第5話
その日の夜。本人不在のアイザックの執務室でぼんやりと時を過ごしていた夏美に、ソンジが声をかけてくる。
「ナツミ様、そろそろお休みになりますか?」
「あ、そうですね……」
と言っても、どこで? どうやって? 一人で? といくつもの疑問が夏美の頭を駆け巡る。
「お部屋までご案内いたします。ナツミ様専用のお部屋をご用意いたしましたので」
「えっ、そんな……ありがとうございます」
「では行きましょうか」
ソンジに連れられて部屋を出る。アイザックはこちらに見向きもしなかった。
廊下は昼間とは違う、たくさんのランプの灯りで光に満ちていた。
「アイザック様の客人ということで、先述の通りやや命が危ういため、……アイザック様のおはからいで特別室をご用意いたしました」
「えっ……そうだったんですか……」
あんなに無関心を装っていたのに、意外と優しいところがあるんだ、と思う。
しばらく歩き続けてから、とあるドアの前に立った。
「こちらがナツミ様のお部屋でございます。右の隣がアイザック様のご寝室、左が私の居室でございます」
「あ、そうなんですね……」
(部屋も隣なんだ……)
そう思った夏美の心を見透かしてから、ソンジが笑う。
「これが、特別の意味でございますよ。夜のお相手をするなら、ちょうど良い配置かと」
「ま、まぁ……確かに……」
夜這いをするなら、隣の部屋がいいに決まっている。
(でも、それを特別扱いとは……? 意外と、アイザックも乗り気だったりするのかな……?)
だったら話は早い、と思う。
「では、中へ入りましょう」
そう言いながら、ソンジが夏美の部屋のドアを開けた。そして中に入るよう手で促される。
「あ、ありがとうございます……うわ、広っ!」
部屋に一歩入った夏美は自分にあてがわれた部屋の広さに驚いた。
天井から大きく切り抜いたような縦長の窓、声が響いて返ってくるほどものはほとんどない。ただ天蓋付きのベッドとソファ、テーブルが置かれているだけだった。
壁際には備え付けのクローゼットがあり、それが部屋の一面となっている。それ以外の三面は言葉通り壁だけだ。天井からは大きなシャンデリアが吊るされている。
「ナツミ様」
「あっ、はい!」
部屋を見るのに夢中になっていたが、ソンジの呼びかけで我に帰る。振り返ると、いつのまにかソンジの隣にメイドらしき女性が立っていた。
「今後、ナツミ様がこの宮殿に滞在される間、彼女がお世話を致します、エレナです」
「よろしくお願い致します」
「エレナさん……よろしくお願いします。粟野夏美です」
「彼女は私と同様、アイザック様の幼少期からの数少ない使用人です。安心してお任せください」
ソンジの言葉に、エレナがにこりとして頷く。
「早速ですが、ネグリジェを用意いたしました。急でしたので、私がおろす前のものをご用意したのですが大丈夫でしょうか」
「貴族用はありませんでしたか?」
「ええ。他にも探してみたのですが、貴族の方が使われるような物の在庫がありませんでした。私のだから、少しナツミ様には大きいかもしれませんが……」
「そうですね、さすがにネグリジェは王妃様のを使わせるわけにはいきませんし……」
(王妃様のなんて着たら寝れないよ!)
