第4話
それから小一時間ほど、ソンジからこの国のことを教えられた。
目の前で地図を広げられ、法律書を開かれ、マナー教本なるものを与えられて、改めて夏美はわかったことを整理する。
ここがまず、日本のあったあの地球とは全く異なる世界であること。当然ながら社会情勢も、治安も、法律も秩序もすべて異なる。特に今この国は治安が悪いため、女一人で外を歩くのは大変危険だという。
「今回はたまたま衛兵たちがその場にいましたが、誰も見ていなければ最悪殺されていたかもしれませんよ」
「そ、そうだったんですか……」
(なんて怖い世界……!)
「あと、そのような珍妙な格好で歩いてはなりません。あまり露出が多い格好をすると、売春婦だと思われてしまいます。これもまた捕まりますよ」
「は、はい、すみません……」
(そうなんだ、この国は結構肌の露出に厳しいんだな……)
「着替えを用意させますので、着替えましょうか。この部屋を出る前にお召し物を変えておかねば、怪しい目で見られます。少しお待ち下さいね」
そう言うと、ソンジは立ち上がり部屋を出た。
少しして、ドレスを抱えた数人のメイドとともにやってくる。
「今すぐに来賓にふさわしいドレスというのを用意できなかったので、ちょっと人のものをお借りしました。……今日は居住区で過ごすから大丈夫なはず……さすがにここまでは目も届くまい……」
もごもごと何かを言っているが、夏美には正直良くわからない。
(なんだろう、ちょっと露出が多めとか? あんまり目につかないからとかかな?)
「では、ナツミ様のお着替えを手伝いなさい」
ソンジがいうと、メイドたちが夏美を衝立の向こうへ連れて行ってくれる。
「お着替えをお手伝いさせいただきます。初めて見るお召し物ですので、どのように扱えばよいか、御指南いただけますか?」
「あ、これはワンピースなので、上からばっと脱げば……脱ぎますね!」
夏美は自分でワンピースをたくし上げ、脱ぐ。メイドたちは驚いた表情をしていた。
(あ……さすがに来賓として品がなかった? 人前で脱ぐのに抵抗なさすぎるんだよね……)
「これは下着で……下着はそのままでいいですよね……?」
「はい、そのままで」
さっきまで驚いた表情をしていたメイドたちが、夏美を不安にさせないように微笑んでくれる。
メイドが手に持っていたドレスを広げると、プリンセスラインに裾の広がった可愛らしいデザインで淡いパープルのオーバースカート、袖はロングスリーブ、胸元はきゅっとしまったハイネックのものだった。
(可愛い……!)
夏美も一人前に可愛いものが好きだ。
コルセットを締められ苦しいながらも、鏡に映った自分のドレス姿に見とれてしまう。
(この世界にいる間、こんなに可愛い服着られるんだ……)
それだけでもう嬉しい。
(治安が悪いとか、正直悪いところもあるけど、ここの中で生活していく分にはあんまり関係ないもんね)
すでに夏美はここでの生活に満足しかけていた。
「できました」
「とってもお綺麗です」
「あ、ありがとうございます」
メイドたちに褒められながら、衝立を出る。ソンジと目が合うと、ソンジもすぐに形相を崩して微笑んでくれた。
「大変お美しいですよ、ナツミ様」
「ありがとうございます」
「ただ……やや袖や裾が長いでしょうか。前に着ていたお方が長身だったので……」
ソンジは失礼、と言いながら夏美の袖に触れる。
「明日には専属の仕立てを呼んで、ナツミ様のお召し物を仕立てさせましょう」
「えっ、いいんですか!?」
「ええ、来賓ですので」
「わ……ありがとうございます」
「では、さっそくお勉強に入りましょうか」
「はい!」
二人はテーブルにつく。
夏美の国を知りたいとソンジが世界地図を広げてくれたが、いつも見ているメルカトル図法のあの地図が見られることはなかった。知らない大陸、知らない国名、知らない海洋の名前。
そのことをソンジに打ち明けると、意外にも「ではこれからこの国のことをお勉強していきましょう」と朗らかである。
「……あの」
「なんでしょう?」
「その、アイザックって人はどういう人なんですか? なんか、立場が偉い人みたいな雰囲気ありましたけど……牢屋に来たときも、他の人が敬語だったし……」
「ナツミ様……アイザック様のことは何もご存じないのですか?」
「まぁ……その……」
(昨日、身体は見たけども……!)
「何も知らないようなものなので、教えてください」
「そうですな、どこから話しましょうか……」
それからソンジに教えられたのは、あの男がこの国の第二王子であること、しかし第一王子は病に倒れていて、もしかしたら玉座が転がり込むかもしれないこと、そして玉座を渡したくない周辺から命を狙われていること……。
(王子……しかも命を狙われてる……!?)
