第28話 極上ソーセージ
要塞の広大な厨房に、マッドオークの巨大な肉塊が次々と運び込まれた。
マルコは腕を組み、怪訝な顔でアリエラを睨んでいる。
「いいかお嬢ちゃん。マッドオークの肉ってのは、ただ焼いても煮ても臭くて噛み切れねえんだ。塩漬けの干し肉にするにしても、この量じゃ時間が足りねえぞ」
〈マルコのオッサンの言う通りだ。だが、それは『普通の調理法』の話だろ?定食屋と肉屋の知恵を総動員して、保存食の王様を作ってやる!〉
俺の言葉をなぞるように、アリエラが自信に満ちた声で指示を飛ばす。
「硬い端肉は細かく叩いて脂身とハーブを練り込み、腸に詰めて燻製にするわ。バラ肉は塩とスパイスをすり込んで、熱燻で一気に旨味を閉じ込める。骨とスジ肉は香味野菜と一緒に、ゼラチン質が溶け出すまで煮込むのよ」
「なっ……腸詰めだと!?」
驚くマルコをよそに、俺たちの最強の厨房チームが動き出した。
「チェルシー、まずは肉の解体と、腸の洗浄をお願い」
「任せるにゃ!」
チェルシーが二振りの解体ナイフを抜き放つと、目にも留まらぬ職人技が炸裂した。シャシャシャッ!と風を切る音とともに、マッドオークの硬い肉と脂身が完璧に切り分けられ、泥臭い内臓や腸があっという間に綺麗に洗浄されていく。
「リコは、臭み消しのハーブの調合を!」
「はいっ!お肉の臭いを消して、保存性を高める『防腐の葉』と『香辛草』をブレンドします!」
リコがすり鉢で鮮やかにスパイスを粉砕していく。
そして、ひき肉を作る工程では、意外な助っ人が乱入してきた。
「ワンッ!」
クロワッサンが台の上に飛び乗り、アリエラが包丁で叩き切ったひき肉の山を、前足でペタペタと懸命に踏みつけ始めたのだ。
「こ、こらっ!なんだこの子犬は!厨房に犬を入れるな!」
マルコが血相を変えて怒鳴るが、クロワッサンは「俺も手伝う!」とばかりにドヤ顔で肉を叩き続けている。
〈アリエラ、クロワッサンが踏んだ肉はちゃんと火を通すから大丈夫だ。むしろ良い感じに空気が抜けて粘り気が出てるぞ〉
(……ふふっ、なんだか微笑ましいわね)
最初は怒っていたマルコも、クロワッサンの一生懸命な姿に「……ちっ、まあ肉の練り具合は悪くねえな」と顔を綻ばせている。
やがて、味付けされたひき肉を腸に詰める作業に入ると、チェルシーが再び覚醒した。
漏斗を使ってひき肉を腸に流し込み、キュッ、クルクルッ!と等間隔で見事な速さでねじっていく。
「にゃははっ!これ、すっごく楽しいにゃ!あたし、冒険者を引退したら王都でソーセージ屋をやるにゃ!」
尻尾をピンと立てて誇らしげに胸を張るチェルシーは、完全に腸詰め職人の顔になっていた。
茹で上がったソーセージと、塩漬けにしたバラ肉を桜に似た芳香を持つ香木のチップで一気に熱燻にかける。同時に、大鍋ではマッドオークの骨と香味野菜がグツグツと煮込まれていく。
その光景を見つめながら、マルコが鍋の火加減を調整するアリエラに声をかけた。
「……おい、お嬢ちゃん。ただの腕自慢の剣士だと思ってたが、お前さん、どこでこんな技術を覚えたんだ?」
「えっ?」
「肉の硬いスジを逆に利用してゼラチン質に変える煮込みの理屈や、腸詰めの空気抜きのコツ……とてもじゃないが、貴族や宮廷料理人の発想じゃねえ。まるで、異世界から来た料理人の手際だぜ」
(っ!?ショーヤン、どうしましょう。鋭すぎるわ!)
