第7話
いくつかのドレスをフィルにオーダーし、片付けが終わった頃。それまでずっとソファに腰掛けて座っていたアイザックが立ち上がった。
「おいお前、ついてこい」
「え……どこに?」
内心、「お前」と言われたことにむっとしつつも尋ね返す。
「今日は会合がある。それにお前を連れて行く」
「会合……? それ、私がついて行っていいの?」
夏美が尋ねると、横にいたソンジが一歩前に出る。
「アイザック様、本当に良いのですか? 私はまだまだ動けますし……」
「いや、お前は休め」
「しかし……」
「この時間、ソンジを休ませるのが決まりだ。夜間、俺の警護をしているから眠れていない。朝から昼過ぎまでソンジには暇をやっている」
「そう、なんだ……」
確かに、ソンジはアイザックの執事でもあるが、同時に警護担当でもあると言っていた。
(ソンジさん、夜間もずっとアイザックの警護をしてるのか……それは確かに、休んでもらったほうがいいかも……)
「じゃあ私、アイザックと一緒に行きます! ソンジさんはゆっくり休んでくださいね」
「ナツミ様……ありがとうございます」
「行くぞ」
「うん!」
アイザックのあとをついて部屋を出る。外へ出るときに振り返ると、ソンジが深々と頭を下げていた。
廊下は太い柱に支えられた半球型の天井、大きく光をふんだんに取り込む大窓のおかげで明るく、夏美のヒールの音が遠くまで響くようだった。
「ところで、どういう会合なの?」
「……議員同士の交流というのが名目だ」
「そういうの、参加するんだ……」
(なんか意外……意外と仲良くしてたりするのかな? 一匹狼な感じだけど……)
「私は、何かすることある? どうしていればいいの?」
「お前は黙って俺のそばにいればいい。それだけだ」
「え? 挨拶とかは……」
「しなくていい。顔を出したらすぐ帰る」
「わかった……」
とにかく郷に入っては郷に従え、数少ない味方の言うことは聞いておくべきだと夏美は口を閉ざす。
黙ったまま暫く歩くと、つきあたりを折れた先に人で賑わった中庭があった。それぞれ手にワインや食事などを持ち、優雅に楽しんでいる。
(これが議員の会合……どちらかっていうとパーティみたいだけど……)
きらびやかなドレスや、襟元にボリュームのある貴族服でテーブルを囲んでいる様は美しく、つい夏美も視線を奪われる。
「おい、何をしている」
ぐいっと腕を引かれ、その驚きに振り返る。アイザックは眉を寄せ、むっとした表情を浮かべていた。
「あ、ごめん……つい見入っちゃって……」
「俺から離れるな。他の者を見ている余裕などない」
同じことを起こすまいと思っているのか、夏美の腕を取る手は緩まない。
(アイザックは別にそんな意識ないんだろうけど……異性にされたらときめいてしまうシチュエーションだ……)
幸いなことにアイザックは顔はいい。
(今はふんだんに、このシチュエーションを楽しんじゃおう)
異性に腕を引かれて人混みを歩く今を、夏美は心ときめかせながら享受することにした。
しかし、そんな時間は長く続かない。ずんずん歩いていくアイザックに、怯むことなく近づいてきた初老の男性が声をかけてくる。
「おや、ここにいらっしゃいましたか。アイザック殿」
「……フラネル議員」
「本日は、お連れ様がいらっしゃるようで。私、上院議員のフラネルと申します」
「あ……」
フラネルが挨拶をするためにこちらに視線を向けてきたが、夏美はさっきのアイザックの挨拶は不要だという言葉を思い出してためらう。
「それは私の客人だ。挨拶は不要だ」
「そうですか。それは失礼」
フラネルの視線からかばうように夏美の一歩前に出たアイザックの背中を見る。近づいてみると思うよりも背が高く、細身の割には肩幅もあるようだった。
(なんか、こういう姿見ると男の人って感じ……)
いまだにさっきのときめきの香りをまとって、夏美はときめきゲージを下げきれないでいた。それ、と呼ばれたことにすら気づかない。
「それより、税法の見直しの件はどうなった」
「税法の件、ですか? 当然否決でしょうな。その様子だと、まだお聞きになっておりませんか?」
「……それにまつわる書類は届いていない」
「おや、それはそれは。担当の者に申し伝えておきましょう」
「ああ」
フラネルが、口角を上げて目を細める。
「しかし……翌日には書類は届きましたがね、私の元には。議会でもあまり発言なさらないので、連絡係の者も出席されていたと思わなかったのでは?」
(えっ? これって……嫌味……?)
