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第9話

 それから再び宮殿内の案内に戻り、ようやく居住棟の説明が終わりに差し掛かったところで、居住区と中央を結ぶ外廊下に面して作られた中庭に来ていた。


「そしてここが、中庭です。中庭はいくつかありますが、ここは……」


 ソンジはそこまで言って、はっと息を呑んだ。


(え? 何……)


 そう思い、噴水のある中庭をよく見ると、噴水の奥に何やら人がいるようだった。


「ナツミ様、今日は一旦ここまでにして──」


「ソンジ」


 慌てて居住棟に戻ろうとするソンジに、冷ややかな声がかかる。


 振り返ってみると、噴水の向こうに一人の女性が立っていた。


「……これはまずいことになりましたね」


「まずいって……」


「ソンジ、早く来い。その客も連れて」


 その氷よりも冷たい声音で、ソンジの言うまずいことがなんとなくわかった気がした。


(もしかして、これが、あの氷の女王って言われる恐ろしい王妃様……?)


「行きましょう」


「はい……」


 ソンジに言われ、やむなく噴水の向こうにいる声の主の元へと向かう。


 姿を見せてみると、中庭に置かれたコーヒーテーブルにまだ8,9歳と見える男児と、凄まじく美しい女性がいた。その女性は冷徹な表情をしつつも、にこりと口角を上げて二人を出迎える。


「それがアイザックの客という女か。噂には聞いておったぞ」


 気品のある声音だが、それでいて底冷えするような冷たさを持っている。寒いはずがないのに、夏美も思わず震えてしまいそうだった。


(氷の女王って言われる理由がよくわかる……!)


「こちらはアワノ・ナツミ様でございます。ナツミ様、こちらは王妃様でございます」


「は、はじめまして、粟野夏美です……」


「可愛い娘だな。私のドレスは少々大きいようだが」


「えっ……」


 王妃にドレスの肩部分を触られ、緊張でどきりと胸が締め付けられる。


「申し訳ございません、突然の来客だったゆえ、王妃様がお召にならなくなったドレスしか用意ができず……メイドの服を着せるのもためらわれたので……」


「構わん。新しいドレスは注文したか?」


「はい。明後日には届く予定です」


「そうか。それならよかった」


 王妃は夏美の着ているドレスの襟周りなどに触れながら微笑む。その際に長い爪の先が一瞬首筋に触れただけで、息が詰まるほどの恐怖に駆られた。


「アイザックは無愛想であろう、ナツミ」


「は、はい……」


「飽きたら私の元へ来てもよいぞ? 茶でも飲んでいくか?」


「いえ。王妃様。このあと、また予定がございますので、今日のところはご勘弁を」


 ソンジはそう言って王妃から夏美を引き剥がし、自分の背後に隠すようにしてくれた。


「そうか。つまらん。女同士で話をしたかったのだがな」


「それはまたの機会に。では、私達はここで」


 ソンジは夏美が怯えているのを知って、話をさっと切り上げてくれたのだろう。深く礼をするソンジに合わせて、夏美も頭を下げる。というか、直視していられないほどの恐ろしさを感じるのだった。


 深く礼をしてからその場をそそくさと立ち去る。まだ背後に、視線を感じるようだった。やっと外廊下まで戻ってきたというところで、背後から再び声がする。


「そうだ、ソンジよ」


「はい、なんでしょうか」


「一つ話がある。来い」


「はい……」


 ソンジが不安そうに夏美の方を振り向いた。


「決してここから離れてはなりませんよ。すぐに戻りますから」


「はい……」


 夏美は戻っていくソンジの背中を見つめる。


(話をしただけであんなに恐怖を感じたの、初めてだ……なんだか、全部見透かされてるような視線──)


 そこまで考えた瞬間、夏美は思い切り背後から襟首を引っ張られ、近くの曲がり角に引きずり込まれた。


「ひっ……!」


 思わず声が出かかったが、それも口を抑える手のせいで防がれた。壁に背中を打ち付けるようにして、その人物と向かい合う。


「ふーん、この人がお兄ちゃんの客人?」


 目の前では知らない男がこちらを見下ろしていた。黒髪と鋭い瞳はどことなくアイザックの面影を感じるが、髪型はゆるいウェーブ、こちらを見下すような口角の笑みは先程の王妃を思わせるものがある。


(お兄ちゃんって言ってるし……この人が、第三か第四の王子……?)


 そこまで考えて、さっき噴水近くのコーヒーテーブルに腰掛けていた少年の姿を思い出す。あの少年は色素の薄い感じが王妃王妃にそっくりだった。だとしたら。


(あの子が第四王子で、この人が第三王子……!)


