第2話 脳内召喚
(いかがですか?大賢者様!)
脳髄の奥底、俺という存在の中心核に直接響いてくるような、澄んだ女性の声。
脳内で女性が話しかけてきている。
ビクッと身をよじろうとしたが、やはり俺の体はピクリとも動かない。
誰だ?
どこから話しかけてきている?
必死に周囲を見渡そうと首を振ろうとするが、視界は俺の意志とは全く無関係に固定されている。
呼吸のリズムすら、俺の意思とは違う。
規則正しく、静かに肺が膨らんだり縮んだりする感覚。
鼻腔を抜ける冷たい空気の温度。
それらすべてが、まるで他人の乗り物に同乗しているかのように伝わってくる。
視覚や呼吸する感覚はあるが、何一つ自由にはできない。
(大賢者様……?ああ、まさか儀式は失敗したのでしょうか……)
不安げな声が再び頭の中に木霊する。
どうやら、この声の主はこの体の主でもあり、俺を『大賢者』と呼んでいるようだ。
俺はまだ状況を呑み込めていなかったが、とりあえず返事を試みることにした。
声帯すらないのだから、頭の中で自分の声をイメージして強く念じてみるしかない。
〈あ、ああ聞こえている〉
(……っ!!)
その瞬間、俺の視界——つまり、この身体の持ち主が、ビクンと大きく震えたのがわかった。
彼女が、心の中で爆発的に喜んでいるのが感情の波として伝わってくる。
「やった!ついにやったわ!スキル万象宝典の獲得に成功したわ!」
体の主が、というか俺が、歓喜の叫びを上げた。
その声は、さっきまで脳内に響いていた声と同じものだ。
周囲に平伏していた神官たちが、その声に弾かれたように顔を上げる。
「おお……!アリエラ様、ついに成し遂げられたのですね!」
「これで魔王軍の瘴気も払われましょう!神の剣たる勇者様に、大いなる祝福を!」
神官たちが涙ぐみながら、床に額をこすりつけて祈りを捧げ始めた。
しかし、主はすぐさま表情を引き締めた。
立ち上がると、カチャリと冷たい金属音が響く。
着用している鎧が擦れる音だ。
「ええ。これで、憂いは断たれました」
口から出る言葉はひどく冷徹で、近寄りがたい鋭利なオーラを放っている。
だが、俺の頭の中に響く彼女の内心は、そんな態度とは真逆だ。
(あああ、よかった!本当にお声が聞こえる!苦労して素材を集めた甲斐があったわ!)
……なんだこのギャップ。表向きは寡黙でストイックなキャラを演じているようだが、内面は随分と感情豊かじゃないか。
いや、そんな他人のキャラクター分析をしている場合ではない。
〈あのさぁ、ちょっと待ってくれ。うまく状況を飲み込めてないんだが?〉
もう一度念じて発話してみた。
主は少しだけ視線を落として脳内で丁寧な口調で答えた。
(申し遅れました。私は剣聖勇者アリエラと申します。新たに獲得したスキル、万象宝典により、大賢者様を脳内へ召喚させていただきました。今後ともよろしくお願い申し上げます)
……は?
脳内へ召喚?
俺が?
彼女の頭の中に?
剣聖勇者。スキル。万象宝典。
そして、脳内への召喚。
(大賢者様が私の中にお越しいただいたことで、また一歩最強へと近づけました。あなた様の完璧な知識や鑑定眼、戦況判断があれば、もう何も怖くない。私一人で、パーティーを組まずとも全てを終わらせることができる……!)
熱っぽい声で語りかけてくるアリエラ。
彼女が歩き出した。
視界が規則的に上下に揺れる。
足の裏が冷たい石畳を踏みしめる感触、そして彼女自身の心臓の鼓動までが、五感を通じてダイレクトに伝わってくる。
不思議な感覚だ。
いや、これはもう完全に同化していると言ってもいい。
ようやく全てを理解した。
つまり、俺は。
この女勇者の『脳内』に住み着く、実体を持たないただの精神体になってしまったということのようだ。
あの白い空間で出会った神を思い出した。
『ふむ、大賢者だな。よかろう』
あの、やけにあっさりとした返事。
——ふざけんな!!
こんな超特殊な状況を望んでいなかったっつうの!
あのヒゲもじゃじじぃめ!
せっかく、ファンタジー世界で魔法をぶっ放したり、美味い異世界メシを食ったりする、自由でロマン溢れる大賢者ライフが出来るとばかり思っていたのに。
自分の意思で手や足が動かせない。
自分で頭を掻くこともできない。
腹も減らなきゃ、自分の舌で味を感じることもできない。
ただ他人の視界を借りて、見知らぬ女の頭の中で会話をするだけの存在。
こんな、カーナビの中の人みたいな転生を望んでねぇぞ!
〈おい!話が違うぞヒゲもじゃ!やり直しだ!俺に身体をよこせぇぇぇっ!!〉
見知らぬ女の脳内で、俺の悲痛な叫びが大音量で虚しく響き渡った。
その瞬間、頭の奥底で、あのジジィの軽薄な声が直接響いてきやがった。
『あー、すまん矢村くん。おぬしに「大賢者」の称号を与えたまさにその刹那数秒、別世界の少女が執り行った召喚の魔術と、運悪く魂の波長がガッチリ噛み合ってしまっての。特殊能力を授ける前にそっちへと吸い込まれてしもうたわい。天界の定めに逆らうことはできぬゆえ、どうか諦めておくれ。では、良き異世界ライフを!』
……クソッ!あのヒゲもじゃ、無意味な称号だけ付与して、かつ転生失敗して逃げやがったな!?
(大賢者様……?いかがなされました?ヒゲもじゃとは、どのようなことでしょうか?)
〈ゴホン……あ、いや、なんでもない!こちらの世界と接続した際の、思念のノイズだ。気にするな〉
望まぬ形で最強勇者の頭の中に引きこもることになった俺の、最悪な異世界転生が幕を開けた。




