第25話 狂信的な神官
白銀連峰の峠道を越えると、吹きすさぶ雪風は次第に土埃の混じった乾いた風へと変わっていった。
荒涼とした岩肌の合間に、巨大な防壁と物々しい兵器が並ぶ堅牢な軍事拠点が姿を現した。
魔王軍との緩衝地帯であり、常に実戦を強いられる最前線。
辺境防衛領フォルタ。
アリエラが過去に仲間を全滅させてしまった、因縁の地でもある。
(……フォルタ要塞。ここに来ると、どうしてもあの時の血の匂いを思い出してしまうわ)
巨大な城門を見上げたアリエラの足取りが、ふと重くなる。
白銀の軽装鎧の下で、彼女の身体が微かに強張るのが、感覚を共有している俺にも伝わってきた。
〈アリエラ、深呼吸しろ。過去は過去だ。今はリコもチェルシーも、クロワッサンだっている。とりあえず落ち着いて、うまい飯でも食おうぜ〉
(……ええ、そうね。あなたがいてくれて助かるわ、ショーヤン)
俺の言葉に、アリエラは小さく息を吐き出して蒼氷色の瞳に光を取り戻した。
だが、俺たちが要塞の門をくぐろうとしたその時、物々しい護衛を引き連れた一団が進路を塞ぐように立ち塞がった。
「アリエラ様……!ああ、なんということでしょう!」
純白の法衣を纏い、銀糸のような髪をなびかせた美女が、悲痛な叫び声を上げて駆け寄ってきた。
(グランディール帝国の筆頭神官、エレオノーラ・フォン・ヴァイスよ)
アリエラを「神の剣」として祭り上げた張本人であり、高貴で潔癖なエリート神官令嬢らしい。
……が、その様子がどうもおかしい。
神々しいオーラを放っているように見えるが、よく見れば目は異様に血走り、フラフラと足元がおぼついていないのだ。
「アリエラ様が前線で下賤な油物に溺れ、B級グルメとやらで堕落しているという不敬な噂を耳にしました!このエレオノーラ、真偽を確かめに王都から馳せ参じました!」
(……また面倒なのが来たわね。相変わらず、大仰な物言いだわ)
「ワンッ!」
ピリピリとした空気を読まないクロワッサンが、アリエラの足元にすり寄り、愛嬌を振りまく。
それを見たエレオノーラの目の色が、スッと変わった。
「な、なぜ神の獣でもない野蛮な幻獣が、アリエラ様の神聖な膝元に……!?許せません、私がその座を……っ、いえ、これも神が私に与えた試練……!」
エレオノーラはワナワナと震えながら、痙攣気味にネックレスの神具をギリギリと握りしめた。
アリエラへの純度百パーセントの狂信を拗らせている彼女からは、隠しきれない嫉妬の炎がメラメラと立ち上っている。
「……ねえリコ。帝国の偉い人って、みんなあんな風に頭のネジが飛んでるのかにゃ?」
背後にいたチェルシーが、思い切り引いた顔で耳をペタンと伏せた。
「チェルシーさん、よく見てください。目が虚ろですし、足元が震えています。あれはただ極限まで空腹で、血糖値が急に下がって錯乱しているだけでは……?」
リコが眼鏡を押し上げながら、極めて冷静な医学的見解を述べる。
さすがは薬師。言われてみれば、エレオノーラの様子は完全に「断食ハイ」のそれだ。
「断食こそ最高の祈り……。アリエラ様の剣が穢れぬよう、私が身を削って祈らねば……」
ブツブツと呟くエレオノーラだが、その腹からは誤魔化しきれないほど盛大な音が鳴り響いた。
グギュルルルルゥゥゥゥッ!!
「あ、悪魔の誘惑……っ!空腹など幻……祈らねば……祈らねば……!」
膝から崩れ落ちそうになりながらも、エレオノーラは必死に神に祈りを捧げている。
〈おいアリエラ。あいつ、お前への推し活を拗らせて飯抜いてるだけだ。油物がダメで堕落だっていうなら、究極にシンプルなやつを食わせてやれ〉
(シンプルなやつ?……いったい何を作る気なの?)
〈カウナスのオズボーンから仕入れた『米』があるだろ。あれを炊いて、深層地下塩で握るんだよ。定食屋の原点にして頂点、『塩むすび』だ〉
俺の提案に、アリエラは小さく頷いた。
フォルタ要塞の兵站部の隅にある野営スペースを借りて、急遽炊き出しの準備を始める。
チェルシーが手早く火を起こし、リコが鍋に水と米を仕込む。
ほどなくして、鍋の隙間から甘く芳醇な湯気が立ち上り始めた。
〈よし、炊き上がったぞ。深層地下塩を手の平に馴染ませて、火傷しないように水をつけて、熱々の米をふんわりと三角に握るんだ〉
(ええ、こうかしら……熱っ!でも、なんだか不思議な手触りね)
アリエラは不器用な手つきながらも、俺の指示通りにキュッと三角形のおにぎりを握り上げた。
真っ白でツヤツヤと輝く米粒に、魔力を帯びたミネラル豊富な岩塩がうっすらと馴染んでいる。
具は何もない。油も使っていない。これ以上ないほどシンプルで、素朴な一品だ。
〈よし、その『塩むすび』を、その断食ハイの聖女様に直々に差し出してやれ〉
(わかったわ)
アリエラは握りたての塩むすびを木の小皿に乗せ、未だに虚ろな目で祈り続けているエレオノーラの前に歩み寄った。
「エレオノーラ。これを、お食べなさい」
静かな、だが有無を言わさぬ声で差し出されたお皿。
エレオノーラはビクッと肩を震わせ、目の前の白い三角形を見つめた。
「こ、これは……?私が口にしていいのは日に僅かな稗のみと決めて……」
「私が、この手で握ったのよ。いいから食べなさい」
「ア、アリエラ様が直々に……!?」
アリエラの言葉に、エレオノーラの顔がカッと沸騰したように赤く染まった。
彼女の視線が、おにぎりとアリエラの手を猛烈な勢いで往復する。
「神の御手の温もりが残る……これはただの穀物ではない。大地に宿る光の結晶を、アリエラ様が凝縮した『聖なる法具』……!?」
〈まったく意味がわからない。これ以上語らせるな。一気に食わせろ!〉
(え、ええ……)
「遠慮せずに受け取りなさい。それとも、私の作った食事は食べられないの?」
「そそそ、そんな滅相もございませんっ!!」
エレオノーラは震える両手で、まるで国宝でも扱うかのように塩むすびを恭しく持ち上げた。
「アリエラ様の温もりが……ああ、なんという背徳……っ!」
そして彼女は、大きな口を開けて、その究極の塩むすびにかぶりついた。