 夏美の中で合点がいったのと、第三王子が懐から刃物を取り出したのはほとんど同時だった。


(えっ……!)


「お兄ちゃんのこと、好き?」


「……」


 口を抑えられていて言葉は出せない。


 男の言葉のニュアンスを捉えきれず、どう答えていいのか夏美は迷った。


(この人がアイザックを好きなのか、嫌いなのか……読めない……)


 考えうる限りで、この男がもし極度のブラコンだったとしたら好きだと言ってしまうのは敵対視される原因にもなりうるし、嫌いだと言っても自分の兄をけなすなと怒られる可能性がある。一方でもし蛇蝎のごとく嫌っていたとしても、好きと言えばアイザック派とみなされるだろうし、嫌いだと言ったところでじゃあ仲良くしようとはならないはずだ。


(もはやこの局面じゃ、どっちを選んでも不正解だよね……)


 もう夏美にできることはないようだった。


「ああ……口が塞がれてるから喋れない? 大きな声を出さないって約束できるなら、解放してあげるけど」


 夏美がこくこくと頷くと、男は少し目を細めて手をどけた。


「あ、あの……」


「さっきの質問の答え以外のこと話したら、殺しちゃうかも」


 にっこりと笑いかけてくる男にぞくりとする。人を殺すことにためらいすらなさそうだ。


「その……私、あの人とは何もなくて……本当にただの客っていうか……」


「そう? 僕にはそうは見えないんだけど。なにか下心があるんじゃないの?」


(それはもうありますけど……!)


「いえ……ただ、良くして頂いてるだけです」


「……ふーん。じゃあ、やましいことはなにもないってこと?」


「はい、それはもう! 絶対に!」


 ここで一瞬でも迷ってはいけないと直感的に感じた。男は吟味するように夏美を見つめる。


「なんか、怪しいな。信用できないし、やっぱり殺しちゃおうか──」


「やめろ」


 聞き覚えのある声が右側から聞こえてくると同時に、目の前の男の首筋にきらりと光るものが当たった。剣先だった。


「……なんだ、お兄ちゃんいたの?」


 アイザックが険しい顔で、男の首に剣を突きつけていた。


「馴れ馴れしい口を叩くな。そこを早くどけ」


「やだなぁ、僕はただお兄ちゃんのことを思って──」


「アイザック、やめて!」


 男の言葉を抑え込むように剣が首に吸い付いて、赤い線ができる。それを見た夏美は思わず声を上げていた。


「私は大丈夫だから、剣はおろして」


 夏美がアイザックの方を見て言うと、アイザックは少しバツが悪そうに眉を寄せた。


「あんた、自分の状態わかってるの? 僕のことかばってる場合じゃないのに」


「血が出てる、それ手当しないと…」


 そこまで言ったところで、男は一瞬で身を翻し数歩夏美から離れた位置でアイザックと向かい合った。


「このくらい平気。剣の稽古してたら、こんなの毎日できちゃうよ」


「でも、バイキンが…」


「バイキン? 何言ってるのこの子。お兄ちゃん、こんな子やめておいたら?」


「別にやめるも何もない。ただの客人だ」


 そうだよ、といつもの夏美なら加勢していたかもしれないが、さすがにこの場ではその気持も抑える。


「彼女は異国からの客人だ。扱いには最新の注意を払うべき相手だぞ。お前とは話も合わない。これ以上近寄るな」


「うわっ」


 夏美をぐっとアイザックが引き寄せる。突然のことでバランスを崩し、少しアイザックに体重をかけてしまう形になってしまった。


「ご、ごめん」


 夏美の謝罪も聞こえていないのか、アイザックはまっすぐ男から視線をそらさずそのまま夏美を胸の中に収めた。


「ヨハン、俺たちは元来関わるべきじゃない。いいからここを去れ」


「……どうしてそんなこと言うの」


「お前もわかってるはずだ」


「納得いってない」


「黙れ。これ以上何か言ったら、お前を突く」


 空気がピリッとした気がした。それを察したのだろう、ヨハンと呼ばれた男──アイザックの弟──は悲しそうな眼差しを最後に置いていくようにして去っていった。


(なんか……すごく悲しそうだったけど……)


 二人の間には、何か得体のしれない大きなものが横たわっている。夏美もそう感じずにはいられなかった。


「行くぞ」


「う、うん……」


 しかし、この場で聞けるほどの度胸は、さすがに夏美も持ち合わせていなかった。






 その日の夜。


「警護について、効率的ではありますぞ」


「……そういう観点は今必要か?」


(これは、またなんというか私得な展開ではあるんだけど……)


 昼間ヨハンに襲われたことや、今後もまだ襲ってくるのではないかという可能性を考え、警護の観点から今日から少なくとも数週間はアイザックの部屋で就寝するほうが良いのでは、というのがソンジの意見である。