「あ、私は何でも大丈夫ですよ! 貸していただく身分で、文句なんて言える立場じゃないし……」
「お気遣いに感謝いたします。ではエレナ、お着替えをよろしく頼みますよ」
「はい。さぁナツミ様、寝支度を致しましょう」
「はい」
とにかく郷に入っては郷に従え、夏美は言われるがまま寝支度に取り掛かった。
寝支度を手伝ってくれたエレナを部屋に帰し、一人で広いベッドに潜る。異世界での一日を終え、夏美は大きくため息をついた。
この国は日本と同じく四季があり、大きな大陸の中でもかなり西側にあるという。しかし東は合計3つの国と境界を接しており、現在は友好国となっているものの、過去には凄惨な戦争が起きたこともあるらしい。その戦争で勝利の立役者となったのが、アイザックの曽祖父にあたる人物で、祖国を勝利に導いた英雄として祭り上げられ、王となった輝かしい人物であった。ここで初めて、王族以外の血筋の王が誕生したということでかなり注目されたらしい。しかし、曽祖父の王としての手腕は確かで、周辺国含む自国を平穏な国へと導いた。
しかし、現在の王、すなわちアイザックの父は優柔不断で、英断ができない人間だった。良く言えば温厚、悪く言うと八方美人で、議員たちからも見下されている部分が少なからずあるという。というか、完全に利用されているのだ。議員たちは世襲制でアイザックの父との旧友が多く、自分たちに有利な政策を考えたり、自分たちの住んでいる地区を優遇したりとやりたい放題。曽祖父よりも前の王家の血筋を復活させようとする血統主義派の議員もおり、彼らの反発を防ぐため、彼らもまた優遇された。牙を抜いて懐柔しようとしたのだった。それがある意味功を奏したのか、今はそれほど血統主義派の動きは活発ではない。
現在の王妃は、アイザックの曽祖父よりずっと前から王家に仕えてきた家系で、その影響力も強大である。そのため、議員でも幅を利かせているのは、王妃の後ろ盾がある議員ばかりで、むしろ内政だけを考えると王よりも王妃の派閥のほうが力を持っているという具合なのだ。
『すでに王政は、王妃側の議員たちが好き勝手に運営しているようなものです。だからアイザック様も、もうほとんど政には無関心を貫いています。王妃様は……それはもうお美しいお方ではありますが、なんと言っても氷の女王と恐れられた方です。自分の目的を果たすためであれば、身内ですら数人殺すことくらい厭わないという残忍性も持ち合わせた方ですから……』
ソンジが言っていたことを思い出す。
(国王様よりも、王妃様のほうが力を持ってるなんて……国によってもそれぞれなんだな……)
まだ、アイザックがどれほど政治に無関心なのかもわからない。実際、夏美も現代にいた頃は政治なんてほとんど興味がなかったし、今の状況が良いのか悪いのかどうかもわからないのだ。
(かなり王族贔屓もあるみたいだし、治安悪化も頷けるというか……。まぁでも、今日明日で状況が変わることもないんだし、とりあえずはここでの生活に慣れていこう。仕事三昧だったときよりはいいかもしれないし)
もともと、深く何かを思い悩むたちではない。考えても仕方のないことは頭の中から追い出した。
(さて、夜のお勤め、行きますか!)
そろりと部屋を出ると、すぐ真横にソンジが立っていた。
「ひっ! ソ、ソンジさん……!?」
「そろそろ、出てきていただけると思っていましたよ」
ほっほっ、と嬉しそうに笑う。
「では、アイザック様をよろしくお願いしますね」
「はい……」
なんだか相手の親に見守られながら致すセックスみたいだと思いながらも、夏美はアイザックの部屋の前に立つ。
(よし、気合い入れて……借りたネグリジェも可愛いし、昨日もしたし、きっと相手も乗り気だし……)
何も心理的な抵抗はないはず、と自分に言い聞かせて挑む。
コンコン、と部屋をノックすると、中からくぐもった返事が聞こえた。
「あ、あの、夏美だけど」
「……なんだ」
「入れてくれない?」
「ソンジはどうした」
迂闊に入れてくれないアイザックに、夏美は思わず近くにいるソンジに助けを求める。
するとそれに気づいたソンジは、無理やり入ってしまえとジェスチャーをしてきた。
(い、いいの……!?)
