第27話 暴動寸前の兵士たち
エレオノーラという嵐が去り、フォルタ要塞に束の間の静寂が訪れたかと思った矢先のことだった。
カンカンカンカンッ!
要塞内に、敵襲を知らせるけたたましい早鐘が鳴り響いた。
「な、何事だにゃ!?」
耳を伏せたチェルシーの隣で、アリエラが鋭く顔を上げる。
伝令の兵士が血相を変えて中庭を駆け抜けていく声が聞こえた。
「王都からの補給輸送隊が、要塞のすぐ手前の街道で魔王軍の奇襲を受けた!急ぎ救援を!」
(……っ!)
アリエラの視界が僅かに揺れた。
かつてこの地で、未熟だった自分の判断ミスで仲間を全滅させた記憶がフラッシュバックしかける。
〈アリエラ!〉
俺が脳内で鋭く呼びかけると、彼女はハッと息を呑み、そして力強く頷いた。
(分かっているわ。……もう、誰一人失ったりしない!)
今の彼女は、過去の亡霊に怯えるだけの孤独な一匹狼ではない。
「行くわよ、チェルシー、リコ!クロワッサンも離れないで!」
「了解にゃ!」
「はいっ!救援でお役に立ってみせます!」
アリエラたちは要塞の門を蹴り開け、凄まじい速度で戦場へと急行した。
奇襲現場である谷間の街道は、阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
護衛の兵士たちが必死に防陣を張っているが、それをなぎ倒さんばかりの勢いで突撃を繰り返しているのは、丸太のような太い腕と凶悪な牙を持つ巨大な豚型魔獣——マッドオークの群れだ。
分厚い脂肪と筋肉の鎧に覆われた巨体は、兵士たちの槍を容易く弾き返している。
「チェルシー、リコ!護衛部隊の援護を!」
「任せるにゃ!」
チェルシーが影のように敵の死角へ回り込み、関節の隙間を短剣で切り裂いて動きを鈍らせる。
「私の特製激辛煙幕、いっけぇーっ!」
リコが投げつけた小瓶が炸裂し、むせ返るような強烈な唐辛子の煙がマッドオークたちの嗅覚を完全に狂わせた。
〈よしアリエラ、今だ!脂肪が分厚いなら、力任せに骨ごと断ち切れ!〉
(ええっ!)
アリエラの極限まで鍛え抜かれた脚力が地面を爆砕する。
「『神速一線・崩壊断』!!」
空気を切り裂く轟音とともに、大剣がマッドオークの巨体を縦に両断した。返り血を浴びながら次々と群れを粉砕していくその姿は、まさしく剣聖の異名にふさわしい圧倒的な暴力の化身だった。
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戦闘はものの数分で終結した。
マッドオークの群れは全滅し、護衛の兵士たちにも致命傷を負った者はいない。
だが、戦場には重苦しい絶望の空気が漂っていた。
「ああ……なんということだ……」
へたり込んだ輸送隊の隊長が、頭を抱えて呻き声を上げる。
彼らの守るべき荷車は、マッドオークの突進によって無残に打ち砕かれ、炎上していた。
積まれていた小麦、干し肉、野菜、樽詰めのワインといった貴重な食糧は、見事に灰燼に帰してしまったのだ。
王都からの補給を絶たれるということは、常に最前線で命を削っているフォルタ要塞の兵士たちにとって、死を意味する。
「これじゃあ、要塞の連中が飢え死にしちまう……俺たちはなんて顔で帰ればいいんだ……」
焼け焦げた荷車の周囲に散乱しているのは、先ほどアリエラたちが討伐した大量のマッドオークの死骸だけ。
マッドオークの肉は、筋張って石のように硬く、強烈な獣臭さと泥臭さが染み付いているため、兵士たちからは「靴底」「泥肉」と呼ばれて敬遠される厄介な代物だった。
〈アリエラ。落ち込んでる暇はないぞ。そのマッドオークの肉、全部要塞に持ち帰るぞ〉
(えっ……こんな臭くて硬い肉を?)