夏美は反応を伺おうとアイザックの横顔を見上げた。しかし涼し気な表情を崩さない。
「しかし、大変ですなぁ。母親が妾とあっては、後ろ盾も不安でしょうに。国王陛下は、何を考えていらっしゃるやら。由緒ある血統ではない人間は、それだけでも王たるに値しません」
(そんなに血統が大事なの……? そういえば、ソンジさんが言ってたな。血統主義派があるとかどうとか……)
現代日本にいても政治にはほとんど興味もなかったし、他国……異世界の政治など夏美には1ミリもわからない。しかし。
(それにしてもこの人、失礼すぎない? 本人に言うことじゃないでしょ……そんなにアイザックの立場って弱いの? 仮にも次期国王なのに……)
「……そのような戯言を言いに来たのか?」
「ここは交流の場ですぞ。会話をするのが大目的ですから」
「そうか。であれば俺の方に会話をする気はない。去れ」
アイザックが鋭くフラネルを睨む。フラネルは薄ら笑いを浮かべて、軽い会釈をした。
「そろそろ自分が王座に値する人間だという証明を、なさってはいかがですかな。まぁ、議会の面々があなたに納得することなど来ないと思いますがね」
睨まれたのを根に持ったのだろうか。フラネルは最後に特大の嫌味を残して去っていった。
「アイザック……大丈夫……?」
いたたまれなくなって声をかけるが、アイザックはもう何事もなかったかのように澄ましていた。
「いちいち気にするな。慣れている」
「でも……」
「一人でも俺の姿を見たんだ。参加するという義理は果たした。帰るぞ」
「えっ、あ、うん……」
夏美は踵を返して歩き始めたアイザックの背中を追う。
(アイザックは気にするなって言うけど……なんだか、もやもやする。アイザックは本当にこれでいいと思ってるのかな……?)
これほど気になってしまうのは、あの夜少しだけアイザックに自分の心の大事な部分を預けたからだとは、本人は気づいていない。
(私なら、何がなんでも見返そうって思っちゃうけどなぁ……)
声をかけてくる貴族に一言「ああ」とだけ返して歩き続けるアイザックを見ながら、夏美はそんな事を考えていた。
その日の夜。夏美はどうしても眠ることができず、アイザックの部屋に向かうことにした。
(そりゃ、下心がないって言ったら嘘だけど……私は、アイザックがここから出かけないようにすればいいわけだしね……? 夜、話をして引き止めて、それから身体でも対話しようとか……)
コンドームは持ってきている。しかし、気持ちの大部分は性欲とは違う感情だった。
(でも、今日のフラネル議員とのこと見ちゃったら、放っておけないのは事実だし……)
夏美も実際、会社勤めをしていたときは仕事の人間関係に疲れたことがあった。それがどんな相手であれ、悪意を向けられることは気持ちのいいものではない。
(ちょっとだけ、お話するっていうつもりで……)
だからいいよね、と自分に言い聞かせてアイザックの部屋のドアをノックした。
「誰だ」
「あ……私、夏美! 入っていい?」
「……なんの用だ」
断られたか、と一瞬思ったが気構えずに語りかける。その気じゃない相手をその気にするのは得意だ。
「ちょっと話したいって思ったの。今日も、どこか行くの?」
「行かない」
「じゃあ、話さない?」
「……勝手に入れ」
アイザックの返事にほっと安堵しつつ、ドアノブを回して押し開ける。部屋は暗く、バルコニーのある窓から差し込んでくる月明かりに、ベッドに腰掛けるアイザックが照らされていた。
「もしかして、もう寝ようとしてた?」
「……いや。考え事をしていただけだ」
「そっか……。隣、座ってもいい?」
アイザックが答えるより先に、夏美は隣に座った。一瞬アイザックが驚いたような気がしたが、あえて見ないふりをした。