 それに対し、アイザックは複雑そうな表情をしている。


「それに、ねぇ? ナツミ様も一緒に寝たいでしょう?」


 ソンジがウインクしてくる。ソンジはどうやらただ添い寝をしているだけで、セックスまでことが及んでいるとは知らないはず。添い寝くらいならしてもいいから、とにかくアイザックを城から出したくないというのがソンジの思惑である。


(まぁ、でも確かに私がいさえすれば、外に出ていかないのは事実だし……)


 それさえ果たせれば、しかも警護もしやすくなれば、ソンジもこの案を押すしかないだろう。


(まぁ、私もそのほうが誘いやすいし……)


 ということで、ソンジの味方をすることにした。


「私は、アイザックと一緒に寝るの、結構好きだしいいよ……?」


「……はぁ」


 アイザックが大きなため息をつく。そういう問題じゃないとでも言いそうだ。意外と倫理観がしっかりしているのかもしれない。


「……まぁ、お前がいいならいい。ただし、そういうことはなしだ」


「えっ!?」


「そういうこととは? 添い寝くらいは良いでしょう」


「ソンジは一旦ややこしいから口を挟むな」


「でも、まぁいいって言ったし」


「そうですな。では、できるだけ私か、アイザック様の周囲にいてください。決して一人では行動されぬよう」


「わかりました……って、自由な時間はないんですか!?」


「ヨハン様がいつナツミ様の周りをうろつくかわかりませんから」


「……まぁ、そうですよね……わかりました」


 冗談めかしてはいるが、ソンジの夏美の安全を思う気持ちは本物だ。そう感じたからには、うなずいておく。


「では、もう就寝のお時間も近いので、私は警護に戻ります」


「ああ。悪いな」


「いいえ。お二人のためですから」


 また星が飛ぶようなウインクをして、アイザックの部屋から出ていった。


 急に二人にされた部屋では、絶妙な空気感が流れている。


「……寝るか」


「う、うん……」


 アイザックが布団をばっと打ちやる。それは明らかに一人で寝るためではなく、夏美と寝るためだった。それを見て、ああ、今日から本当に一緒に寝るんだ、と夏美は実感した。


「奥に入れ」


「わかった」


 夏美はネグリジェに合わせた可愛らしいデザインの履物を脱ぎ、ベッドに上がる。それだけでもう、身体が「これはセックスをするんですね」と反射的に興奮し始めたのがわかった。夏美の身体は、もはや無意識のうちにセックスを渇望している。


 二人は黙って布団に潜った。つかず離れずの距離でお互いどこか緊張しているようだ。


(これ、寝れなくない……?)


 その思いはアイザックの方も同じようで、身体に力が入っているのがわかる。


「……あの……」


「……なんだ」


「弟さんと、仲悪いの?」


(気まずいからってなんでこの話題にした? 私……)


 ときに頭脳と口は裏腹になる。夏美はアイザックの気配を必死で感じようとした。これが地雷原に突入する話題であれば、即座に謝ってメイドのエレナに別の寝室を用意してもらわなくてはならない。


「……そうだな。俺とあいつには、深い溝がある」


(そういえば、さっきもそんなこと言ってたような……)


 関わるべきじゃない、とアイザックは言っていた。


「その……言いたくなかったら全然いいんだけど、二人の間に何があったのか、良かったら聞きたいな。弟さんとあんなふうになっちゃうなんて、私兄弟いないから想像がつかなくて……」


 夏美がそう言うと、アイザックは少し間を置いてから喋りだした。


「俺の母親は療養中、服薬して死んだ。その薬からは、毎日少量の毒が盛られていたとわかった。……そして、その料理と薬をいつも母のもとに運んでいたのは、幼い頃のあいつだった」


「え……ヨハンさん?」


「ああ。正直言ってまだ子どもだったし、あの王妃の仕業だろうと思うが、……あいつと積極的に関わろうとは思えなくてな」


「そう、だったんだ……」


 まさかそこまで根深いものがあったと知らず、夏美は軽率に話題の一つとして出したのを完全に後悔していた。


「……ごめんなさい、私すごく軽率に聞いちゃった……」


 夏美が申し訳無さにいたたまれなくなっていると、アイザックがふと困ったように笑った。


「別に、もう立ち直っている。心配するな」


(アイザック……でも、私になにかできることないかな? ヨハンさんはあんなにお兄ちゃんが好きそうだったのに、きっとお母さんに毒を盛るなんてことしないと思うし…)


 自分の中で、一つ仮定が生まれた。夏美は明日からそれを実行してみようと、心に決めたのだった。


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