第22話 スタミナ煮込み鍋
「いくぞ、アリエラ!」
クロードの裂帛の気合とともに、木刀が鋭い風切り音を立てて迫る。
アリエラは手にした木刀でそれを冷静に弾き返すが、さすがは帝国直属のAランク剣豪。
その太刀筋は洗練されており、次々と滑らかな連撃が繰り出される。
クロードの太刀筋は、これまでの魔獣のような直線的な力押しとはまるで違っていた。
木刀の切っ先が細かくブレながら急所を狙い澄まし、アリエラの手元を的確に圧迫してくる。
大剣の膂力で押し切ろうにも、相手は対人戦に特化したAランク剣豪。いなしと受け流しの技術に長け、アリエラはわずかに足元を崩され、後退を余儀なくされた。
(くっ……対人戦の剣技は手慣れているわね。力でねじ伏せようとすると、逆にこちらの重心を崩される……!)
「どうした!普段の魔獣を力任せに両断するお前の剣はそんなものか!やはり、エプロン姿でままごと遊びなどしているから勘が鈍るのだ!」
クロードが嘲笑を浮かべ、鋭い突きを繰り出してくる。
木刀同士が激しく打ち合い、アリエラがわずかに防戦へと回った、その時だった。
フワァァァ……。
庭を吹き抜けた風が、コトコトと煮込まれている鍋から、食欲をそそる濃厚な湯気をモクモクと運んだ。
肉から溶け出した動物性の脂と、カウナス特産の発酵調味料が焦げるような、甘辛く強烈な匂い。
それがクロードの鼻腔を直撃した。
「っ!?」
グキュルルルルゥゥゥゥッ!!
激しく木刀が交差する庭先に、クロードの腹の虫が盛大に鳴り響いた。
見事なまでの飯テロだ。
「な、なんだこの狂おしいほどの匂いは……!ええい、姑息な真似を!」
(……っ、匂いに気を取られて構えがブレた!)
アリエラが即座に反撃へと転じようと地を蹴る。
だが、クロードもただ者ではない。動揺を隠すように無理やり右腕に力を込め、がむしゃらな迎撃の構えを取った。
アリエラの視界を共有していた俺は、料理人の直感でその異様な強張りに気づいた。
〈アリエラ!あいつ焦って右肩に力入りすぎだ!右腕の関節と、重心が乗ってる左膝……そこ、スジが入ってガチガチだぞ!〉
(……関節と、左膝の重心!言われなくても見えているわ!)
アリエラは鋭く息を呑み、即座に状況を把握した。
相手を力で粉砕するのではなく、料理人が肉のスジを見極めるような俺の言葉が、彼女の研ぎ澄まされた動体視力と合致する。
ほんの少しのヒントを得たアリエラは、大振りの力任せをやめ、吸い込まれるように脱力した。
「『解体剣筋・霜降り割り』!!」
アリエラの木刀が、自然な軌道で相手の方へ吸い込まれていく。
クロードの剣を強引に叩き折るのではなく、防御の力をいなすように関節の隙間をすり抜け、彼の手首と膝裏を流れるように打った。
「がっ……!?」
木刀を取り落とし、クロードは無様に庭の芝生へとへたり込んだ。
力任せではない、理にかなった完全な一刀両断だった。
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「馬鹿な……。この俺が、こんなにもあっさりと……」
一刀両断されてへたり込んだクロードは、虚ろな目で自分の両手を見つめていた。
エプロン姿の相手に手も足も出ず、エリートとしてのプライドを粉々にされたのだ。
(まずいわね。あそこまでプライドを折ってしまっては、放っておけば逆恨みして騒ぎ立てて余計面倒になりかねないわ)
アリエラが脳内で警戒を強めた時、トテトテと軽い足音を立ててチェルシーが歩み寄った。
「喧嘩のあとは美味い飯を食って手打ちにするのが一番にゃ」
チェルシーは義賊時代に荒くれ者や厄介な連中を宥めてきた経験を活かし、木製の深皿に熱々のスタミナ煮込みをたっぷりとよそい、あっけらかんとした笑顔でクロードの鼻先に突き出した。