〈ヤバい!ほら、お前が生肉食ってた頃の『修行』ってことにしとけ!〉
「そ、それは……!かつて山に籠もり、生きるためにあらゆる魔獣を生で貪り食いながら、独学で肉の真理を解き明かした結果よ……ッ!」
アリエラが冷や汗で顔を濡らしながら、やけくそ気味に目を血走らせて力説した。
それを聞いたマルコの目が、カッと見開かれる。
「な、なんという過酷な修行だ……!魔獣の肉を生で食らい、腹を壊しながらも肉の繊維と対話してきたというのか……!?肉を愛するがゆえに、己の胃袋を極限まで痛めつけて……!」
「え?いや、そこまでは……」
「お前さん、ただの剣聖じゃねえ……!生涯を肉に捧げた『肉聖』だったんだな!!」
マルコはボロボロと大粒の涙を流し、アリエラの手をガシッと固く握りしめた。
(に、肉聖……!?嫌よ、そんな不名誉な称号!!)
〈いいじゃねえか肉聖アリエラ!強そうだし美味そうだぞ!〉
+++
数時間後。
炊事場の煙突から、暴力的なまでに食欲をそそる燻煙と、濃厚な肉の煮込みの匂いが要塞中に漂い始めた。
怒り狂って暴動寸前だった兵士たちの鼻腔を、その香ばしい匂いが容赦なく直撃する。
「な、なんだこの狂おしいほど美味そうな匂いは……」
「腹が……鳴ってやがる……」
炊事場のカウンターが開くと、そこには山のように積まれた『極厚スモークベーコン』、湯気を立てる『特大ハーブソーセージ』、そして『マッドオークのトロトロ香味野菜煮込み』が並んでいた。
「さあ、食いな!特製のスタミナレーションだ!」
マルコの大声とともに、兵士たちに次々と木皿が配られていく。
疑心暗鬼のままソーセージを口に運んだ若い兵士が、パリッ!と音を立てて皮を噛み破った。
その瞬間、熱々の肉汁とハーブの爽やかな香りが口いっぱいに弾け飛ぶ。
「う、うめええええええっ!?」
兵士が涙目で絶叫した。
「このベーコン、脂が甘くて口の中でとろけるぞ!」
「泥肉のスープが、こんなに深いコクになるなんて……!これならいくらでもパンが食える!」
炊事場を支配していた怒号は、一瞬にして歓声と歓喜の涙へと塗り替えられた。
旨い飯を無我夢中で腹に詰め込む兵士たちの顔には、先ほどまでの絶望や苛立ちは微塵もない。
「お嬢ちゃん……いや、アリエラ。俺からも礼を言わせてくれ」
マルコが、エプロンで手を拭いながらアリエラに向かって深々と頭を下げた。
「お前さん、ただの腕自慢じゃねえな。あんたのおかげで、要塞の連中の命と士気が救われた。本当にありがとよ!」
「……勘違いしないで。私は肉の繊維とスパイスの導きに従っただけよ。感謝なら肉に……って、私何を言ってるのかしら!?」
とっさに口走った謎の言い訳に、アリエラ自身が頭を抱えてセルフツッコミを入れる。
だが、マルコはそれを聞いて「やはり肉の真理に生きていらっしゃる……!」と感極まったように天を仰いだ。
「聞いたか野郎ども!アリエラ様は『すべては肉の導き』だと仰っているぞ!」
「「「おおおおっ!!肉聖様!!」」」
わああっ!と歓声が上がり、アリエラは屈強な兵士たちによって胴上げされた。
「違うのよ!今のは失言!完全に失言だから胴上げをやめなさい!!」
宙を舞うアリエラの視界に、満面の笑みでソーセージをかじるチェルシーとリコ、そして尻尾を振るクロワッサンの姿が映る。
(……ショーヤン。私、ずっとこの要塞が怖かった)
胴上げされながら、アリエラは脳内の俺にそっと語りかけた。
(カインたちを失った、血と絶望の匂いしかしない場所だと思っていたから……。でも、今は違う。みんなの笑顔と、温かいご飯の匂いがするわ)
かつて過去の亡霊に怯え、息苦しさを感じていたこの要塞で、彼女は今、兵士たちから心からの感謝と笑顔を向けられている。
〈ああ。飯が美味けりゃ、悲しい記憶だっていつかは温かい思い出に塗り替えられるんだ。……よくやったな、アリエラ〉
(……ええ。あなたのおかげよ。ありがとう、ショーヤン)
兵士たちの歓声の中心で、アリエラはかつての冷徹な剣聖ではなく、年相応の柔らかな、そして心からの笑顔を咲かせていた。
彼女の胸をずっと締め付けていた因縁の地の痛みは、極上の肉料理の温もりとともに、確かに和らいでいくのだった。