「何考えてたの?」
「……」
「別に言わなくていいよ。だから話そう」
「なんの話がしたい」
(あ、そこはちゃんと乗ってくれるんだ……)
鼻から「お前と話す気はない」と突き放されるかと思っていた。そうでなかったことに内心少し安堵しつつ、夏美は会合のことを思い出していた。
「他の議員さんと、あんまり仲良くないんだね」
「……だが、それで不便もしていない」
「そっか。いつもあんな感じなの?」
「そうだ。あんなのにいちいち構っていたらきりがない」
アイザックはなんでもないことのように言う。アイザックにとってはなんてことない日常なのかもしれない。しかし、夏美は心の中にふつふつと怒りがこみ上げるのがわかった。
「じゃあ……今度あの人が同じようなこと言ってきたら、私が言い返してもいい?」
「必要ない」
「だってなんか、ムカついちゃって……アイザックのこと、まだ私そんなに知らないけど、あの人にあんなふうに言われていいような人じゃないと思うから」
「お前な……あいつらは放っておけばいいんだ。勝手に言わせておけ」
「そんなの悔しいもん。わざと意地悪したりして、子どもみたい。悪いことしてる人には、ちゃんと言わないと。嫌だって。そういうことしちゃいけないって」
「そんなことを言ったところで聞く相手ではない」
「なんであんなこと言うようになったの? あの人」
「知らん。俺が無視をしていたらいつのまにか調子づいた」
「はぁ、いるよね、そうやってつけあがる人こっちが黙ってたら、何してもいいって思っちゃってぼろかす言ってくるんだよね。私は我慢できないから文句言っちゃうけど」
夏美は働いていたときのことを思い出した。中途入社の男性同期に見下されて嫌味を言われていたのだ。最初は大人気ないかと思いスルーしていたが、あまりにも度が過ぎたのを見てはっきり不快であること、あなたに迷惑をかけたことはないはずだから目の敵にするのはやめてほしいということを伝えた。
「そういう人って、こっちが反抗してくるって思ってないから、いざはっきり伝えたらしっぽまいて逃げちゃったよ。それから何も言われなくなった。だから、ちゃんと撃退したほうがいいんだって!」
「……お前は、強いんだな」
「え……」
思わぬ言葉に顔をあげると、アイザックの口角が少し上がっているのがわかった。今まで見たことのない表情だった。
「アイザック……笑ったりするんだ……?」
「お前があまりにも破天荒だからな」
「破天荒!? 褒め言葉ではないよね!?」
「いや……とにかく、お前は何もしなくていい。あいつらのことは、俺が対処する」
「そう……よかった。いつでも私、加勢するからね!」
「ああ」
アイザックの表情が、心なしか優しいものに見える。投げかけられる柔らかな視線に、夏美の胸がとくりとときめいた。
「あ、あの……」
「なんだ」
「ちょっと……シない?」
「何を」
「セックスを……」
「しない」
ぴしゃりと言われてしまう。雰囲気的にも、アイザックの性格的にも、なんとなく性的な雰囲気にはならないと察していても、つい口から欲望が溢れてしまう。
(なんだか、あんまり性欲旺盛ってタイプでもないし……)
「……じゃあ、私そろそろ寝るね」
「わかった」
「付き合ってくれてありがとう。今日はあなたも、もうどこも出かけないように」
「わかっている」
「じゃ、おやすみ」
「ああ」
アイザックは立ち上がりはしないものの、部屋を出るまで目線で見送ってくれた。
(うん、なんか初日よりは少し心の距離も縮まった気がするし……)
今日のところは、なぜだかゆきずりの男とのセックスよりも、満足した気がした。