現実世界で普通の会社員をしていた夏美からすれば、とんでもなく遠い所まで来たもんだと思わざるを得ない。あまりにも、昨日今日で自分の置かれている状況が変わりすぎてしまった。
「ですから、私は本来あの方の執事でありますが、護衛でもあるのですよ」
「護衛……ですか……?」
こんな初老の男性に護衛が務まるのか、と思った夏美の表情を見たのだろう。ソンジは得意げな表情で、腕をまくって見せてくる。そこにはたくさんの刀傷が残っていた。
「えっ!? これ全部、あの人を守ってついちゃった傷跡ですか!?」
「いえいえ。私は元軍人なのです。今となってはただの老いぼれになりましたが、それでもまだまだ現役のつもりで」
きらりと星が飛ぶようだった。おちゃめに笑ってみせたソンジに、安堵する夏美。
(もしあれが、アイザックを守ったときの傷だったら……私は一週間と生きてられないよ……)
「ご安心ください。命を狙われると言っても、刃物で襲ってくることはほとんどありません。食事に毒を混ぜられるか、移動中の汽車や馬車を橋から落とされるか……」
「いや、全然安心できませんから!!」
「ほっほっほっ」
愉快そうに笑うソンジに、どこまで本気なのかわからなくなる。
(でも……私が異世界に来ちゃったんだってことは、嫌ってほど実感する……。だってこんなの、あの世界にいたらありえないことばかりだもん……!)
夏美は頭がくらくらする気がした。
「では、次にこの国での立ち居振る舞いについて説明をしていきましょうか」
「あ、はい……」
夏美は気持ちを切り替えてソンジに向き直る。ソンジは部屋に備え付けてあった百科事典を開き、この国の成り立ちから説明してくれたのだった。
そして……。
「あ、あの……」
「はい?」
一連の話をすべて聞いた上で、夏美にはどうしても改めて聞いておきたいことがあった。
「あの、ソンジさん」
「はい? なんでしょう」
「さっき言ってた、お願いしたいことっていうのは……?」
「ええ……単刀直入に言いましょう。あの日のように、アイザック様のお相手をしてほしいのです」
「……はい?」
夏美の頭の中が、一瞬でホワイトアウトした。
「……ちょっと、何を言ってるかわからない……」
「アイザック様の、夜のお相手をしてほしいのです」
「ソンジさん!? ま、まさかそれって……」
「ええ。それが、この国で来賓として扱われるための対価です」
「な、なんで……っ」
「私たってのお願いです。どうか……」
ソンジがうるうるとした眼差しでこちらを見てくる。
(こ、この眼差し……! ソンジさん、こうすれば断られないと思って……!)
と思いつつも夏美は、ノリノリであった。
合法的にあの男とセックスができるのだ。相性はこれまで経験した中でダントツ一位。こちらから誘うための口実を作らなくても、雰囲気を作ることすらしなくても、ただ「ソンジさんに言われたから」と言って部屋に押し入ってベッドに押し倒せばいいのだ。
「で、でも、その……なんでですか?」
一応諸手を上げて引き受けるのはプライドが許さないので、理由を聞いておく。
すると意外にも、ソンジは深い溜め息をついて悲しげな表情を浮かべた。
「アイザック様は、この城の中で安眠できないそうなのです。城の中は、自分の命を狙うものばかりですからね。それで、夜な夜な城を抜け出して、ああいうふうに他人のぬくもりを感じて眠られることも多く……」
「え……それって、毎晩違う女の人と……?」
「ええ。ですから、私も困っているのです。この老いぼれ、夜はアイザック様が城を抜け出さないように見張りをしていて。ですがあの方、逃げ足だけは速いので」
(まぁ、童貞ではないとは思ってたけどさぁ……)
まさか夜な夜な女を抱いているとは思うまい。
「それで、その足止め役を、私にしてほしいってことですか?」
「ご明答! まさにそのとおりです。お願いできますね?」
さっきまでの憂いの表情はどこへやら、ソンジはうるうるとした期待の眼差しでこちらを見つめてくる。
(そうだ、あれ聞いておかないと)
「その……街にいるときに、ちょっと聞いたんですが……この国で、男女のまぐわいっていうのはその……禁止されてるんですか?」
「男女のまぐわい……ですか? それは、性交を意味する……?」
「そうです」
(この流れで言ったらそりゃそうでしょ!)
どうも頓珍漢な反応をするソンジに、こちらが無性に恥ずかしくなりつつ夏美は頷く。
「この国では、結婚をして協会に子作りの申請をした者と王族のみが自由にまぐわうことができます。それ以外の者はしてはなりません」
「その……王族の相手をするのは……?」
「もちろん、許可されております」
(で、ですよね……!)
そうでなくては、夏美はアイザックの相手をしたあと再び牢屋行きである。夏美は前提条件を確認したうえで、ソンジを見つめて頷いた。
「……わかりました。アイザックの夜の相手を、します。でも、その……毎晩っていうのは、無理かもです」
(コンドームの数も、限られてるし……)
「とりあえず、一週間くらいは……その、できるかもですが……」
「ええ、十分です。私に不定休を与えると思ってください」
「……じゃあ、その役、引き受けます」
「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」
「はい……」
(よし、とりあえずしばらく欲求不満で眠れない夜は避けられそう!)
夏美はすでに、気分上々で今日の夜の誘い方を考えているのであった。