夏美はなんとなく周囲に人の気配がないのを確かめ、思い切ってドアを押し開けた。
すると、ちょうど出かけようと上着を羽織っていたアイザックと目があう。
「え!? もしかして、出かけようとしてる!?」
「……」
アイザックは、夏美の声掛けに小さくため息をついた。
「何をしに来た」
「ま、まぁ! それはいいとして、その……、とりあえず上着は脱いだら?」
夏美はもう、ここでモーションをかけることを心に決めていた。
上着を脱がせて物理的距離を縮め、そこから甘い雰囲気に持っていけば良い。そもそも、単刀直入に「私が相手をしましょう」と伝えてもいいのかもしれない。
しかし夏美は、ある程度雰囲気を大事にしたいタイプである。
近づいて、アイザックが羽織ったブレザーとシャツの間の胸元に手を差し込んだ。
「……どういうつもりだ」
「どういうつもりも何も、誘ってるの」
「……」
「ほら、これ脱いで一緒にベッド行こう? 一人じゃ寝れないんでしょ、私がそばにいるから」
「別に一人でも眠れるが……この場所で寝るのが嫌なだけで」
(ちょっと、ソンジさん!? 話違うけど!?)
「ま、まぁ……でも今日からは私がいる。ね? シて、嫌なこと忘れたら一緒にここでも寝れると思う」
夏美がそこまで勢いをつけて言うと、アイザックは諦めたようにはぁ、と再びため息をついた。
「……外出はやめるが、お前ちょっとこっち来い」
アイザックは上着を脱いで、自分のベッドの縁に腰掛けた。
(ああ、いよいよ始まる……!)
もう夏美はワクワクが抑えられない。急いでアイザックが座ったベッドの端に腰掛ける。
「ソンジから聞いていないのか」
「何を?」
「……まぁ、聞いていたらこんなことしないだろうな」
「ええ? だって、部屋を隣にしてくれたのも、こういう夜這い? をしやすいようにでしょ? アイザックだって乗り気なんだとすっかり……」
夏美がそこまで言うと、アイザックは今までで一番大きなため息をついた。
「……いや……これはソンジが悪いな」
アイザックはそう言うと、ベッドに座り、目で夏美にも座れと促してくる。
(座った瞬間、そういうことが始まる……ような空気感ではないな……怒られそうな雰囲気……)
内心ちょっとしょんぼりしつつ、夏美はアイザックの隣に座る。
「えっと、その……悪い話……?」
「いや、お前には質問がしたいだけだ。ソンジから、そういう行為はこの国で禁止されていると聞かなかったのか?」
「ううん、聞いたよ。でも王族は例外なんでしょ?」
「……例外だからと言って、王族がそこに甘んじていては示しがつかない」
そうきっぱりと言い切ったアイザックの表情には矜持が見えた。
(この人……あんまり政治に興味がないんだと思ってたけど、実はそうじゃないのかな?)
「とにかく、そのなりはやめろ」
アイザックが着ていたブレザーを脱ぎ、夏美の肩にかけてくれた。
その瞬間に触れた手から、また一瞬にして体温を感じてしまう。
「あの、でも……」
「なんだ?」
「ソンジさんは、あなたとこういうことシてほしいって……」
「ソンジが? 本当にそう言ったのか?」
「うん……夜の相手をしてほしいって言ってた」
夏美がそう言うと、アイザックははぁ、と大きなため息をついた。
「……それは、おそらく話し相手になってやれとか、添い寝をしろとか、そういう意味だ。お前が思っている意味ではなく、言葉通りに」
「……はい?」
大人の会話で、夜をともにする、という言葉が出たなら思えないのが夏美である。
(あっ、だからあの時話が噛み合わなかったってこと!?)