「ほら、気取った兄ちゃんも腹が減ってるんだろ?」
「ふ、ふざけるな!俺は帝国直属の剣豪だぞ!このようなライバルが作った煮込み料理など……!」
グギュルルルルゥゥ……。
クロードの腹が、再び正直すぎる悲鳴を上げる。
立ち上る湯気と、根菜に染み込んだ肉の旨味の香りに抗えず、クロードは震える手でスプーンを受け取った。
そして、一口。
「……っっ!?」
クロードの金色の瞳が、限界まで見開かれた。
硬くて筋が多いはずの鶏肉が、発酵調味料の酵素でホロホロに崩れ、噛むほどに濃厚な旨味が溢れ出しているはずだ。
さらに、肉の脂を吸って艶々に光る根菜は、口の中でとろけるような甘さを放ったようだ。
「な、なんだこの深みのある味わいは……!洗練された王都の宮廷料理にも引けを取らない、暴力的なまでの美味……!」
プライドも何もかも忘れ、クロードは涙目になりながら一心不乱に煮込みをかき込み始めた。
完全に、おいしい食事に骨抜きにされている。
「にゃはは!美味しいにゃろ!それ、アリエラ様が作ったんだにゃ!」
「なんと……!?孤高の剣聖でありながら、これほどまでの料理の腕を……!?」
クロードは空になった皿を抱きしめ、信じられないといった顔でアリエラを見上げた。
「あ、あの!食後には消化を助ける特製薬草スパイスがおすすめです!」
そこにリコが嬉々として駆け寄り、クロードの皿に残った煮汁に、緑色の怪しい粉末をバサッと振りかけた。
「おお、そうか!いただくぞ……ブブッ!?ゲホッ!?」
クロードがそれを舐めた瞬間、彼の顔が緑色に染まった。
「にっっっがぁぁぁぁっ!?舌が!舌が痺れるぅぅっ!」
芝生の上で、大の大人が涙を流してのたうち回り始めた。
「あれ?魔獣に投げる目つぶし草と間違えました!ごめんなさい!」
焦るリコ。
チェルシーの機転とリコの天然の追撃により、厄介なライバル剣士は完全に無力化された。
「……ふふっ」
アリエラの柔らかな笑い声が響いた。
(剣の腕だけじゃなく、他人の胃袋まで掌握して懐柔してしまうなんて……本当に恐ろしい料理長殿ね)
〈バカ言え。定食屋の親父に教わった、ただの受け売りだよ。「腹が減ってる奴に料理を振舞えば、人類皆兄弟」ってな〉
(ふふっ。……ショーヤン、あなたの言葉に身を委ねて戦うの、なんだかとても心地よかったわ)
アリエラの心に、かつての孤独な冷たさはもうない。
俺のアドバイスを信じ、それを受け入れて戦うことの安心感を、彼女は確かに掴み取っていた。
「ア、アリエラ殿ぉぉっ!」
しばらくして、スパイスの激痛から生還したクロードが、ズリズリと這い寄ってきた。
「剣術のみならず、食の真理にまで至るその才能……俺は貴様を誤解していた!これからは俺も行動を共にし、その強さ(と料理)の秘密を学ばせてもらうぞ!」
どうやらこの金髪ナルシストは、剣以外にも才能のあるアリエラにすっかり胃袋を掴まれ、付きまとう気満々のようだ。
〈おいおい、勘弁してくれ……。あんな暑苦しいのに付きまとわれたら飯が不味くなるぞ〉
(ええ、頭が痛いわ……。まさか煮込み一杯でここまで豹変するなんて)
「さあアリエラ殿、明日の朝食の仕込みは何時からだ!?」
「結構よ。付きまとうのはやめて頂戴」
アリエラが冷たく突き放しても、クロードは「フッ、照れるな!」と全く引く気配がない。
(ショーヤン、どうしましょう。まともに相手をしていては埒が明かないわ)
〈よし、あいつが油断した隙にズラかるぞ。夜明け前にずらかる計画を立てようぜ!〉
(了解よ。……絶対に撒いてみせるわ)
熱い視線を送るナルシストを前に、俺とアリエラはこっそり脱出の共謀を結んでいた。