〈ああ。食糧が燃えちまったんなら、代わりの肉を食うしかない。嫌われ食材こそ俺たちの出番だ〉
俺の言葉に、アリエラは小さく息を吐いた。
「せめてこれだけでも要塞へ持ち帰りましょう。私がなんとかするわ」
アリエラは呆然とする兵士たちをよそに、巨大なマッドオークの死骸を何頭も縄で縛り上げ、平然と肩に担ぎ上げた。
重苦しい絶望の空気の中、一行はフォルタ要塞へと帰還した。
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補給部隊の壊滅という最悪の知らせは、風よりも早く要塞中に広まった。
ただでさえ連日の過酷な防衛戦と恐怖、寒さによって疲弊しきっていた兵士たちの不満は限界に達し、ついには爆発した。
要塞の奥にある兵站部・炊事場の前に、怒り狂った兵士たちが殺到していた。
「おいマルコ!今日の配給も、この石みてえに硬い干しパンと、泥水みたいなスープだけかよ!」
「王都からの補給が燃えたのは知ってる!だが、こんな残飯みたいな飯で、どうやって命を張れってんだ!」
兵士たちの怒声を一身に浴びているのは、無骨な大男だった。
兵站部の炊事番長、マルコおじさん。
使い込まれたエプロンを締め、筋骨隆々の腕組みをして仁王立ちしているが、その顔には疲労と苦悩の色が濃く滲んでいる。
「ねえもんはねえんだ!俺だって手品師じゃねえ!」
マルコは額に青筋を立てて怒鳴り返した。
「不味くても食わなきゃ戦えねえだろ!文句言わずに流し込め!」
「ふざけるな!こんなもん食えるか!」
一人の若い兵士が激昂し、手にしていた木皿を地面に叩きつけた。
それを皮切りに、兵士たちが一斉にマルコに詰め寄り、彼の分厚い胸倉を掴み上げる。
「俺たちは魔獣の餌になるために戦ってんじゃねえぞ!」
「炊事場の備蓄を全部出せ!」
一触即発。暴動寸前の険悪な空気が、炊事場を支配した。
今まで黙って見ていたが、アリエラが動いた。
「そこまでになさい!!」
空気をビリビリと震わせるような、鋭く、そして圧倒的な覇気を孕んだ一喝が響き渡った。
一瞬にして静まり返る兵士たち。
大量のマッドオークの死骸を背負ったアリエラを彼らが睨みつける。
アリエラは背負っていた肉の山を、ズドンッ!と地響きを立てて地面に下ろした。
その迫力に呑まれ、胸倉を掴んでいた兵士たちが思わず後ずさる。
〈おいアリエラ。そのマルコってオッサン、不味い飯を出したくて出してるわけじゃない。手持ちのカードがねぇだけだ。俺たちが助け舟を出してやろうぜ〉
(……分かっているわ、ショーヤン。兵士たちも、死の恐怖と飢えで限界なだけよ)
アリエラは群衆をかき分けてマルコの前に進み出ると、地面に転がる巨大なマッドオークの肉塊を指差した。
「マルコと言ったわね。補給がないなら、このマッドオークの肉で皆が満足する料理を作ればいいのよ」
「はぁ!?お嬢ちゃん、剣聖様だかなんだか知らねえが、料理を舐めんな!マッドオークの肉なんて、臭くて硬くて、いくら煮込んでも靴底みてえなもんだ!こんな大量の泥肉、どうやって食わせるってんだ!」
マルコが吐き捨てるように言うと、アリエラはフッと余裕のある笑みを浮かべた。
「いいから、厨房を貸しなさい。……今から私達が、魔法を見せてあげるわ」
アリエラの脳内で、定食屋の腕を鳴らす俺の闘志が熱く燃え上がっていた。