「えっと……あの、ということは……ソンジさんは、私にただの添い寝をお願いしてきてたってこと?」
「ああ」
「それを私が、勘違いして……誘っちゃったってこと?」
「そうだ」
「うっ……」
猛烈な恥ずかしさが押し寄せてくる。
「この国では、夜をともにすると言ったら寄り添って眠ることを指す。お前の国では、禁止されていないのか? そういう行為は」
「もちろん! 好きな人と、好きなだけそういう行為ができるよ」
「……そういえば、最初のときも妊娠を防ぐという道具があったな」
「うん、ある」
夏美はここぞとばかりに持ってきていたコンドームを取り出して見せる。
「これで、95%くらいは子どもができる確率を抑えられるの! それだけじゃなくて、性病が移るのも防げるし、いいことずくし!」
夏美はコンドームマニアでもある。日々、いいコンドームを探して探求する心も持ち合わせている。
だからこういう話には自然と熱が入るのだった。
「……それは、すごいな。こんどーむ? と言ったか。これはあの日も使っていたものだな」
「うん。使った。でもまぁ、もちろん100%に避妊できるわけじゃないけど、私がいた国ではこれを使って、愛し合う二人がセックスを楽しんでたよ。子どもを生むためってだけじゃなくて、好きな人と繋がって愛を確かめるためでもあるの。あとは、お互い一緒に気持ちよくなりたいとか……」
と、そこまで言って、夏美の中に性欲の炎がゆらゆらと燃え上がってくるのがわかった。
「ねぇ」
「なんだ」
夏美がぐいと 少しアイザックに近づいたので、アイザックが身構えた。
「幸い、あなたと私であれば罪にはならないんでしょう? だったら、これ使おうよ」
「……お前な。さっきは愛し合う二人がどうこうと言ったその口で」
「いいじゃん、愛し合ってなくても、お互いスポーツとして楽しむこともあるんだよ。それに私、あなたとの相性がすごく良かったと思うの、あなたはそう思わない?」
「……悪くはなかった」
「でしょ!? じゃあ、シよう!」
「……お前の国では、そんなにまっすぐに誘うのか」
「えっ、まぁ──」
(!)
夏美の言葉尻を飲み込むように、アイザックから口付けられる。
「もっと、お前は場の雰囲気を盛り上げる方法を身に着けたほうがいいな」
さっきまでとは違う、口角を上げたちょっといじわるそうな表情。
(やだ、この人乗り気になったらこんな感じなの!?)
嬉しい戸惑いに浸っていると、夏美の髪をアイザックの手が掬い、もう一度口づけされた。
そしてそれは、次第に深く甘いものになっていく。
「んっ……」
「お前、こういうことには慣れてるんじゃなかったのか?」
髪を撫で、そのまま首筋にキスをされる。そして夏美の太ももをアイザックの手がするりと触れた。
内心高鳴る鼓動と、この始まりのタイミングが一番好きだ。お互いのボルテージが上がっていくのが実感できる。
(慣れ、てる……?)
「お前の国では、これは一種の娯楽なのか?」
「娯楽といえば、娯楽かも……? あっ……」
鼓膜をアイザックの低い声が打ち、太ももを這うアイザックの大きな手と自分より高めの体温からどうしても男を感じざるを得ない。
それがまた、夏美をどうしても高揚させていく。
今度は夏美の方から首に手を回し、口づけをする。さっきまでよりももっともっと深く口付ける。
「ねえアイザック」
「なんだ」
「ソンジさんは部屋の中には見回りこないよね?」
「来る日もある」
「えっ!」
「だが、今日はお前がいるから入っては来ないだろう。さすがに女と二人きりのところに水を差す野暮なやつではない」
「でも最初の日は……」
「あれは朝になって部屋に入ってきただけだ」
「じゃあ、シてるところは見られてない……?」
「見られてない。お前の裸も見られてはいない」
そういうとアイザックが夏美のボディラインを優しくなぞった。
それだけで気分が高揚する。
「はぁ……もう、欲しいもん」
「何が」
「あなたが」
「……そういう文句は一人前だな」
アイザックにもギアが入る。二人はそれから、甘い夜の闇に堕ちていった。




