第30話 塩釜焼き
バタンッ、と乱暴に宿舎の扉が開いた。
「連れてきたにゃー!」
「す、少し手間取りましたけど……!」
息を切らすチェルシーとリコの後ろから、不機嫌さを隠そうともしないガルブレイスが巨体を屈めて入ってきた。
彼の視線は部屋の中央に立つアリエラを鋭く射抜き、その空気だけで室内の温度が数度下がったように感じられた。
「……何用だ。説教なら外縁哨所で済ませたはずだが」
低い声で吐き捨てるガルブレイスに対し、アリエラは静かに、そして深く頭を下げた。
「ガルブレイス。あの時は……私が間違っていたわ。未熟な私の判断ミスのせいで、カインたちを死なせてしまったこと、本当に申し訳なかったし、今でも一日だって忘れたことは無い」
真っ直ぐな謝罪の言葉に、ガルブレイスの眉間がピクリと動く。
「今更謝罪など求めておらん。お前はただ力を求め、前だけを見て突っ走る刃だ。カインはお前のその危うさを守ろうとして死んだ。……そして今日、お前はまた同じように突っ走ろうとした。何も変わっていないじゃないか」
〈……言わせておけ、アリエラ。ここで反論しちゃダメだ〉
俺の念押しに、アリエラはコクリと頷き、静かに顔を上げた。
「ええ、私は不器用で、誰かを失うのが怖くて、ずっと一人で戦ってきた。でも、ある人に教えられたの。仲間が増えれば、一人では出せない力が出せるって。だからもう一度仲間を作ることにした」
アリエラは、俺の存在を伏せつつも、言葉に熱を込めて語りかけた。
「今の私には、背中を預けられる仲間がいる。だからもう、無謀な突撃はしない。仲間を信じて、より慎重に魔王軍を討伐する戦い方へ変わったわ。さっきもあなたの姿を見たから前に出たの。……ガルブレイス、あなたのその盾を、私たちに貸してくれないかしら」
「……馬鹿な。俺に、お前たちの盾になれと言うのか」
ガルブレイスが鼻で笑い飛ばそうとしたその時。
〈よしアリエラ、今だ!その木槌で塩釜を叩き割れ!〉
アリエラは迷わず、火から下ろして熱を持った真っ白な塩の塊に木槌を振り下ろした。
パキィィィンッ!
亀裂が入り、分厚い塩の殻が崩れ落ちる。
その瞬間、閉じ込められていた膨大な熱気とともに、魔獣肉の強烈な旨味、オレンジの爽やかな酸味、そしてハーブの芳醇な香りが、爆発的に部屋中を満たした。
「なっ……なんだこの匂いは……!?」
歴戦の重盾士が、思わず目を見開いて喉を鳴らす。
「ワンッ!クゥ~ン……」
香りにたまらず、部屋の隅で大人しくしていたクロワッサンがトテトテと駆け寄ってきた。
しかし、アリエラには怒られると思ったのか、なぜか一番強面のガルブレイスの足元にすり寄り、分厚い脛当てに前足をかけて「そのお肉の大きな骨、俺にくれよ」とばかりに尻尾を振って見つめ上げた。
「お、おいっ……なんだこの黒い子犬は。俺は餌係じゃないぞ……」
戸惑いながらも、ガルブレイスは無骨な手で思わずクロワッサンの頭を撫でてしまう。
頑なだった彼の毒気が、その一瞬だけふっと抜けたのが分かった。
〈よし、今がチャンスだ!一番いいところを切り分けて、おっさんに食わせろ!〉
アリエラは塩の殻から取り出した肉をナイフで切り分ける。
オレンジの酵素で極限まで柔らかくなった肉は、刃を当てるだけでホロホロと崩れ、中から宝石のように輝く肉汁が溢れ出した。
「食べてみて、ガルブレイス」
木の皿に盛られた熱々の肉を差し出される。
ガルブレイスは無言のままそれを受け取り、疑心暗鬼の表情でフォークを突き立て、口に運んだ。
ハフッ。
「……っっ!!」
彼の巨体が、雷に打たれたようにビクンと跳ねた。
ガチガチの塩の盾に守られ、一滴の肉汁も逃さずに蒸し焼きにされた魔獣肉。
硬いはずの繊維は驚くほど柔らかくほどけ、噛み締めるたびに凝縮された旨味が怒涛のように押し寄せてきているだろう。
塩の角は取れ、オレンジの果汁が脂のしつこさを完全に中和し、ハーブが爽やかな余韻を残す。
「どう、かしら……?」
不安げに尋ねるアリエラの前で、ガルブレイスは無言のまま二口、三口と猛然と肉を平らげていく。
やがて空になった皿を見つめ、彼は低く震える声で口を開いた。
「……外側を硬い塩で完全に塞ぐことで、内側の旨味を一滴も逃さず、極限まで柔らかく仕上げている。盾で守りを固めることで、初めて成り立つ料理……」
「ええ。今の私の戦い方も、これと同じよ」
アリエラは真っ直ぐにガルブレイスの目を見つめ返した。
「一人で突撃して敵を斬り伏せるだけじゃ、味気ないし、いつか自分も仲間も壊れてしまう。でも、外側でガッチリと攻撃を受け止めてくれる『盾』がいれば……私はその内側で、最高の力を引き出すことができる。守りを固めて旨味を閉じ込める……それが、私がたどり着いた、仲間を信じて生還する戦い方よ」
アリエラの言葉に、ガルブレイスはハッと息を呑んだ。
ガルブレイスは、ふと遠くを見るような目をしてぽつりと口を開いた。
「……カインが、生前同じようなことを言っていた」
「え……?」
「あいつは『いつか仲間全員が無事に帰還して、みんなで美味い飯を囲むパーティーを作りたい』と笑っていた。俺の大盾は、そのための絶対の壁なんだ、とな」
カインが語っていたという、理想の防衛論。
生きて帰り、美味い飯を食う。
そのための盾。
アリエラが今たどり着いた答えは、かつてカインが思い描いていた理想そのものだったのだ。
「……あいつの言っていた理想を、お前が引き継いでいるとはな」
ガルブレイスは太く息を吐き出し、目元を乱暴に拭った。
彼の顔から、長年抱えていた憎悪と悲しみの呪縛が解け、歴戦の戦士としての精悍な光が戻っていた。
「お前の料理と、その覚悟……確かに味わった。カインの目指した場所を、今度こそ俺のこの目で見届けてやる。……俺の盾、お前たちに預けよう」
「ガルブレイス……!ありがとう!」
アリエラの顔に、パッと華やかな笑顔が咲いた。
「にゃははっ!おっさん、素直じゃないけどいい食べっぷりだったにゃ!」
「胃腸に優しい消化薬、出しておきますね!」
チェルシーとリコも歓声を上げ、クロワッサンはガルブレイスから見事におこぼれの骨をもらって尻尾を振っている。
〈へへっ。どんな頑固なおっさんでも、美味い飯と仲間の温かさには勝てねぇってことだ〉
(……ええ。本当に、あなたの言う通りね、料理長殿)
温かい香りに満ちた宿舎の部屋で、かつての因縁を乗り越え、最強の盾を得たアリエラたちのパーティーは、魔王軍討伐へ向けた次なる一歩を力強く踏み出したのだった。




