第3話
地下室特有の重たい空気が、硬い石床に体育座りをしている夏美の周りにどんよりと漂っている。
夏美は軍服を着た複数の男たちに捕らえられ、あっという間に牢へと投獄された。彼らの会話からするに、この国はそこそこ治安が悪いらしく、日頃から警備にあたる兵士たちがいるらしい。そして夏美の様子を見た街の人たちが兵士たちを呼びに行き、野蛮な男たちに襲われているところを発見……そして夏美のほうが捕まり、今に至るらしい。
(なんかもうここまで来ると、現実感ないわ……)
何かを話している男たちの様子を、ぼんやり眺めている。
(見た目もみんないいし……異世界の人たちってやっぱり彫りが深くてサマになる……こんなところじゃなかったら、ワンナイトのお誘いしてたな……)
夏美は小さくため息をついた。この怒涛の展開に、自分の脳みそが追いついていないのは確かだ。
(そういえば……さっき「王族だけやりたい放題」って言ってたけど……それって、セックスのことだよね? でも私、昨日の夜したよね? あれはもしやバレたら捕まるんじゃ……?)
ここまで馬車に乗ってきて町並みを見てきたのを思い出す。家は廃れ、歩く人々の表情にも活気がない。どこかぎすぎすした雰囲気もあり、ここに来るまでの間にも何度か男たちが女性を襲うのを衛兵たちが止めているところを見た。
(この国、きっと国民たちにはあんまり自由がないんだろうな……私、生きていけるかな……イケメンとの乙女ゲームルートが遠ざかる……)
夏美がそう現実逃避を始めた頃、ギィ、と重いドアが開く音が聞こえて、弾かれるように顔を上げた。複数の人がこちらに向かって歩いて来ている。夏美も、ここに来るときに下った階段を降りて来ているようだった。
次第に足音が近くなり、夏美もその音を聞いているうちに緊張し始めてしまう。もしここに来たらどうしよう、悪いことはしていないが、万が一殺されるようなことがあったら……と考えると、自然と俯き唇に力が入る。
「この者です」
夏美の予感は当たり、男たちは夏美の目の前で足を止めた。人生で生きてきたどの瞬間よりも心臓が激しく鳴る。
「おい、顔を上げろ」
「……」
自分に言われているのだと夏美は理解したが、なかなか身体が動いてくれない。なんとか時間をかけて、無理やり顔を上げて男の顔を見ると……。
(あ、アイザック……!?)
そこに立っていたのは、昨晩ワンナイトをともにしたあの男、アイザックだった。
「お前……」
夏美は檻の柵に手をかけて男に訴えた。
「私、何も悪いことはしてないんです! お願いします、ここから出してください!」
廊下に出てみると、天井は普通のホテルの倍以上に高く、大きな窓が切り取られている。床は石畳で、あまりの空間の広さに夏美の履いているヒールの音が響いた。
(来るときは目隠しされてたからわかんなかったけど、なんかお城みたい……)
アイザックと、その執事らしき初老の男性が歩く後ろについていく。昨日はベッドでの姿しか見ていなかったので気づかなかったが、立ってみるとアイザックはすらりと身長が高かった。
(確かに手とか、大きかったもんなぁ……)
昨夜のことを思い出しながら考えていると、前にいた二人が立ち止まった。そして部屋のドアを初老の男性が押し開ける。
中は、真っ赤な絨毯が敷かれた広い部屋であった。本棚が周囲を取り囲むように鎮座し、所狭しと本が並んでいる。天井にぶら下がっているシャンデリアは夏美が両手を広げるよりも大きいが、昼間であれば人工の光が必要ないだろうというほど明るい。それは、はしごでしか届かないほど、天井付近まで大きく開かれた窓のおかげである。素人目にもわかる良質な生地で仕上げられたカーテンが、部屋の格式を思わせていた。
「座れ」
部屋の中央にあるソファに、アイザックが腰を下ろし、夏美もその向かい側に座るように促される。初老の男性は、アイザックの背後に回り、そこで立つ。
「一人か?」
「はい」
「……なら聞く。お前はどうしたい?」
「へ?」
「昨日は悪かった。こうなるのがわかっていて、放っておいたようなもんだ」
(そんな、謝られるなんて……)
想定外の言葉に驚いて言葉が出ない夏美を見て、アイザックが息をついた。
「昨日の時点でお前が異国から来たことは明らかだった。しかもこの国のことをよく知らなさそうだ。なのにそのままお前を置いて帰った。お前のような者が、単身であるとは思わなかったんだ。誰かこの国の知り合いでもいるのかと思った。だが、お前は警備兵から不審人物として投獄された。しかも一人で」
「は、はぁ……」
「昨日のうちに、連れがいるか聞いておけばよかった」
「それは……その、別にあなたが悪いわけじゃ……」
「……とにかく、これからどうする。行くあてはあるのか?」
「ない、けど……あの、とりあえず。あそこから出してくれてありがとう。それで、私、今の状況が正直よくわかってないの。その……」
(ここで、正直に別の世界から転移してきたって伝えるべき……?)
