第10話 アヒージョとステーキ
アリエラはしばらく焚火を見つめた後、無言で残ったブラッドボアの肉塊と、腰の短剣を手に取った。
「で、どうすればいいの。ただ切って焼くだけでしょう?」
〈待て待て、その持ち方だと肉が潰れる!繊維に対して直角に刃を入れろ〉
アリエラはピタリと動きを止め、言われた通りに不器用な手つきで刃の角度を変える。
〈よし、そのまま。叩き潰すな、引いて切れ〉
「……こう?」
スッ、と抵抗なく短剣が肉に吸い込まれ、美しい断面が現れた。
(なるほど……。力任せに断ち割る私の剣技とは違う、繊細な刃の使い方……)
アリエラが脳内でひそかに感心しているのが伝わってくる。
よし、その調子だ。
〈次は調理器具だ。そこら辺にある平らな石を川で洗って、焚火で加熱しろ。それを鉄板代わりにする〉
アリエラは素直に頷き、手頃な石を洗って火にかけた。
さらに、くぼんだ石をもう一つ見つけさせ、それを鍋代わりにして火のそばに置く。
〈そこに、粗塩を適量入れてさっき魔獣から削ぎ落とした油を熱しろ。そして、そこらに生えてる野草と……おい、その白くて匂う根っこ、ニンニクだよな?それも刻んで入れろ!〉
「ニンニク……?これはルミナス・ガーリックよ。本来は解毒ポーションの触媒で、食材ではないわ」
〈いいから入れろ!オリーブオイルはないが、獣の油と合わせれば魔法の香辛料に化けるはずだ〉
石鍋の中で油が温まり、ニンニクに似たルミナス・ガーリックが熱された瞬間。
洞穴の中に、暴力的なまでの食欲をそそる香りが充満した。
〈薬草のアヒージョの完成だ〉
アリエラの喉が、ゴクリと大きく鳴った。
〈よし、鉄板用の石も温まったな。切った肉を乗せろ!〉
ジュゥゥゥゥッ!!
石の鉄板の上で、分厚い肉が心地よい音を立てて焼けていく。
俺はアリエラの視覚を通じて、立ち上る煙と表面の焼き色から、最適な焼き加減を全集中で探る。
〈今だ!裏返せ!〉
完璧なきつね色。肉汁が表面にぷっくりと浮き上がっている。
〈よし、焼き上がったぞ。その肉を、アヒージョのオイルにたっぷり潜らせてから食ってみろ〉
アリエラは短剣の先で肉を刺し、黄金色に輝くオイルにくぐらせた。
そして、恐る恐るゆっくりと口に運ぶ。
サクッ、ジュワァァァ……。
その瞬間、俺とアリエラの脳内に、言葉にならない衝撃が走った。
野草の強烈な苦味はオイルの熱で深いコクへと変わり、ルミナス・ガーリックの食欲をそそる香気が、獣肉の臭みを完全に打ち消している。
噛むほどに溢れ出す肉の旨味と、香ばしいニンニクの風味が絡み合い、極上の味わいとなって舌の上で爆発した。
生まれて初めて味わうであろう本物の美味に、アリエラの思考が完全に停止した。
(……っ……!!)
ぽろり、と。
彼女の蒼氷色の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちたのがわかった。
肉を噛み締めながら、彼女は静かに、ただ静かに泣いていた。
俺には分かった。これが単に「美味しい」という味覚への感動だけではないことが。
彼女の脳裏に、かつて全滅した仲間たちの幻影――リーダーだった男の笑顔が浮かんでいた。
『アリエラ、この依頼が終わったら、王都で一番美味い飯を食いに行こうぜ』
(……そうだった。カインたちが本当に望んでいたのは、生き延びてみんなで美味い飯を食う未来だった……あの日から、自分への罰として味を楽しむことを禁じてきた。美味しいものを食べれば、彼らを裏切る気がして……なのに、あなたの料理は憎たらしいほど温かいわ)
張り詰めていた彼女の心の糸が、温かい食事と共にゆっくりと解けていく。
失うことを恐れて他人を拒絶し、孤独な一匹狼として氷のように冷たかった彼女の心が、少しだけ温度を取り戻した瞬間だった。
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気がつけば、アリエラは石板の上の肉とアヒージョを、ペロリと平らげていた。
満足げに息をつき、口元を拭う彼女の顔には、昼間までの険しさは微塵もない。
「……おいしかった」
それは、脳内の念話ではなく、彼女自身の口からこぼれた素直な言葉だった。
(戦犯級のポンコツ賢者だと思っていたが……調理に関してだけは頼れるレシピ係、のようね)
口調はまだ少しツンとしているが、その声には確かな温もりと、俺との和解の響きがあった。
〈ふん、言っただろ?絶対に後悔させないって。俺は伊達に定食屋の厨房に立ってたわけじゃないんだ〉
(ええ、認めるわ。あなたがいれば、少なくともこれからの野営で惨めな食事をすることはなくなりそうね)
俺もなんだかんだで、自分がただの役立たずで終わらずに、彼女の役に立てたことが悪い気はしなかった。
世界を救う大賢者にはなれなかったが、この不器用な勇者を胃袋から支える「脳内クックパッター」としてレシピサイトのような存在になら、第二の人生――いや、初の脳内居候として生きていくのも悪くないかもしれない。
「ねえ、ショーヤン」
〈ん、なんだ?〉
「さっきあなたが考えていた、クックッパ?とは何なの?」
あっ、思考が筒抜けだった。
〈あー……なんでもない。こっちの事だ〉
俺が慌てて誤魔化すと、アリエラは不思議そうに首を傾げたが、それ以上は追及してこなかった。
静かな洞穴に、再びパチパチという焚火の音が響く。
しかし、その音はもう虚しく響くことはなく、俺たちの間に生まれた確かな繋がりを温めるように、心地よく燃え続けていた。




