっ、あふいけど、お肉がとろけるにゃー!タレが最高にゃ!」
チェルシーは重度の猫舌と格闘しながらも、ハフハフと蒸し肉をタレにディップして頬張り続けている。
「えへへ、言った通りでしょう!」
リコは眼鏡を押し上げ、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。
かつては薬効ばかりを追求して激苦の薬しか作れなかった不器用な少女が、仲間と共に食卓を囲む中で、見事に「美味しくする技術」を開花させたのだ。
湯煙と美味しい料理の匂いに包まれながら、決戦前の緊張を忘れさせるような賑やかな笑い声が、ボルカの空に響き渡った。