夏美は悩んだ。かといって、他国から来たといえば、またニホンなんて国ないとか、どうやって来たとか根掘り葉掘り聞かれて、嘘を貫けない気もする。
「実は……」
「なんだ」
「……私、記憶がないの。どうやってここに来たか」
「……は?」
「だから、私にも詳しいことはよくわかんなくて……」
「記憶がないというのは、いつからですか?」
ソンジ、とアイザックに呼ばれていた初老の男性が夏美に尋ねてきた。
「昨日の夜……かな。それ以前のことを覚えてなくて……」
夏美の言葉を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「そのような例は聞いたことがありませんな。どういたしましょうか」
「ここにどうやって来たか、以外は記憶あるのか?」
「まぁ、それは……」
「……そうか。昨日、自分でナツミと名乗っていたしな」
「ナツミ様というお名前なのですね。確かに、あまり聞き慣れない語感ですなぁ」
ソンジはひげをこすりながら言う。
「あの……」
「はい?」
「さっきのアイザックのどうしたい、って言葉なんですけど……私に選択権ってあるんですか?」
「……」
再び二人が見つめ合った。それから困ったようにソンジが口を開く。
「まぁ……自国へ帰られるのが一番よいとは思いますが……」
「現状、それはほとんど不可能だ。宮殿の外は治安が悪化している。お前は捕らえられる前にガラの悪い男たちに絡まれていたと聞いている。そういうことばかりで無事に国外に逃げることはできないだろう。無防備な女一人で出歩ける国ではなくなった」
そう言うアイザックの表情は、どこか暗い表情をしているような気がした。
「だから現実的に、お前を解放することはできない。まぁ、お前が死にたければ別だが」
「死にたくないです!!!」
「俺たちとしても、他国の者を死なせたくはない。外交問題に関わるからな」
「そうですな、どのようなことが戦争の火種になるかわかりませんからな」
(たぶん、ここ異世界だからそんなことはないと思うんだけど……)
それでも、自分の身の安全を保護してもらえるなら、これ以上のことはない。
「では、どういたしましょうか。一旦処遇はこちらに預けてくれとは言ったものの、周囲にナツミ様について何も言わないままそばにいてもらっては、不評を買いかねません」
「そうだな……」
「ここは一つ、アイザック様の妻になってしまうというのはどうでしょう!」
「はい!?」
ぽん、と手を打って表情を輝かせるソンジに、思わず驚きの声が出てしまう。
「そうすれば、そばにいても不思議ではありません。アイザック様のお仕事柄、外国とのつながりはあるとみなされましょうに」
(なんの仕事してるのかわかんないけど、さすがにいきなり妻ができましたっていうのも……)
「却下だ」
「なかなか名案だと思ったのですが」
「こいつの意思はどうする」
「では、アイザック様の使用人というのは?」
「使用人は必要としていない」
「わかりました。では、来賓にしましょう!」
「来賓……?」
「ええ。海外からの来賓ということにしておけば、あまり周囲からも詮索されずに済みましょう」
「……それもそうだな」
夏美の介在する暇もなく、二人の間で話が進んでいく。
「では、決まりですな! ナツミ様には私からお願いしたいこともございますし」
「なんだ、それは」
「アイザック様もゆくゆく知ることになりますよ」
「?」
含みをもたせた言い方に、アイザックと夏美の頭上にはてなマークが浮かぶようだった。「まあいい。周囲にも俺の客人だと伝えておけ。干渉してくるやつには俺から釘を刺す」
「かしこまりました。ではそれで。ナツミ様、あなたは海外からの来賓です。丁寧にもてなしましょう」
「あ、ありがとうございます……」
(なんか……最初の扱いからは雲泥の差というか、すごく良くしてくれてるような……? 意外と優しいのかも、この人たち)
「それとソンジ」
「はい?」
アイザックの一段と真剣な声音に、ソンジが不思議そうな顔をする。
「そのお願いしたいことということの間に、この女にこの国での礼儀作法を教えておけ。やっていいこと、悪いことを。少なくとも、牢屋には二度と入らないようにな」
「かしこまりました」
(それは、さっき牢に入ってた私へのあてつけかな……!?)
「俺は稽古に行ってくる。帰ってくるまでに、どこに出しても捕まらない人間にしておけ。そいつがどこまでできるかは知らないが」
「承知いたしました」
(し、失礼な……! やっぱ優しくないかも!)
にっこりと笑ってソンジが言うので、夏美は愛想笑いを浮かべることしかできなかった。




